本格はてなブログ

うちはマックだからステーキ屋はあっちだぜ?

しばらく忙しいとら(tora_17)氏による、最近のラノベにおける「タガを外したエロ表現」批判の問題点

上のツイートがちょっとした話題となり、ツイッター上で様々な反応を呼びました。


これ自体は、ラノベ的にも「性的消費」的にも、またか!という程度の話でしかないので特に解説はしませんが、シュナムル氏の元ツイートに同調する動きの中に、ひとつ見逃せないものがありました。

この、id:tora_17@tora_17)の記事には、主張の根拠という点で大きな問題があります。根拠とされているものの中に、極端な誇張もしくは今のところ実在が確認できていないものが含まれているのです。

それ以外の問題も含めて、記事の元となった@tora_17氏のツイートと、問題を指摘する自分のツイート(今のところtora_17氏からの返答はひとつもありません)を引用して見ていきましょう。

ラノベのエロ化のせいでエロゲ文化が破壊された?

売れなくなった原因、すなわちエロゲー全体の売り上げが激減した理由は、ぼくは4つあると考えている。

1.2004年以降、ストーリーゲームにシフトしすぎた

2004年に『Fate/stay night』が大ヒットした時にも、「じゃあ、うちもストーリー重視のゲームを!」と、多くのソフトハウスが追随した

結果、ストーリーゲームが増えた。ゲーム性を少なくしてストーリー性だけで勝負すると、ラノベと競合することになってしまう。

そして、競合状態に陥った。


・既に休刊している一迅社文庫が「積極的にエロゲシナリオライターやキャラデザ担当者にオファーを出して“そういう内容”に特化したラノベを量産し」「表向き非ポルノなのに主力がエロっていう露骨なレーベル」だったのはいつ頃のことか?

一迅社文庫 - Wikipedia

なお、アダルトゲーム原作のタイトルについては他の多くのレーベルと同様に刊行されている。

ここ数年の少年向けライトノベルを取り巻く環境の激変を理由に[1]、2016年12月20日発売分を最後に刊行休止した。


(今のところ一迅社文庫最後の作品)


・「モザイクか非表示しなければならない」ラノベ表紙及びそれに関する記事が掲載された「某ウェブメディア」とは?


マッチポンプ



(元ツイート)

EDF(エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー)宣言

EDF」という言葉をご存知でしょうかご存知ないでしょうね。なぜならわたしがこの前考えたばかりの言葉だから。

EDFとは、Elf・Dwarf・Fantasyの略、つまり「エルフやドワーフが出てくるような(異世界)ファンタジー」という意味です。

ファンタジーにエルフやドワーフが出てくるのは当たり前でしょう?なに言ってるのこの人(比喩的な用法としてのきちがいかしら?)、と思ったそこのあなた。あなたのような人のためにこそ、「EDF」は必要なのです。



指輪物語の影響を受けたTRPGの影響を受けたコンピュータRPGの影響を受けたラノベの影響を受けたなろうの……(続く)といった具合に、異世界ファンタジーの伝統は連綿と受け継がれてきました。この継承の流れの中で、大元においては神話を参考にしつつも概ねトールキンの創作したオリジナル種族であったはずの「エルフ」や「ドワーフ」といった設定が、(細部がアレンジされつつ)他の作者のファンタジー世界にも存在することがごく当たり前になっていきます。

現在ではもはや、「ファンタジーにはエルフやドワーフが出なければいけない」「エルフドワーフ出でずんばファンタジーにあらず」と思い込んでいる人も少なくないでしょう。わたし自身、「エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー」はある種の王道として好きですし、今さら「エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー」を書いたり支持したりすること自体が何らかの非難(たとえば「パクリ」であるとか)に値するとは全く思いません。和製長耳エルフ万歳!(ドワーフは?)

しかし、「エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー」は本来、「ファンタジー」を大きく二つに分けたうちの一方である異世界ファンタジーというジャンルの中の、「剣と魔法のファンタジー」というサブジャンルの中の、さらに限定的なサブジャンルの一つです。

ファンタジーにエルフはあってもいいし、無くてもいい。

この当たり前の事実を、令和の御代に改めて広く思い出してもらうために、わたしは「EDF(エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー)」という言葉を敢えて造りました。

当然ながら今現在この言葉を使っているのは全世界でわたしただ一人ですが、ゆくゆくは現代用語の基礎知識に載るぐらいに拡散・定着するのが理想です。投稿サイトやSNSのタグなどで気軽に使ってもらえるとありがたい。EDFEDFをよろしくお願いします。

繰り返しますが、「エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー」自体に何か問題があるというわけではありません。ただ、自分が書いたり読んだりしていたのはファンタジーの中でも「EDF」というものだったんだな、と自覚するだけで見えてくる景色があるのではないかと思うのです。大げさに言えば、あり得る理想としてのファンタジーの多様性を意識するというか。

特に、異世界転移・転生や「ステータス」「スキル」といったゲーム要素を特徴とするいわゆる「なろう系」を誰でも書ける量産型テンプレのファンタジーもどきと口汚く罵り、ファンタジーはオリジナリティが重要なんだよとうそぶきつつ、実際に本人が書いたり読んだりしているものは典型的な「エルフやドワーフが出てくるようなファンタジー」、というような状況は本当に恥ずべき視野狭窄ですので今すぐ改めましょう。もし仮にそんな人が実在するならの話ですが。


共産党・かわの祥子氏とツイッター活動家・せつなりっとく氏、小学校教師が「漫画が好きな子供は将来犯罪者になる」と主張していた過去の事例を容認。(追記あり)

先日、ツイッターでこんな発言を見かけました。

漫画家の牧村しのぶ氏の、小学校の時の担任教師の(悪い意味での)思い出です。

特に重要なのは、「漫画が好きな子供は将来犯罪者になる」という考えを持っていた、とする部分。

どういう形で生徒にその考えを示していたのか、どこまで正確な表現なのかは分かりませんし、こう言ってはなんですがそもそもツイッターでの自己申告なので事実かどうかすら疑うこともできます。が、事実だとしたら、子供にとっては心の傷となってもおかしくないし、ましてやマンガ家になるような人物であれば一生恨み続けても当然だろうな、という感じのエピソードでしょう。

しかしこのツイートについて、とある人々は全く異なる感想を抱いたようです。

共産党の「かわの祥子」氏と、「これが君の望んでいる『海戦 -ロマン-』」『アズールレーン』のシュロップシャーアイコンで知られるツイッター活動家「せつなりっとく」氏の会話を以下に引用します。




https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kawanosyoko/status/1472514841357467654

@setsuna0417 戦前派もいるんですから当然です。現在でもゲームやスマホの 校内持ち込みを制限してる学校もありますし、利用時間を 制限してる家もあるし、それが必ずしも間違ってるわけじゃない。 分かってくれない先生への恨みをいつまでも拗らせてどうすんだと

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kawanosyoko/status/1472517559929171971

@setsuna0417 こっちも社会人になると先生たち仕事大変だったのに 反抗してたままで終わってごめんという 気持ちにもなりますwゲームや漫画だけでなく古典や芸術に 触れる重要性も分かるようなった

「ボクワタシの好きなものを肯定してくれない人」?

「そういう先生いてもしょうがない時期」?

「戦前派もいるんですから当然です」?

「それが必ずしも間違ってるわけじゃない」?

極め付きは、「分かってくれない先生への恨みをいつまでも拗らせてどうすんだと」???

この人たちは何を言ってるんでしょうか。「漫画が好きな子供は将来犯罪者になる」という考えを教え子の前で見せる教師は、「ボクワタシの好きなものを肯定してくれない人」「分かってくれない先生」で片付けていいような存在だと?そして、どうせ昔のことなんだからいい大人がいつまでも引きずるような話ではないと?

個人の心の問題を矮小化するこのあまりに傲慢な態度にほとほと呆れてしまい、自分は両名の発言をRTした上ではてブ連携ツイートでそれぞれ言及しました。

すると、せつなりっとく氏(シュロップシャーアイコン)から引用RTで(牧村氏のツイートへのコメントに)反応が。


「漫画が好きな子供は将来犯罪者になる」と主張する教師について、「そういう先生いてもしょうがない時期」「戦前派もいるんですから当然」とは言ったし、その話を持ち出す牧村氏を「恨みをいつまでも拗らせてどうすんだと」と嘲りはしたが、漫画=犯罪者製造機説教師を許容したわけではないと。そして、それは元ツイを「読めばわかる」と。

読んでも分からなかったので、こちらからも引用RTでいくつか質問を返しました。



しかし、辛うじて会話が成立していたのはここまでで、これ以後せつなりっとく氏は話の流れをぶった切り、ひたすら的外れな回答を繰り返すことになります。まるで、こちらの質問にまともに答えることを避けるかのように。





端的に言って不毛な時間でした。

ツイートでも言いましたが、別に質問に答える義務があるわけでもないし、答えたくない・答えられないならそう言ってもらえれば、ああそうなんですねで済むんですよ。それを、答えたくないわけでも答えられないわけでもないが絶対に答えないとヌルヌルはぐらかしつつ(ある質問に回答しない理由は大きく分ければほぼ「答えたくない」「答えられない」のいずれかになるのでは?)、しかしお前が間違っていることだけは間違いないと言い続けて人を無意味に引きずりまわすのだけは本当に勘弁してもらいたいところです。こういう相手とネットで「対話」するのは初めてではありませんが、その度に心身がドッッッと消耗するので。

本人からは結局まともな答えが得られなかったので、

「漫画が好きな子供は将来犯罪者になる」と主張していた教師への恨み言に対して「そういう先生いてもしょうがない時期」「戦前派もいるんですから当然です」「それが必ずしも間違ってるわけじゃない」「分かってくれない先生への恨みをいつまでも拗らせてどうすんだと」と述べることは、たとえば過去の体罰やスカートめくりの被害に対して同様の物言いをすることと同じなのかそれとも違うのか。違うのであればどう違うのか。

