横田祐美子さんのご論文に関する私のツイートをめぐって、横田さんと伊藤潤一郎さんから異議がありましたので(RTした伊藤さんのツイートから辿っていただければと思います)、事情をご説明します。
先日、『現代思想』8月号をめくっていたところ、「バタイユ・ブランショ研究会」という文字が目に入ったので、その論文を読み始めました。それは横田祐美子さんの論文の冒頭部で、横田さんのご著書をめぐる合評会でのことが話題となっていました。私は2020年10月17日にオンラインで行われたこの合評会の企画とZoomのホスト、当日の司会進行を務めていました。書評者については横田さんに希望をお尋ねし、横田さんからは、「これまでバタイユ研究を牽引されてきた先生方からぜひご意見・ご指摘を頂戴できれば」ということでお返事があり、その方々にお声をかけ、当日を迎えました。合評会では、横田さんからの自著紹介の後、3名の書評者からコメントが行われました。
『現代思想』の論文では、そのうちの「某国立大学名誉教授」が一部の章について言及せず、それは自分(横田さん)の哲学が理解できなかったからだ、と論じられていました。3名の書評者のうち、「某国立大学名誉教授」にあたるのは一人だけで、2番目に書評をされた湯浅博雄先生です。横田さんが書かれたことは、当日司会をしていた私の印象とまるで異なっていたので、Zoomの録画を確認したところ、やはり記憶の通りでした。なお、この録画は、先日、横田さんにもお送りしました。
湯浅先生は、第1章~第3章についてコメントされた後、第4章については「非常に興味深かったけれども」、「『マダム・エドワルダ』という文学作品をよく読んでいるとは感じられなかった」ということと、「バタイユの文学作品を論じることの難しさ」があるのだが、「もっと別の観点、分析方法、評価の仕方がなければならない」のではないか、また第5章についても「論じたい内容は非常によくわかりますし、おもしろいけれども」、「もう少し別の観点からも考えながら深めてみる必要があるのではないか」、ということをおっしゃいました(同書は5章構成です)。ですが、それ以上は展開されませんでした。もっと時間があれば展開されたのかもしれませんが、上記の通り、当日は3人の書評者がいて、湯浅先生は2番目でしたし、その後の全体討議のことも考えて、それ以上は展開されなかったのだと思います。
以上のことがあり、
「『現代思想』8月号で横田祐美子さんが、バタイユ・ブランショ研究会で行った横田さんの著書の書評会で書評者の「某国立大学名誉教授」が一部の章について言及しなかったのは「私」の哲学が理解できなかったからだというようなことを書いていてびっくりした。」
というツイートをしました。
ただ、これだけでは、自分が当該の書評会に関わっていたからこそ、いっそう驚いたのだということが表れていないので、スレッドに以下のように付け加えました。
「2020年10月に行った書評会で湯浅博雄先生が横田さんの著書の第4・5章にあまり触れなかったのは、そのときそのようにおっしゃっていましたが、端的に、テクスト読解がまだ足りないと思われたからです。」
こちらの2番目のツイートが、横田さんと伊藤さんの異議で批判の対象になっています。
私自身、この2番目のツイートは、湯浅先生が第4・5章にあまり触れなかったことの理由を簡潔にまとめすぎ、厳密とは言えなかったと反省しています。湯浅先生が第4・5章にあまり触れなかった理由は複合的だと思いますが、上記の通り、合評会全体の時間に配慮したということも主要な理由のひとつであるのは確実です。にもかかわらず、そのことに触れませんでした。ですので、遅ればせの訂正になって申し訳ありませんが、この2番目のツイートを削除し、以下のように訂正したいと思います。
「2020年10月に行った書評会で湯浅博雄先生が横田さんの著書の第4・5章にあまり触れなかったのは、3人の書評のうちの2番目で、第1~第3章までコメントしてきたため時間がおしており、第4・5章についても展開しようとすると大幅な時間が必要になるためだったと思います。」
2022/09/01