めにゅうとじる

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各コンビの結成秘話公開

2020.4.22

INFO

あさやけレンジャーズ


小峰純と福士遥。2人はもともと幼馴染で家も隣同士。小さい頃はよく一緒に遊ぶ間柄だった。しかし、小峰は明るく誰とでも仲良くなれる性格。徐々に友達が増えていったのに対し、福士はそういったことが苦手。成長とともに2人の関わりも相対的に減っていく。

福士はもともと内向的な性格の子供だったのだが、彼のネガティブ思考に拍車をかけたのは、中学生の時に患った肺の病気だ。長期入院のため、学校にも行けず、福士は孤独だった。そんな時の彼の唯一の心の支えが、ラジオから聞こえる芸人達のトーク。どれだけ辛くても、その喋りひとつで、遠くにいる人に幸福を与えられるお笑いの力。そこに福士は憧れた。福士は辛い中にも希望があることを知った。夜中、不覚にも大声で笑ってしまい、それを発作と誤解されてナース達が駆けつけたほどだ。福士にとってお笑いとは、救いだった。

そんな2人は地元の県立高校に入学。入学早々にクラスの人気者になる小峰と、誰も友達がいない帰宅部の福士。2人が積極的に会話する場面も多くは無かった。

ある日小峰は、地元のお祭りで何か出し物をやってくれないかと町内会のおじさんに頼まれる。小峰は快諾。そうだ、漫才でもやってみようと思い立つのだが、意外にも、仲の良い友達全員に、様々な理由で断られてしまう。仕方なく弟と2人でつくって披露してみた漫才は家族の前で試しても全くウケない。あちゃ〜。お笑いって意外とムズいんだな…と頭をかく小峰。どこかにネタを書いてくれる、面白い奴はいないかなあ…と考え始める。

その数日後、事件は起きた。俳句をつくる授業で普段全く注目されない福士が書いた俳句が突如脚光を浴び、クラスの爆笑をかっさらったのだ。それを見て小峰はびっくり。彼こそ相方に相応しいのでは、と思い、福士に積極的に話しかける。福士は休み時間もイヤホンを耳に差し、周りともほとんど交流しないような暗い奴だったのだが、実はそのイヤホンで聴いていたのは赤星大次郎のオールナイトニッポン。小峰は、福士がお笑い好きになっていたことを知らなかった。小峰は祭りで一緒に漫才をやってくれないかと懇願する。しかし福士はそれを断固拒否。小峰とは幼馴染だし、いいヤツだとは思っていたが、かといってお笑いのスキルが高いと思ったことは無かった。一緒にネタをやって火傷をするのはごめんだと福士は思った。しかし小峰は諦めない。定番のみかん作戦(みかんを配り好感度を得ようとする小峰の得意技。昔は福士も喜んでくれた記憶があり、勝算があると踏んでいた)などを駆使し、様々な手段を講じて福士と漫才をやろうとする。
福士はそんな小峰のしつこさに苛立ちながら、しかし一方で、教室ではつらつとしゃべる小峰の声を聴きやすい声だな…と思ったりはしていた(ラジオばかり聴いているのでこの辺りの関心がある)。こいつがもしラジオのメインパーソナリティだったら案外面白そうだな、と。もちろんそんなことを福士は言わない。しかしそんな妄想はした。もし2人で漫才をやったらどうなるか、ということも。福士は芸人に憧れている。漠然と、でしかないが、芸人になれるものならなりたいと思っている。試しに漫才をやってみたい気持ちだってある。しかし、それまで一人の殻の中に閉じこもってきた福士には、自分の考えたアイデアを他人に理解されないかもしれないという「怯え」があった。

そんなある日。放課後、喫煙中の酔っ払いに絡まれ、持病の発作でせき込む福士。そんな時、小峰がいち早く駆けつけ、不良から福士を助けてくれたのだ。(小峰は何としても福士に漫才の承諾を得たくて、この頃、半ば福士のストーカーと化していたのだが、これが功を奏して、早めに駆けつけられた。)何はともあれ、このことをきっかけに、福士は徐々に、また小峰に心を開くようになっていく。

祭りまでもうあと数日。本当は早めに福士にネタを書いてもらおうと思っていたのだが、もう間に合わない。小峰は仕方なく自分でネタを書いていた。我ながら自信作。小峰はこれを福士に読んでもらいたかった。ネタは俺が書いたから、頼む!一緒にネタをやってくれ!そう言うつもりだった。しかし小峰からネタの台本を渡された福士は一読して一言。「よくこんな面白くないネタ書けるな…」ガーン!小峰はショックを受ける。とぼとぼと自宅に帰っていく小峰。万策尽きた。あとはもう…中学の修学旅行でやったピンネタのミカン漫談をリバイバルするしか選択肢は残っていない……。