について何かしらの考えをお持ちの方は、この記事のコメントにでも書き込んでください。



一方の、かわの祥子氏(共産党)の方はどうかというと。


すごい曲解する人が・・なんかこう、極端なほど ナイーブですよね。"

せつなりっとく氏の大量のツイートに比べれば量的にはほとんどゼロみたいなものですが、自分は正直こちらの方にこそ、頭を殴られたような衝撃を受けました。


田川郡川崎町生まれ。田川高校卒業。九州大学法科大学院修了。保育士免許。ふくし生協直方事業所をなどを経て、2015年4月~2018年6月直方市議会議員を務めました。2019年参院選福岡選挙区に立候補しました #比例は日本共産党

かわの祥子氏は、日本共産党に所属する元市議です。恥ずかしながら政治には比較的関心が薄いのであくまで漠然とした勝手なイメージになりますが、共産党という政党は理想主義的であり、与党やその支持者というこの国のマジョリティが見落としがちな問題について、誤解を恐れずにいえばいい意味で「針小棒大」に取り上げる敏感さにこそ価値があるのだと思っていました。いわば政党として「ナイーブ」なのだと。

それが、共産党に所属する人間が他者への批判に「ナイーブ」を使うとは。いまはやりの言葉でいうところの「こまけぇこたぁいいんだよ!! 」ってことでしょうか。過去の話とはいえ当事者の語る明白な不正義に「いつまでも拗らせてどうすんだ」と言い放つ元ツイからしてそうでしたが、しびれるほど現実的で典型的な日本の大人の態度ですね。

その後、かわの氏は当該ツイートを削除し、

現在は、ツイッターアカウント自体を非公開としているようです(これはこの話の影響ではなく別口の問題が原因と思われますが、詳しくは触れません)


@setsuna0417 21条は集会・結社、言論、出版その他としか書いてなくて 小説とも漫画アニメとも具体的書いてないって知らない人が 書いてそうですねえ。しかも、集会結社が先に来てる以上、どっちかと 言えば政治関係の方が重要という

(12月22日追記
エントリを上げた当時は非公開でしたが、現在は公開に戻っているようです。)

(12月23日追記:と思ったらまた非公開に……)



先の衆院選にあたって、共産党の掲げた政策の文言が表現規制論の観点から問題視されました。

あの時には自分にも、さっさと「誤解」を解いた方がいいのでは……という気持ちがいくらかありました。
しかし、せつなりっとく氏のような支持者と一緒になって踊るかわの祥子氏のケースを見てしまうと、たとえ末端のことであれ中央がそれを野放しにしている以上、やはり党全体が……?という疑いがどんどん濃くなってきますね。



(12月23日追記)
かわの祥子・せつなりっとく両氏を擁護するコメント(「容認」ではないとするもの)はいくつかありましたが、その根拠について当エントリにあるのとほぼ同じ内容の質問を改めて送ってみても、回答は特に得られませんでした。


id:Kitajgorodskij


どこが容認じゃ。大昔はこの手合良くいただろねっつー感想だけではないか。どう云うやり取りの末かよく分からんが「引き合いに出すには弱いよ?(つか違うよ?かな)」位にしか読めん。後のやり取りはほぼ意味無し。

id:yajicco


50年前にはそういう人も結構いたよね、そういう時代だったよね、という話にしか見えないし、なんで容認とか言ってるのか。どうみても悪意ある曲解だと思うんだが

id:crimsonstarroad
https://b.hatena.ne.jp/entry/4712830647320976450/comment/crimsonstarroad:

昔の教師の事例をもって、今の教師について語るな、文句を言うなって話にしか見えなかった…後半のバトルは読んでない。


id:go_kuma

登場人物全員知らん人やけど、これを「容認」と言って絡むのはさすがに言いがかりの域を出んな。

id:kyo_ju


安定のセルフまとめ(何その"しらんけど"とかいうブログ名)/誘導尋問の回答を拒むのは当然だし、昔の教員への恨みを性暴力肯定表現への批判者にぶつけるのは筋違いだし、河野氏Twitterは普通に公開されてる


https://twitter.com/jun_84



重複するのでここにまとめて書きますが、こちらからの再質問は、

たとえば体罰やスカートめくりの被害に対して、かわの祥子氏やせつなりっとく氏と同様の「そういう先生いてもしょうがない時期」「それが必ずしも間違ってるわけじゃない」「恨みをいつまでも拗らせてどうすんだと」といった発言をしてもそれは、体罰・スカートめくりの(ある程度の)「容認」にはならないということですか?

「昔の教師の事例をもって、今の教師について語るな、文句を言うなって話」牧村しのぶ氏の当該ツイートの前後を確認してみましたが、「今の教師」について直接語っているようなところは特に見当たりませんでした。ふだんからそういう主張をされている方であるなどの文脈があるということでしょうか(だとしても当該ツイート自体に対して「今の教師について語るな、文句を言うな」というのは筋違いだと思いますが)

「昔の教員への恨みを性暴力肯定表現への批判者にぶつけるのは筋違い」牧村しのぶ氏のツイートは、「性暴力肯定表現への批判者にぶつけ」てるものなんですか?



です。よろしくお願いします。

さあ、「ズブゲーム」の時間だ。

インタビュー2つ=「ズブ」

先日、こんな記事が話題になりました。

現在はタイトルが変更されていますが、元タイトルは統一教会系メディアとVtuberがズブな件」という衝撃的なものです。しかし、実際に読んでみるとその根拠はほぼ、たった2つのVtuberインタビューしかありませんでした。


そこで「ねこます」「のらきゃっと」「Vtuber」「バーチャルYoutuber」などの単語で検索していただければ分かりますが、このviewpointの"個人Vtubeを推すようになり"という行為は2018年ののらきゃっと氏へのインタビュー以降めっきり姿を見せません。そもそも個人Vtuberへのインタビュー行為自体がのらきゃっと氏とねこます氏にそれぞれ一回ずつしかありません。

統一教会との関係が疑われている寸借詐欺と仲が良いVtuberがいるという話もあったようですが(現在削除済み)、少なくとも「統一教会系メディア」と直接繋がるものではないでしょう。)

そして、にわかに信じがたいことにこの記事がはてなブックマークの一部では大絶賛されることに。

この人たちにとっては、たった2つのインタビューでも間違いなく「ズブ」の証拠である、ということらしいです。

同時多発的に同じ話題について書かれたこのはてなブログでも、「ズブ」への疑念を一切示すことなくほぼ全面的に肯定する形で紹介・リンクされていますね。


なお、下書きをしている最中に、先行して公開された「FAQちゃん (@faqfaqyou)」氏のnote記事で、Vtuber業界のトラブルなどもふくめて詳細に指摘された。カルト宗教や反社会的組織とのつながり自体は旧来の芸能界にも見られる問題ではあるが。

後に、取り上げられたVtuberの一人(インタビューを受けたのとは別人)の抗議を受けたことにより、本文の一部が削除されタイトルも改められましたが、「ズブ」に関わる部分はそのまま残っています。恐らく、肯定的にコメントしたブクマカ達の認識も、この点についてはさほど変化していないことでしょう。


わたし自身は正直、Vtuber統一教会や寸借詐欺じたいにはさほど関心がないのですが、この一連の流れには激しく動揺させられました。

たった2つのインタビューを根拠にVtuber(業界)が危険なカルトと「ズブ」であると断言することが許されるのだとしたら、自分自身や自分の好きなものにもそれぐらいの瑕疵(とも言えないような小さな隙)はきっとあるだろうと思ったからです。というより、この基準では完全に潔白と言える人の方がむしろごく少数ではないでしょうか。

もし仮に、この「ルール」が社会全体に適用された場合、市民の誰もが誰に対しても「ズブ」の指摘が可能となります。そこでは我々が取るべき行動は、たった一つしかありません。

それは、敵対者に先んじて、より多く、より強力な(=社会的ダメージの大きい)「ズブ」を相手に背負わせることです。

わたしはこの状態を「ズブゲーム」と名付けることにしました。


「ズブゲーム」の例

『JKハルは異世界で娼婦になった』という小説があります。

タイトルを見れば分かるように、いわゆる「なろう異世界転生もの」の一つですが、珍しく男性ではなくギャルな女子高生が主人公であり、実は「なろう異世界転生もの」叩きの風潮に無条件に乗っかってジャンルとその読者を全否定することを最大の目的とする、一種のヘイト創作と呼ぶべき内容となっています。

試しに、この作品にズブゲームを仕掛けてみることにしましょう。

まずはこちら。

【シミルボン】もしかしてアンチ異世界転生?――ジャンルを揺さぶる「普通の女子高生」 | 牧眞司( JKハルは異世界で娼婦になった | 平鳥 コウ )

ぼくが『JKハルは異世界で娼婦になった』を読んで感心したのは、短い期間に一大ジャンルとなったラノベ系「異世界転生もの」の流れに棹さしながら、このジャンルを相対化する視点があるからだ。いわゆるジャンルの“お約束”を熟知しつつ、それを逆手に取っている。
 いってみれば、これは「アンチ異世界転生もの」なのだ。

書籍版発売直後の書評であり、『JKハル』をひたすら褒めちぎっています。いわゆる提灯記事ですね。執筆者は、書評家の牧眞司氏。

さて、牧眞司氏といえば、ネットの一部ではこの発言でよく知られる方でもあります。

ご覧の通り、特定ジャンルとその読者に対する、見事なまでのヘイトスピーチです。額に入れて飾りたいぐらい。

これはつまり、「なろうヘイト小説と百合ヘイト書評家がズブだった件」ということです。

しかし、まあ、書評家で(おそらく)なろう経験もなさそうな人が、ムーンライト出の女性向けポルノを、その辺の一般イキリオタクでもないのに、「アンチ異世界転生」とかいって喜んでいるのは、フィクションを消費しているだけで別に害があるわけでもない(そうか?)のだが、端からは「いったいなにを見ているのか」という気がしますね。


