【EP1】竜の涙の宝珠

1−1 脱出

第1話 地下牢と、廃屋と

「あなたの人生の主人公は、ほかならないあなたです。そうでしょう? レン様」


 かびた匂いに浸った城の地下牢に幽閉されているのは、夜へ向かう空のような群青色の髪の少女だった。

 側頭部から生えた一対の、綺麗な鉱石めいた天色の角が特徴的で、腰からは濃淡の異なるアオダイショウを思わせる色合いの鱗を持つ尻尾が生えている。

 彼女は自分を「城に忍び込んだリザード族」と言っているが、レンにはもっと重大な秘密があるように思えていた。


「俺が主人公だったらどれだけよかったろうな。いや、確かに俺が主人公かもしれないけど、設定も物語も全部もう作られているんだ」


 吐露する内容は弱々しい声音も相まって、十五になって七ヶ月が経とうとしているのに、未だ右へ行くべきか左へ行くべきかもわかっていないような子供みたいな響きを伴っている。

 このエルゼリア皇国を始め、ゾラフ大陸では十五で成人とされている国が多い。

 レンも法的にも社会通念的にも立派な大人であるはずなのに、ここへ来るとつい弱い自分が、必死になって作っていた自己防衛だとか、見栄だとかという殻を破って飛び出す。


「そのレールを脱線してみるのも、良いかもしれませんね」

「ひどい事故になるんじゃないのかい。二年前にあったじゃないか。ブレーキが効かない魔導汽車が街道に突っ込んだっていうのがさ」


 そこまで話したところで、レンに理解のある看守がわざとらしい大きな声と共にあくびをしながら戻ってきた。


「そろそろ出ないと。……じゃあ、また」

「はい、また」


 レンは少女——自分でラニと名乗っている——がいる牢とは反対にある部屋に入り、寝床代わりの藁を退けて石畳を外し、そこから抜け出した。

 残されたラニは節目がちに少年の……否、青年の背を追いかけるようにして、それから静かに横になって目を閉ざした。


 レンが去る。

 また今日も、暗く染められたつまらない一日が始まる。


×


 中庭には剣戟の音が響いていた。

 昼前の訓練は、後少しで昼食だという気の緩みが生まれやすいものの、レンがその場に来ると殺気立ったものに変わる。


 刃を潰しているとはいえ金属の塊である模擬剣が振るわれる中、レンはそれを屈んで避けた。

 頭上を薙いで行ったそれを切り返そうとする男の腕、その上腕を右手に握る剣の柄で打ち据えて止めると、左の拳骨を顔面に叩き込む。

 もんどり打って倒れた新兵が怒鳴りかけるが、教官が大声を張り上げた。


「そこまで!」


 勝敗が決した。負けた若い兵士は鼻を押さえて悔しそうにレンを見上げる。


 城伯家を継ぐ立場にある青年が、なぜ本気で殺そうとまでする兵士と訓練をしているのか、傍目には疑問だろう。

 表向きは向上心のある若き城伯候補として通しているが、実際は違う。不幸な事故死・・・・・・を、現城伯が望んでおり、それはもう下町では公然の秘密と言えるくらいに知れていた。


 フューズ領のウリグオ市とその周辺の限られた小さな土地を預かるウリグオ城伯家には長らく子供が生まれなかった。

 現在の城伯であり、レンの血のつながらない父であるバロールは孤児院に出向いてその中でも発育が良く健康的な少年であったレンを第一子として引き取ったのである。

 それはレンが四歳の頃の話だ。


 けれどその五年後、正室がようやく子供を産んだ。娘であったが、女の城伯はこの国では珍しくない。なんせ以前と、そして現在の皇帝も女性なのだから。

 要するにレンが邪魔になり、以来彼に対する嫌がらせというにはあまりにも生優しい苛烈な扱いが始まったのである。


 ただ、レンにとって幸運だったのは兵士としての訓練を受けても文句を言われなくなったことだ。

 毎年死者が出る訓練に、未来の城伯が参加しても皆萎縮しておだてるだけだ。けれど『どちらかといえば死んだ方が都合がいい』レンは、裏で城伯がそう言っているのか過酷な訓練を受けることができたのである。


