2022,09,03, Saturday 『人口を5億人以下に維持する』:ジョージア・ガイドストーンin牟礼
アメリカのストーンヘンジ(巨大建造物)であるジョージア州エルバートン(旧牟礼町と姉妹縁組していた市)にある「ジョージア・ガイドストーン」が7月6日早朝が何者かに爆破され、4柱のうち1柱が倒れました。
「ジョージア・ガイドストーン」は1980年に完成、石碑には「全人類が守るべき10のガイドライン」が8つの言語で刻まれています。そのガイドラインは(1)大自然と永遠に共存し、人類は5億人以下を維持する。(2)健康と多様性の改善、再生を賢明に貫く。(3)新しい生きた言葉で人類を団結させる。(4)熱情・信仰・伝統・そして万物を、沈着なる理性で統制する。(5)公正な法律と正義の法廷の下で,人々と国家を保護する。(6)外部との紛争は世界法廷が解決するよう、全ての国家を内部から規定する。(7)狭量な法律や無駄な役人を廃す。(8)社会的義務と個人的権利の平衡をとる。(9)無限の調和を求める真・美・愛を讃える。(10)地球の癌〈がん〉にならないように、人口増加する人類が地球環境を破壊しないため、自然のための余地を残す。
現代に合った素晴らしいガイドラインと私はb思いますが、「人類を5億人以下に維持する」という言葉の意味が気になります。建立時、世界の人口が約45億人でした。当時、米ソは冷戦中で、第三次世界大戦終結後の生き残った人類の人口を想定していたのではないかと言う説もある様です。
そのジョージア州エルバートンと旧牟礼町は両町とも石の産地であることから1983( 昭和58)年に姉妹都市提携をし、その調印を記念して、「ジョージア・ガイドストーン」のミニチュアがエルバートン市から贈られ、現高松市牟礼総合センターに建立されています。私も2003年にエルバートン市で開催された姉妹都市提携20周年記念式典に出席のためにエルバートン市へ行き、「ジョージア・ガイドストーン」へも行きました。
2022,08,29, Monday 池田とよひと新知事誕生!!
昨日の香川県知事選挙で「池田とよひと」新知事が誕生しました。『池田新知事、おめでとうございます!!』。
私は牟礼町長時代以来、国土交通省には大変お世話になりました。「道の駅”源平の里むれ”」、「房前公園」、「大町~八栗新道東・国道11号線の歩道拡幅」、「大町交差点歩道橋エレベーター設置」などです。
本省の道路局や都市局へもよく陳情に行きました。おかげで100%、要望を聞いてくださいました。今思い出しても大変残念なのは、道の駅や房前公園の設置に心無い反対をする議員がいたので、道の駅・房前公園に繋がる塩屋海岸の海の駅構想が中断してしまった事です。
池田新知事は国土交通省では道路局長をされていましたので、香川県の未来を見通した発展に繋がる県土づくり・インフラ整備に取り組んで戴きたく考えています。人口減少は日本や本県の大きな課題です。この課題は全国共通です。
魅力ある香川県づくりの為に、香川県議会議員として政策提言をし、その実現に向け最善を尽くさせて戴きます。
2022,08,26, Friday 四国最北端の地・庵治半島の景観
2022,08,22, Monday 『宿題をやらなかった夏休み』齋藤健元農林水産大臣
日露戦争の最終決戦となった奉天の会戦において、日本はナポレオンに勝利したロシア陸軍に対し、世界の誰もが予想しなかった奇跡的な勝利を収めた。ここに明治維新以来必死に積み上げて来た改革の成果を見るわけですが、そこには、実に周到に準備された総合的な戦略構想が確かに見て取れる。
海軍と陸軍の統合的運用、情報重視の戦術発想、機関銃や下瀬火薬や電信に見られるような世界最高水準の武器へのこだわり、ロシア政府を後方からかく乱するための明石元二郎大佐の革命支援活動、開戦当初から終戦を意識してのアメリカ大統領への働きかけ、国際市場での多額の戦費調達、枚挙にいとまがない。
これがつい30数年前までマゲを結っていた民族なのか。往時のことを思うと深い感慨にふけざるをえない。
一方、ソ連と戦ったノモンハン事件。その惨状は涙なくしては語れない。そこにあるのは、同じ相手国に変わり果てた日本陸軍の姿であった。
日本社会は変容していた。だが、奉天の会戦(1905年)からノモンハン事件(1939年)まで、わずか34年でしかない。
平成の30年間が終り、令和の時代が動き始めた。改めて平成を振り返って
みると、災害が多い時代ではあったが、明治、大正、昭和に比べ比較的平穏な時代だったという感想が大方のところではないか。なぜか。それは宿題をやらなかった夏休みではなかったのか。間違いなく我々は、多くの宿題を令和の時代に残した。隣の国はせっせと宿題をこなしていたのに。これらの宿題をどこまでこなすことができるかで、これからの30年は決まる。
それから、早や四年が経とうとしています!!
2022,08,16, Tuesday 平和の尊さ:最近知った悲劇の史実
戦後77年が経ちました。私は最近、二つの女学生や少年が犠牲になった悲惨な史実を知りました。
一つ目は、終戦直前の昭和20年8月2日、海軍予科練生を乗せた木造船「住吉丸」が鳴門海峡で米軍艦載機の機銃掃射に遭い、全国から集まった82名の14歳から19歳の若者が犠牲になりました。米軍の侵攻を想定し、淡路島西南部に砲台を造るため、「宝塚海軍航空隊・甲種飛行予科練生」ら111人が徳島県撫養から淡路島の阿那賀に向かっている最中、111名中82名が犠牲になりました。
二つ目は、昭和20年8月5日、今治市が三度目の空襲に遭い、学徒動員で工場で働いていた松山城北高等女学校の生徒22名と松山高等女学校の生徒2名の合せて24名が米軍にによる機銃掃射で犠牲になりました。
終戦後77年が経った今、改めて戦争の悲惨さをしみじみと感じさせらる悲劇、悲惨な歴史です。
私は10数年前、東京原宿の東郷神社を参拝しての帰路、境内の一角にある石碑に出会いました。「海軍特年兵の碑」で、14歳の少年から志願者を採用した海軍特別年少兵(通称特年兵)は、少年兵より2歳も若かった。その数、昭和17年の一期生3200名、二期生4000名、三・四期生各5000名、終戦までに1万7200名に及びました。横須賀、呉、佐世保、舞鶴の四鎮守府で配属され活躍したものの、幼いが故に犠牲者も多く、5000名余が短い生命を散らしました。
今、ウクライナがロシアに侵攻され、多くの子供、若者、女性を含むウクライナの方々が犠牲になっています。今こそ日本も、真剣に国民の生命と財産、そして日本国の安全を守り抜くために真剣に考えかつ行動に移す時が来ていると思います。
香川県議会議員として頑張らせて戴きます。