幻の『ポルカ・ガンダム』とは

ガノタの方なら御存知だろォが、『ポルカ・ガンダム』とは、『Vガンダム』の後番組として企画されていたもので、『Gガンダム』への路線変更が決まった為、没となった作品である。 

 

「ガンダム神話Zeta」(猪俣謙次著、ダイヤモンド社、1997年)に因れば、 

 

「当初『Vガンダム』の後続作品案は、それまでのガンダムシリーズらしさを踏襲する企画で決まりかけていた。内容は火星に移住した人類が、母なる星、地球に戻ろうとすることによって起こる『地球住民』と『火星移民』との摩擦を描いた大河ドラマで、企画名は『ポルカガンダム』だった。だが、『Vガンダム』の不発により、急遽路線変更となり、そこで『機動武闘伝Gガンダム』が浮上してきたというわけである。時は『Vガンダム』放映年の12月。新作放映開始まで、後三ヶ月の時間しかないという状態での決定であった」 

 

また「機動戦士ガンダム大全集 Part2」(テレビマガジン特別編集、講談社、2002年)の南雅彦氏(GガンP)インタビューでは、 

 

「『Gガンダム』の前に、1個ボツった企画があって。一応『ポルタガンダム』(※原文ママ)と呼んでいるんですけど、これはガンダムが大河原さんで敵側メカを出渕さんにやっていただいて、キャラクターを川元さんで企画を進めていました。1話の脚本まで作業していたんです。それが中止になって格闘技をモチーフにしたガンダムというのはどうだという話が出て。時期が、なんと12月だったんです。4月には放送するというのに(笑)。だからそこまでやってきた企画を急遽全部捨てて、ほとんど半月ぐらいで企画を練りました」 

 

同書巻頭の富野コメントでは、 

 

「次のシリーズを他の人に委ねることをOKしたわけです」 

「『Gガンダム』の方向性を聞かれた際にも『格闘ものでやってみたら』という提案はしました」

 

ついでに「∀の癒し」(富野由悠季著、門川春樹事務所、2000年)と「それがVガンダムだ」(ササキバラゴウ著、銀河出版、2004年)から 

 

・Vガン中盤でサンライズのトップが来年もガンダムやる、誰を総監督にしたらいい? 

・今川にレスキューしてもらおう、完全なプロレス物に 

・来年もガンダム作れ、経営を譲渡するで「えー?」 

・Gのメインコンセプトを出し、プロレスに決め、今川を連れて来たのまでが自分(富野)の仕事 

 

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小生が知りたいのは、『ポルカ・ガンダム』が富野の仕事だったのか、今川の仕事だったのか、である。 

 

と云うのも、『ポルカ』のプロット ──“火星(他惑星・衛星)移民と地球住民との戦い”── は、『クロスボーン・ガンダム』『∀ガンダム』に引き継がれていると思われる為だ。 

 

『機動戦士クロスボーン・ガンダム』は、木星(コロニー)移民である「木星帝国(ジュピター・エンパイア)」の地球侵攻を阻む為、地球住民を守って宇宙海賊クロスボーン・バンガードが戦う物語。 

 

そして『∀ガンダム』は、月移民である「ムーン・レィス」の地球帰還に際し、地球住民と戦争になってしまう物語である。 

 

極めて類似性が高い事がお判り頂けると思う。 

 

しかも、富野が手掛けたガンダムを時系列で並べると、以下の様になる。 

 

 

 ・1993~1994年:Vガンダム 

 ・1994~1997年:クロスボーン・ガンダム 

 ・1999~2000年:∀ガンダム

 

 

ガンダム以外では、下記の作品があるが、 

 

 ・1995年:闇夜の時代劇 第2話「正体を見る」 

 ・1996年:バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼(小説&アニメ) 

 ・1998年:ブレンパワード 

 

これは無関係と考えていいだろう。 

 

つまり、富野としては『V』の次に制作したガンダムは『クロスボーン』で、その次が『∀』となるのだ。 

この連続性は重要だと思う。 

構図として俯瞰すると、『クロスボーン』や『∀』に、『ポルカ』のプロットが引き継がれている可能性は濃厚と見える。 

 

だから、小生は『ポルカ』は富野の仕事ではないかと思うのである。 

 

一方、元サ○ライズ社員であるブリキソさん(@brikiso)はTwitterで「Gガンダム以前に今川監督で準備していたという『火星ガンダム』」というツイートをしている。 

https://twitter.com/brikiso/status/851802612361908226 

 

