村山槐多(1)

FREE
access_time2022-07-02 10:56

 

伊藤です。

 

せっかくブログっぽいことを始めたので取り合えず自分のラヴな物を書き残しておこうと思います。

その1人目が村山槐多です。

 

真っ先に槐多のことを書こうと思ったのは、現在進行形で槐多にラブしてるからです。

L!!O!!V!!E!!

そして10年後、20年後、他の誰かが何かを検索してうっかり此のページに辿り着いてほしいと思っている。その前に消してるかもしれんけど。

 

 

先に書きますが村山槐多の本は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます。

読めちゃうの!!!もう解決です。

※詩や小説も70年で著作権がきれます

 

・槐多の歌へる (1920年 アルス出版)

・槐多の歌へる其後 (1921年 アルス出版)

どちらも手に入れるのが難しい本なので、こうしてネットで読めるなんて便利な世の中になりました。便利な世の中ありがとう。

ちなみに20代前半の頃、本をスキャンしてデジタル化するバイトをしてました。私がスキャンした本もデジタル化されてるんやろか…

 

・青空文庫では3作品が読めます。

 

旧字体で読み辛いんだお(><)という方は

 

・槐多の歌へる 村山槐多詩文集 (講談社文芸文庫)

Kindleで読めます。私は購入してませんが、アルス社の本からの精選収録ですので良いとこ取りで新字体にもなっており読み易いと思います。

が、結局物足りなくなってアルス社に行き着くと思うのよ…

 

 

ひとまづ現在すぐ読める本のみ紹介しました。

それ以外の本は、ほぼほぼ絶版なので古本屋やオクなどで購入するしかありません😢

 

 

 ↓私が持っている本(何となく購入順)

 

 

 

村山槐多

Murayama Kaita  Wiki 

1896年(明治29年)生ー1919年(大正8年)没。

22歳5ヶ月という若さで流行性感冒(当時で言うスペイン風邪/インフルエンザ)による結核性肺炎で亡くなった洋画家・詩人。

好きな色はガランス ←フランス語。沈んだ赤色のことを言う。

詳しいことはまぁWikiを読もう!

 

彼のことを絵で知ったか、小説や詩で知ったか、皆さんどちらでしょう?

私は小説で槐多のことを知りました。

 

ちなみに槐多と言う名は本名で森鴎外が名付けたと言われています。

彼の小説でとても有名な「惡魔の舌」を青空文庫で読んでテンション上がって姉貴にリンクを送ったら「10年前にとっくに読んでる」と言われました!その界隈(?)なら大変有名な小説らしい。

まだ読んでない!という人は是非読んでみてください。そんなに長く無いからすぐ読めると思う。

 

しかも、此の小説は槐多が中学生の時に書いたと知って更に驚いた。

 

え、天才じゃね??

 

実際、槐多は中学時代にプラトンを読破している←英訳で読んだかは謎いけど「小生は英文などは直覺(直覚)に讀んで大體(大体)の意味をとることしか出来ない人間にて候」と恩師への書簡に記している。

なんか小難しい本も沢山読んでるのだが私は日本語でも理解できないぞ^^  いえ〜いIQ3。

とにかくこの「惡魔の舌」を読んでから、此の村山槐多なる人間の作品をもっと読みたいと思って少しずつ本を集めていき見事ハマる…いや、槐多的に言えばラブしてしまったのである。

画家というのは後から知ったのでちょっとびっくりしたけど画風が強烈だったので納得の槐多である。

 

槐多は中学生の頃から亡くなるまでに詩や短文を沢山残している訳だけども、

読んでて胸がぎゅってなるんや。。😭

純粋で何かギラギラ血生臭くて時々荒ぶったり萎えたりデカダン堕ちして切なくなったり感情の情景が目まぐるしく降りかかってくる。

なんだかこう、生き急いだのかなって思っちゃうよね。あまりにも早熟しすぎて。

 

作品以外にも彼のとんでもエピソード逸話に、槐多自身を好きになった人もいるのではないでしょうか。

まぁ私がそうなんですが。

天才と奇人は紙一重なんだなと感じます。やはり芸術家。

 

 

猛々しい燃える様な惡い劣つた宿命が私にからみつく、猛毒ある蛙か蛇か薬品の様に。

 

しうねく強く

家の貧苦、酒の癖、遊怠の癖、みなそれだ、

ああ、ああ、ああ、

 

切りつけろそれらに、

とんでのけろはねとばせ、

私が何べん叫びよばはつた事か、苦しい、さびしい、

 

血を吐く様に藝術を吐き出して狂の様に踊りよろこばう、

 

何と言つてもあの形に現はし難い悅びーーを多分「藝術」と云ふのだらうが

あれが自分の全部だ、すべてを棒に振れ、よせつけるな、あれだけに、

あれだけにしがみ付かう、その外はどうあらうとかまつた事か。

 

ー1917年

 

 

言葉通り命を突き破った“火だるま槐多“。

私は槐多の詩に励まされ鼓舞される。

没して103年。100年後200年後も彼を愛する人がいるでしょう。この地球が破滅するまでどうか作品が残っていてくれ。

村山槐多が存在したこの世界ありがとう!!!!!!!!!