しかしーーーー。小峰がミカン漫談を披露することは無かった。なんと次の日、福士がネタを添削して小峰に返してきたのだ。赤だらけ。ほぼ全替えの勢いだった。そして、最後に福士は小峰にこう言った。「このネタなら…一緒にやっても良いけど…」

こうして2人の初の芸人活動が始まった。コンビ名は、ズバリ……「みかんズ」。

福士「なっ…なんだよ!その名前!ダッサ!!」
小峰「仕方ないじゃん。先にコンビ名書いて出さなくちゃいけなかったんだから。
でも俺は好きだけどな。みかんズ。親しみがあって」
福士「もういい!せめてネタだけでも面白くするからな…!」
小峰「え?お、おう!」
福士「もう一回最初から通すぞ!」

気づけば、福士の方が積極的に練習に没頭していた。それがまた小峰は嬉しかった。
そしてやってきたお祭り当日。彼らは見事なネタを披露。そのネタは、お祭りの出し物にしておくにはもったいないくらいのクオリティに成長を遂げていた。もちろん2人は次の日、教室でも話題に。特にそれまで全く表舞台に立たなかった福士が認知されるようになった。お笑いによって周囲の人のレスポンスを得られる喜び。そしてそれを誰かと共に成し得た喜び。一人きりの世界では得られなかった2つの喜びをお笑いによって知った福士は、内心、小峰に感謝すると共に、いつかまた漫才をやりたいと思うようになる。小峰と福士はその後一緒に舞台に立つ機会は無かったが、共にお笑いの話で盛り上がる友達となった。

それからしばらくし。二人は同じ大学に進学。(家賃が安くて済むという理由でボロアパートを借り、2人暮らしを始める)卒業したら芸人になると決めていたわけでは無いが、自由な時間も増えたのだから、もう一回人前でネタをやってみないか、と、小峰は福士に再び申し出た。福士は快諾。ただし、コンビ名の「みかんズ」だけは絶対にやめてくれと訴える。

協議の末、決まった新コンビ名は「あさやけレンジャーズ」。これは、例のお祭りの際に披露したネタ「あさやけしか活動しない、使えないヒーロー、あさやけレンジャーズ」というネタ中の小ボケから取っている。ゴロも良く福士も納得。こうしてあさやけレンジャーズは始動した。(これとは別に、福士はあさやけに対して特別な思いがある。中学時代、深夜ラジオ明けのあさやけが、当時の自分の救いだったと福士は思っていた。だからこそ、初めて書いたネタにあさやけというワードを入れたのである。)

福士の書くネタはどれもエッジが効いていて面白く、セミプロの中に混じってエントリーするライブでもお客さんの反応は良かった。2人は徐々に本気でプロを目指してみるのもありかなと思い始める。そんな様子なので当然、就活にも身は入らず、一回だけ自分たちの力を試してみようと、笑響芸能事務所のネタ見せオーディションを受けてみることにする。そして……まさかの、結果は「合格」。社長の和田は当時、フレッシュな若手コンビに力を入れていた。事務所、最若手の新星、ハピネスコマンダーのライバルになりうる実力を持っている新人はなかなか見つからない。そんな中、あさやけがオーディションで見せたネタは群を抜いて光るものがあった。彼らなら、ハピネスコマンダーと切磋琢磨していけるかもしれないと和田は思った。そして、それ以上に和田が彼らを採用した理由はーーー。

「仲、良いよね。二人とも。君たちがどうなっていくのか…今日のオーディションの、その先の日のことを思って、ワクワクしたんだ。そう思わせるってことは、この世界ではとても大事なことなんだよ」

こうして、あさやけレンジャーズの、「プロの芸人」としての活動が始まった。

グラシッククラシック


厳格な両親のもとで育った関崎秀治。中学校で、自室にテレビが置かれ、そこで初めてバラエティ番組を観る。その時に見た満天の漫才に魅了され、ネタ番組、そして劇場に足を運ぶほどのお笑いマニアに成長。そんな彼は将来もお笑いに携わる業界へ進むことを決意する。大学卒業後はテレビ局に入社。芸人を目指さなかったのは、お笑いへの憧れが強すぎて、自分が演者になるなど夢のまた夢だと思い、最初から目指す発想が無かったから。せめてその出演者の姿を側で見続けられる、そんな仕事をしたくて、関崎はテレビマンになったのだった。

しかし関崎はそこで、今までテレビで見ているだけでは分からなかった裏方の苦悩を身を以て体感することになる。ADの激務。関崎は口が立つのと、シャキシャキしている風なので、一見先輩からは使えそうな奴だなと思われるのだが、その実、意外と抜けたところが多く、そんなわけで入社初日から先輩の期待をことごとく裏切っていった。挙句、機械音痴の関崎はPC一つろくに使いこなせず、ある日、ブッキングに関する社外秘の情報を出演者の所属事務所にCC付きで送ると言う大罪をやってのけ、以降「お前はもうADじゃない。CCだ」と宣告される。

