1−2 宝珠
第3話 着地
ルザリス暦一〇二二年 四月十六日 月曜日 明け方——
峨々たる山々のてっぺんと空の境目が白み始めてきた頃、一体の竜が北東の空から渡ってきた。黒ずんだ藍色の甲殻と、宝石のような天色の角。そして、桃色の目。首の付け根には二人の男女を乗せ、堂々たる羽ばたきで飛翔していた。
竜の飛行速度はその種によって大きく異なる。速竜種と呼ばれるタイプの、スリムで軽量な竜族であれば水平飛行でも最高瞬間時速は一三〇キロを越えるという。
しかしラニはその速竜種ではないし、まして魔力回復も不完全な状態である。
竜化状態の体重はラニ本人曰く三十三トンほど。竜種分類は彼女自身も理解していないらしく、ただ大枠のカテゴリとしてドラゴン種なのは確かだ。
二十八・八メートルにも達する全長と、九メートル近い高さ。それが猛然と空を飛ぶのだから傍目には物凄い迫力だろう。
そんな巨体の竜が、稜線から朱色のグラデーションを描き始め、明るくなりかけた空で少しずつ高度を下ろした。
空中には野生の竜や、飛行型の幻獣、朝早くも飛び立ち始めた鳥が泳ぐように飛んでいる。
他の竜たちがこちらを見ている気がしたが、彼らが気にしているのはラニであって、レンやセラではないのだろう。
なんせ竜族は基本的に人間に対して無関心であり、ヒトの営みに対するスタンスは一貫して「我関せず」である。
が、縄張りを侵されたり家族に危害を加えられたりすると竜は激しく怒り狂う。
一方で助けてもらった際の恩返しもなかなかに規模がおかしくて、木こりが溺れていた子供の竜を助けたら、数日後に親の竜が超希少金属である竜鋼製の斧を持ってきた、なんて逸話もあるのだ。
竜鋼の物品は、剣一振りであってもその値打ちに城一つに比肩する価格がつくとされている。
おまけに竜の加護を得られれば、多くの災いが避けていくともされていた。
この国の皇族もまたかつては竜と共に戦った英雄の末裔とされており、国民は気高く孤高の、比類なき最強の生物たる竜たちにある種の熱狂的な信奉を抱いていた。
ゆえに竜と人の間に、ごく稀に生まれるという竜人族への扱いは独特だった。
地域によっては神の使いとされ、またある地域ではその生き血に不老不死が宿るとされていたり、またあるいは研究対象として実験生物のように扱うという。
「ラニ、出たばっかりの時にも言ったが、誇りが許さないとしても普段は
レンがそういうと、ラニは脳に響く念話で「私もそうするつもりです」と応じた。
竜の飛行速度では風切り音が激しく、肉声での会話は困難だ。レンはまだ念話が苦手で肉声も一緒に出てしまうが、一応はできるのでこの暴風の中でもラニと意思疎通ができていた。
セラが「何か言った?」という風に振り返ってきたので、よく聞こえるようにエルフほどではないが尖り気味な耳元で「ラニにリザードとして振る舞えって言っておいた」と口にした。
くすぐったそうにするセラが眼下に目を向ける。レンはラニに聞いた。
「どうした?」
「竜化維持が難しくなってきました。いえ、本当はあと四〇分は飛べそうなんですが、そうすると人形態も維持できなくなりそうでして。ぐったりしたまま動けなくなってしまうと、さすがに邪魔になりそうですし」
「そうか、ありがとう。じゃあこっからは歩いて行こう」
下に広がるのは森林地帯だ。
ウリグオ市から南西へ降ること約六十五キロ。
途中で休憩を挟んだりしており、単純計算は難しいが——ラニの飛行速度は振るわず、これくらいの距離の移動となった。
あまり距離を稼げなかったが、それでも捜索隊がすぐに追撃してくることはないはずだ。
やはり俺たちで集められるくらいの魔石じゃ、竜化維持だけで限界か——レンは今日一日でそれを学んだ。
魔石——あらゆる生物は死後、その魂を大気中に拡散させる。
霧散して粒子になった魂は霊界(神界や冥界、煉界の総称だ)に還元されていくうちに魔素という魔力の素を吐き出す。
魔導師はその魔素を大気中から取り込んで魔力へ錬成し、そしてその魔素が結晶してエネルギー資源となったのが魔石である。
魔石にもいくつかランクがあるが、レンたちが手に入れられたのはSからFある中の、下から数えて三つ目、よくて四つめのDやせいぜいCくらいのものだった。
竜族の膨大な魔力の器を満たすことは難しい。