また、「今川監督が(火星ガンダムを)引き継いでその後Gガンに企画変更した」と(あくまで個人の感想として)仰っている。 

https://twitter.com/brikiso/status/852020703964483589 

 

 

長年不明瞭だった『ポルカ』だが、近年になって決定的な情報がもたらされた。

「アニメージュ」2016年11月号で、『Gガン』BD-BOX発売連動企画として今川監督インタヴューが掲載され、そこで『ポルカ』について語られたのだ。

以下に、全文を引用する。 

 

 『Gガン』になる前に、僕はまず『ポルカリーノガンダム』という作品を企画していたんです。

 (「ポルカリーノ」というのは)主人公の名前です。

 「ポルカリーノ君のガンダム」という意味で、『ポルカリーノガンダム』と呼んでいました。

 ポルカリーノは、ピエトロ・ジェルミ監督の映画『鉄道員』の主人公の名前から持ってきた……つもりだったんですが、

 最近改めて調べたら違っていました。(中略)

 じゃあ、ポルカリーノって何なんだ?(笑)

 

 ※)1920年代に鉄道員の服としてポルカドット柄のシャツが登場している。また『観光列車』というポルカがある

 

 ともあれ、『ポルカリーノガンダム』は一応、テーマはこうで、こういう話でと前半部分の構成も組み立てて、第1話のシナリオぐらいまで

 進んだところで、バンダイに呼ばれまして、そこで「これからのガンダムはこういうものなんだ」と見せられたのが、ナポレオンハットや

 ロシアンハットを被ったガンダムとか、いろんな国のコスチュームをまとったガンダムの顔が並んだ絵でした。

 当時、ゲームの『ストリートファイターⅡ』が流行っていたので、「世界各国のガンダムが戦って、世界一のガンダムを決めるんだ。

 こういう作品をつくりなさい」と言われ、その場で『ポルカリーノガンダム』の企画は消えて、『Gガン』の企画が始まったわけです。

 

何と、正式には『ポルカリーノ・ガンダム』だったのか!

 

そして、『ポルカリーノ』企画は今川監督である事も判明した。 

 

ここで、一寸整理してみよう。 

 

 ①『Vガン』中盤(93年後半?)、次年度新作ガンダム制作決定 

 ②富野、総監督に今川を推薦 

 ③富野、プロレス物を指示 

 ④『ポルカリーノ・ガンダム』企画始動、今川が担当 

 ⑤93年12月、急遽路線変更で『機動武闘伝Gガンダム』企画、今川が監督 

 

どうも、②~④の経緯がハッキリしない。 

②は①と同時期と読み取れるのだが…②と③も同じタイミングであるかの様に書かれている。 

『ポルカ』は、最初から今川の企画だったのだろうか。 

だとしたら、TVシリーズ初の“富野以外が監督のU.C.ガンダム”であったかも知れない。 

 

顛末としては、 

 

 ①『Vガン』中盤(93年後半?)、次年度新作ガンダム制作決定 

 ②富野、総監督に今川を推薦 

 ④『ポルカリーノ・ガンダム』企画始動、今川が担当 

 ⑤93年12月、急遽路線変更で『機動武闘伝Gガンダム』企画(③富野、プロレス物を指示) 

 

…といった形だったのではないか。 

 

富野は、『Gガン』のメイン・コンセプトを出している。 

ならば、当然『ポルカ』も同様の筈だ(富野の意見無しでゼロから今川が立ち上げた可能性は、当時ガンダム頼りだったバンダイ&サンライズの状況からすると考え難い)。 

 

プロットは富野、企画・監督は今川。

『Gガン』への路線変更で没になったが、プロットは富野が『クロスボーン』『』に活かした。

 

これが『ポルカリーノ・ガンダム』の実態だったのではないだろうか。

 

 

没になった企画である為、全容を把握している人物は当時も殆どいなかっただろうし、今となっては断片的な情報が辛うじて得られるだけである。

だが、監督が今川で、火星を舞台としたU.C.ガンダムというのがどの様なものだったのか、ダメガノタとしては興味を抱かずにはいられないのが正直な処。

 

そして。

小生の知る限り、『クロスボーン・ガンダム』の企画立案の経緯は、未だ明らかになっていない。

一体何故、富野がアニメを離れコミックを手掛ける事になったのか…?

そこには、『ポルカリーノ・ガンダム』の事情も少なからず関係している筈だ。

勿論、『V』や『F91』の失敗も。

いつか、これらを繋ぐ見えない糸にスポットが当てられる時が来る事に期待したい。