いいぬま まさゆき@historian_chop「藤坂村旧記」が記す谷奥までの345間という距離が、伝王仁墓までの距離と一致するなら、「一ノ瀬御墓谷の上に在」という叙述と一致する。つまり王仁の墓は御墓谷を上り詰めたところにあるわけで、その場所を寛文9年の奉加帳は「御墓山」と呼んだのである。午前8:53 · 2022年8月30日·Twitter Web App