今回のゲストは米團治と同門、噺家の桂しん吉さん。
しん吉さんは1978年大阪府吹田市生まれ。
1998年1月に故桂 吉朝に入門、しん吉の名前をいただきます。
入門したその月に豊中市 伝統芸能会館「岡町落語ランド」にて初舞台に上がりました。
翌2月から大師匠 桂米朝宅で3年間、住み込みの内弟子修業を開始。
落語家としては2010年10月 ABCホールにて第1回「桂しん吉独演会」を皮切りに
2011年 1月には新進落語家競演会 新人奨励賞を受賞するなど順調に歩みを進めておられます。
趣味は鉄道写真いわゆる撮り鉄と鉄道の旅、乗り鉄。
鉄道好きが高じて電車がボヤく落語を制作、電車を借り切っての落語会などするうちに
鉄分の濃い落語家として知られるようになり、鉄道関連のイベント、番組にも出演が増えました。
さらに特技をいかし横笛とバンジョーのユニット「元祖お囃子カントリー ぐんきち」を結成、
2003年1月に初ライブ以後定期的にライブを開催しています。
音曲芸も得意とするしん吉さん。番組では笛の演奏も聞かせていただきました。
その多才な噺家人生を大いに語っていただきました。
https://k-shinkichi.net/
8月16日の夜。夏の終わりを告げるように 五山の送り火が灯ります。
お盆に迎えた先祖の霊が迷うことのないようにと浄土への道を照らします。
大切な炎だから、どんなことがあっても灯さないという選択はありえません。
コロナ禍でこの2年、部分点火にとどまりましたが
火床を守ってきた人々の思いは忸怩たるものがあったことでしょう。
2022年、今年は3年ぶりに通常通り点火されました。
それまで稲光と激しい雨が京都の町に降り続いていましたが
点火の頃になると小降りになり、少し遅れての点火の頃には
雨もおさまり、3年ぶりの全面点火の灯が山々に浮かびました。
炎は人々の心に大切な人への思いを再び灯らせたことでしょう。
ゲストの大文字保存会理事長 長谷川英文さんは
8月16日はものごころが付く前から山で過ごしました。
今まで下界から大文字を見たことがないと言います。
大切な炎を何としても灯す。
京都の信仰を受け継ぎ守ってきた保存会の人々の誇りをお聞きしました。
理事長はじめ、関係者の皆様、ほんとうにお疲れ様です。
およそ190年の時を経て祇園祭に帰ってきた山「鷹山」。
長かった眠りの時を経て、堂々たる姿をよみがえらせました。
その日までの道のりは町衆にとってどのようなものだったのでしょう。
応仁の乱以前から巡行に参加していた由緒ある鷹山。
文政9年、1826年の巡行の際の風雨で大破し、翌年巡行を休止し、
以後休み山となりました。
人々は復活を目指し三条通室町西入の町家(ちょういえ)等で鷹匠(たかしょう)、
犬をつれた犬飼(いぬかい)、樽を背負った従者 樽負(たるおい)の三体の御神体や
残された懸装品をお飾りする居祭(いまつり)を続けてきました。
そして2014年に鷹山囃子方が復活、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立。
ついに今年、巡行への復帰が実現したのです。
番組には鷹山保存会理事長の山田純司(やまだじゅんじ)さんにお越しいただき
長かった復活までの日々をふり返っていただきます。
http://www.takayama.or.jp/
今年は3年ぶりに祇園祭山鉾巡行が実現されました。
この2年、コロナ渦によって巡行は中止となりました。
本来祇園祭は疫病退散を願い、行われるものであるだけに
忸怩たる思いもあったでしょう。
その筆頭が祇園祭山鉾連合会理事長 木村幾次郎さんではなかったでしょうか。
理事長を引きついだ2020年、そして翌年2021年と中止された巡行を
今年誰よりも待ち望んだおひとり。
今回はその木村幾次郎理事長をお招きし、改めて祇園祭の魅力を語っていただきました。
町衆の思い、本来の祭りの在り方、そして未来の祭りのかたち、受け継ぎまもるべき信仰とは。
3年ぶりとなる山鉾巡行は鷹山復活というトピックも加わり
理事長自らデザインされたお手ぬぐいも拝見しながらお話をお聞きしました。
ゲストは舞踏家、振付家、演出家として活躍する今貂子(いまてんこ)さんでした。
今さんは今貂子舞踏研究所代表で舞踏カンパニー 倚羅座主宰でもあります。
1980から94年、京都で設立された舞踏グループ白虎社(びゃっこしゃ)に参加、
1999年には舞踏ワークショップ開始し、翌2000年にワークショップを母体にした舞踏カンパニーを結成。
2014年にはカンパニーの名を、舞踏カンパニー倚羅座と改めました。
2020年には今貂子舞踏公演「金剛石-Diamond-」にて、令和2年度 第75回文化庁芸術祭優秀賞受賞。
舞踏として初入賞の快挙を果たされました。