次。『JKハル』は現代のなろう異世界転生らしく、コミカライズもされています。

小説の出版元は早川書房ですが、漫画版は新潮社のBUNCH COMICSとなっています。

さて、新潮社といえば日本中の誰もが思い出すのがこのニュース。


LGBTをめぐる寄稿や企画で批判を受け、休刊した月刊誌「新潮45」について、新潮社が発行する文芸誌「新潮」は6日に発売した11月号の「編集後記」で、「認識不足としか言いようのない差別的表現」があったとするおわびを掲載した。

新潮社から刊行されていた雑誌で、保守政治家による差別的な主張が掲載されたという問題です。

これは、新潮社=ガチ差別出版社と言わざるを得ないでしょう(わたし自身は、なろうヘイトも百合ヘイトも共に「ガチ差別」だと考えていますが)

要するに、「なろうヘイト小説とガチ差別出版社がズブだった件」とまとめることができます。


また、『JKハル』の作者である平鳥コウ氏は、『ハル』以前に別名義で男性向けポルノ小説も書いていました。

人妻人形日記 - 小説家になろう

僕が好きになった女性は、隣に住む奥さんだった。
叶うはずのない恋。そして子供時代に芽生えた密やかな人形愛。二つの歪んだ欲望はある日、偶然たどり着いたサイトで一つに絡み合う。
"E=mC^2"
それは催眠・マインドコントロール専門の小説サイトだった。

世間で広く知られているように、男性向けポルノはしばしば性犯罪を引き起こす原因となります。

上で挙げたXPJbox=平鳥コウ氏の「人妻人形日記」のブクマ数は、3954件。総PVは1465285。これだけの人々に閲覧されていれば、その中には作品に触発されて、隣家の人妻につい催眠術をかけて肉人形にしてしまった読者も、恐らく500人はいるのではないでしょうか。

即ち、「なろうヘイト小説と性犯罪者がズブだった件」


ということで、ズブズブズブの計3ズブ。あくまで例とはいえ、なかなか良い手を指せたと自負しております。


「ズブゲーム」なんて怖くない?

21世紀最高の批評家である宇野常寛氏はかつて、我々の生きるゼロ年代以降の現代社会は「戦わなければ生き残れない」「サヴァイヴ系」のモードに支配されていると喝破しました。

ご本人もその実践のように高校時代のイジメ加害経験を自慢気に語っており、説得力は抜群です。

男子校で女子居なかったし、受験勉強も嫌だったのでそういうことにしか頭を使わないわけです。集団を維持するためライトな村八分を指揮したり、適度な外敵を設定したりしていました。

(もっともその後、仕事で芸人に「イジられた」だけのことをイジメだ!とまるで弱者のように騒ぎ出したのは、一体どうしたのかな……と心配になってしまいます。サヴァイブ系的な論理で言えば、やられたら徹底的にやり返して叩き潰せばいいだけでは?)

我々は全員が一人残らず既に「プレイヤー」である。この認識に立てば、自分がいま強く恐怖を感じているこの「ズブゲーム」にしても、結局のところサヴァイブ社会に敵を殺すためのサブルールが一つ追加されたに過ぎないのかもしれませんね。

えっ?バカバカしい?法治国家・文明社会に生きる人間なら闘争以外のコミュニケーションを選べるはず?

そうですか。残念ではありますが、信じてもらえないのであれば仕方がありません。

ですが、くれぐれもお気をつけください。

「ズブゲーム」は、もう始まっているのですから……

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  • hokke-ookami

    >(統一教会との関係が疑われている寸借詐欺と仲が良いVtuberがいるという話もあったようですが(現在削除済み)、少なくとも「統一教会系メディア」と直接繋がるものではないでしょう。)

    「寸借詐欺」が、それが疑われている政治家のことであれば、その政治家自身がVtuberとして活動していますし、Vtuber関係の署名を多数集めた中心人物のひとりです。
    また、そもそも現在に話題となっている前提として、署名活動の協力者に統一協会メディア関係者がいたという指摘に対して、先述の政治家をはじめ関係の遮断にためらう動きが一部であったことは理解しておくべきでしょう。

    >実際に読んでみるとその根拠はほぼ、たった2つのVtuberインタビューしかありませんでした。
    >同時多発的に同じ話題について書かれたこのはてなブログでも、「ズブ」への疑念を一切示すことなくほぼ全面的に肯定する形で紹介・リンクされていますね。

    先行の指摘に言及するのは「剽窃」と呼ばれることをさけるためにも一般的に有意義だと思いますよ。研究などでもなければ義務ではないと思いますが。
    また「ズブ」という表現は人間関係という意味では意外なことに辞書にも掲載されておらず、それだけでは指す範囲や関係性がいかなるものか明確にはわかりませんが、「FAQちゃん (@faqfaqyou)」氏の記事ははVtuberにカルト宗教側が接近しようとした動きも指摘しています。note記事を読んだ私はVtuberのインタビューが三つ以上あるような誤解もしませんでした。
    また私のエントリは「はてなブックマークを十数人も集めているがコメントは少なく、そのためか統一協会関係メディアという指摘がひとつもない」といった反応も把握して書いています。さらに私自身は意識的にVtuber側を被害者と位置づけていますし、誤解をまねくような記述にもなっていないと思いますよ。

    なお、タイトルの“印象”が耳目を集めるため本文から乖離する、いわゆる「釣り」ことを問題視するのも自由ですが、絶対に批判しなければならないものでもないとは思います。
    貴方はエントリやTogetterでそのような「釣り」を絶対におこなわないため、その高潔な基準を他人にも求めるのかもしれませんが……

    >仮に、この「ルール」が社会全体に適用された場合、市民の誰もが誰に対しても「ズブ」の指摘が可能となります。そこでは我々が取るべき行動は、たった一つしかありません。
    それは、敵対者に先んじて、より多く、より強力な(=社会的ダメージの大きい)「ズブ」を相手に背負わせることです。

    以降の貴方の文章は「珍しく男性ではなく」などの表現から確実にネタと解釈した上でマジメに返答します。
    単純に指摘された関係性に応じた責任をとれば良いだけですね。表現いかんで指摘された関係性の実態が変化するわけではありません。逆に相手に何か指摘したところで、指摘された関係性の否定にはなりません。
    もちろん「ゲーム」などではなく、誰かが問題ある存在と「ズブ」だと貴方が思えば指摘すればいいですし、それを指摘しあえることが健全な社会だと思いますよ。意図せず家庭連合系のメディアに寄稿したことを指摘すればフェミニストは感謝することも多いのではないかと想像します。
    他のカルト宗教でいえば、幸福の科学というカルト宗教が守護霊インタビューと称して勝手に記事を書かれることがよくあります。これは明らかに完全な被害者であって一般的には黙殺しても誰も責めはしないでしょう。しかし広告に利用される状態を否定せず放置して二次被害を出しつづけたりすれば、被害者の社会的地位や知名度によっては多少の責任は問われるかもしれません。

    >これは、新潮社=ガチ差別出版社と言わざるを得ないでしょう

    引用されている問題については、引用内でも謝罪したことがわかりますし、別の動機があるにしても雑誌の休刊という対応をとったこと、別部署の公式SNSアカウントから批判的な言及があったことから、出版社全体を世界日報と同一視するのは難しいですね。
    さらにいえば、新潮社はその問題がはっきりした時点で、降りようとする作家もいたわけです。今件でたとえるならばインタビューされたVtuberが他の記事を確認して記事の掲載を止めようとしたり、署名活動から降りるようなものですね。
    https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/22/publish-cancel_a_23538575/
    もし皮肉まじりで今件の「ズブ」に反駁したいのであれば逆効果な事例ですね。もし皮肉として成立させたいなら、せめて謝罪や内部批判がされておらず出版社として許容していると推論できる継続的な差別記事を指摘すると良いと思います。それを見つけることは残念ながら難しいことではありません。
    そしてその場合、出版社や雑誌の総合的な傾向から、寄稿そのものを批判することは今件のカルト宗教にかぎらず一般的にもおこなわれていることです。その寄稿の内容や意図、寄稿者の媒体への距離、出版社や雑誌の幅などから、場合ごとに妥当性が論じられるものです。
    https://b.hatena.ne.jp/entry/s/natrom.hatenablog.com/entry/20140610/p1
    https://twitter.com/nogawam/status/1164462742381613056
    https://twitter.com/37_2_le_matin/status/1438850894750105614
    そもそも、出版社とカルト宗教メディアを同列にならべる時点で、もし明確なネタでなければそれこそ矮小化になるので、ネタがベタにならないよう気をつけてほしいですね。問題を流布した会社と、問題を流布させるためのメディアという関係性は一見して似ていても媒体としての方向性が違い、その対応も変わってくるものです。

やはり「盗用」から頑なに目をそらす「ミステリと言う勿れ」擁護者

「ミステリと言う勿れ」擁護者 id:hokke-ookami氏のコメントへの回答

ドラマ化も決定している大人気マンガ、田村由美「ミステリと言う勿れ」がとあるツイッター小説を「盗用」したと思しき件について、なぜか「盗用」を認めようとしない奇妙な反応を見せる「勿れ」読者たちに対し、問題点を細かく噛み砕いて説明するエントリを書きました。

前回のこのエントリに、「ミステリと言う勿れ」読者であるらしい、 id:hokke-ookami 氏からのコメントが付きました。

長くて複数の論点が含まれているので、ひと息に引用することはせず一つずつ返答していきます。

まず、意図がどうであれ、貴方は過去に他人と論争したブログエントリを全て消していますね。他人へ応答責任を求められても、逆に貴方が誠実な対応をするとは信頼しづらいです。

「他人へ応答責任を求められても」とは何の話ですか。そちらを含めて、「ミステリと言う勿れ」擁護ブコメを付けたり擁護記事を書いたりしたアカウントのid一覧を載せたことでしょうか。idコールは送られたでしょうが、それらのアカウントに「応答」を要求する要素は、元記事に特に含まれていなかったはずです。もし「誠実な対応をするとは信頼しづらい」のであれば、こちらの記事にコメントを付けるような積極的なコンタクトを無理になさらなくてもけっこうです。

また、idコール自体が「応答責任を求め」るものなのだとしたら、それを最初に行なったのは、後述する id:hokke-ookami 氏の記事の方ということになります。

はてなブログは1アカウントで3つのブログを無料で利用できますから、もう少し違うブログの運営ができるのではありませんか?

