2015年02月

目次
はじめに                            2
序章 革共同・中核派の変革的再生             9
   ハード・スターリン主義に回帰した中核派    9
  「内ゲバ戦争」の検証                      13
   ソ連崩壊に象の皮膚感覚の中核派           16
  党内民主主義の完全喪失                    21
 
第1章 清水丈夫の独裁体制                    27
   第1節  白色テロル的襲撃を暴露する        27
       書籍一○〇○点などの強奪              27
       政治局会議を開催すると演じて略奪    28
      「内々ゲバ」を宣言した秋山勝行        34
   第2節 政治局員を次々に粛清する清水丈夫  39
      「極左戦術」を理由に粛清された秋山勝行 39
       高木徹議長代行の任命                 42
 
第2章 革共同の歴史的総括の視点            45
   第1節  日共五〇年分裂とスターリン批判の開始 45
       モスクワの伝統的手法                   45
       六全協とスターリン批判以後の弁証法研究会 47
     トロッキーの永続革命論               51
       黒田寛一の限界                        55
       ブントと革共同の結成をめぐる諸問題   59
   第2節 中核派の運動と組織の検証         64
       本多書記長暗殺をどうとらえるか       64
       ゲバを嫌っていた本多書記長           68
       軍事委員会による政治局の代行         72
       党組織の準軍隊化                      75
       分派活動の自由                        77
 
3章デマゴギー政治に転落した清水-派とカクマル 80
   1節 「反革命白井朗」のレッテルをはる中核派 80
       私の批判から逃亡し、誹謗中傷に転落   80
       清水本人も信じていないスパイ説        84
       略奪を党組織活動と居直る清水-      88
       帝国主義的民族主義への変質・堕落     94
   2節 カクマル謀略文書の批判         102
      『白井小冊子」の偽造                 102
      『新世紀』の白井批判は清水-派と同一  105
 
4 仲山『資本論の研究』の批判          109
   1 仲山本は中核派の組織決定ではない   109
      資本論解説を組織決定に 109
      理論問題の党組織決定はスターリン主義 113
      本多書記長は二度殺された 119
   2 支離離滅裂かつ時代錯誤の宇野経済学批判123
      アンチ・マルクス主義に転落した清水・黒島123
      宇野を純粋科学主義と誹謗 128
      宇野三段階論の核心は帝国主義段階論 132
      字野による日本資本主義論争の止揚 132
      帝国主義段階での農業問題の解明 141
      宇野原理論の核心・価値論と恐慌論 148
      仲山本の抽象的人間労働論 148
      偽書・仲山本を廃棄処分にせよ 163
 
5 中核派の万年危機論・万年戦争論 165
   1 清水デユーリング学説はアンチ・マルクス主義 165
      清水のデユーリング学説 165
      清水デユーリング学説の唯物史観 167
      清水唯物史観の批判 168
      歴史観を否定した清水 177
   2節清水の社会主義論とスターリン主義論 187
      清水の社会主義論 187
      清水社会主義論の批判 189
      _ニン国家論の再検討 195
      反スターリン主義創立者の精神 203
   3節清水デユーリング学説の資本主義論・帝国主義論 214
     清水の帝国主義論 214
     帝国主義の「いっさい不変」説批判 217
     帝国主義戦争の必然性論 220
     両体制間矛盾論に屈服した清水 222
     ドル価値維持に協力せざるを得ない日本 224
【補足】社会批評社発行 2000年4月1日 本体1800円+税
    ⇒「書籍目録」http://www.maroon.dti.ne.jp/shakai/39-5.htm
     アマゾンでも買えそうだ

 もちろん『模索舎』でも…。
 
 

