救いも求めていなかった
石田教授が著書のなかで強調するのは、無縁のなかでも血縁の喪失が最も人を孤独にし、孤立させるということだ。
「無縁には、人をしがらみから解き放つという面もあります。家にも地域社会にも会社などの組織にも縛られずに自由を得る。無縁を望んだ人にとっては各種の対策は『余計なお世話』かも知れない。
しかし無縁を望んだわけでもない人にとって、地域や会社などの繋がりが切れた時、頼る存在は家族であり、その存在感はますます大きくなっています。学生などにアンケート調査を行うと、最も多い相談相手は母親です。家族以外の縁を想像できない人は少なくない。それだけ深いのが血縁で、だから母親との縁を持てない若者の孤立感は深いんです」
山上容疑者は、4歳で父親が自殺、そこから母親が統一教会に関わるようになり、資産の大半を統一教会に献金してしまうという貧困のなか、進学を諦めて海上自衛隊に入隊した。
友達に統一教会への不満を口にするわけでもなく、長じてからはフォロワー数が数人のTwitterで、1800回以上も呪詛を吐き続け、〈何故かこの社会はもっとも愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている〉(20年1月21日)という印象的な言葉を残していた。諦観というべきか。もはや救いは求めていない。石田教授が続ける。
「効果的なアドバイスなどありません。カウンセラーなど専門家がついてもダメでしょう。時間をかけて接触すれば、なんとか心の扉が開くかどうかという世界です。諦めの時間が長いほど、沈黙の期間が長いほど説得は容易じゃない。ただ、(山上容疑者のような孤独・孤立を抱えた人が)会話したり、相談したりする気になった時、その回路を幾重にも設けておくことです。
当面求められるのは、電話でもLINEのようなSNSでもいいので繫がりたいときに繫がるシステムです。現在、(孤独・孤立)対策担当室では、官民連携のプラットフォームを設置しており、これを充実させることになっています。非婚、少子化は進み、今後ますます家族の縁は薄れます。対策担当室で行うような社会的取り組みが、ますます重要になってくるでしょう」
山上容疑者の境遇は特殊だが、宗教以外に、事業の失敗やギャンブル・薬物依存で崩壊した家庭に育った子供は少なくない。愛情の欠片もない両親に虐待され死亡した子供がいれば、親に関心を示されずに放置され心を病んだ子供もいる。
老人はより深刻だ。孤独・孤立の一般化に老いと貧困が加わると、人は死を選ぶしかない。話題を呼んだ倍賞千恵子主演映画の『PLAN75』は、清掃員という職を失い、「職場仲間」という最後の「縁」を失った78歳の角谷ミチ(倍賞)が、75歳以上で安楽死を選べるプランに応募する無縁社会の終着点だった。
縁が薄くなっていく社会を生きる我々は、老若男女を問わずいつかどこかで孤独と孤立に直面する。それが山上容疑者のような犯罪に直結するのはレアケースだが、置かれた環境と孤独・孤立の深刻さによってはありうる話だ。絶望の救済は容易ではないが、思いとどまらせるノウハウ、相談の回路、安息の場所を日本社会はこれから築いていかねばならないだろう。