自分のブログの運営方針をとやかく言われる筋合いはありません。今は、「エントリごとに内容に合ったブログタイトルに変更する」というやり方を試しています。

来月末に3周年イベントがあるので、その時には対魔忍RPGブログに戻すと思います。

このエントリに引用されている私のエントリのコメント欄から、すでに貴方へ回答した2回のコメント部分を転載します。
どちらもIDコールで通知がいっているはずですし、ひとつは貴方がエントリを書くより前に、もうひとつは貴方がエントリへIDコールを記載する前に書きこみました。
貴方はこれらの回答を読めているはずです。それでこのエントリを書いたのであれば貴方の態度が不誠実きわまりないと思わざるをえません。
それでは、まず貴方が自身への問いに対して、「速やかな反省および撤回」もしくは「覚悟」を決めることができますか?

id:hokke-ookami 氏からのidコールは、最近では氏の記事(「『ミステリと言う勿れ』のそもそも正確性を担保していない発言に、正確性がないと批判するのは奇妙 - 法華狼の日記」)が最初に書かれた際の一度しか届いていません。







はてなの仕様が具体的にどうなっているのか知りませんが恐らく、コメント内からはidコールを送れないか、既に対象アカウントへのidコールが含まれているエントリに同一アカウントへのコールを追記したり間隔が近すぎたりすると、改めてidコールが送られることはないのではないでしょうか。あるいは、元々のコール通知が上書きされたが前に見たのと同じコールだと思って気づかなかったか。

また、もし仮にidコールを目にしていたとしても、それに反応する義務があるとする規範が一般的とは思えません。実際、前回のわたしの記事によるidコールに反応した「ミステリと言う勿れ」擁護論者の方はごくわずかでしたし、それで何の問題もないでしょう。直接的に相手との対話を望むのであれば、ツイッターを使う方が適切では(それでもリプライやDMを無視したりミュート・ブロックしたりする自由も普通にあるでしょうが)

いずれにしても、 id:hokke-ookami 氏のそれらのコメントはいま初めて読みました。

ネットでちらっと見たと書かれた台詞から、ツイッターの創作小説と作者が認識していたと断言できますか?

もし仮に、「ミステリと言う勿れ」の当該シーンを描く際に、元ネタが小説=「作者の存在する明確なフィクション」であるという認識が無かったとして、故意から過失にはなるでしょうが、責任が作者にあるのは変わらないでしょう。「盗用」の問題は依然として存在するはずです。

一般的に、都市伝説とされるものにも、フィクションと思われる元ネタが存在する場合があります。大江健三郎『死者の奢り』が、死体を洗うアルバイトの元ネタという説などが有名ですね。
そうして情報源が不明確な記憶にもとづいて貴方がツイートした時、その情報源がフィクションだった場合、情報源が他にあると最初から明言していても貴方は自分が盗用したと思いますか?
あいまいな記憶で何かを主張した問題と、盗用したという問題は違うのではありませんか?

今回のケースでは、自分の作品(マンガ)の中で他人の作品(ツイノベ)の内容を、元ネタのフィニッシングストロークがそのままフィニッシングストロークとして機能するほどに、ほぼ頭から尻尾まで流用していることこそが「盗用」と呼ばれています。果たしてこれを、小説の内容(の一部)を元にした都市伝説をツイートする行為と同一視できるのでしょうか。ツイノベ以外の一般ツイートも「作品」として扱うべきという立場であれば、その見方も成立するのかもしれません。

そもそも、元のツイッター小説の内容を、現実の「実験」や、あるいは逆に詠み人知らずのフリー素材的な小噺であると誤認させるような形での流用が、「ミステリと言う勿れ」以前に(どれほど)存在したのかが今のところ特に確認されていない以上、その方向性での擁護は意味が無いと思われます。どうしてもその論点で擁護したいのであれば、まずは最低限「勿れ」以前の流用の具体例を発見してからにするべきでしょう。

あらかじめ釘を刺しておきますが、当時の状況が確認ができてないから擁護に意味が無いとするなら盗用批判も無効だ、といった話は通りません。大元は作者のはっきりした小説作品であるという事実の方は既にほぼ確定している以上、そこは非対称です。

「元が明確にフィクション」という認識は確定していないと上記のように考えます。

繰り返しますが、作者の認識は責任を多少軽減こそすれ本質的には関係ありません。元のツイッター小説には「twnovel」タグがしっかり付いていたのだし、これは「知らなかった」では済まされない種類の問題だと思います。

たとえば、ホームページか何かを作るとします。ネットで拾ったフリー素材のみを使って仕上げたつもりが、実はその中にフリー宣言をしていない写真が混じっていたことが後で判明したとしたらどうでしょう。それでも、知らずにやったことなのだから何の問題もないと堂々と言うべきでしょうか。

また、id:hokke-ookami 氏はエントリ「『ミステリと言う勿れ』のそもそも正確性を担保していない発言に、正確性がないと批判するのは奇妙 - 法華狼の日記」において、フォローしていないアカウントのツイートをRTする場合でも、当該ツイートと直接の関係が無い過去ツイートの内容にも責任を持つべきだ、といったような主張を、わたしへのidコールを付けた上で行っています。

そうして騒動は収束しているようだと思っていたら、「まつうら姫@lyricalium」氏らの新しい批判をid:srpglove氏がリツイートしているのが目に止まった。

もっとも、下記のように「慰安婦問題、フェミニズムの負の側面が生んだもの」という認識*2を公言する人物なので、『テコンダー朴』との相対評価に驚きはない。

それにしても、「まつうら姫@lyricalium」氏の批判のいくつかをsrpglove氏が無批判にリツイートしていることが奇妙だ。

もちろん、ひとつふたつのリツイートやフォローが対象の人物全体を許容しているとはかぎらない*4。
しかし、情報源の明確ではない情報をフィクションの登場人物に語らせることを批判したいならば、こうしたリツイートを現実におこなう時の慎重さも必要だろう。

これはあくまで「盗用」批判への皮肉として言い出したことに過ぎないのかもしれませんが、

「商業誌で展開しているマンガ作品において他者の作品内容全体を無断で流用すべきでない」

と、

「当該ツイートの内容と直接関係がないRT先の過去ツイの内容にも責任を持つべき」

では、明らかに後者の方が遥かに過大な要求であり、釣り合いが取れていません。

(ある興味深い情報の大体の出処を確認するにはネット検索だけでも大抵はどうにかなるし、確認できなかった情報は作品に使わなければ済む。一方、RTのたびにRT先アカウントの全発言を把握するのはどう考えても非現実的)

どっちもどっちに持ち込んで、「ミステリと言う勿れ」側のクリエイターとしての責任をうやむやにしようとしたのかもしれませんが、やはり無理があります。

(ついでに言うと、RT先の過去ツイにも責任を取らなければいけないという極めて厳しい基準を仮に導入した場合、現在進行系の社会問題に積極的にコミットするような層の方がよっぽど困るんじゃないかな、という気もします。なんとなく)

その上で、「前にネットでチラッと見た記事で、だから詳細はわからないんですが」と断った文章を見て、信頼性を担保した文章だと思いますか?
貴方は自身の同種の断り書きをしているツイートも、一次資料などに直接あたったツイートと同じように信頼されるべきだと思いますか?
念のため、情報源が明確でないがゆえに過誤があった時の責任を自身で背負わなければならない場合などはあります。しかし、やはり違う問題ですよ。

「前にネットでチラッと見た記事で、だから詳細はわからないんですが」で情報の信頼性の低さを断っていると言えるのは、たとえば東スポやねとらぼやカラパイアといった、ソースが怪しげだとしても少なくとも「『事実について語っている』という体」を取っているメディアの記事を参照したような場合でしょう。元が、フィクションであることを明示したツイッター小説のストーリーそのものである今回のケースには当てはまりませんし、不十分です。




id:srpgloveさんへ
https://twitter.com/srpglove/status/1428409915626774535
>もしかして、世の中ではツイッター小説など小説ではないという認識が一般的なのか。

わざわざ都市伝説の元ネタになった事例として『死者の奢り』をあげているコメントに対してその返答ならば、貴方の読解力を根本的に疑いますよ。
逆に返信を確認せずにツイートしているなら、ググる(※)までもないひと手間すらおこたったのであれば、それこそ貴方の問題であり貴方の責任ですよ。

このツイートは、ブコメツイッター検索で「ミステリと言う勿れ」擁護者たちの、こんなのぜんぜん何の問題もないといった反応を眺めていて出てきた一般論的な感想です。これをなぜ id:hokke-ookami 氏個人への返答だと思い込んだのでしょうか。繰り返しますが、この時点では氏のエントリに書き込まれたコメントは読んでいません。

「ミステリと言う勿れ」擁護という大きな謎

一連のコメントを見ると、とにかく「ミステリと言う勿れ」の「盗用」疑惑を何があろうと絶対に全面的に否認したい、否認しなければならないという意思が強く伝わってきます。これは id:hokke-ookami 氏に限らず、他の多くの「勿れ」擁護者たちも同様です。

