第2話 世界変革の引鉄
ルザリス暦一〇二二年 四月十五日 深夜——
ウリグオ城の跳ね橋が上げられ、城下町との通路が断たれた。
六年前に終息を見た内乱以来、職に追われた者や、いくあてを無くした反乱軍兵士、資産を凍結された反乱軍側の貴族や士族が時折小競り合いを引き起こし、酷い場合は彼らが大挙して押し寄せてくる、なんてこともある。
それは立派な紛争であり、地域によっては未だ散発的な戦闘が繰り返され、内乱は完全には終わっていないという見方が強い。
南東の、大陸中原を大きく支配するラボル帝国侵攻の危機もある中、なまじガーバンツ王国という緩衝地帯を挟んでいるために、内乱終結後というのもありやや国民の危機感は薄い——というか、戦争に疲れて飽き飽きしているというのが率直なところだった。
けれど国民の思想は両極端なもので、国防意識の高い若者が軍に志願したり、徴募隊を呼び掛ければ仕事欲しさの傭兵が、あるいは国境付近では内乱の際に発足された義勇軍の兵が大挙して軍門を叩くのだという。
厭世的なのは長生きな種族が大半で、得手して寿命の長い種族ほど魔術の腕があるために、軍では魔術師の不足が指摘されている——らしい。
この城でも、お抱えの宮廷魔術師は一人で、その魔術師の弟子もたったの二人である。だとしても、城塞都市一つに魔術を扱えるプロが(弟子であろうと、宮廷魔術師の弟子であればそこらの魔術師の比ではない力量を持つ)三人いるのは貴重なことだが。
そういった観点から国防費の予算案は増額傾向にあり、それに対する反対意見は少ないが……やはり「また戦争かよ」と国民の辟易した声はちらほら聞こえる。
対策と防衛。
跳ね橋程度とはいえ、これでも越えるためには
これは単に、おかれた境遇のせいで捻くれたものの見方をしているだけなのだろうが。
まあ、城が落とされればその時点で市内では虐殺や略奪、強姦がまかり通るわけだし、同時に城内の治安維持のためでもある。
若い兵士が夜の街でおイタをしたりすれば、顔に泥を塗られるのはその主人たる城伯閣下だ。無論休日であれば全てその人物の責任――ということになっているが、市井がそう判断するとは限らない――だが、普段はそうもいかないのだ。
それに常に門を開けていると不審者の侵入を許し、都市や、国の重鎮暗殺を許すという最悪の手を防ぎきれないと言った問題点もあった。
現代の国民は、どの大陸を見ても閉鎖的だと指摘する思想家は多い。けれども、何でもかんでも開けっぴろげにして家族を失った日には、嘆くに嘆けないだろう。
隣の人と手を繋ぎ、みんなと仲良く——無理に決まっている。性別も年齢も、種族も違う他人と、その全部と手を取り合い仲良くするなど、絶対に無理だ。
話を戻すと、とりあえずはある程度の遊びを持たせてはいる。
閉塞させすぎたせいで溜め込まれた欲が暴発し、どこぞの兵士とメイドが、とか、女兵士と執事がとか、だなんていう城内スキャンダルがあちこちで話題になるからだ。
そういった意味でも、やはり娼館の類や娼婦、男娼は必要なのだ。どこかで適度にガス抜きをせねば、人は簡単に狂気に染まって凶行に走る。
城勤めの娼婦・男娼を悪く言う者もいるが、なにも無理やり彼らをさらってそうしているわけではない。あくまで、普通の城であれば。
同意の上で、高額な給金と引き換えにしているのだ。立派な労働である。日々を倦んで識者ぶり、禄を食い散らかすだけの失業はおろか初めから働かない遊び人よりずっと生産的だ。
けれど、それがいかに甘えた思考かもわかっている。
誰だって働けるなら働きたい。けれど、今はその労働が戦争に直結するのだ。意図せぬ形で、誰もが人殺しになってしまう。そんな恐怖と、大勢が戦っていた。