 
はじめに
こんにち中核派は、あらゆる意味で末期症状にある。反白井キャンペーンは党内恐怖政治をつくりだし、自由な意思表明は窒息させられ、いちじるしく活力を低下させている。
すでに二名の自称政治局員が「もう運動と組織を辞めて静かに暮らしたい」と外部の人に話した事実が、私に伝わってきている。内部でいっさいの発言と討論の自由が否定されている悲劇の表白である。
反スターリン主義の思想など、もはやどこにも見いだすことはできない。私を中傷した内部文書は、九四年三月の謀略・略奪について弁解し、革共同に反対する者の財産は略奪するのが当然と開きなおって、今後も批判者には同様の行為を働くことを公然と声明した。
彼らの共産主義とは、先輩同志の知的財産をペテンによってすべて奪って「共有」するというレベルの思想にすぎないことを、自称政治局の文書は認めたのである。
いまや革共同・中核派は、清水一派のもとで正真正銘のスターリン主義党に堕落.変質をとげた。日本共産党・ソフトスターリン主義派と同一の本質をもつ、日本共産党・ハードスターリン主義派という本質規定が清水一派には妥当するのである。
一九三○年代のコミーンテルン型スターリン主義は、フルシチヨフ以降の平和革命を唱えるソフトスターリン主義と区別されたハードスターリン主義であり、清水一派は世界革命と国際主義七・七路線を捨てた戦術左翼として、ハードスターリン主義に先祖帰りしたのである。
私の著作『二○世紀の民族と革命』を組織内で禁書にしている事実は、思想闘争、知的闘争、論争の禁止によってしか組織が延命できない反知性主義の象徴である。『前進』二〇〇〇年二月-四日付(一九四四号)の私ヘの批判は、中核派がカクマルと同一化した事実を告げ知らせている。『前進』は革命的新聞であることを止め、『解放』と同じデマ新聞に堕落・変質したのである。
いま清水一派は、「民主主義ナンセンス」と言って「純粋の党の強化」という極端なセクト主義におちいっている。そのことによって事実上党の支持基盤をみずからの手で掘り崩し、衰退と自滅の途を急ぎつつある。
歴史的に公正な総括をおこないつつ、思想的・組織的な変革的再生の途を真剣に追求しなければならない。
二〇○○年三月-五日                 著者

「血債主義云々」の議論では、改めて故・白井朗さんの『中核派 民主派宣言』を読むことをお勧めする。

 私も改めて読みなおしてみたけれど、内容の深さとともに、〈清水 vs 白井〉が90年を挿んで進行していたことを思い知らされる。今の中央派の「民族・農民」問題を排除した「プロレタリアート」一元論の意味合いも、突然出てきた「中野さん的な偏向」ではなく、「内戦下」に純化(空洞化?)した「清水デューリング氏」の「新発見」によるものだったということになる。

 『50年史』での清水さんの「血債主義者との闘い」を振り返る開陳もその意味で、「なるほどそうだったのか!ずーと前からそうだったんだ」と理解しうる。

 90年代の議論を元にして『偽の50年史』や「血債論の擁護」を議論をすることの苦しさは、「歪曲され矮小化された血債論」にすがることから生まれる。「血債の政治利用主義」あるいは「党派闘争的手段としての血債論」との決定的決別こそが必要なのだと思う。

 血債論とは、人生観や運動観と並んで世界観を再構築する壮大な闘いの糸口でもある。
 

 本書は、中核派の創設の精神や、宇野経済学の意味にも力点を置いて、総合的議論を起こしている。

 以下、白井さんの「民主派宣言」の「はじめに」と目次を紹介する。
 「民族本」と並んで検証してほしい。

 

事件の真っただ中、経産省前では相変わらず脱原発のテント村が続いている。
テント自身は来週にも撤去の判決が出るかもしれないという緊迫した状況だ。

経産省前での抗議行動や霞が関デモも続いている。

そうなのだけれど、仕事中にデモに遭遇すると思わずホッとする。
「暗雲覆う」今日の状況下で、小規模であれ「デモ」が行われていることに胸が熱くなる。
あえていえば何でもいい。
政府に真っ向から対決する旗が翻ることに意味がある。

とはいえ改めて思う。
大変な事態なのだけれど、とはいえすべてが押し流されているわけではない。
安部発言や国会情勢も大変な状況だけれど、とはいえ安部の発言自体も「まっすぐに貫徹」できているわけではない。そういう目で見れば、事態はまた別の姿を見せてくる。

戦後の長い「軽武装の平和」は、装備や国内法だけでは覆えない「闘えない国」を作り上げてきてしまっている。「派兵しない国」が享受してきたポジションを捨てても、「ジャーナリスト」をはじめ、情報収集と色んなパイプを「戦争国家」として作り上げるには、あまりに幼い議論しかできない政治だ。
 「軍隊は民衆を守らない」
 沖縄戦の、戦後の沖縄売り渡しの事実。
 「戦争と兵士」
 「戦争と慰安婦」「戦争と生活」等々をめぐる諸問題。
 現実の攻防戦がどこにあるのかを、「戦争的な冷徹な視線」で見渡す力量が問われているという大事な側面に、今は私の限られた力(あまりに限られた力)を注ぎたい。

