昭和の男社会を「溢れるしずく」を武器に、その身ひとつで生き抜いたストリッパーの本格評伝『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』。普通の生活がしたいと願うも、周囲はそれを許さず、本人もまた酒と嘘と男に溺れていく。
人間が持つ美点と欠点を、すべて曝け出しながら駆け抜けた彼女の生涯を描いた『踊る菩薩 ストリッパー・一条さゆりとその時代』より特別掲載。
カウスが見た、深夜の一条さゆり
名古屋の鶴舞劇場にも中田カウス・ボタンは一条さゆりと一緒に出ている。
ビートたけし(北野武)もこの劇場でツービートとして漫才をやっている。後年、たけしはカウスにこう言った。
「ストリップ劇場を回っていた漫才師は、関西ではあんちゃん、東京ではおいらたちが最後だね」
浅草のフランス座やロック座ではかつて、ストリップショーの合間に渥美清や水木崑、佐山俊二、由利徹、東八郎、コント55号といった喜劇役者がお笑い芸を披露していた。ストリップ劇場の衰退もあり、漫才をやったのは西ではカウス・ボタン、東ではツービートがほぼ最後の世代となる。
カウスがその鶴舞劇場の楽屋で寝ているときだった。夜中の0時ごろ、舞台のほうから音楽が聞こえてきた。舞台袖からそっとのぞくと、一条が音響担当や照明係を相手に、踊りの稽古をしていた。火の点いていないロウソクを持ち、曲に合わせて踊っている。内縁の夫、吉田三郎もそれに付き合っていた。
「ここでは、もっと音を絞って」
「照明は徐々に絞って、ここのところで一気に明るくしてほしいの」
一条が細かな注文を付けている。「それじゃあたしの気持ちが入らないやないの」と怒ってもいた。カウスは思った。
「劇場を満杯にするには、こうやって稽古せなあかんのや。一条さんはただ、裸を見せてるだけやなかった。人が寝ているときに芸を磨き込む。大看板を背負っていくとは、こういうことなんや」
一条の顔からは、普段の優しい表情が消えていた。カウスはその表情に怖さを感じた。一種の狂気だと思った。周りの者もぴりぴりしている。一条が「ん?」とでも聞き返すと、近くにいる吉田が緊張するのが伝わってくる。
「普段は優しい一条さんが、踊りのときに見せるきりっとした表情。これが彼女の魅力や。お客さんは一条さんの持っている狂気にほれているんやないか。そうでないと、劇場を連日満杯にする理由がわからんもん」
現在のストリップでは、自ら進んで舞台に立つ若い踊り子も多い。当時の劇場は違った。日本人はまだまだ貧しかった。売られるようにして劇場に連れてこられ、その日のうちに舞台に立たされる女性もいる。まともに踊れるはずがない。とにかく曲に合わせて服を脱いでいくだけだ。芸がないから舞台で時間がもたない。そういう踊り子は舞台で、指を折っている。何曲目でブラジャーを取り、何曲目でパンティに手をかければいいのか。それだけを考えながら舞台に立っている。指を折るのは、それを忘れないようにするためだ。到底、芸と呼べる代物ではなかった。
一条の踊りは明らかに他とは違っていた。自分でストーリーを作り、音楽を選び、せりふを吹き込む。衣装を自分で調達し、稽古で踊りを練り上げる。一条はカウスにこんな話もしている。
「ただ、裸を見せるだけやったら、娼婦と変わらないやんか。ストリップはいろいろ勉強をして、それを舞台で表現する。ストリッパーは娼婦とは違うんよ」
一条の言葉からは舞台に対する誇りが伝わってきた。カネ稼ぎだけを目的に、半端な気持ちで舞台に立っているわけではない。彼女にはその自負があった。