そして…そんな惨めな毎日で、彼はまた数多くの演者も生で見ることになる。生で見る芸能人は圧巻の一言だった。彼らには、周りの空気をガラリと変えてしまうような圧倒的なオーラがあった。それはまさに「能力者」。テレビではそう言う芸能人しか画面に映らないから気づかなかった。彼らは皆、芸能界の荒波の中で生きていくという誇りを持って現場に臨んでいる。テレビで見るより数百倍、かっこいい。このまま自分はこっち側(裏方)として一生を終えていいのかと言う感情が沸々とこみ上げる関崎。彼は決断する。人生は一度しかない。だとしたら本当に憧れていることに正面からぶつかるべきだ。俺はお笑いが好きだ。だったらお笑いをやる!それだけだ!文句あるかー!!!関崎は局を退社し、芸人になる道を選んだ。

そんな勢いで社会人生活とお別れした関崎は、そこまでしたからには完全無欠のコンビを作ってやると息巻く。漫才への憧れが強い関崎は、フリー芸人のライブやお笑い事務所のオーディション生を捕まえてはコンビを組んだ。しかし関崎の理想のお笑い観が強すぎるため、そこについていこうとする者はおらず、組んだ相方は軒並み関崎から去って行った。関崎からすれば、脱サラしてまでなりたかったお笑い芸人。しかし、フリーの若手芸人の大半は、学生上がりでなんとなくお笑いを始めた連中か、親が金持ちで半分趣味でやっているような奴らだった。関崎はテレビ局で見た芸能人たちとのギャップに絶望する。

「俺の、俺の理想について来れる奴はいないのかーーーー!!!!!!!!」

そんな時、関崎は、笑響芸能事務所が主催する芸人のなり方についてのセミナーで、ひときわきっちりした優男に出会う。浅宮輔。たまたま同じ席になり、なんとなく話してみる関崎。どこからどう見ても、演者志望には見えない。最初、事務所のマネージャーかと思ったぐらいだった。関崎は自身の脳内お笑いレーダーを駆使し、浅宮のスキルを割り出そうとする。この男は俺より上か、下か。俺より面白いとは思えない。が、しかし…何かただならぬ気配がする…こいつ…得体が知れねえ!!

浅宮の飄々とした捉えどころの無い感じ、セミナー中も飴を舐める、ふてぶてしいとも取れる態度。それは徐々に関崎の興味を引いていった。そして何より関崎は、浅宮との会話中、結構な頻度でツッコミを入れていた。いや、自発的に入れたくなったのだ。それは浅宮が会話中、関崎のツッコミをいい感じに引き出すボケっぽい言葉(意図してボケているのではなく、間の抜けた感じで返事しているだけ)を連発していたことを意味していた。今日のセミナーの収穫はもしかしたら、この横に座っているメガネかも知れない。関崎は思い切って浅宮にこの後話せないかと聞く。浅宮は答えた。「承知しました」

浅宮の過去が明らかになる。彼は帝大卒の超エリートであり、前職はコンサルタント。クライアントとのミーティング中に飴を舐めながら「承知しました」を連発し激怒されクビになるという珍妙な過去を持つ。そんな浅宮がお笑いを志したのは、大学院生時代の自身の体験に基づいているという。研究室で何気なくつぶやいた浅宮の一言で周囲が笑い、その時「浅宮さん意外と芸人ですね」と言われたことがあったのだ。それまで浅宮は芸人という仕事があることすら知らなかった。しかし、それまで論理で説明できないことは無いと考えていた浅宮にとって、お笑いの世界は魅力的であり、なぜ自分の一言で人が笑うのか真剣に探究してみたいと思った。会社をクビになったことで突如職を失った浅宮は、ふと当時のその体験を思い出し、セミナーに参加したというわけだ。

話せば話すほどお笑い的に使えそうなエピソードが出てくるので、関崎はもうすっかり浅宮に魅了されていた。もう関崎には、浅宮が、猛獣か何かに見えていた。俺はこの猛獣を従えて、一流の猛獣使いとして名を馳せてやろう。そんな野心が関崎の中に芽生えた。
関崎は、浅宮を口説き落とし、グラシッククラシックを結成。関崎はグラスクラス(メガネ男子2人という意味で)と言うコンビ名を提案したが、「それでは冴えません。僕はクラシックが好きなんですが、グラシッククラシックはどうでしょう?」と逆提案される。関崎は面食らう。(こんなに正直に面白い面白くないを言ってくる奴だったとは。早速猛獣に手を噛まれたか…しかし俺は負けねえぜ!)関崎は謎の闘志を燃やし始めていた。