白系だけではなくいろんな元の色が集う反戦行動。

主催団体の一つのジグザグ会によれば、
反戦実は、当面は安保法制が審議される通常国会終了までの期間限定との合意のもと、首都圏における30余の団体・個人(2月13日現在)の参加、賛同によって結成されました。私たちはさらに多くの人々に結集を呼びかけて、反戦や反原発運動における一つの「潮流」、「可視化された左派」として自らを形成しつつ、3月21日に新宿で旗あげデモをおこないます。
ジグザグ会(左から考える反原発 ジグザグ会)
レーバーネットのイベントカレンダーから            
安倍原発政権打倒!新宿・反戦デモ!!!!! さあ、旗あげだ!デモにでよう

やはりたまたま。
今度も車が無いので、休憩室にいる。

元大工というじいさまがテレビに釘付けだ。
大工さんは韓流ドラマの「トンイ」が大好きだ。

嫌韓や嫌中の中でも動ぜずにトンイや韓流ドラマを見続ける。
しだいに何人かがいっしょにドラマを観ようと輪になってくる。

何という話をするでもなく、いっしょに観続ける。
何となく温かい思いが空気になって伝わる。

港区の慶応大学のそばで(少し)若い女性をゲットした。
まだ午前の9時台、こんな時間に珍しいお客さんだ。

 「乗りたいんだろうな」と思いながらスピードを緩めて近づいていくとようやく直近になって手を挙げた。「乗るんだったら早めにはっきり手を挙げろよな」とぶつくさ思いながら停車する。「こっちは交通戦争をやってるんだから、へんな遠慮は事故につながるんだよ。機械的に動けよ」。腹の中で思う。

 行き先は南麻布か元麻布らしい。そう遠くはない。
 
 軽い世間話をひとつしながら向かうと、麻布2の橋あたりで渋滞にぶつかった。
 先頭になって警察車両が邪魔をしていることが分かった。
 私、「この先に韓国の大使館があるんでその関連でしょうかね」
 お客「そうですね。よくデモっていうか街宣車が来るんでその警備でしょうかね」

 話が進んで行くと、彼女は「デモ」と言いかけては「街宣車」と言いなおす。「うーん?」

 何かのはずみで私が言う。「右翼といっても大半は、車で騒ぐだけだからこんなに警備をしなくってもいいんでしょうけど。あまり騒いだら捕まえればいいんだから。そのための法律も作ったんだから」
 
 彼女「えっ。街宣車でも届け出がいるんですか?」
 私「日本は警察で成り立っている面もあるから、警察の許可なしになかなか動けませんよね」。     
 「警察も困っているんじゃないでしょうかね。このままじゃ、公安警察は要らないっていうことになっちゃうから。だからどうでもいい街宣車に張り付いて警備の実績を上げなくっちゃいけない」
  「たまに、原発反対のデモなんかでは時々捕まってるらしいけど、若い人が騒いでくれないからあまり捕まえるわけにもいかないし」

 突然話題ががらりと変わった。
 彼女「なんか戦争の話が出てきて嫌ですね」
 私「そうですね。きな臭いですね」

 そんな話題になってきたころ、目的地に着いてしまった。
 彼女「もっとお話しが聞けたら良かったんですけど」
 「朝から大事な話を聞かせてもらって…」
 今日一日元気で過ごしたいなとお互いに顔を合わせながら次の仕事へ。
 
 

 今朝は出庫が1時間以上遅れてしまった。
 新人が帰ってこない。私の乗る車が無い。で、しょうがない、休憩室で待ち続ける。
 たまたま遅出の人や徹夜明けの乗務員がたむろしている。出番が違うので知らない人もいる。

 (比較的)若手が、端に立って話している。携帯のタブレットを手に、時々それをいじりながら年寄りたちとの会話を進めている。

 話は「イスラム教の教えとは何か」だ。
 「普通のイスラムの教えでは首を切ってはいけない」。うーん大変な話題を落ち着いてしている。
 年寄りたちが、何かを言うたびに、少し首をひねりながら的確に答えようとしている。