たしかに「盗用」ではあるかもしれないが(きっと)悪意は無かったのだからそんなに強く責める必要はない、といった比較的穏当な擁護であれば、全面的に同意はできないものの一定の理解はできますが、そのような意見は稀でした。彼らはこの問題を徹底的に矮小化、というより問題の存在自体を全否定する態度を貫いています。

この不可解なほど意固地な否認の背景には、一体なにがあるのでしょうか。前記事で指摘したように、元ネタである「ツイッター小説」という色んな意味で小さな文化の(無自覚な)軽視が影響しているのは間違いありません。しかしここまで来ると、それだけでは説明がつかないような気もしてきました。

今回の件によく似た事例の一つとして、スマホアプリ「Fate/Grand Order」の剽窃問題がありました。あるキャラクターの説明文に、既存の著作からの「流用」が見つかった、というものです。

https://togetter.com/li/1501534

自分はFGOをプレイしていないのであくまで外から眺めていただけですが、この時には、FGOプレイヤーの中でも「これはさすがにダメだろう」といった声がそれなりの大きさを持っていた印象があります。そのため、プレイヤー同士でもこの件についての議論(というか衝突)がそこかしこで起こっていたように記憶しています。

結果として、FGO公式は「意図せず流用が発生した」ことを認めて謝罪し、当該テキストを修正することとなったようです。


このたび、2020年4月9日(木)より召喚に追加されましたサーヴァント、
「ディオスクロイ」のフレーバーテキストにおいて、書籍『ホメーロスの諸神讚歌』
沓掛良彦様 訳、筑摩書房様 刊行 ちくま学芸文庫)から一部流用がありましたことを確認いたしました。
フレーバーテキストについては数名の協力体制で制作を行っている工程があり、
その際の伝達漏れから意図せず流用が発生したものとなります。
該当部分に関しましては、5月13日(水) 16:30の更新で修正しましたことをご報告いたします。

FGOを含めたスマホゲームは、素朴で熱狂的な支持と同時に、愛憎入り混じった複雑な感情も育てやすいコンテンツです(※個人の感想です)。FGO剽窃に対してプレイヤー層内部で適切な自浄作用が働いたのは、スマホゲーの持つその性質による怪我の功名に過ぎないのかもしれません。

しかしそれを差し引いても、多数の読者が絶対的な擁護に傾いている(一応「盗用」を問題視している読者もいる)「ミステリと言う勿れ」の現状は、やはり不気味にすら感じられます。単純に、FGOプレイヤーの方が「ミステリと言う勿れ」読者よりも民度が高かったのだ、とでも割り切ってしまえれば楽なんでしょうが。

彼ら「ミステリと言う勿れ」擁護者を、何がここまで頑なにしているのか。その謎を解くのは、名探偵ならぬ凡人の身には難しそうです。

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  • hokke-ookami

    >たとえ誤解・濡れ衣あっても疑いをかけられた本人が説明すればいいだけ、と言っているようにすら見えます。

    どこで私が誤解や濡れ衣を肯定していますか?
    現実にはむしろ釈明を安易に信用してしまう人々の問題がつづいていますし、ネタで関係性を矮小化している貴方もその加担者といえるでしょう。
    https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20211008/1633618800
    貴方のように「名前自体は特に怪しくない」と名前だけで他の記事を見ることすらしないことを当然視する態度が、こういう雑誌のインタビューを受けることにいたらしめたのかもしれません。
    https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20211030/1635603462

    >なぜ「盗用」の場合にはそこまで頑なに否定されるのですか?

    問題と思って指摘しあう関係が健全であるという主張は、指摘されたことを否定してはならないという主張ではありません。
    反論が禁じられた状態での指摘しあう関係が健全だとは思いませんよ。
    もっとも、貴方は問題ある表現であれば一足飛びに法規制することを考えるようなので、私とは表現や言論についての考えが土台から違うのかもしれませんが。

    https://twitter.com/srpglove/status/1451147054655234051
    >逆に、共産やその支持者たちが、「法的な規制」(の側に立つこと)をそこまでタブー視してる理由がよく分からない。あそこまで特定表現による社会への直接的な害を言い立てたのであれば、決然と法的規制を目指します(規制して何が悪い)と宣言すればよい。

  • hokke-ookami

    >次があるなら今度はツイッターにしてださい。はてなの通知は、見ない時は全く見ないので。
    >繰り返しますが、次以降こちらの応答を強く要求するのであれば、できる限りツイッターでお願いします。

    私は貴方の応答を強く要求したつもりはありませんし、個人であれば余裕がある時におこなえばいいという立場です。
    なお、私はツイッターをやっていませんが、必要があればそうするかもしれません。ただ、自他の主張を削除することにためらわない人物が、強く要求されたとしても応答する期待はできないし、貴方のツイッターの運用を見ても期待しづらいというのが正直な感想ですね。
    それを考慮しても、お願いという要望をすることは個人の自由ですし、貴方にはコメント欄の管理者として強く要求する権限も削除する権限もあります。

    >>>「他人へ応答責任を求められても」とは何の話ですか。
    >>同じコメントの最後にカギカッコで部分的に引用した「とりあえず速やかな反省および撤回か」にはじまる文章を念頭に置いています。
    >「とりあえず速やかな反省および撤回か、さもなければ「覚悟」を決めた方がいいでしょうね。」ですよね。理屈から言ってそうすべきであろうという文ですが、これって要求になるんですか?

    貴方の文章は「理屈」として応答責任を求めていますね。
    「速やかな反省および撤回か、さもなければ「覚悟」を決めた方がいい」と批判対象に主張するのが「理屈」であれば、当然に貴方を批判対象とする側も「速やかな反省および撤回か、さもなければ「覚悟」を決めた方がいい」と主張することも「理屈」になります。
    相手に責任があると考えずに、どのような「理屈」であれば応答すべきであろうと主張できるのですか? 責任なき人間がどのように反省したり覚悟を決められるのですか? 一般的には何らかの責任を負うからこそ反省すべきですし、何ら責任をもたない立場で反省しようとすることはむしろ責任の所在を不明確にする問題を生みかねません。
    念のため、私自身は相手が黙殺することも自由だと考えますし、私が思いつかない反論をおこなえる可能性は思考の余地として残しておきたいと思っています。


    >これの冒頭ツイートを件のツイノベの派生と見るべきということですか?

    違います。
    その可能性がゼロとまでは断言しませんが、「誤認にはさまざまな過程が考えられます」「出典探求でググってたしかめるのは一手間ではすみません」という話です。

    >確認できなかった情報は作品に使わなければ済む。
    >一般論的な感想を、一つの反例があったからといって撤回する理由がありませんが。
    >触れられていませんでしたよね。その意味で、少なくとも最初の記事の時点で他のアカウントと同列に並べられることには十分な理由があると思いますが。

    他人に確認を求めるエントリにおいて貴方自身はそのような未確認の除外をしないのですね。

    >そちらの記事
    https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210819/1629383505
    でも、元ネタが他人の小説作品である点には一切触れられていませんでしたよね。
    >元まとめの時点で既に、元ネタが作者の存在する小説作品であることがしっかり明示されている(情報の事実性のみならず盗用についても批判されている)問題

    私のエントリはTogetterにリンクしてタイトルもはてな記法で表示されていますが、貴方の立場はどちらなのでしょうか。

    >問題は、作品間かどうかもそうですが、それに加えて、一部か全部かということです。

    「情報源が不明確な記憶にもとづいて貴方がツイートした時、その情報源がフィクションだった場合、情報源が他にあると最初から明言していても貴方は自分が盗用したと思いますか?」という問いの流れである以上、まず「作品間かどうか」でそろえるべきでしょう。同時に「一部か全部か」という話をしたいとしても、流れを整理するべきだと思います。


    >「記事」という言葉を使った時点で、「読者が判断する材料に」なってしまってるでしょう。悪い意味で。

    おっしゃりたいことがよくわかりません。
    私自身では商業媒体などと区別することが多いですが、一般的には一般個人のブログエントリも「記事」と表記することがありますし、架空性の高い都市伝説なども「記事」という表記でまとめられるものです。
    たぶんツイートは一般的には「記事」とは表現しないでしょうが、虚構性や信頼性についてなら「記事」は強い先入観を生むような単語ではないと思います。

    >一定の範囲内で利用可能なものと、そもそも他者の利用を前提としていないものを比較するからおかしくなるのでは。

    フリー素材での比喩をはじめたのは貴方ですよ。
    もちろんツイッターの文章も「一定の範囲内で利用可能」ですよ。

    >あなたが「パクツイ」にこだわるのはあなたの勝手ですが、わたしは「パクツイ」かどうかを問題にしていません。

    私は主に「まつうら姫@lyricalium」氏の文章についてエントリで論じてきましたし、その文脈にそってきました。
    貴方が「パクツイ」という表現の妥当性については「まつうら姫@lyricalium」氏に必ずしも同意しないと言明できるのであれば、その件は貴方との間では終わって、次の段階に進めます。

    >てのりん氏のなろう系叩きが「なろう作家が「平等や正義とかのリベラルアーツの問題系に属する概念について(略)ろくな理解もない」かどうか確認した」上で行われたかどうか問うたものですよね。言うまでもなく一種のミラーリングです。

    連続して引用しておいた「素直に乗っかってるだけの下品な物言いまで自動的に擁護の対象としていく姿勢、本当に本当にどうかと思いますよ」というツイートもミラーリングですか?
    それが「まつうら姫@lyricalium」氏の差別性や表現の弾圧を肯定する態度を私が指摘したことと、どのような関係がありますか?