二人ともメガネ、そして両方脱サラしているという共通性、それでいて、覇気のある関崎のツッコミと、飄々とした浅宮の漫才のバランスは絶妙で、事務所のオーディション審査も突破し、二人は笑響芸能事務所所属が決まった。和田は所属の時二人に言った。

和田「芸人は特殊な世界だと思われがちだけどそうじゃない。実際に現場を動かしている人間たちは社会人であり、会社員さ。だから社会人だった経験は決して無駄にならない。若い人たちができない努力をしてください。そうすれば、きっと君たちはやっていける」

関崎は涙し、この言葉をそのままプリントしたオリジナルTシャツを持っている。

ま・み・むメルシーズ


石井奇跡は元ヤン。ヤンキー時代色々な悪さをしたが、高校生の時、道に飛び出した子供を避けようとして事故にあう。(今もその頃の傷が背中にある)病院のベットで目を覚ました石井は、無事だったその少年と、自分の弟が号泣しているのを見て素行をあらためる。もともと石井は特撮もの好きで、ヒーローへの憧れが強かった。そのため、子供を泣かせるようなことは二度としないと心に誓い更生する。

そんな石井が目指したのは保育士。資格まで取ったものの、その声の大きさのせいで寝ている子供が起きてしまうので仕事にならず、そこに就職することはできなかった。何か生活の足しになることをしなければ…と、原宿の町をフラフラしていると、いい感じの服屋の看板『mercy(メルシー)』が目に入り、試しに入ってみる。そしてそこで石井は、驚くべき光景を目の当たりにした。一人の店員が、たった一人で、10人の客と会話していたのだ。全く無駄のない動き。素早い身のこなし。それでいて彼の物腰は一貫して穏やかだった。いったいあの人は何なんだ!?石井はその男がまるで千手観音のように見えた。

千手観音には、石井は特別な思い入れがある。といっても宗教的な理由はなく、単純に、見た目がカッコよかったから。かつて見ていたヒーローシリーズ「ゴウレンジャー(業レンジャー)」で、好きだった主人公、カルマレッドの千手観音拳という技(無数に分身した拳を繰り出す技)があり、それに強い憧れを持っていたのだ。石井のヤンキー時代の特攻服にも千手観音は描かれている。その千手観音が、今、石井の目の前にいる。原宿の、それも服屋のレジに。石井はその店員、由良悠人の神対応ならぬ観音対応に一目惚れした。その場で頭を下げる石井。

石井「すいません!突然でなんだこいつって思われると思うんですけど!ここで働かせてください!」
由良「(7人目対応中)5800円になります。(8人目対応中)あーポイントカード終わっちゃったんですよー今月新しいの発行したので(4人目対応中)Lサイズですね。
少々お待ちください。(11人目→これが石井への返事)良いですよ。店長に掛け合うので少々お待ちください(7人目)6000円から頂戴します(6人目対応中)
試着室奥になりますねー(7人目対応中)200円のお返しになりますありがとうございましたー……」
石井「(すごい…すごすぎる…)」

この後しばらくして、石井が服屋「mercy」で働くことが決まった。石井と由良は先輩後輩としても仲良くなり、バイト仲間として交流を深めていく。
ある時、漫才の大会にノリでエントリーしようとした石井は、他に相手が見つからず由良の名前を書こうとした。ただ、由良の名前の漢字が分からなかった石井は、ローマ字で書いたらカッコいいかと思って「YU」まで書いて、「YURA」か「YULA」かの2択でまた止まってしまい、もういいやとなって「YU」でエントリーしてしまった。由良はこれに驚いた。どうして僕がお笑いをやるんだいと言って最初は出演を拒否した由良だったが、その時「ネタはもうあるんだ」といって石井の書いて来た漫才の台本を見て、クリエイティブ脳が働きだす。僕だったらこうする…だとしたらこう展開するな…とはじまり、結局由良もネタを書いて持ってきた。これがとてもユニークなネタで、石井もそのネタでやりましょう!となり、二人の練習が始まった。コンビ名は服屋の名前からとって「ma・mi・mu・mercy’s」になった。

こうして出てみた賞レース。2人はその独創的なネタで、アマチュアながら3回戦までコマを進める!他のコンビとは明らかに違う構成。ボケの数は少ないが間違いなく異質なネタとして審査員の記憶に残りやすいネタだった。ただそれが、次の3回戦で敗退する原因にもなる。2人は、3回戦で審査員からまさかの「漫才ではない」という痛烈な批判を浴びて敗退してしまったのだ。

