津田村に上ノ堂という七堂伽藍の大寺院があったが、豊臣秀吉に破却された。それを嘆いた領主と百姓が寛文九年に郡中に奉加帳を回して跡地に小庵を建てたが、その奉加帳には上ノ堂は王仁によって建立され、王仁が死去すると御墓山に埋葬した。教岸は「当郷旧跡名勝誌」にそう書いている。
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返信先: さん
つまり教岸は、寛文年間の津田村の領主や百姓に、王仁は七堂伽藍の建立者であるという伝承があったと記録しているのである。論文の2~3頁にそんなことを書いているはずなのだが。
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