 おかげで彼は剣の腕を伸ばすことができた。

 元々の才能か、はたまた効率的な努力を八歳の頃から知り合っているラニから教えてもらっているからか、レンの剣術は力強く巧みに鍛え上げられた。


 模擬剣を棚に立てかけたレンは、やや慇懃に兵士たちに敬礼した。右の拳を心臓に当て、それから踵を返す。

 周りの兵士の酷薄な視線を浴びながら、彼はあくまで仕事という対応のメイドの手を借りて革鎧を脱いでいく。


 鍛え上げられた肉体が太陽に照らし出された。

 そんな中、首から提げられている藍色の宝珠にまで手を伸ばされるので、レンはその手をはたき落とす。

 するどく藤紫色の目で睨んでから「触るな」と吐き捨てて、それから引ったくるようにメイドからチュニックを受け取ると、形だけの「ありがとう」を口に出してそれに着替えた。

 メイドのあからさまな舌打ちが聞こえるが無視した。


(はっきり嫌いだとか死ねって言われた方が気楽だ)


 ただ、レンの態度にも問題はある。以前ラニからも、下町の友人からもそう指摘された。

 けれどあっけなく手のひら返しをした、一部を除く——たとえば地下牢の看守とか——大半の城勤めに礼儀を払う気などなかった。

 権力と金力の傀儡に、なぜこちらがへこへこ頭を下げねばならないのか。


 城を出たレンは門番に「少し散策してくる」とだけ告げて、なにか余計なことを言われる前にさっさと離れた。

 余計な差し出口は嫌いではない。それが有効に働く忠告である場合もあるからだ。

 けれどもこちらをあからさまに嫌っている相手から言われても、いくら頭では受け取るべきだと事前に言い聞かせておいても、いざその時が来ると感情が突っぱねてしまう。


 城の水堀から街へは頑丈な跳ね橋で繋がっており、夜間はここが閉じるが、自称大盗賊の友人が言うにはいくらでも抜け道はあるらしい。

 事実ラニがいる地下牢までの洞窟を掘ったのも、その友人の発案と計画に端を発している。そして今日実行する、ある計画もこの防衛の脆弱さをついたものであった。


 レンは大通りから少し外れた道沿いにある屋台で鳥の香辛串焼きを買って、それを齧った。香ばしい焦げ目と、辛味のある香辛料が肉の脂の甘みを引き立てている。


 そうやってリンゴやらパンやらを買い食いし、昼食を済ませると人気のない小路に入った。


 奥には一軒の廃屋があり、そこは風が吹けば吹き飛びそうな藁葺きの屋根と、板の隙間を泥と藁で塗り固めているようなオンボロという有様であるが、不法な居住とはいえ誰かいるのは明らかだ。

 そしてレンは誰がここにいるのかを知っていた。


 やや強めに、頑丈にできているドアのそばの板を叩く。それから「棺桶は死者のためにあらず。血の渇望者の寝床にあり」と言った。

 すると奥からかんぬきを外す音がする。

 レンがドアを開けると、薄暗い室内には赤紫色の髪をした、派手な少女がいた。


 ハイレグのイブニングドレスとも言うべきインナーに、黒い外套。

 要所をハードレザーの防具で固めており、腰にはダガーが二本。外套の裏には投げナイフやら鋼線、背負っているリュックと腰のポーチやレッグホルスターには様々な小道具。


 妖艶な少女というべき、赤い目の女がそこにいた。

 年齢は知らないが、その物憂げな瞳は熟女のようにも見えるし、けれどハリのいい肌はどうみても十代のそれ。


 一見すると狩人を相手にする娼婦のようでもあるが、違う。彼女こそが自称大盗賊の少女・セラだった。


「計画を実行に移すのね」

「ああ。今夜城を抜け出す。みすみす黙って殺される気はない」

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