石井は、思い出づくりでエントリーした賞レースが意外と良いところまで進んだことが嬉しくて、芸人で生きていくのも悪くないと思いはじめていた。石井は、会場に見に来ていた子供の笑顔を思い出していた。もとより石井が欲しいのは子供達の笑顔。ヒーローは無理でも、保育士になれなくても、子供を笑顔にする方法はある。「芸人」って響きもカッコいいし…と思う。

プロの賞レースで、アマチュアにして3回戦まで進んだ2人を見て、笑響芸能事務所社長の和田が関心を示しスカウトする。

和田「もしよければオーディションを受けてみないかい?石井くんとYUくん、事務所で待ってるよ」
石井「はい!」
由良「あ、あの…僕の名前「ユラ」って言うんですけど…」

由良はここで初めて自分の名前がYUでエントリーされていたことを知る。結果、そこまで悪い芸名では無いと思い、由良はこの芸名を承諾。以降彼は周りからYUと言われるようになる。

YUは、突如浮上した芸人になるという人生の選択肢に躊躇していた。彼はもともと天才美大生。クリエイティブなことへの熱意は凄まじいが、お笑いというジャンルなど考えたことがなかった。ただYUは、美術というジャンルにおいて作品を作り続けていくことに兼ねてから違和感を感じてはいた。というのも、それが仲間内だけで評価し合う狭いものを創っている気がしたからだ。本当の名作とは、玄人からの評価はもちろん、それでいて大衆にも評価されるものだということをYUは知っていた。その点でお笑いは、お客さんからの ダイレクトな反応がもらえる点で、作り手としてやりがいがあると、先の大会で感じていたのだ。そして何よりYUは石井のことが好きだった。屈託のない性格、そして何となく実家の犬を彷彿とさせ、彼とならいろんな作品が作れるかもしれない…という期待もあった。

とはいえ。お笑いは、これまでYUがやってきた芸術の世界とはまるっきり違う。果たしてこの道に進んでいいのかと、迷っていたYUの背中を最後に押してくれたのは、社長の和田だった。芸人を目指す芸人だけでお笑いを作ってしまったら、お笑い界はとても狭いものになってしまう。お笑いの外にある価値観でお笑いを作る。そういうことができる人を僕は探していたのだと。お笑いの土壌で、好きなクリエイティブをいくらでも発揮して良いと言われたYUは、この社長にはついていけると考えた。2人はこうして、笑響芸能事務所に所属を決めた。

まるおみすみ


大学の軽音部で知り合った3人。丸尾(まる)、三角、箱崎。バンド名は「SHAPE(シェイプ)」という。彼らは仲良し。箱崎にはリーダー気質があり、実際に軽音部の部長も担当していた。まると三角は、箱崎についていくスタイル。ただ、彼らにとって音楽は所詮趣味。バンドで食べていくほどの熱は無かったし、実力も足りていなかった。箱崎のボーカルは、自他共に認めるレベルで下手くそだったし、まるも三角も、プロのレベルに並べるとは到底言い難かった。そんなわけなので「SHAPE」のファンも全く増えない。ライブハウスは大抵ガラ空き状態だったし、他大学と合同で開いたライブイベントに出れば「しゃぺ乙www」などと書き込まれ馬鹿にされるレベル。(ボーカルが下手な箱崎がなぜバンドや軽音部をまとめられるのかというのは一見不思議ではあるが、これも3人がプロ志向ではなかったのと、それ以上に箱崎の人間性が優れていたためだった。)プロ志向でなかったからこそ、3人は下手と言われてもそこまで落ち込まなかたし、音楽が好きだという気持ちも消えることはなかった。何より、3人は互いのことが大好きで、一緒に居られる時間が楽しかったのだ。3人は休みの日も集まって意味もなく演奏したり、楽器店に行っては珍しい楽器を楽しんだりしていた。

また、3人が共通して音楽と同じくらい好きなことがあった。それがお笑いだった。箱崎はお笑いに関しても知識豊富で、やはりお笑いが好きなまると三角は、箱崎のお笑い談議を喜んで聞いていた。大学生活も終わろうという頃、箱崎は、大学生お笑いアマチュア大会にエントリーしようぜと提案。賞金欲しさとノリ…要するに、学生時代にもう一つ思い出を作ろう!みたいな動機だった。トリオ名もやはりノリで「まるさんかくしかく」に決定。しかし…そんなノリでエントリーした大会で、3人は見事優勝してしまう!同時に、笑響芸能事務所の所属オファーを受けることに。驚く3人。

趣味でエントリーしただけの大会。しかし、お客さんが一体となりウケた瞬間、3人は病みつきになった。バンドでは自分たちが下手なせいで、客入りも悪かった。自分達が楽しめれば良いという理由でそれまで気にしてこなかったが、やはり客が来ないというのは寂しいものだ。しかし、このお笑い大会では、満員のお客が3人と一体になり、爆笑してくれた。それは普段のライブでは考えられないグルーブ感。(ネタ中に手拍子が起きるような、そんなネタのイメージ)この瞬間、彼らにとってお笑いは「音楽以上に音楽」となったのだった。