それはレンもそうだが、彼は差し当たって己に向けられている殺意から逃れる方法を実行に移さねばならなかった。
レンは見た目だけは豪奢な己の自室で、室内に飾ってある宝飾品の類を袋に捩じ込んだ。脱出した際に路銀になるからだ。それから、孤児院から預かっていたというレンの持ち物が入っている小さな棚を開いた。
これは二年ほど前に孤児院に出向いた際、シスターから「城伯様にはどうかご内密に」と口添えされて渡されていた
これがあればラニを解放できる。今回のプランの骨子は彼女であり、そして彼女自身の了承も得ていた。
私は凶暴な——。
あれが、事実なら。
立てかけてあった己のダガーを腰に、それから魔導銃を二丁手に取る。一丁は大ぶりなリボルバー式の拳銃型、もう一丁はやはりリボルバー式だが、猟銃のようなライフル型である。けれどその全長はゆうに一四八〇ミリに達し、どう考えても大型幻獣、もしくは対装甲目標用のものだった。
これらは単にリボルバー式のもので、今では最もポピュラーだ。拳銃型と対戦車型の魔導銃をそれぞれ腰と、そして背中に背負った。
一時は火薬式のそれも研究されていたが、ガス圧の密閉課題や暴発のリスク、また銃弾そのものに与えられる魔導術的効果の多様性という点から、火砲は魔導式のそれにとって変わられていた。
圧縮した魔力で弾体を射出するこれらが現代の『槍』であり『弓』だ。
ラボル帝国の今ある広大な版図は槍と弓で築かれた。これからの時代の槍と弓は、この魔導銃と魔導砲がその役目を担う。レンはそう思っていた。
必要な物資は必要最低限。どのみち派手な脱出になるのだから、バレないようにというのは無理がある。
けれど逃げ出す際、その後の行動の邪魔になるほどの大荷物では邪魔にしかならないし、それで失敗すれば元も子もない。
とりあえずこれでいいか——。
レンの部屋は城の二階にあり、彼は鉤縄を使って下まで降りた。格好は黒い革の鎧に、同じく黒いコート。白銀のメッシュが三本入った黒髪を風に揺らし、着地する。
うまく鉤を外して縄を腰に戻すと、周囲を確認した。見張りの兵士はここにはいないが、そのうち見回りに来るだろう。その前に少し進んだ先の茂みに向かい、巧みに隠した地下牢への穴を見つけ出す。
跳ね上げ式の扉を上げ、それからできる限りの方法で出入り口を隠す。どのみち今日で最後だ。バレても問題はない。
レンは湿っぽい土の中を身を捩りながら進んだ。真っ暗だが、夜間訓練で即座に目は暗闇に慣れるようになっており、そういった夜目はこういうときには重宝した。
レンは目的の地下牢の真下までくると上の石畳を押し上げ、藁をどかして顔を出した。レンに理解ある看守ではない別の男が、ラニに何事か怒鳴っていた。
その内容は聞くに堪えないものであり、要するに性処理くらいの役にたて、というような人としての品性を疑うものだった。
(エテ野郎が)
この大陸において、人に対する最大の蔑称を胸の内で吐き捨てた。エーテルシーミアというサルの幻獣を媒介する病でこの大陸が大混乱に陥ったことが、五百年ほど前にあった。
これもまた異様な話で、そのエーテルシーミアとの獣姦による『魔力を多く宿した子を産む宗教』から感染が広がったとされているのだ。
以来、エテというのは猿と乏しめるだけでなく、「病気ザルのイカれ色狂い」という意味合いを持つようになったのだ。
獣人族のその男に背後から近づき、脇の間から腕を通して首を締め上げる。
もごもごと何かうめき、意識を失いかけるが彼はレンに肘打ちを繰り出した。ハードレザーのおかげで激痛というほどの衝撃はなかったが、息が詰まって拘束が緩む。
看守は腰からブロードソードを抜き、にたりと笑った。
「こんな時間に出歩いちゃあダメでしょう、レン様」
「なら謂われない罪で囚われている子に性暴力を働くことは許されるってのか」