 

てな訳で。

 

 

私が持っている村山槐多の本(^O^)

 

伝奇ノ匣4 耽美怪奇全集ー2002年学研M文庫

著者 東雅夫

 

 

 

表紙が山本タカトさんとか最高のコラボレーションやんけ😭

 

此の本はいかんせん絶版ぽいのでオクで倍の価格を出して買いました。

再版しよ??(表紙は絶対このままで)

ちなみに東さんの本何冊か持っていたのでこの人は信用できる(?)

 

全482P 「伝奇と怪異」のテーマに沿った詩、小説、戯曲をメインにした文庫版選集。これは良いですよ!詩はもちろん、小説と戯曲も載っているよ!戯曲は未完が多い槐多。

「美少年サライノの首」という短編小説は槐多自身もでてきて面白いのだけど、本人曰く「ずい分はづかしい文章だ」とのこと(1914年の日記より)

 

ちなみにサライはダヴィンチの愛弟子(通称小悪魔)なのだが、当時槐多が恋していた稲生氏の名をかけてサラ“イノ“なのかなって思った。知らんけど。

 

あとは「鏡に」という詩がとても脳裏に残って好きだな。

槐多は自らの顔を「悪相」「怪物」「ブルドッグ」と呼んでいたので、この詩は槐多自身なのかもしらんね。自分の容姿があまり好きではなかったのかしらん。

 

他にも冒頭に江戸川乱歩のエッセイ「二少年図」と399Pからは津原泰水さん書き下ろしの「音の連続と無窮変奏(槐多カプリチオ)」と随想が載っているよ。

槐多とその時代を題材にした創作小説で愛が深すぎてとっても面白いよ!

表紙も最高なのでお薦めなのですが冒頭申し上げた通り絶版なのでだから再版しようぜ‼︎

 

 

 

芸術新潮1997年3月号ー新潮社

 

まずこの表紙の自画像画がcoolやん????

 

これは比較的手に入りやすいです。オクで何度か見かけるし高値でもないし中身も最高なので槐多ファンなら絶対買いだよ!!

全114ページの内74ページが槐多のことで画と詩どちらも載っています。

有難いことに時系列になっているのでその時の槐多がどんな事をしていたのかも追える。

 

そんでもって中学時代の凛々しい褌姿の槐多の写真も載ってる。水泳がとても得意だったとのことですよ。

凄いびっくりなのは大人になった稲生氏の写真が載っているんですよ。

これは芸術新潮にしか掲載されてないのでは?(いやわからんけど)

親族の方が写真を提供したと思うのでここには載せれないけど、なるほど、確かにモナリザの雰囲気を醸し出している端正な顔立ちのお方で槐多の目に狂いはなかったと言える。

なお槐多が書いた稲生氏へのラヴレターも見開きで掲載されている。

自分だったら載せるのヤメテクレ…って思うかも。w

 

あとは槐多のモデルになった女性達のこと、お玉さんやおばさんがどんな人だったかのか?という考察などもありとても充実した内容。

稲生氏のようにはっきりと絵が残っていないので、お玉さんとおばさんはある種ミステリー的存在ですね。でも「乞食と女」はお玉さんだと思うな。めっちゃ美人に描かれてるもん。

 

 

生誕100年 村山槐多展1997年ー三重県立美術館

 

 

 

1997年に三重県立美術館で開催された「村山槐多展」の図録です。200P位

やはりこちらもオクで買いました。他の図録は持っていないので比較できませんが買ってヨカッタ内容だと思います。

画だけでなく、ナントイッテモ槐多肉筆の詩原稿や直筆ラヴレターなどが掲載されており、これらは三重県立美術館で所蔵されているものなので多分この図録しか載っていないと思われます。

 

 

図録の表紙にもなっている「ピンクのラヴレター」は誰宛なのか、いつ書かれたものなのかも不明ですが、ピンク紙にガランス色で書かれた文章を見るに、相手への想いが噴水の絵のように溢れていますね〜。多分稲生氏宛じゃね?と思うけど。

塗り潰された手紙の内容もちゃんと解読してくれています。

 

 

ちなみに三重県立美術館が所蔵している作品はサイトで見れます。やったね!!