しかも、所属オファーなんてなかなかあるものではない。これといって他になりたいこともなく、就活もろくすっぽしていなかったまると三角は、ここは一つ乗ってみるのも悪くないか…と思い始めた。しかし、ここでまると三角にとって計算外のことが起きた。ブレーンだった箱崎が土壇場でプロにならないことを選択したのだ。(これはのちに明らかになるが、当時の特別審査員長だった赤星大次郎からの一言が影響している。自分が本質的に芸人には向いていないことを悟った箱崎は人知れずプロにはならないことを選択したのだった)結果、まると三角はコンビでの活動を余儀なくされる。しかし「まるさんかくしかく」は、まると三角が箱崎を慕う形で、成立していたトリオだった。箱崎がいたから、3人は3人でいられたのだ。箱崎無しでは、とてもコンビなんてできるものじゃない…。2人は悩んだ末、和田に辞めたいと相談した。しかし社長の和田は、それぞれの事情を理解した上で、しばらく2人でやってみたらどうかと提案。2人で事務所に籍を置くことを了承してくれた。

もともと軽音部だったことを生かし、彼らは音楽を取り入れたネタもつくるようになっていく。おかげで事務所内の他コンビとは違う持ち味で活動することができたため、徐々に居場所ができ、コンビで継続する自信がついてきた。更に、まるはDJとしても活動を始め、事務所の社歌や、事務所内のライブ音楽の楽曲も担当するように。
(和田は、お笑い界に新しい風を吹き込むため、まるや、この後入ってくるメルシーズのYUといった、お笑い以外のジャンルに明るいメンバーこそ芸人になるべきだと思っていた)

今では、もう6年目。若手の中ではお兄さん的なポジションになった2人。しかし6年経った今でも箱崎がトリオを抜けたことは、2人の心の傷となっている。箱崎とは、大学卒業後連絡を取っていない。まるは、結局肝心なところをいつも自分一人で決めようとする箱崎の性格がもともと気にはなっていたが、あの時も勝手に脱退を決めたことを快く思っていなかった。三角は箱崎を慕っていたが、箱崎がやめた本当の理由は知らず、彼のことを今でも心配している。ただこれについて何か聞くと、まるも面白くないという顔をするので、真相にあえて触らないようにしていた。

グットバッティング青春


春山晃一は家族が全員教師という堅い家庭で育った。唯一の救いは地元少年野球クラブ。そこだけが居場所だった春山は、野球の世界にのめりこんでいく。野球選手に強烈な憧れを感じていた春山。ただそれは、野球というスポーツに対してというよりは、脚光をあびるスーパースターに対する憧れであった。今はこんな窮屈な場所にいる俺だけど、いつかスターになるんだ!!春山はそう思うようになる。

一方、武島海人は、父が漁師。春山とは逆で開放的な環境で育った。兄弟は山登り好きの兄、山彦と年が離れた弟、空男。空男は現在引きこもりで、それが海人の心配の種。いつか「空」男だけに、晴れ渡る空の下を歩いてほしいと、海人は切に思っている。

春山と武島。2人は地元徳島の高校で出会う。春山に誘われ、武島は一緒に野球部に入部。春山とバッテリーを組む。当初の春山は親の影響もあってリーダー気質なところがあり、無理やり武島をリードしようと高圧的な一面があった。しかし、蓋を開けてみれば野球の技術、センス共に武島の方がはるかに優れており、武島はすぐに地元でも有名な選手になった。実態としてはむしろ春山の方が野球部内でポンコツ扱いされているのだが、当の春山は全く気づかず「武島という怪物を育てた俺へのやっかみで風当たりが強いぜ…名コーチの気持ち分かるぜ…」などと言う始末。一方武島も、どれだけ春山がヘマをしても、野球という素晴らしい世界に自分を連れて行ってくれた彼への感謝を忘れず、そのため彼を見限ることも無かった。他のメンバーからしたら、なぜ武島が春山なんかとつるんでいるのか謎で仕方なかった(というかそれくらい部への貢献度に差があった)のだが、武島はそれを意に介さなかった。その後、武島は怪我をして、野球のプロの道を断念せざるを得なくなるのだが、そんな時、春山は彼の面倒を見てくれ、武島はその春山の気遣いにも感謝した。2人の絆は更に深まっていった。

高校卒業後、武島は、ライフセイバーを志す。理由は、弟が海でおぼれた時に、ライフセイバーが間一髪で助けてくれたことがあったから。武島はライフセイバーの講習を受けながら、海の家でアルバイトを始めた。しかしここで武島は大きな壁にぶち当たる。彼の泳ぎ方は、とにかく気持ち悪かったのだ!それはこの世の者とは思えない泳ぎ方。噂では、助けようとした子供と、その子供に近づいてきたサメの両方が逃げていったと言われるほどだった。なかなかライフセイバーで一本立ちできない武島。その間、海で泳ぐ子供達に何かできないかと考えた武島は、たまたまテレビでやっていた芸人の一発芸を見て閃き、地元瀬戸内の海の家で、子供達向けの小さなショーを開き、海の危険を伝えていこうとする。

その頃春山は、スターを夢見て単身、ノープランで上京していた。春山は高校野球部に入って、自分が野球選手には向いていないことに(遅ればせながら)気づいた。しかし、自分がスターになることを信じて疑わなかった春山は、テレビで脚光を浴びるお笑い芸人を見て、「そうだ、俺はお笑い芸人になるべき男だったんだ!」と考えを改めたのだ。というわけで彼は東京へ出てきて、フリー芸人のライブでピン芸人として活動していたのである。だが、もともとお笑いのセンスがあるわけでは無い春山。残念ながらどこのライブでも軒並みスベり倒してしまう。本人は「客が悪かった」だの「今は相方を探していて品定め期間」だの、言い訳をつけて現実を受け入れない。そんな様子なので、当然他の誰からも声はかからず、コンビを組む相方も見つからなかった。

それからしばらくして。武島はライフセイバーとして活動していたが、依然泳ぎ方は気持ち悪いまま。むしろ海の家でピン芸を披露するお兄さんとして近所で話題になっており、武島自身ライフセイバーは自分に向いてないのでは…と思い始めていた。そんな武島が、ぼーっと海を眺めていると、浜辺に何か黒い塊が転がっている。巨大な海藻の塊のようだ。

武島「何だこれは…」

絡みつく無数の海藻の塊にゆっくり手を入れる。すると…海藻の中から出てきたのは…

春山「か…海人…」(ワカメの塊から顔だけ出ていて)
武島「晃一!!??」

春山から聞いたところによると、(日本でスベり続けたこともあり)外国の方が俺を受け入れてくれるんじゃないかと、単身オーストラリアに向かったところ、そこに向かう船が氷山にぶつかり、海に投げ出されたのだという。そして春山は海流に乗ってここ、徳島にたどり着いたのだとか。まさに奇跡の生還。我ながらミラクルが過ぎるけどな…と笑う春山。

春山「船の上の楽団が偉かったね。あいつらは船が沈み行く最中も決して演奏を止めることは無かった。ああいうエンターテイナーに俺もなりたいぜ…」
武島「晃一…その…日本からオーストラリアに行く最中に、氷山があったんだな…氷山が」
春山「………(フッと笑って)それもミラクルだよな」
武島「………」

(久々の再会だしな…。)
武島は、絶対盛っているであろう、春山のこのエピソードの全てを呑み込んだ。

その後、春山は武島を東京に誘い、一緒にお笑いをやろうと口説く。武島は急に何を言いだすんだこいつは、と面食らった。こいつはいつも突飛なことを言う。しかし武島には、そんな春山がかつて自分を野球に誘ってくれたあの時の彼と重なっていた。どのみちライフセイバーにはなれない。だったら、芸人になって、今海の家でやっているように、海の危険性を子供達に伝えていければ、自分の夢も叶う。ここは思い切って春山と一緒に頑張ってみるか…武島の気持ちは固まった。こうして「グットバッティング青春」は誕生した。

ネタは武島が春山の乱発するボケを間引くことでネタを見やすくするという作り方。しかし基本は2人の元気さが売りだった。笑響芸能事務所社長の和田は、当時、女性コンビが事務所にいないと思い、フリー芸人の中で見所を感じた女子高生コンビ「グッドラーニング」に、後日事務所のオーディションを受けないかと声をかけた。しかし取り次いだ担当者の間違いでグッドバッティング青春が来てしまうというハプニングが発生。和田は困ったが、「笑響芸能事務所の社長スカウトと聞いてやってまいりました!グッドバッティング春山です!社長スカウトの春山と、同じく社長スカウトの武島です!」と言う春山の自信満々の自己紹介の手前、人違いでしたとは言えず、仕方なくオーディションを行うことに。

その結果、ネタは全く面白く無かったものの、その元気なキャラは評価され、かつ今まで事務所にいない芸風だったこともあり、意外にも和田は高評価。これも不思議な縁だしな…と和田が彼らとの出会いを面白がって、所属が決まった。