「こんなトカゲ女……股開く以外に何の使い道が――」
レンが銃を抜くよりも早く、横合いから飛来した投げナイフが男の喉笛に深々と突き刺さった。
ごぼごぼと血の泡を吹いて、ナイフが飛んできた方向を見る。そうして何かを求めるように伸ばした手で床を掻きむしり、絶命した。
その先にいたのはセラである。
フードを下ろした彼女は死んだ男を無視し、端的に「鍵は?」と聞いてきた。
「……殺す必要は、」
「そんな甘いこと言ってたら、殺されるのはあんたでしょう。私は調達した限りの上質な魔石を持ってきた。……で、鍵」
確かにここで思い切って殺しておかねば、脱走どころではなかったし、それに脱出する時に周りに被害が出ないなどと楽観視しているわけでもない。
レンたちはこの地下から天井を文字通りの意味でぶち抜き、空から出て行こうと考えていた。
そのためにセラは既に撹乱用にと、時限式の小型魔力爆弾で厩舎にいるワイバーンの拘束を断ち切る手筈を行なってきていたのだ。そのワイバーンが城の誰かを襲い、食い殺す可能性だってある。
が、いざこうして死というものを――山賊でもなんでもない、確かに酷いことをしようとしてはいたが――見せつけられると、息を呑んでしまう。
けれど、と思い直す。こいつも、上の連中も俺の死を望んでいるじゃないか。でもそれを免罪符に無関係な連中を巻き込んでいいのか。
いざここにきて迷ってしまった。それがまずかった。
上から小さくドン、ドドン、と魔力が爆ぜる音がした。それから手回し式のサイレンが響き渡り、緊急事態を告げる。
「鍵!」
「も、持ってきた。ラニ、前に脱走計画があるって話してたろ」
ラニはこくりと頷いた。
「ええ、お聞きしています。……でもまさか、実行するだなんて。私の正体を疑わないのですか?」
「人生は賭けだ。どうせ死ぬんなら、博打を打ってでも生き延びられる方を選ぶ。……時間がなきゃ特に。今はどんな目が出ようとも賽を振らなきゃ、生き延びられねえんだ」
レンは魔錠万能鍵を取り出して、ラニが閉じ込められている牢の扉に差し込んだ。
うっすらと魔導陣が浮かび上がり、その中の模様がいくつか回転して噛み合う。すると扉が開いた。
「おいっ、何をしている!」
「レン、魔石を食わせて!」
見張の兵士に煙幕を投げつけたセラがそういった。レンは上質魔石の詰まった袋を受け取り、その重みを確かめるように抱きかかえて「任せろ」と応じた。
「ラニ、足りないかもしれないけどこれで魔力を回復させてほしい。体に負担になる強引な方法っていうのはわかる。でも今は、力を貸してくれ」
「ええ、喜んで」
レンが広げた袋には澄んだ青色の魔石がぎっしり詰まっていた。ラニはそれを手掴みで口に放り込み、頑丈な牙で噛み砕いて魔力を吸い出していく。
セラが投げナイフを投擲し、唐辛子エキスを入れた煙幕で足止め。さらには手投弾で応戦する。あらかじめ設置していたワイヤーにスライスされた兵士がぼたぼたと崩れ落ちていった。
爆圧で吹き飛ぶ肉片が煙幕の手前、こちら側に転がってくる。
レンも軍事教練の一環で、死体を見たり山賊を実際に殺している。腐乱した死体の処理もした。けれど、いくらいがまれていても昨日までは普通に笑っていた兵士が死んでいく様は、はっきり言って見ていられるものではない。
だけど、だけど——鬼になれ。非情になれ。くだらない枷を断ち切るとそう決めたのは、他ならない俺じゃないか。
徹底している。彼女が一番、この計画の重要性を理解していた。レン自身ですら曖昧な、己に向けられる殺意の恐怖を理解していたのだ。
ごくりと喉を鳴らしてワンマンアーミーのごとき戦いをするセラからラニに目を移すと、彼女は魔石嚥下していくそばから、変化を起こしていた。