    >これまでそちらはずっと、自覚が無ければ「盗用」ではないという主張をしてきたと思っていたのですが。

    違います。

    >そちらは最初の記事から一貫して、ミステリと言う勿れの盗用(とわたしが考えている部分)について問題性をほとんど語らずむしろ否定に回っていたので、問題が無いと主張していると思っていたのですが違うのですか。

    違います。
    貴方が考えている問題性を否定することと、他の問題がないと主張することは別の話です。

    https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210819/1629383505
    >あやふやな情報にもとづく説教をフィクションで書くべきではないといった批判ならともかく、「パクツイ」という批判はふさわしくないだろう。

  • srpglove

    id:hokke-ookami

    https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210819/1629383505

    >しかし最近、主人公の口にした社会実験の逸話がツイッターの創作だという指摘が話題になっていた

    「ミステリと言う勿れ」で社会心理学の実験っぽく紹介されていたエピソード、実はTwitterノベルの創作の丸パクリだったっぽい? - Togetter

    >はてなブックマークでid:IkaMaru氏が指摘しているように、信頼性の弱さは断っているし、ツイッターが元ネタという指摘は意味がないこともわかる。

    元まとめの時点で既に、元ネタが作者の存在する小説作品であることがしっかり明示されている(情報の事実性のみならず盗用についても批判されている)問題について、無条件に「指摘は意味がない」と言い切っているのですから、それは盗用も含めて「何の問題もない」と言っているのも同様ですね。

  • もっと読む

擁護者が目をそらす『ミステリと言う勿れ』の盗用問題と、圧殺される小文化

はてなーによる『ミステリと言う勿れ』擁護

ドラマ化も決定している大人気ミステリマンガ、田村由美『ミステリと言う勿れ』(小学館)について先日、このような問題が指摘されました。

主人公が作中で披露する「ある実験」のエピソードが、実は作者・作品と全く関係がない他人のとあるツイートの内容ほぼそのままだった、というものです。

比べてみると、誰が見ても「似ている」ことは間違いないようですね。共通の元ネタがあるならともかく、それぞれ独立に偶然この内容にたどり着く可能性は非常に低そうです。

またマンガの方についてですが、現代日本を舞台にした特に超常的な要素の無い物語作品において、このような形で有名な都市伝説などでないエピソードが紹介された場合、再現性はともかくそのような実験が現実で一度は実際に行われた、あるいは少なくとも実際に行われたと主張する者が一人は実在する、という前提で読まれるのが一般的だと思われます。

これに対し、もともと『ミステリと〜』に好意的だったらしいはてなでは、擁護意見が大勢を占めることになりました(自分自身は『ミステリと〜』については以前、無料試し読みで数巻読んだ記憶が多少ある程度です)

https://b.hatena.ne.jp/entry/4707026576348243522/comment/FM008B















はてなブックマークid:IkaMaru氏が指摘しているように、信頼性の弱さは断っているし、ツイッターが元ネタという指摘は意味がないこともわかる。

id:FM008B
id:amakanata
id:DigitalGohst
id:develtaro
id:mugimugigohan
id:vndn
id:kamm
id:femininmu
id:morimarii
id:kkobayashi
id:white_rose
id:rider250
id:cocoronia
id:IkaMaru
id:ka2tako-mk2
id:hiruneya
id:hokke-ookami

彼らの主張は見た限りおおむね、「所詮マンガなんだから固いことを言うな」「ウソを書いても別にいいだろ」といったところに集中しているようです。


擁護意見の検証

読者による『ミステリと〜』擁護は、果たしてどの程度妥当なものなのでしょうか。

元ネタと思われるツイートを改めて見てみましょう。

ツイートの末尾には、「#twnovel」タグがはっきり確認できます。twnovelタグというのは、そのツイートが「ツイッター小説」「ツイノベ」であることを示すものです。

ツイッター小説は読んで字のごとく、ツイッターで公開されている小説です。明確なルールがあるわけではなく、広義にはツイッターで連載される大長編なども含まれますが、一般的にイメージされるのは1ツイート内で完結する超ショートショート的な形式でしょう。当該ツイートもそれに当てはまるものですね。

投稿者の水木ナオ@nayotaf氏のプロフィールや過去ツイを見ても、ツイッターでの小説創作活動を継続的に行ってきたことがよく分かります。

これらの情報が何を意味するのか。つまり問題の「父親教室」に関するツイートは、特定の具体的な作者が存在する、れっきとした「小説」であり「フィクション」だということです。「記事」どころか「嘘松(=創作実話)」ですらない、最初から完全な「作品」です。

他人の作品の内容を『ミステリと言う勿れ』は無断で、作者を伏せて、事実であるかのような形で、ほぼそのまま自作に取り込んだわけです。単に内容が事実かどうかだけの問題ではないのです。これで、擁護意見の多くが的外れであることが明らかになりました。

(そもそも『〜勿れ』の実験については、マンガだから別にウソ書いてもいいじゃんという寛容な態度を取ってる人たちにも、たとえフィクションであっても恐らく黙ってられないタイプの「嘘」はそれぞれ必ずあると思いますが、それはさておき)

そして、客観的に見てこれは商業出版で仕事をするプロの創作者として誠実なやり方でしょうか。自分には、まるっきり「盗用」に思えるのですが。

(上のツイートでご本人が語っているように、ヤフーでも取り上げられたらしいので、そちらで(もちろんマンガの主人公ではなく作者が)見た可能性もありますが、さすがにニュースサイトがフィクションであることを最後まで伏せて記事にするとも思えません(記事の実物は公開期間が過ぎたのか発見できませんでした)。また、仮にうろ覚えで現実の記事だと勘違いしていたのだとしても、実際に作品に取り込む過程で情報の出処の確認を怠ったのであれば、それは当然ながら作家の自己責任となります)



「小説」ではなく「記事」として元作者の存在を抹消したことには5万歩譲って目をつぶり、細部の設定や文章表現まで完全に同一なわけではないのだからあくまで「あらすじ」を「紹介」しただけなのだ、という主張なら通るでしょうか?それも無理があると思われます。

小説の中でもショートショートは、状況設定のアイディアとオチの切れ味が命とされる(ことが多い)ジャンルです。その一般的な文字数よりさらに少ない、最大140字(twnovelタグの分を抜けばさらに少ない)というツイノベの性質を考慮するならば、仮に「あらすじ」を「紹介」するだけでもほぼイコール盗用になると言っていいでしょう。

実際『ミステリと言う勿れ』の当該シーンは、単に設定が酷似しているだけでなく、構成も含めて元作品のコンパクトな物語としての面白みを「そのまま活かす」ことを意識した表現に見えます。再構築、換骨奪胎の域にすら達していません(「父親教室」を「実験」に改変してるのは、主人公の主張の根拠としての説得力をアカデミズムの権威で補強するためでしょうか)

強者文化の無自覚な傲慢さ

元ネタは小説作品。元まとめでも触れられているはずのこの点を『ミステリと〜』読者の人々はなぜか頑なに無視して、当該作品が誰でも自由に利用できるフリー素材だったかのように振る舞っているのです。その傍若無人な態度は、かつて他者の創作物を無造作に使い捨てる非道さで恐れられていた現代アート集団「カオス*ラウンジ」すら思い起こさせます。

『ミステリと〜』読者にとっては恐らく「ツイッター小説」などというものは「小説」未満のものであり、「作品」としての保護に値しないちっぽけな存在なのでしょう。自分の大好きな作家・作品が取り上げてやっているのだからむしろ光栄に思え、といった旧時代のメディア業界人めいた意識すらあるのかもしれません。

(余談になりますが、以前わたしもプロのクリエイターに「イジられた」経験が複数回あります。彼ら作家とその支持者はそろって「イジってもらえてありがたいと思え」と言わんばかりの恩着せがましい態度で接してきたのですが、わたしはいずれの作家も別にファンではなかったので、ただただ困惑させられるばかりでした)

また、似たような事例として最近、こんな出来事もありました。

大手メーカーのゲームが、人気インディーゲームのシステムや設定に類似した新モードを実装した、というニュースです。

『Among Us』は、PC版の配信当初は同時接続プレイヤー数が一桁という時期も長かったが、その後大きな成功を掴んだ(関連記事)。各コンソール向けにも移植され、今では人気タイトルのひとつに数えられている。『フォートナイト』の「インポスターズ」は、こうした『Among Us』の人気に便乗したと、一部ゲーマーから受け止められているようだ。

『フォートナイト』を手がけるEpic Gamesが、『Among Us』を意識して「インポスターズ」を開発したのかどうかは不明だが、もし参考にしていたとしても、それ自体は責められることではないだろう。ただ、前出のTran氏がインディーとしての気持ちにも触れたのは、わずか数人のインディースタジオが手がけ、やっと成功を得ることができた作品を、大手メーカーが安易に真似する状況を残念に感じたのかもしれない。

これも『ミステリと〜』の件も、大手・プロといった強い立場にある側によって比較的弱い側の成果が一方的に収奪される問題であると言えます。たとえ作品単体としてどれだけ優れていたとしても、他作品・他作家・他文化へのリスペクトを欠いたやり口が平然とまかり通る世の中は、やはりどこか間違っているでしょう。


『ミステリと言う勿れ』および読者のこれから

上に貼ったツイートにあるように元作品の作者ご本人は、この件について「もしそれ(引用注:自作ツイノベ)が目に止まっていたのであれば嬉しい限りです」と仰っているので、『ミステリと言う勿れ』という作品に対して外野から求めることは特にありません(プロフィールに「創作物の無断転載・改変はお断り致します。 」と明記しているはずの人物のこの発言を、額面通りに受け取っていいのかは少々悩みますが)

ただ、あくまで個人的な感想として言わせてもらえれば、さすがに作者と出版社はこの問題に対して何らかのコメントぐらいは出すべきなんじゃないかな、とは思います。アマチュア知名度が低い作家、またマイナーな創作形態であれば、人気プロ作家とその支持者たちによってこうも容易に権利が踏みにじられてしまうのだろうか……と不安を感じている創作者の方々は多いはずなので、安心させる意味でも何かしらの言葉が必要ではないかと。