槐多所蔵品リスト

 

 

槐多の歌へるー1920年アルス社

著者 村山槐多

 

 

 

結局行き着くところはこの本だと思うの。

槐多の死の翌年に刊行された200を超える詩と書簡、日記などが掲載されています。

作品を網羅した濃厚な594P。最高だぜ!!

冒頭にも申した通り、国立国会図書館でデジタル化されていますのでいつでも見れますが、私はやっぱり本も欲しくなって古書屋で1万円位で購入しました。相場もそれくらいかと思います。

函は流石に劣化しているけど、中は結構綺麗な状態でヨカッタ。

函の表紙の絵には「HALF ANIMALISUM」と書いてありスペルミスしてるのが槐多らしいです。この絵についてどこにも何もエピソード的なのが書かれていないので気になってしょうがないのですが彼はよくこんな珍獣の絵を描いていたらしい。というか彼自身がアニマルになっていたと友人が死後語っております。

 

中身は年譜順(1913〜1919年)に作品が掲載されています。詩は勿論だけど日記と手紙の内容が面白い(と言っていいのか?)

 

 

槐多の歌へる其後ー1921年アルス社

著者 村山槐多

 

 

 

「歌へる」から更に1年後に刊行された「其後」は槐多の小説や戯曲、友人達による槐多エピソードがメインになっていて、槐多の人となりを知ることが出来ます。

歌へる2冊が揃ったら立派な槐多LOVERだ!!!(?)

でも表紙が同じなのがちょっぴり残念(100年以上前の本に文句をつける)

 

これを読んでると槐多は良い師や友人達に恵まれたんだなと思います。当然槐多自身が憎めない、面白くて魅力的な人だったんだろうけど。

槐多が食い逃げした話とか、乗り逃げした話とか、知らない女性に突然接吻したりとか、今だったら間違いなく炎上しているエピソードが多いです。

 

こちらも国立国会図書館で読めます。

私は函なしボロボロの「歌へる」とセットで古書屋で購入しました。(なので歌へるを2冊持っている)

「其後」はあまり出回っていない気がします💭

 

その後、槐多の詩集は出版社や編集者を変えて何冊か出てますがアルス社ので十分かなと思っている。

 

 

 

引き裂かれた絵の真相-夭逝の天才 村山槐多の謎ー2013年講談社

著者 松村和明

 

 

 

 

なんか面白そうだから買ってみたのだけどめっちゃ面白かった。

というか全然知らない話だったのでそんな事があったんかワレ状態になった。

 

大作「日曜日の遊び」の絵は一体誰が描いたのか?

 

1982年発見当時は槐多の絵とされていたが、1986年に槐多の従兄弟、山本鼎氏が描いた絵という事になる。

1986年に著者がこの絵を見て「やっぱこれって槐多の絵じゃね?」と思い、本格的に調査を始めることに…!!

なんと20年以上の歳月をかけて2009年についに「日曜の遊び」は槐多の絵と確定される。

Netflixでドラマ化してくれ。

恐ろしいことに、著者さんが調査していなかったら永遠に山本鼎氏の絵になっていた訳だ。槐多も鼎氏もあの世でびっくりレベル。

この絵が発見された当初は槐多作だったのに、何故鼎作になったのか?そしてどのように調査していったのかが細密に書かれており著者さんの情熱が伝わります。

情熱っていうか、

 

愛だな。

 

20年ってあんた愛がないと無理だろ…本当感動したわ…。

 

しかもついでに(?)槐多の出生地は実は岡山だった!という新しい発見もあったり(今までは横浜生まれとされていた)

 

未発表の絵が見つかったり!!

 

槐多が書いた「作品頒布案内状」が見つかったり!!

 

すげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

この「作品頒布案内状」を要約すると

 

「わいはしがない絵描きです!わいの絵はずい分わがままな絵やけどごめんやで。わいの絵を1枚○円で売るで!〜月〜日までに返事くれお!でも何を描くかはわいの自由やで!」

 

みたいな。

槐多は一方的に熱愛していたお玉さんを助けたい(援助したい)一心でこの頒布状を親戚や裕福な知人に送ったそうです。

自身も貧しいにも関わらず、好きだったおばさんに働いたお金を渡したり、なんか健気だよね…。

報われていないのがまた寂しい。

 

例の「日曜の遊び」は岡崎市美術館に所蔵されているのですが、常設展示されていないので中々お目にかかれない…いつか是非見れたらいいな。

とにかくお勧めの本です…謎解き小説か…。

 

 

 

そんなわけでこのページはいったん終わります。

あと2つ3つ位槐多のことを書こうと思っているんだけどこの記事だけで3週間くらいかかっちゃった。。

 

 

一応(2)を書いてる途中

Remaining: