ブラックボックスのなかで「鑑定留置」
山上徹也容疑者は今、大阪市都島区の大阪拘置所にいる。刑事責任能力を鑑定する「鑑定留置」のためで、朝7時半に起床し、8時、12時、16時半に食事を取り、21時に就寝するという規則正しいスケジュールのなか、医師による診断が行われている。
医師は山上容疑者との面談を通じて、家庭環境、成長過程、経済状況、思想遍歴、職歴、友人関係などを聞き取り、どういう人物かを探り、犯行に至った動機や犯行時の状況、その際に幻覚、妄想があったかどうか、薬物の使用状況の有無など、さまざまな観点から調べる。
犯行動機が「世界平和統一家庭連合(旧世界基督教統一神霊協会=統一教会)への恨み」という被害者の安倍晋三元首相と直接、結びつくものではないだけに、統一教会の特殊性を含めた調査・尋問が続いていることだろう。
推測でしかないのは、弁護士以外の接見が禁止されているなか、国選、私選の弁護士が一切、口を開かないためだ。従って、安倍元首相殺害事件はマスメディアや野党が激しく統一教会批判を展開し、教会と政治家との関わりの大小が細大漏らさず報じられるなか、肝心の山上容疑自体はブラックボックスのなかにいる。
山上容疑者を11月29日までの4ヵ月間「鑑定留置」することへの異論はある。
「明確な意志を持ち安倍元首相を殺害した。無差別殺人、幼児殺傷のような異常性はなく、発言にもブレはない。刑事責任を問うのに支障があるとも思えず、時間がかかる本鑑定ではなく、医師が短期の面談で判断する簡易鑑定で十分だった。
本鑑定にしたのは、過熱報道が避けられないなか、時間を取ることで報道を通じて関心を高める国民の熱を冷まし、じっくり起訴に持ち込みたいという検察側の事情だろう」(検察OBの弁護士)
確かに現段階の報道は、「統一教会と山上家」という特殊性を問題にしたものばかりで、事件の背景にある一般性には目配りしていない。山上容疑者が抱える「闇」のなかの誰にでも該当する普遍性はなにか──。
想起される言葉は「無縁」である。
山上容疑者の属性は、「41歳独身で非正規雇用の友達の少ないロストジェネレーション世代」というものだ。多数派ではないが、独身男性の未婚率が30%に迫り、非正規雇用が40%前後となった今、ごく一般的な単身生活者である。
そんな普通の生活者である山上容疑者の普通でないところは、母の入信と父の自殺によって家庭的に恵まれなかったこと。即ち「血縁」の薄さである。
日本社会は戦後高度成長のなか、地方から都会への人口移動が起き、同時に始まった核家族化によって地域コミュニケーションが断ち切られ、「地縁」が失われた。さらに終身雇用のなか社員旅行、忘年会、飲み会などに支えられた「社(会社)縁」が、労働環境の変化で失われており、非正規雇用となると無きに等しい。つまり山上容疑者は、地縁、社縁が遠ざかる現代社会において、その隙間を埋めるべく濃密にならざるをえない血縁すら薄い人生を送ってきた。
〈無縁社会──“無縁死”3万2000人の衝撃〉がNHKスペシャルで2010年1月に放送されて以降、「無縁に生きる人々の存在」が国民に意識されるようになった。それは身元不明や行き倒れといった無縁に生きる人の死が、「他人事ではない」からだろう。