さらに本音の本音を言えば、連載休止や単行本の回収やドラマ放送中止に至っても全然おかしくないぐらいの不祥事だと思いますけどね。たとえば先日、1クール分以上の内容が完成していながら、衣装デザインの盗用が発覚してまるまるお蔵入りになったTVアニメもありました。

このニュースを見たときには正直、そこまでの厳しい対応を?と驚いてしまいましたが、業界がクリーンであって悪いわけはありません。このぐらいの健全さが現代の創作物で求められる基準とするなら、今回の問題で『ミステリと〜』が作品として具体的な対処を迫られるとしても、決して大げさではないでしょう。



今回の件で深く考えず『ミステリと〜』の擁護に回り問題無しとしてしまった人々については、とりあえず速やかな反省および撤回か、さもなければ「覚悟」を決めた方がいいでしょうね。結果的にであれ元ネタの作品性を否定しその当然の権利を蔑ろにするようなセカンドレイプ的コメントを残した以上は、今のところ自分自身も、自作の文章・絵・曲などを誰に好き勝手いじり回されても文句が言えない状態にあるはずですから。

いくら自分の好きなものだからといって、明らかに創作者倫理に抵触している問題について無理筋な擁護をするような、みっともない真似だけはやめましょう。自分の好きなものにも欠点は必ずあり、多くの場合それは自分自身の欠点にも通じるのだというごく当たり前の事実を受け入れるべきです。

こんな優れた作品につまらないケチを付けるな?バカを言ってはいけません。作品として優れていることは倫理的な問題を免責する理由にはなりませんし、むしろ人気作品は強い影響力に応じた大きな責任を負うべきですらあるのでは。



少なくともわたし自身は今回の件のせいで『ミステリと言う勿れ』に対して、こういう傲慢な人々に支持されている作品なのであればあまり読みたくないな……という気持ちがいっそう強まりました。わたしを含む外野のこのような悪印象を払拭できるかどうかは、『ミステリと〜』ファンの方々の、これからの努力にかかっていると言えます。

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  • Whataboutism

    お前だって論法

  • hokke-ookami

    まず、意図がどうであれ、貴方は過去に他人と論争したブログエントリを全て消していますね。他人へ応答責任を求められても、逆に貴方が誠実な対応をするとは信頼しづらいです。
    はてなブログは1アカウントで3つのブログを無料で利用できますから、もう少し違うブログの運営ができるのではありませんか?

    >彼らの主張は見た限りおおむね、「所詮マンガなんだから固いことを言うな」「ウソを書いても別にいいだろ」といったところに集中しているようです。
    >『ミステリと〜』読者にとっては恐らく「ツイッター小説」などというものは「小説」未満のものであり、「作品」としての保護に値しないちっぽけな存在なのでしょう。

    このエントリに引用されている私のエントリのコメント欄から、すでに貴方へ回答した2回のコメント部分を転載します。
    どちらもIDコールで通知がいっているはずですし、ひとつは貴方がエントリを書くより前に、もうひとつは貴方がエントリへIDコールを記載する前に書きこみました。
    貴方はこれらの回答を読めているはずです。それでこのエントリを書いたのであれば貴方の態度が不誠実きわまりないと思わざるをえません。
    それでは、まず貴方が自身への問いに対して、「速やかな反省および撤回」もしくは「覚悟」を決めることができますか?
    =====
    はてなブックマークのid:srpgloveさんへ

    https://b.hatena.ne.jp/entry/s/hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20210819/1629383505
    > 元ネタは140字とはいえ他人の小説=「作品」であり、その内容をプロの漫画家が無断でほぼそのまま流用(というか盗用)することに何の問題も感じないのだとしたら、さすがにどうかしてますよ。情報の信頼性以前に。

    ネットでちらっと見たと書かれた台詞から、ツイッターの創作小説と作者が認識していたと断言できますか?
    一般的に、都市伝説とされるものにも、フィクションと思われる元ネタが存在する場合があります。大江健三郎『死者の奢り』が、死体を洗うアルバイトの元ネタという説などが有名ですね。
    そうして情報源が不明確な記憶にもとづいて貴方がツイートした時、その情報源がフィクションだった場合、情報源が他にあると最初から明言していても貴方は自分が盗用したと思いますか?
    あいまいな記憶で何かを主張した問題と、盗用したという問題は違うのではありませんか?

    連携してツイッターで続いている文章にも返信します。

    https://twitter.com/srpglove/status/1428393896036376580
    >元が明確にフィクションの内容を載っける時に「前にネットでチラッと見た記事で、だから詳細はわからないんですが」と言っただけで「信頼性の弱さは断っている」ことになるわけないでしょ。正気か?

    「元が明確にフィクション」という認識は確定していないと上記のように考えます。
    その上で、「前にネットでチラッと見た記事で、だから詳細はわからないんですが」と断った文章を見て、信頼性を担保した文章だと思いますか?
    貴方は自身の同種の断り書きをしているツイートも、一次資料などに直接あたったツイートと同じように信頼されるべきだと思いますか?
    念のため、情報源が明確でないがゆえに過誤があった時の責任を自身で背負わなければならない場合などはあります。しかし、やはり違う問題ですよ。
    =====
    id:srpgloveさんへ
    https://twitter.com/srpglove/status/1428409915626774535
    >もしかして、世の中ではツイッター小説など小説ではないという認識が一般的なのか。

    わざわざ都市伝説の元ネタになった事例として『死者の奢り』をあげているコメントに対してその返答ならば、貴方の読解力を根本的に疑いますよ。
    逆に返信を確認せずにツイートしているなら、ググる(※)までもないひと手間すらおこたったのであれば、それこそ貴方の問題であり貴方の責任ですよ。

    https://twitter.com/srpglove/status/1428412479793549315

  • 春馬

    『暗闇の時代』

    凍えそうに冷たい現実が、こころの火(感情)を灯し、夜を斬り伏す刃を打たせる。

    陽だまりの暖かな不安(可能性)にふれ、胸を躍らせ、最期をむかえるとおのれに誓う。

    夜を越えられなかった者たちには、二度と朝は来ない。

    生者だけが陽の光を浴びる権利をもち、その行いのあり方によって多様な命を煌めかせる。

    嗚呼 夜はまだ長く、遠い。

    あの夜空に爛々とかがやく星々は、きっと私たちの生き様なのだろう。



    残酷でつらい現実が感情の呼び起こし、ここから抜け出す方法を考えさせる。明日の可能性をもった掛け替えのないものに触れ、将来に期待して、最期を迎えると心に誓う。自死を択んだ者に、可能性の明日は来ない。生きている者だけが幸せを手にする権利を有ち、その行いのあり方によって多様な命を煌めかせる。ああ 夜はまだ明けない。あの夜空に爛々と耀く星々は、きっと私たちの生き様なのだろう。

「小説の現状」「『ライトノベル』『本格ファンタジー』とは」「誰かの作品を貶めること」 〜堅洲(kadas_blue)氏のコメントから考える〜

はじめに

3ヶ月ほど前にこのブログで、「本格ファンタジー」を自称するとあるなろう小説を例として、多くの文字書きがなぜか陥りがちな「自分の作風はラノベっぽくない」という思い込みについての文章を書きました。


最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~

その後、「本格ファンタジー」なろう小説「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」の作者である堅洲(カダス)(@kadas_blue)氏とツイッターで何度かやり取りして相互ブロックになるなどの出来事があったのですが、とりあえずこの件は終了したものとこちらでは考えていました。

それが今日になって、堅洲(@kadas_blue)氏からまた新たなコメントをいただいたのです。


https://srpglove.hatenablog.com/entry/2020/06/07/165834 

堅洲

ラノベ天狗とか言われてるわりに、小説の現状を全然理解してなくて呆れます。

分かりやすい文体や表現を使わないともう全くwebで小説なんて読まれない時代ですよ。

そもそも、ラノベ天狗の定義するラノベや本格ファンタジーって、思い込みレベルでガチガチですよね?

逆に聞きたいですが『ライトノベル』って何ですか?明確に定義できますか?

突っ込んだ箇所がズレてる上に重箱の隅つつくところまでも行ってなくて、やっぱりこの程度の知識ではラノベ天狗とか揶揄され、大して賛同を得られないのも仕方ないんだろうなと思いました。

あと、誰かの作品をこんな風に貶めるって普通はやっちゃいけない事ですよ?自分は良いですが、気のとても弱い人は筆を折る可能性だってあります。

そういう可能性考えてこういう事してましたか?ラノベという文化を保護したい立場の人がしていい事じゃないですよね?