ラニが徐々に高度を落とし、真下の森林へ足を向けた。
枝葉と梢を踏み砕きながら地面にゆっくりと着地する。比較的開けた場所だったが、それでもラニには狭苦しいだろう。
こうべを垂れたラニから降りて、「お疲れ様」と声をかける。
竜の肉体が光の粒子を纏い、それはすぐに人型を形成した。翼を持たない、ぱっと見はリザード族の少女がそこに現れる。
衣類は地下牢に入れられていた時のままであるボロだ。
それでも白んだ肌は磁器のように滑らかで美しいし、豊満な乳房とくびれた腰、ふっくらとしたヒップのラインは年頃のレンの目を引く。
八歳の頃から知っている、あの頃から変わらない容姿の美しい少女。
レンはなぜか居心地が悪くなって、自分の装備の点検をし始める。
そうしているとセラが背負っていた袋の一つの口を開いた。
「着替えもあるから、これに着替えた方がいいんじゃない? どう見たって脱獄囚か、さもなければ奴隷だし」
「そうですね。ありがたく頂戴します。……レン様、わかっていますね?」
「……誰が覗くか」
レンは背を向けて、飛行中に落としたものがないか荷物のチェックをした。
腰の魔導拳銃と、背負っていた対戦車魔導銃の二丁に問題はないし、ダガーも、ナイフもある。
城からくすねてきた宝飾品を入れた袋も問題ないし、サバイバル用品と医療キットも大丈夫だ。
それから魔導銃の真価ともいえる
スペルバレットは通常弾より割高なので、効果は高いものの出費が嵩むものでもあった。術式効果にもよるが、八〇ロガで購入できるのが通常弾とすれば、スペルバレットは平均してその四、五倍。ものによっては十倍する。
四〇口径のシリンダーをスイングアウトし、弾を一旦抜いた。
レンコン状の弾倉を戻してドライファイア。かちん、としっかりハンマーが倒れたのを確認して、弾丸を六発込めるとハンマーを倒し切った状態で、暴発せぬよう腰のホルスターに戻した。
後ろから衣擦れの音と、「可愛いね、胸の先っちょ」だなんていうセラのセクハラ発言がした。
ラニが「つ、つつかないでください」とやや弾んだ声で返しており、レンは興奮というよりは『人の気も知らないで』という苛立ちの方が勝ってしまう。
ややもせぬうちにラニから「大丈夫ですよ」と声をかけられた。
振り返ると極東にある八洲国風の意匠が見受けられる衣類に着替え終えていたラニがいた。
キャミソールに、その上から大きな胸をクロスする布地。
アシンメトリーなスカートと足袋に草鞋というエルゼリア皇国文化と八洲文化を合わせたような組み合わせである。
腕部は中指を通して固定する腕覆いの布と、前腕部には瓦のように折り重なる三枚の金属板という構成だ。
武器の類は一振りのブロードソードで、ここへくる前にも言っておいたが翼を隠すこととブレスの使用を極力控え、リザード族で通すことを徹底するよう計画していた。
とりあえずここはどの辺りだろうかとレンは思った。
方角自体はコンパスでわかったが、古い地図しか持っていないし、そもそも地図というのは軍事的な戦略物資であるため限定的な地域が描かれたものしか出ないし、しかも詳細には書き込まれていないのだ。
「川を見つけて下っていけば、村か何かに出るわよ」
セラがそう言って、地図とコンパスを手に頭を悩ませるレンに言った。
それは……いや、確かにそうだ。清い水辺には集落や村、文明が出来上がるのは、人類史が証明している。
「そうだな。川なら少し北に行ったらあったよな。大きい船は通れなさそうだったけど、はしけやなんかなら通るし、川漁をしてるかもしれないな」
「では、北上するという具合で進んでみましょうか」
レンのプランにラニがそう応じ、セラも黙って頷いた。
そんな彼らを草葉の陰から覗く獣がいたことに、まだ誰も気づいていなかった。
竜征戦記 — 九ツの宝珠と選ばれし勇者たち — 雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き @9V009150Raika
作家にギフトを贈る
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。竜征戦記 — 九ツの宝珠と選ばれし勇者たち —の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます