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エンタメ 2022.08.22

A.B.C-Z編 第1回 河合郁人「大きなケガが気づかせてくれた多くの絆。」

今年、創刊70周年を迎えるアイドル誌「MYOJO」。それを記念して本誌での好評企画である、10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』のテキストをMYOJO公式ホームページにて、8月22日~9月21日まで期間限定公開する。Kis-My-Ft2、A.B.C-Z、Hey! Say! JUMP、中山優馬、ジャニーズWEST、SixTONES 、Snow Man、King & Prince(MYOJO本誌での掲載順)のインタビューを特別に集英社オンラインでも同時公開。キラ星のような珠玉のインタビューたちをどうぞ。

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大きなケガが気づかせてくれた多くの絆。

10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』
A.B.C-Z編

第1回 河合郁人

かわい・ふみと
1987年10月20日生まれ。東京都出身。A型。身長170cm。
1999年5月9日、ジャニーズ事務所入所。
2012年2月1日、A.B.C-ZとしてDVDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2013年7月号に掲載されたものに、加筆・訂正したものです。

大きな挫折があった。もうダメだと思うほどのケガをしたこともあった。
それでも過去を振り返れば、数々の困難のおかげで、今の自分があるんだと思える。
それが決して強がりではないことは、彼を見ればわかる。

小5でもらった中学生からのバレンタイン

──いちばん古い記憶って何?

「誰かの家のリビングでカーテンを開けて、“ママー!!”って叫んだのが最初の記憶ですね。大きくなって聞いたら3才のときのことでした」

──それ、どういう状況だったの?

「買い物に行くときとか俺、近所のおばちゃんの家に、よく預けられてて。お母さん大好きで、姿が見えないだけで泣いてたらしいです」

──そんなに好きだったんだ。

「小さいころって、お気に入りのタオルとか、ぬいぐるみを持ってると、安心して寝られたりするじゃないですか。俺の場合、それが、お母さんのブラひもでしたからね。たまに親父と寝ると、しょうがないんで、タンクトップをつかんで寝るという」

──甘えん坊だったんだね(笑)。

「甘えん坊だし、弱虫で泣き虫でしたね。幼稚園のころ、怖くてプールに入れなかったし、腹話術の人が来たときとか、人形が怖くて大泣きしたり。すごい恥ずかしがりでもあったから、いつも人の後ろにいたりする感じでした」

──小さいころ好きだったものは?

「母親が少年隊を好きだったこともあって、家で、ずーっと、少年隊、光GENJI、SMAP、忍者とかの曲が流れてて。それを聞いて俺は踊ってました。母親は東山(紀之)さん、俺は木村(拓哉)さんが好きで。8才くらいのときかな。自分で曲を作って歌ったりもして」

──どんな曲かおぼえてる?

「『OK』って曲で。“朝起きて、ごはん食べて、歯磨きして、学校に出かけよう。OK!”みたいな曲です。しょーもないでしょ(笑)。ジャニーズに憧れてたんで、野球やってたのに、髪を伸ばしてたりもしたんです。仲がいい友だちを集めて、ユニットとか組んだりもして。俺がいつもセンターやってました。絶対、友だちはイヤイヤだったと思うけど」

──小学校では、どんなコだった?

「授業中うるさかったり、調子に乗ってよくふざけてましたね。通知表に、“頭のネジが1本足りない”って書かれたことあります」

──でも、モテたんじゃない?

「小5なのに、中学生からバレンタインのチョコもらったりしましたね。あのときが、人生でいちばんのモテ期です(笑)。でも、別の女のコにずっと片思いしてて」

──そうなの?

「小1から小5まで、同じコが好きだったんです。1年のとき、かわいいなって思って。帰る方向がいっしょだったんで、後ろからランドセルにとび蹴りしたりしてましたね。僕はめっちゃ好きだったんですけど、彼女は僕のこと、大っ嫌いだったと思います(笑)。高学年になったら、ちょっかいも出せなくなって。遠足とか学校行事でなるべく同じ写真に写るようにして。廊下に張り出されて、欲しい番号を書いて買うみたいなのありませんでした? 結局、告白すらできませんでしたけどね」

あのおっさん、言ってることちがうじゃん!

──じゃあ、ジャニーズのオーディションを受けた経緯は?

「5年生のとき、テレビでちょうど『8時だJ』がやってて。いっしょに見てた母親の友だちに、“松本潤くんに似てるよね”って言われたんです。その瞬間、“俺もジャニーズに入れる。松本潤くんになれるんだ!”って思っちゃったんですよね。なぜか(笑)。母親に履歴書を送ってもらいました。でも、1年くらい返事が来なくて」

──ショックだね。

「あ、落ちたんだって。でも1年くらいして、不思議な夢を見たんです。『8時だJ』の楽屋に、俺が入っていく夢。部屋に入ったらJr.がいっぱいいるんです。それこそタッキー(滝沢秀明)とか。五関(晃一)もいました。もう、うわ、すげーって。その中に俺が入ってくって夢を見た何日か後に、一次審査合格の手紙が来て。できすぎた話で、誰も信じてくれないんですけどね(笑)」

──オーディションはどうだった?

「日曜日にあったんですけど、野球の試合を休んで行って。もう、しゃかりきで踊りましたね。でも、受からないだろうなって思ってました」

──なんで?

「人見知りが出ちゃって。踊ったあと特技をアピールする場があったんです。俺、バック転できたんですけど、恥ずかしくて“できます”って言えなくて、何もアピールできなかったから。その後、別室で事務所の人の話を聞く時間があって。それが、社長のジャニーさんだったんですけど、当時の俺は知らなくて。その人が“明日、連絡が来なかったら落ちたと思ってください”って言ったんです」

──ドキドキして電話を待ったんだ。

「それこそ家族全員で電話の前で鳴るのを待ってたんですよ。いつ来るか、いつ来るか。俺は、“来る! 絶対来る!”って思ってました」

──そのとき電話が鳴った、と。

「鳴らなかった。だから落ちたんだなって。そしたら金曜に“レッスンがあるんで来てください”って電話があって。“あのおっさん、言ってることちがうじゃん!”って(笑)」

──ハハハハハハ。

「初めてレッスンに行ったら、振りつけ師がいて、Jr.がいて、その後ろに僕らが並んで。ずーっと屈伸みたいなリズムを取る動きを、30分くらいひたすら続けるんですよ。バテると、“そんなもんか!”って怒鳴られるし。“なんだ、この世界は!ヤバイとこ入っちゃったな”って」

──でも、続けたんだよね。

「負けず嫌いなんで。与えられたことができないってイヤだったんですよね。厳しかったから少しずつ同期は減っていきましたけど。今、同期は田口(淳之介)くんだけですから。田口くんは、たぶん翌日に電話が来た人で、俺は1週間後ですけどね」

──そのころのことで、覚えてることってある?

「最初に出してもらったのが、V6のコンサートだったんです。本番が始まって、めちゃめちゃ緊張して待機してたら、そばに井ノ原(快彦)さんがいて。“イノッチだ!”って思って、“おはようございます”ってあいさつしたら、すっげー笑顔で、“おはよう。がんばってね”って言われたんです。あの笑顔、今でも忘れないです。帰って、すぐに母親に“今日、井ノ原さんとしゃべったんだ!”って報告して。あいさつしただけだから、しゃべってるとは言えないんですけどね(笑)」

かわいい河合くん、かわいくない河合くん

──A.B.C.が結成されたのは2000年だよね。

「レッスンがAチーム、Bチーム、Cチームって分けられたんです。Aは、なんかカッコいい感じのチーム。Bはダンスがうまいコが中心。Cはアクロバットが得意なコって感じで。Cは10人くらいいて、俺もその中に入ってて。塚田(僚一)と戸塚(祥太)もいた。あと、辰巳(雄大)と越岡(裕貴)も。俺を含めたその5人が、レッスンをやってると、だんだん前に呼ばれて。“おまえ前、おまえも前!”みたいな感じで。もしかして、5人でユニットになるのかもなって」

──そしたら、本当になったんだ。

「はい。A.B.C.が結成された日のレッスン、俺、急に短髪にしてったんです。その日、Tシャツを忘れて、パーカだけで踊ってて。それまでジャニーさん、俺のこと知らなかったと思うんです。急に、“YOU、名前なんていうの?”って聞かれ、“河合郁人です”って。その日、“子どもなのにワイルドな感じがいい”って、すっげーほめられて。“かわいい河合くんだ”って言われたんですよね。今は“かわいくない河合くん”って呼ばれてるんですけど(笑)。レッスンが終わって社長に呼ばれて、“YOUたちA.B.C.ね”って。そこからグループが始まりましたね」

──でも、その後すぐ、左手を骨折してるよね?

「『ミュージックステーション』で(今井)翼くんの後ろで、みんなで台宙(台の上から下への宙返り)をしようって企画があって。練習中、回りすぎちゃって、左手から着地したら、今までにない痛みを感じて。そしたら翼くんが、自分のタオルで三角巾を作って腕を固定してくれたんです。すぐスタッフに病院に連れてってもらって。俺の荷物は滝沢くんと、翼くんがまとめて持ってきてくれたんだよって、あとで教えてもらったんですよね」

──2002年には五関くんが加入し、戸塚くん、塚田くんと4人になったよね。

「はい。とにかくガムシャラにやってたころですね」

──ただ、簡単にはデビューできなかった。別の道を模索したことってない?

「ないです。1回も。つらいなって思ったことはありましたけど。でも、やめようとはならなかったですね。高3のときとか、まわりからはけっこう言われたんです。“おまえ、全然テレビ出ないじゃん。仕事してんの?”とか。だからって、ここでやめたらダサイでしょ」

──そうだったんだ。

「まあ、特に中学のころとかヤンチャばっかして、母親に“ふだんの生活がおろそかになるなら、ジャニーズやめなさい!”ってよく怒られてましたけどね。泣きながら謝るけど、すぐまたイタズラして(笑)」

──そのころ、自分の中で、何か転機ってあったと思う?

「俺、木村さんにずっと憧れてて。正統派で、ど真ん中のカッコよさを、18才までめざしてたんですよね」

──18才まで?

「タッキーの『One!』って舞台に出させてもらって。5分くらいアドリブしなければいけないシーンがあったんです。初日が終わって滝沢くんに、“おまえ、アドリブきかないな”って言われたんですよ。それが、すっげーショックだったし、悔しくて。“じゃあ、笑わせるよ”って思ったんですよね。そこから人が笑ってくれるってことに、少しずつ快感を覚えちゃって」

──そうだったんだ。

「それでも、カッコつけるとこはカッコつけてたんです。そのたびに、滝沢くんに“そっちじゃないでしょ。おまえのよさ”って言われて。モノマネを始めたのも、そのころです」

──デビューについては、どう思ってた?

「絶対したかった。でも正直、A.B.C.でデビューできなくてもって思いもあって。どっかに引き抜かれて、俺だけデビューできればって気持ちもありましたね」

──でも、2007年にデビューしたのは、Hey! Say! JUMPだった。

「いちばん、ヤベッて思ったのが、そのときですね。デビューを知った日、キスマイと舞台やってて。楽屋で、キスマイとA.B.C.、すっげー静かだった。もう、平成生まれしかデビューできない。俺たち、置いてかれたんだって感じで」

──Hey! Say! JUMPのドームでのコンサートに、キスマイといっしょに出たよね。

「つらかったですね。ずーっと、舞台袖で、藤ヶ谷(太輔)とふざけてました。そうしないと、その場にいるのがつらすぎたから」

──Hey! Say! JUMPについて、今はどう思う?

「デビューに関しての話は、今もしないですね。(中島)裕翔に、“小さいころ、ずっと俺の膝の上に座ってたよね”とか、たわいもない昔話はしたりしますけど。なんか、ずっとHey! Say! JUMPのメンバーは、俺たちのこと、バカにしてんのかもしんないって思ってたとこがあって。あんな長い期間、日の目を浴びないのにマジメにやって、みたいな…。でも最近、『王様のブランチ』に出させてもらったとき、CM中に谷原(章介)さんに、“A.B.C-Zのこと、僕は前から知ってたんだよ。ドラマで共演した裕翔くんが、A.B.C-Zすごいんですって、いつも熱く語るから”って言われて。そこでCMが開けたんで、それ以上は話せなかったんですけど。いつかHey! Say! JUMPと、あのころの話ができたらって思いますね」

“あ、コイツいい”って思ったんです

──2008年、橋本(良亮)くんの加入は、どう思った?

「うれしかったです。4人じゃ、何か足りないんだって思ってた時期だったんで。そのころ、いろんな人とコラボしてたんですよ。千賀(健永)とか屋良(朝幸)くんとか。橋本も、そのひとりで」

──橋本くんに、何か感じた?

「橋本がポンって入ったとき、“あ、コイツいい”って思ったんですよね。年も全然ちがうし、ほとんど会話もしたことない。でも、なんか、あいつがセンターに立ってくれたとき、“これだ!”って思ったんです。その瞬間、“この5人でデビューしたい”って思いましたね」

──そして、橋本くんが正式に加入し、A.B.C-Zになった。

「『SUMMARY』で、橋本とA.B.C.が客席を向いて歌ってて、途中、ステージ側を向く瞬間があったんです。そしたらモニターに、“A.B.C-Z”って出てて。“曲名?”って思って。ステージからハケたら、社長がいて、“YOUたちA.B.C-Zね。ゼットじゃないよ、ズィーだよ”って」

──5人になって、何か変わった?

「あいつが入って、メンバーの明るさとか、まちがいなく変わりました。A.B.C.って、アクロバットボーイズクラブだけじゃなくて、ABCから始めようって意味もあって。Zが加入してアルファベットは完成する。でも、Zはゼロの頭文字でもあるから、新たなスタートって意味もA.B.C-Zにはあって。ホントに、橋本が加入した日、すべてがゼロから始まったんだと思うんです」

──年令差がかなりあるけど、最初からうまくいったの?

「橋本、塚田とソッコーケンカしてましたね。KAT-TUNの沖縄のコンサートで、いきなり殴り合い」

──原因は?

「リハのとき、橋本が位置をまちがったんですよね。塚田もよくまちがうんです。今もですけど(笑)。橋本、塚田がまちがえるの見てて。その塚ちゃんに“位置ちがうよ”って言われたんで、爆発してケンカしたらしい。“おまえには言われたくねーよ”って(笑)。塚ちゃん、7才も年下と殴り合いのケンカすんなよって思いましたね」

──たしかに(笑)。

「でも最初のころは、俺が、すっげー橋本を怒ってました。橋本、あのころ、俺のこと嫌いだったと思う。エビキスコンのときも、注意したんですよね。A.B.C.の今までの曲、全部おぼえなきゃいけないから大変なのはわかるんです。でも、“踊れてないよ”って。あいつ、反発して、“できてるよ”って。“できてねーから言ってんだろ”って、本番中、キスマイがステージに立ってる間にやり合って。“おまえが入ったことに意味があるってことを、ファンに証明しなきゃダメだろ! 5人で前に進むんだろ。俺は、おまえのために言ってんだ!”って。そしたら、ふてくされて楽屋に戻っちゃって。大丈夫か、もうすぐ出番だぞって思ったら、あいつ出てきたんです。真っ直ぐ俺の前まで来て、片ひざついて、王子様みたいな感じで“すみませんでした”って(笑)。ケンカも、いっぱいしたし衝突もあった。あいつは、途中から入っていちばん大変だったろうけど、ホントに、よくがんばったと思う」

“おめでとう”って、言ったら負けな気がした

──キスマイのデビューは、どう思った?

「同時デビューなんて言われてた時期もあったんですよね。でも、俺たちは、そこまでいってないって思ってたんです。まだ足りないって」

──先にデビューされるかもしれないって予感があったんだ。

「現実になると悔しかったですけどね。発表した次の公演、俺たち見に行ってるんです。キスマイ、めっちゃテンション上がってて。そのステージのMCに出たんですけど、俺、“おめでとう”って言えなかったんです。言ったら負けな気がして…。家で風呂に入って泣きました」

──先を越されたこと、泣けるほど悔しかったんだね。

「そうじゃなくて。ずっとずっといっしょにやってきた、本当はいちばんよろこんであげなきゃいけない俺たちが、祝ってあげなかったことが申し訳なくて。すぐ藤ヶ谷と(横尾)渉にメールしたんです。“おめでとうって言わないでゴメン。デビュー、おめでとう”って」

──なんて返信があった?

「“ありがとう”って。次の日かな、渉とはふたりでメシ食いに行って。“A.B.C-Zが来るの待ってるから”って言ってくれました」

──自分たちも、いつかデビューできると思った?

「できる、できない…。そこは、自分たちじゃ決められない。でも、絶対にできると思って挑戦することはできる。そのほうが、生きてるって感じがするし。いつか絶対追いついて、追い越してやるって」

──ただ、その年の7月、『PLAYZONE』で大ケガしたよね。

「左足の小指が2カ所折れる圧迫骨折。ボルト入れる手術もして」

──どんな状況だったの?

「着地ミスですね。暗闇に飛び込んで、舞台下で終わるってシーンで。真っ暗で、危ないなって初日に思ったんです。中日くらいだったんですけど、気のゆるみがあったんでしょうね。着地した瞬間、“あ、やっちゃった”って。すぐ靴がパンパンになるくらい腫れて。舞台装置が動いたら危ないから、戸塚が“止めろ!”って言ってくれて。そういうとき、五関がダメなんですよ。ビックリしちゃって腰抜かして動けなくなっちゃって。頼むぜ最年長(笑)。橋本は、ずっと俺の肩を持っててくれて“大丈夫? 大丈夫?”って。ハケないといけないんだけど歩けないから、塚田がおんぶしてくれたんです」

──いい仲間だね。

「でも、塚田と俺、あんま身長が変わんないから、おんぶしてもらっても、歩くたびに足が床に微妙につくんです(笑)」

──ハハハハハ。現場はパニックだったでしょ?

「その日は偶然、マッチ(近藤真彦)さんが見に来てくださっていた日だったんですよね。事前にスタッフが、ぜひステージで歌ってくださいって、何度もお願いしていたんですけど、“絶対に歌わない。これは、彼らの舞台だから”って、かたくなに断られたんですって。でも、スタッフさんが、俺がケガしたことで1曲できない。申し訳ありませんって伝えに行ったら、いきなり“俺が歌う!”って、ステージに立って、できなくなった曲の時間をカバーしてくれたんです。俺、その話、あとで病院で聞いて大号泣して。ホント、いい先輩の下にいるなって」

──入院生活は、どうだった?

「ケガしたのが土曜で、週明けから入院したんです。戸塚、いちばん最初にお見舞いに来てくれて。それも入院10分後ですよ。“え、なんでいるの?”くらいの早さ。誰にも、どこの病院か言ってないのに。フルーツの盛り合わせ持ってきてくれて、その中にニンジンも入ってました。さすがだなと。俺、馬キャラなんで。メンバーは全員来てくれました。翼くんもタッキーも来てくれて。マッチさんから、デッカイ箱のマンゴーが届いて。翼くん、“俺もケガしたことあるからわかる。でも気にするな。郁人のぶんまでやるから”って」

──うれしいひと言だね。

「ケガした翌日が収録で、そのときの『PLAYZONE』がDVDで出てるんです。メイキングで円陣のシーンが映ってて。翼くん、“郁人のぶんまで!”って言ってくれてるんです。すげーうれしくて、ヤバかったですね」

──千秋楽、会場に行ってるよね?

「大阪の千秋楽、サプライズで見に行きました。ちょうど退院できたんで。『Guys PLAYZONE』って曲があるんですけど、A.B.C-Zの4人が、すげーがんばってて。俺の位置に橋本が入って、今までこんなしゃかりきに踊ってるとこ見たことねーぞってくらい踊ってるの見て、涙が出ちゃったんですよ。戸塚がフリーダンスのときとか、俺がやってる松潤のモノマネのフリとかするし。“ああー、いいチームにいるな”って、すげー感じましたね」

──ホントだね。

「復帰後も、橋本がさり気なく肩を貸してくれたりしたんです。あいつ、モテるなって思います(笑)。松葉杖を持ってきてくれたりもして。松葉杖で歩いてるとき、ずっとドアを開けて持っててくれるんです。で、塚田がそれに気づかず閉めるんですけどね(笑)。“バカか!”って」

ファンが気づかせてくれた、デビューの実感

──その年、ついにデビューが決まったよね。

「オフだったんで、犬のお墓参りしてたら、打ち合わせがあるからって急に事務所に呼ばれて。パッて渡されたA4の紙に舞台の会見のことが書かれてたんです。で、その紙の隅のほうに、“DVDデビュー”って小さく書いてあって。“これ、なんだろう?”みたいな。誰も、そこに触れないし。ホント、よくわかんなかったんですよ。“これデビューなのか? でも、CDじゃないぞ”とか、いろいろ考えて。会見で、“DVDデビューします”って俺が言ったんですけど、自分でもどういうことか、よくわかんなくて。会見のあと、気になってしょうがないんで、社長に“これ、もうJr.じゃないってことですか?”って聞いたら、“そうだよ”って。ホントにデビューなんだって。でも実感がわかなくて」

──実感できたのは、いつ?

「デビューイベントをやったときです。DVDをメンバーがファンに直接手渡しして。ファンの方に、“おめでとう”って目の前でいっぱい言われて。デビューできたこと、ファンに気づかせてもらった」

──デビューできて、うれしかったことってある?

「デビューが決まった後、たまたま(生田)斗真くんと、お店で会って。いきなり握手され、ガッて抱きしめられて。“おまえらがデビューできて本当にうれしい”って言われたんです。俺たちがJr.でずっと苦労してる時期を斗真くん知ってる。それこそ斗真くん自身も苦労してる。そんな先輩が、“俺は、やっとおまえらが認めてもらえたのがうれしい。だから、がんばれよ”って言ってくれて。デビューが決まったの知って、山下(智久)くんと“あいつらデビューしたな! よかったな!”って盛り上がったらしい(笑)。俺たちがいない場所なのに、俺たちのことで先輩たちがよろこんでくれる。そのことがすっごいうれしかったですね」

──デビューまで、いろいろあったね。挫折やケガ……。

「でもね、今思うと挫折もケガも、あってよかったって。さすがに、ケガは、すっげーつらかったけど。あってよかったなって思ってます」

──あれだけの大ケガでも?

「もう歩けないんじゃないかって思ったし、もし歩けても、もう踊れないんじゃないかって。今までにないくらい落ち込んだけど、いろんな人がお見舞いに来てくれたり、手紙書いてくれたり。メンバーの絆も感じることができた。ケガのあと、デビューも決まったから」

──ケガの直後、車いすで『少年たち』に出てたよね。

「たしかに歩けない。でも、しゃべれるぞ、俺って。社長に電話して、“出たい”って伝えて。そしたら車いすの役を作ってもらえて。ファンの人に、少しでも回復してるとこ見せたくて、千秋楽で歩いたんです。最後のシーンで。ちゃんと治ってきてんだよ。心配しないでねって伝えたくて。そんとき“郁人が立った!”って、みんな驚いてくれて」

──それ、ビックリするよね。

「グッて立ち上がったとき、ちょうど目の前のファンの人の顔が見えて。立ち上がった瞬間、その人が大号泣してくれたんです。あの日のことは、忘れないです」

職人じゃない。俺たちはアイドルだから

──A.B.C-Zは、多くの舞台でも活躍。職人的な雰囲気があるよね。

「職人って言われるのわかるけど、どっかでイヤだったんですよ。“俺たちはアイドルだ!”って。でも俺、亀梨(和也)くんに、“あきらめんな”って言われたことがあるんですよね。グループ内のポジションはいろいろある。でも、センターがいるからって、俺はここでいいやって思うなって。“どこにいたって、誰にも負けないものを見つけろ。俺は俺。こういうものが俺にはあるって見せられる人間のほうがカッコよくない? 自分のポジションでいちばん取れ”って。俺、グループでも同じことが言えるって思って。自分たちだけのやり方で、トップをめざせばいい」

──なるほど。

「俺たちは、華やかな道を歩いてきたわけじゃない。ほかと比べて特殊なグループだと思う。多くのグループに先も越された。でも、俺たち以上に、ファンでいてくれた人が、つらかったと思う。地味に見えるだろうし、職人って言われるのもわかる。それでも、そんな俺たちを支えてくれたファンがいる。こんな僕らについてきてくれた人たちがいるのは、本当にうれしい。その人たちがいてくれたからデビューできたんです。“ありがとう”って気持ちは、絶対忘れない。だから、もしファンのコが、ひとりになっても、ひとりだけでもいてくれるなら、絶対にあきらめたくないって気持ちがあるんです。ゼロになったらきついけど(笑)。1なら今と変わらない熱量でいられる。それに、もしこれから、どれだけファンが増えたとしても、今と変わらない距離感で絶対いたい」

──最後に聞くのもなんなんだけど、左足に埋まってたボルト、いつも持ってるらしいね。

「今も持ってます。人に見せて驚かせたいから。“こんなゴツいの入ってたの?”って(笑)」

──ハハハハハ。

「それと、忘れないために。あの日のことを。メンバーの絆を。俺を、俺たちを待っていてくれるファンのことを」

取材・文/水野光博

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