それから、学習能力がないようなので改めて言いますが、発言の引用を許可しませんので消すように。

改善が見られない場合ははてなの運営に問い合わせますのでそのつもりで。

最後にもう一つだけ言いますが、こんな事してる暇があるなら、自分で『問答無用に面白いラノベ』をあなたが書けばいいんです。

それもせずに評論家気取りでかえってラノベへのヘイトを上げてるのは、申し訳ないですがどこから見ても賢い言動とは思えません。

身の丈に合わない事はしない方がいいと思います。

また、それと前後して、このような引用リツイート、マシュマロも立て続けに送られてきました。

これらが堅洲(@kadas_blue)氏と関係あるのかは今のところ不明です(引用RTのアカウントはツイート頻度を見るに誰かのサブアカっぽいしアカウント名の「blue」が堅洲氏と共通しているのは面白い偶然ですね)

そもそもコメント自体、堅洲(@kadas_blue)氏本人である確証もないのですが、いずれも内容が似通っていることですし、一番長いコメントへの回答で、まとめてお返事とさせていただきます。

「分かりやすい文体や表現を使わないともう全くwebで小説なんて読まれない時代ですよ。」

以前ツイッターでも申し上げたように、もし仮に「分かりやすい文体や表現を使わないともう全くwebで小説なんて読まれない時代」が事実だとして、それはあくまで書き手側の都合ですよね。WEBでの読者ウケを狙った結果、「(ラノベやなろうとは一線を画するような)本格ファンタジー」とは言い難い、ライトでポップな書き方や内容を自ら選択したのであれば、「(ラノベやなろうとは一線を画するような)本格ファンタジー」の看板を降ろすのが筋ではないでしょうか。

逆に、なぜ堅洲(@kadas_blue)氏が(ラノベやなろうとは一線を画するような)「本格ファンタジー」の肩書にこだわるのかの方が気になってしまいます。

ラノベ天狗の定義するラノベや本格ファンタジーって、思い込みレベルでガチガチですよね?」

たしかにあの記事内での「本格ファンタジー」はかなり狭い意味で使われていますが、それは堅洲(@kadas_blue)氏自身が、ラノベはもちろんそれ以外の小説カテゴリも含めて日本にはこれまでまともな「本格ファンタジー」が存在しなかった、というような非常に厳しい基準を持ち出していたので、それに合わせたまでです。

なお堅洲(@kadas_blue)氏は、日本ファンタジーノベル大賞などは「ファンタジー」ですらないというお考えのようですが、これも相当「ガチガチ」ではないでしょうか。

わたしは、『後宮小説』も『宇宙のみなもとの滝』も『バルタザールの遍歴』も『六番目の小夜子』も『東亰異聞』も、「ファンタジー」と呼んで問題ないだろうと思っています(『太陽の塔』はどうかな……)

ラノベ定義の方は……そんなに「ガチガチ」ですか?

たしかに、ライト文芸や女性向けレーベルも当然のように「ライトノベル」に含めてしまうid:kazenotori氏のようなラノベ帝国主義者BLACKなどと比較すると、わたしは保守的なラノベ定義の側にいます。

メディアワークス文庫の読者層は電撃文庫とは違うからライト文芸ラノベじゃない」みたいなやつですが、これなんて漫画に置き換えれば「ヤンジャンの読者層はジャンプとは違うから青年漫画は漫画じゃない」という話になるわけですよ。そんなおかしなこと誰も言わないでしょう。

しかし少なくともあの記事に関しては、ラノベ・なろうとは全然違う「本格ファンタジー」だと堅洲(@kadas_blue)氏が主張する「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」を、いや、どちらかといえばラノベでしょと結論付けてるわけで、むしろ「ユルユル」だと思うんですが。「ラノベ」の範囲を広く取るという意味で。

「逆に聞きたいですが『ライトノベル』って何ですか?明確に定義できますか?」

ラノベを概念として明確に定義するのは難しいしわたしには無理ですが、それとは別に個別具体的な判断として、「明らかにラノベ(でしか出せそうにない)」とか「どう見ても一般文芸」といったラインは存在します。ライト文芸などの勃興によりラノベと一般文芸の境界線は更に曖昧になっていますが、確定的ラノベ・確定的一般文芸の領域はさほど変わっていない、というのがわたしの認識です。

前の記事の繰り返しになりますが、「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」は、堅洲(@kadas_blue)氏の言うような明白な非ラノベではあり得ず、むしろラノベの側に大きく寄った作品だと思います。

逆に聞きたいのですが、堅洲(@kadas_blue)氏はラノベを明確に定義した上で、自作を「ラノベ」ではないと判断しているのですか。

「突っ込んだ箇所がズレてる上に重箱の隅つつくところまでも行ってなくて、」

あの記事でのツッコミどころが決定的にズレてるということはつまり、一般的なイメージそのまんまの「エルフ」その他メジャーなファンタジー存在を出したり、「よりどりみどりですなぁ~!」などマンガ的な台詞を多用したり、黒曜石の剣を「オブシダンソード」と表現したりといった部分は、(非ラノベ・非なろう的な)「本格ファンタジー」としての資質に、一切全く何ら影響を与えないということでしょうか。それなら、そもそも「分かりやすい文体や表現を使わないと(略)読まれない」などと言い訳をする必要もないのでは。

「誰かの作品をこんな風に貶めるって普通はやっちゃいけない事ですよ?」

はい。誰かの作品を貶めるのは一般的に良くないことだと思います。

でも、少なくともあの記事でわたしは、「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」を、マックやカップラーメンやストロングゼロにたとえるようなことはしていないはずです。

堅洲(@kadas_blue)氏が、これらご自分のツイートには全く問題がなく、わたしの記事には自作を「貶められた」と考えているのであれば、その違いはどこにあるのでしょうか。特定の作品を対象にしているかどうかだけ?

また、堅洲(@kadas_blue)氏は、自由なレビュー活動も推奨していたはずですが、その立場との整合性についてはどう考えているのでしょうか。

「自分は良いですが、気のとても弱い人は筆を折る可能性だってあります。」

はい。自作を忌憚なく評価されただけでも、創作活動引退のきっかけとなることは十分あり得るでしょう。

でも、そういう「気のとても弱い人」はそもそも、他を貶めるような形で自作の価値を過剰に高く喧伝するような振る舞いは控えるべきではないでしょうか。大言壮語の自由はありますが(あるかな?)、実態がそれと大きくかけ離れていれば当然、普通におとなしく公開していた場合よりも厳しい目で見られるのは仕方ないことだと思います。

骨粗鬆症性の患者が自分でハードル上げて勝手に転倒して骨折するようなものですね。

ラノベという文化を保護したい立場の人がしていい事じゃないですよね?」

仮に。他のなろう小説をカップラーメン・マック・ストロングゼロに、自作をステーキ・本格ラーメンにしょっちゅうたとえて平然としてるような文字書きを放置しておくことが、結果的に「ラノベという文化」に良い影響をもたらすと、1000%確実に分かっていたとしても。それでもわたしはきっと、ツッコミの自由を行使する方を選びますね。

別に、KADOKAWA集英社小学館SBクリエイティブetcからお金もらって活動してるわけではないので(残念ながら)。「ラノベという文化」のために言いたいことをそこまで無理にガマンする義理はないです。

そしてもちろん現実では、本格ラーメン・ステーキ文字書きを放置することによるメリットは、いまだ確認されていません。幸か不幸か。

「学習能力がないようなので改めて言いますが、発言の引用を許可しませんので消すように。」

当方の学習能力の欠如については、生まれつきなものでいかんともしがたく、大変申し訳ありません。

ですが、以前ツイッターで申し上げたように、「引用」に許可は必要ありません。

出典を明記、もしくはリンクを貼り、本文との区別も明確である以上、前回同様に引用の形式として特に問題ないと思われるのですが、いかがでしょうか。

「改善が見られない場合ははてなの運営に問い合わせますのでそのつもりで。」

先でも後でも構いませんから、問い合わせの文面を公開してもらえませんか。どういう名目で通報するのか、興味があるので。

「こんな事してる暇があるなら、自分で『問答無用に面白いラノベ』をあなたが書けばいいんです。」

お言葉ですが、「ステーキ」「本格ラーメン」にたとえられるほどの傑作「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」でも、なかなか正しく評価されないと嘆いていたのは堅洲(@kadas_blue)氏ですよね。だとしたら、本当に面白いラノベを書いたところで、今の世の中ではやはり有象無象の中に埋もれていくだけなのでは・・・(^_^;)

優れた作品が存在すればそのジャンルでの放言や嘲笑やマウンティングが消え去って、社会的な地位もぐんぐん向上するというのは、あまりに楽観的な考え方だと思います。仮定の話ですが、たとえば堅洲(@kadas_blue)氏の認めるような「本格ファンタジー」がラノベから出てきたところで、恐らく氏はそれをラノベの「例外」として処理するだけでしょう。

まあ、以前ツイッターで言ったように(またか!)、そもそもわたしには「問答無用に面白いラノベ」を書けるような能力はありませんが、単純にそれとこれとは別問題ではないでしょうか。

堅洲(@kadas_blue)氏も、

「自分にはまだできてない書籍化を続々と果たしてる『なろう系』をストロングゼロにたとえたり怨念エッセイ書いたりして溜飲を下げてる暇があったら、自分もさっさとダクスレで書籍化キメて長者番付にでも載ればいいのに(^_^)」

って言われれば、それはそれこれはこれだろ?!と思うんじゃないかな(違ったらすいません)

長文タイトルがなぜ嫌われがちなのか?そして、長文タイトルが続くとどのような不利益を被るかを、長文タイトルで分かりやすく説明するよ。

「それもせずに評論家気取りでかえってラノベへのヘイトを上げてるのは、申し訳ないですがどこから見ても賢い言動とは思えません。」

賢さが足りなくて申し訳ありません。

ただ、一つ付け加えておくと、わたしの活動によってラノベやなろうが嫌いになったと主張する人は稀によく現れますが、そうした人々は実際のところ、わたしが捕捉する以前から積極的にラノベ・なろうへのヘイトを表に出している場合が多い気がしますね。そもそも、だからこそこちらの目に留まったとも言えるわけで……

「身の丈に合わない事はしない方がいいと思います。」

全くもってその通りですね。お互いに気をつけましょう。

おわりに

以上です。

まだ何か言いたいことがあれば、またコメントでよろしくお願いします。

余談

堅洲(@kadas_blue)氏は頻繁に、自作のような非ラノベ・非なろう「本格ファンタジー」は日本ではずっと受け皿が無かったと嘆いていますが、創元ファンタジイ新人賞に送ることは考えなかったんでしょうか。

第一回優秀賞の『魔導の系譜』読みましたけど、良くも悪くも普通の異世界ファンタジーでしたよ。これなら少なくとも、ファンタジーノベル大賞の時みたいに「ファンタジーって言葉使うなや!」と言わずに済んだんじゃないですか。

まあ第五回で休止したから、その時点でまだ小説書き始めてなかったのかもしれないし、「最後の眠り人は、魔王の城にて ~ダークスレイヤーの帰還~」がどういう評価を受けるかについても何とも言えないけど。



(続き)
https://srpglove.hatenablog.com/entry/2020/09/09/023428