 私も輪に入って話を聞く。
 たまに「とはいっても兵士を6千人殺したとか町を爆撃するなんてやりすぎだよね」などと小さくつぶやく程度だ。

 年寄りたちの話は、「結局は、復讐のやりあいっていうことになるんかね」というまとめで終わった。

 みんなが引けたころ、若手と軽い世間話をすることに。
 私は「ウエストサイド・ストリート」の話をしてみた。
 若手もミュージカルの話は疎遠ではないらしい。
 「朝からこんな話を聞いたら、頭が燃え上がって事故になりかねない。『クール、クール、クール。フーリッシュボーイ、クール』だね」
 ほんとにそうなのだ。熱くなってひどい人身事故を起こしたら、「平和」どころの話ではなくなる。

 それにしてもなぜか、この職場の「若者」には「痛みを知る」まっとうな人が多い。偶然か、必然化?何だろう?
 そう。彼もまた「労使協調派」の組合の役員でもある。
 普段からの付き合いがあってこその年寄りたちとの会話だったのだ。
 「スタンド・バイ・ユー」あってこその話だとつくづく思う。

一昔前の中核派なら、入管闘がイスラム教会の防衛に飛んで行っただろうかと思う。

あれは北朝鮮の拉致事件の頃だった。
入管闘が(たった数人だけど)川崎の駅頭で街宣をしたはずだ。
そう、入管闘だけの動員で、党全体の(色んな駅や地域への動員もなかったけれど、形ばかりの行動は有った。

 それがどんな意味があったのかもきちんとした総括は聞いてはいない。入管闘も解散したと聞く。ま、入管闘は「日朝中」だけが「基本的課題」だったのかもしれないけれど。
 「過去の血債」に押し込めて今進行中の「血債」も見据えない限り空洞化も避けられない。

 滞日ムスリムの人々との「生活の共有」というか、「同じ生活空間」にあることをどう改めて認識するか。
 四つ木にはモスクもあり、ムスリムの食品店もある。同僚たちも時に異国情緒を求めて買いに行く。
 つぶれてしまったけれど、私の行きつけの食堂の常連にも廃車を輸出するブローカーのパキスタンのムスリムがいた。
 
 時には酒席をしてみてもいいかなとは思う。(パキスタン人の場合、日本に滞在するときはこっそり飲んだりするのだという話を聞いた。もちろん人にもよるし、出身地域その他でもいろいろ違いそうだ)
 

日本のモスク(イスラム情報サービス)から


 ちょうどお客を降ろしてラジオのスイッチを入れた時、「人質事件」がアップされ、ニュースになっていた。
 こんな時はTBSラジオのニュース解説が少し深読みでいい。
 しばらく車を止めてラジオに耳をすました。

 だいぶしばらくして会社に帰ると、窓口のじいちゃんが騒いでいる。
 「刈谷さん、大変なことが起こっているんだよ」。「どうしたの?」
 じいちゃんは1人興奮して、イスラム国が「要求」した2億ドル?の話をする。
 私は答える。「いや、その額は『イスラム国を叩き潰すための人道支援』の額で大した意味じゃないらしいね。ま、そのうち10分の1か100分の1かで収まるか、それともまったく別な要求になるんだろうね」
 じいちゃん。「イスラム国ってどうしようもない奴らしい。原爆でも持って行って落としてやればいい」
 「参ったね」と思うが、小さな世間だし、このじいちゃんとも今後長く付き合わなければいけないのだからできれば穏便に落とし所を見つけたい。とはいえ周囲には何人かが無関心を装いながら聴き耳を立てていそうだ。
 「イラク戦争の時にアメリカの空軍兵士が叫ぶんだよね」と始めて見た。
 奴らはテレビ画面みたいなものを観ながら「イラク人達め、隠れていないで正々堂々と出て来い。堂々と勝負しろ」とか喚きながら、スイッチを押すんだ。と、ミサイルが飛んでって建物を丸ごとぶっ飛ばすんだ。なにが「堂々と」かね。どうせやるならお互いに刀か槍で体を張ってやんなくちゃね。
 と、脇で聞いていた(少し)若い同僚が、「観た、観た。そんな場面があったよね」と軽く割り込んできた。
 気持ちが通じればいい。互いににやりと笑って、日報の作業に戻り、洗車になる。
 とにかく今日の疲れを取り戻すためにゆっくり休まなくては。
 

 

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