角の輝きが増し、背中を骨のようなそれが突き破って出てくる。関節を持つそれはすぐに鱗——甲殻を纏い、翼膜を形成した。
竜人——翼を持つリザード族などいない。
彼女がいつかおとぎ話を聞かせるように言った、「私が凶暴なドラゴンだったら、捕らえられた理由になりませんか?」というそれは嘘ではなかった。
そしてこの時点で、この脱出計画は八割方成功である。
ラニは魔石を全て飲み込んで、うっすらと微笑んだ。「セラ様、変わります」そう言って、ラニは喉の奥を赤く輝かせた。一瞬後吹き抜けた熱線が地下牢を熱し、煙幕の向こうの兵士を飲み込む。
そのブレス一撃で、騒がしい声が全て消えた。
熱線が駆け抜けた牢の鉄格子がドロドロに溶け落ち、丸くなっていた罪人が目を白黒させる。脱走しようとしたが、石焼き状態の床に怯み、奥に引っ込んだ。実際、石材の一部は溶岩のように溶け、ぐつぐつと泡立っている。
「急ぎましょう。お傍に」
バキッ、ミシ……と音を立ててラニの体が青い光を放ちながら変形した。人型のシルエットが段々と巨大化し、竜の形状を形作る。
二本足に一対の翼のワイバーンではなく、四本足に翼というドラゴンのそれ。翼は大きなのが一対。
天井を押し上げて瓦礫を降り注がせながら崩していく。
その破片がレンとセラを襲うことはなく、全て、ラニの翼が防いでいた。
「竜だ!」「どこから出てきやがった⁉︎」「魔導砲っ、魔導砲だ‼︎」
「砲兵科を叩き起こせ!」「逃げ回った竜どもの対処でそれどころじゃねーっすよ!」「閣下のご無事を優先しろ!」
「背中に乗せますね」
ラニが降ろした首にセラが身軽にまたがり、手を伸ば……そうとはしなかった。
「今ここで諦めれば、危険な盗賊の仕業にしてしまえる。あんたへの罪は消えてなくなる」
「………………」
問いだ。
本当にいいのか、という。セラからの優しさであり、そしてレンの覚悟を確かめる行為だった。
「これ以上続ければ、あんたは最悪史上最悪の殺人犯として歴史に名を刻みかねない。追ってくる城の連中だって、殴られて退くほど物分かりは良くない。
いい、嫡男が盗賊にさらわれたとなれば表向きには連れ戻さないと不自然。でも、城伯はあんたを殺したい。
体のいい暗殺者を雇う口実ができるのよ。盗賊を殺すつもりの事故とか、既に死んでいたとか」
現実的な話だ。レンはそれでもセラに、ラニに手を伸ばして。
「連れて行ってくれ。知りたいんだ。自分が何者なのかを。何のために生まれてきたのかを」
セラの手が伸びる。が、直後ラニの鱗に銃弾が当たった。ヂュインッ、と音を立ててそれていく弾丸は傷ひとつつけられなかったが、セラが顔を上げるとそこにはライフルを構えた騎兵隊がいた。
「レン!」
羽ばたき始めたラニの首につかまりつつ、セラが手を伸ばしてきた。レンはそれをがっちり掴んで後ろに跨がる。
「逃すな、撃て、撃て!」「目を狙えッ!」「魔導砲、撃ぇ!」
銃声と砲声。飛び上がったラニに銃弾と砲弾が激突し、弾頭内の術式効果で爆風が巻き起こる。
しかしながら天下無敵の生物とも言われるドラゴンにとって、そんなものは屁のつっぱりにもならなかった。
悠々と翼で空を掴み、翔け上がっていく。
深く染まった常闇の空に、一筋の青い竜が翔け抜ける。
それを見上げていた者たちは——ある者は旅の行商人で、ある者は軍の司令室で、ある者は城から、そしてある者は暗い山から——、世界が変わっていく予感のようなものを胸に抱いた。
そして当然、本人であるレンも、セラも、ラニも。
自分たちが何かを壊し、変える、重い引き鉄を引いた。そんな自覚を薄らと抱いていた。
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