「津田の新田」が藤坂であることを示す示す史料はないし、片山長三は『長尾史』にあのように書いているから、僕は「津田の新田」を長尾だと解釈したにすぎない。
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会話
返信先: さん
重要なことは、「津田の新田」がどこかではなく、17世紀半ばには地元で王仁は七堂伽藍の寺院の建立者と伝えられていたが、他所者で儒者の貝原好古は『論語』や『千字文』をもたらした人物として顕彰するという、認識の変容が生じているという点である。
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論文の根幹をまったく読み取れていないようなので、これ以上の議論は無駄である。
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