新しい境地を拓いた今さんの舞踏の根源は日本の芸能の源流にみられる命を活性化させる力、「たまふり」だといいます。
アバンギャルドな舞踏の根底に息づく日本の魂とは。舞踏家と落語家の異色のコラボトークが展開されました。
https://imakiraza.wixsite.com/kirabutoh/about1-c1dzn
彦根城は江戸時代、外様大名ににらみを利かせる役割を担って
徳川家譜代井伊家の居城となりました。
江戸時代の偉容をそのまま伝え、天守および付櫓、多聞櫓は国宝に指定されています。
15代藩主井伊直弼は幕府の大老として活躍し「日米修好通商条約」に調印。
日本の開国近代化への道を開きました。反対勢力を強引に退けた「安政の大獄」、
その反動で命を落とした「桜田門外の変」は幕府を揺るがす大事件でした。
直弼は上に13人もの兄がいたため、自らが藩主になるとは思いもよらず
表舞台に登場するまでは学問や茶の湯、能などを熱心に学んでいたといいます。
彦根城博物館には井伊家に伝わる美術工芸品や古文書などを中心に
貴重な品々が収蔵されています。
国宝彦根城の歴史や名だたる建築物、文化財、そして図らずも藩主となり、
歴史を動かす活躍を見せた井伊直弼の人となりについてお話いただきました。
1978年10月。
京都市が「世界文化自由都市宣言」を発表しました。
平安京の昔より育んできた京都の伝統文化を礎に
世界との文化交流によって京都がさらなる文化都市へ発展することを目指す
京都市の都市理念が明確にされました。
そこで設立されたのが財団法人京都市国際交流協会です。
1989年には市民の国際交流の拠点として京都市国際交流会館が開館。
2006年度より財団法人京都市交流協会が施設の管理・運営を担い、
ここで人々が出会い、語り合い、交流を深めることを目的に
さまざまな取り組みが進められています。
京都における国際交流の意味とは。
京都が果たすことができる役割とは。
ロシアの侵攻という国際紛争の出口が模索されるなか、
互いの文化を尊重しあう国際交流の意義や大切さをお語っていただきました。
また山本さんの、海外留学経験のお話も楽しくお聞かせいただきました。
この日のゲスト『京都府の現代の名工・房撚紐師(ふさよりひもし)』坂田壽男(ひさお)さん。
坂田さんは1947年京都市生まれ。
府立山城高校卒業後家業の『飾り房』の製作を始めました。
1986年に独立し、主に各地の祭りで用いられる祭車(さいしゃ)の飾り房を製作。
僧侶が袈裟の上に垂らす儀式用装飾房『修多羅(しゅたら)』では
革新的で独創的な色合いを生み出しています。
令和元年には『京都府の現代の名工・房撚紐師』の称号を得ました。
ここまでが本業。
実はもうひとつ全く違う顔をもつ坂田さん。
坂田岳の名で東京、名古屋、京都等で講演会、ライブ活動を行うなど
セカンドライフを満喫中です。
同級生であるザ・タイガースのメンバーともいまだ交流を続け、
昨年春には「坂田岳のプライベートな虎歌」として
瞳みのる.森本太郎.岸部一徳と京都でライブも行いました。
この時の音源もちらっとお届けしました。
また大好きだという玉置浩二さんの楽曲を聞きながら
伝統工芸、バンド活動、若さを保つ秘訣などお話しいただきました。
祇園を代表するお茶屋さんの一つ祇園廣島屋芸妓 小耀(こよう)さん.
祇園と言えば「都をどり」。京都に春を呼ぶ風物詩です。
コロナ渦によって今年は3年ぶり、令和になって初めての公演となりました。
コロナに打ち勝ち平和な世への祈りを込めて
今回のタイトルは「泰平祈令和花模様(たいへいのいのりれいわはなもよう)」。
直近2年間の中止で、今回出演する舞妓25人のうち半数以上が
初舞台というフレッシュな公演となりました。
京都の宮廷文化を取り入れたという華やかで優雅な晴れ舞台。
対談は都をどりについて、さらに花街に暮らす芸妓さん、舞妓さんのこと。
米團治がたっぷりとお話をお聞きしました。
お姿も花桜のお着物もとても綺麗で華やいだスタジオ収録となりました。
今回のゲストはジャズピアニスト、作曲家、FMラジオのパーソナリティとしても
活躍されている金谷康佑(かなたにこうすけ)さん。
金谷さんは1958年西宮市に生まれました。
立命館大学在学時よりプロ活動開始。
モダンジャズを基軸に
ジャズとクラシックの融合や和楽器とのコラボなどに意欲的に取り組んでいます。
真骨頂はそのオリジナル曲。
阪神淡路大震災の被災経験から全四楽章からなるシンフォニー「震災組曲~フェニックス~」、
人生の応援ソング「勇気をだして」はじめ数多くのアルバムをリリース。
コンサート活動は関西を拠点に、北は北海道、南は沖縄まで、全国各地に及びます。
金谷さんと米團治とは同世代。
落語家と音楽家の軽妙なコラボとなりました。