いいぬま まさゆき@historian_chopもう一度言う。「八幡宮本紀」の「津田の新田」が伝王仁墓の場所であることを示す史料はないし、『長尾史』や『大阪府全志』の記述を見れば、長尾とみるのが妥当と思われる。引用ツイートいいぬま まさゆき@historian_chop · 8月28日「津田の新田」が藤坂かどうかなんてのは、僕があの論文で言いたかったこととは関係のない話で、藤坂だったとしても、僕の言いたいことが成り立たなくなるわけではない。だからこんなことで延々と議論するのは馬鹿馬鹿しいのだが。このスレッドを表示午後2:49 · 2022年8月28日·Twitter Web App
いいぬま まさゆき@historian_chop·8月28日返信先: @historian_chopさんだから「八幡宮本紀」に書かれているのは伝王仁墓のことではないと主張したが、そんなことは論文の本筋からすればどうでも良いことである。「椿井文書で伝王仁墓を否定した」とか言っているけど、僕はそんな主張はしてないし。「津田の新田」の件で延々と議論するのは馬鹿らしさの極致である。1
いいぬま まさゆき@historian_chop·8月28日僕が言いたいのは、寛文年間の津田村には御墓山に王仁の墓があるという伝承があり、元禄時代の貝原好古も津田の新田に王仁の墓があるという伝承を記録しているが、1
いいぬま まさゆき@historian_chop·8月28日寛文年間の津田村では王仁は七堂伽藍の建立者と認識されていたのが、貝原好古は『論語』『千字文』を伝えた人物と認識しているという、そんなイメージの変容があるという点である。王仁墓がどこにあるかは、あえて言えば、どうでも良いのである。