ハピネスコマンダー


紀月明と紀月照の2人。彼らは双子の兄弟だ。父親はレジェンド芸人、赤星大次郎。既に大次郎と母親の美雨は離婚していて、2人は美雨が一人で育てた。美雨は、大次郎のことを2人に隠してきた。そのため彼らは父親のことを知らずに育つ。美雨は当初、2人が物心ついた時に、全てを話そうと思っていた。しかし、明と照はテレビの世界で活躍する大次郎に憧れを抱く一方で、美雨を捨てた父親のことを憎んでいた(特に兄の照は)。自分達の憎む父親が、憧れの人だと分かったら、ショックを受けるに違いない…。美雨は、本当のことを2人に言えずにいた。

しかし美雨は苦しんだ。すくすくと育つ息子たちが、徐々に大次郎に似てくるからだ。顔つきはもちろん、仕草や、笑いのツボなども。その一つ一つに、美雨は大次郎の面影を感じていた。そして何より…。美雨はできるだけ2人をお笑いから遠ざけて育ててきたのに、なんの因果か、2人はお笑いにのめり込むようになっていく。それも異常なスピードで。2人があどけなくテレビで映る満天の掛け合いを真似している姿は、美雨にとってはあまりにも辛いものがあった。もちろん2人はこのことを知らない。お笑い番組を美雨が見たがらないのは、きっと僕たちの教育に悪いと思っているからだ、と二人は思った。だから彼らは勉強もしっかりやった。母を心配させたくなかったからだ。そして彼らは勉強の傍で、お笑いの研究もし始めた。中学1年生の時、学園祭で漫才を披露。それを見た美雨は恐れた。その姿が完全に大次郎と重なったのだ。美雨は、もう隠しているのも限界かと思い始めていた。

二人ももう中学生。自分の父親が誰なのかを知りたがっていた。どうして母は父のことを話したがらないのだろうか…そんな風に思っていたある日、照と明は美雨の部屋から、一枚の写真を見つけてしまう。舞台の上に立つスタッフ一同。そしてその中に美雨がいて。その真ん中に写っていたのはーーー。満天の2人だった。

明は大興奮。母親が昔、舞台の照明スタッフとして働いていたのは知っていた。しかし、まさか満天のライブイベントでも働いていたとは!どうして教えてくれなかったんだよ!スゲーじゃん、母さん!母さんもお笑い好きだったのかよ!!と美雨に詰め寄る明。そのまっすぐな明の質問を受け止めきれない美雨は黙ってしまう。察しのいい兄の照は、この美雨の沈黙の意味に気づいていた。

こうして。中学三年生の夏、美雨は、2人の父親が赤星大次郎であるということを告白したのだった。ショックを受ける2人。純粋にお笑い芸人への憧れが強かった明は赤星が父だと知って喜んだが、照は(兄として)母親と自分達兄弟を捨てた父親を憎んでおり、赤星を憎み始める。モチベーションの種類は違うが、結果2人とも赤星大次郎を強く意識した。これがもともと二人が持っていたお笑いへの憧れと一つにつながり、二人が真剣に芸人を志す強い動機となる。コンビ名は「ハピネスコマンダー」。大次郎に到達し、なぜ大次郎が自分たちの元を去ったのか、いつかその真実を知りたいんだという、二人の強い気持ちの表れだった。独学でお笑いを勉強する2人。高校1年の時に高校生漫才大会で優勝。その後もアマチュアの大会でタイトルを獲り続ける。

プロへのスカウトは高校在学中の時からあったのだが、大学を卒業するまでプロにはならないと決めていた。母親の美雨を安心させたいという思いと、高校生コンビなどというキャッチで売り出されるのではなく、れっきとした実力でのし上がりたいと考えていたためだった。しっかりしたビジョンを見据え、学業とお笑いを両立する姿勢に、2人を母親として応援しなければという美雨の覚悟も決まった。

大次郎は、美雨を通して、2人が芸人を目指したことを知る。美雨には「俺ができることは何もない」と言う大次郎だったが、密かに笑響芸能事務所社長の和田に声をかける。 和田は、かつての満天のマネージャーだった。大次郎は、和田に言う。もし彼らに光るものを感じたら、お前の事務所で面倒を見てやってくれないか、と。

大次郎が和田に声をかけたのは、和田が最も信頼できる男であり、彼がコネや忖度で動く男では無いと知っていたからだ。和田なら、2人の将来性を正しくジャッジできる…そう、大次郎は読んでいた。和田はこの申し出を快諾。ハピネスコマンダーが出演するライブステージをお忍びで見に行った和田は、その帰り道、すぐに大次郎に電話をかけた。

「大次郎さん。彼ら、うちに所属させてください。
ダメだ。きっと大化けします。あの二人は紛れもなく、あなたの子でした」

こうしてハピネスコマンダーは、笑響芸能事務所に所属となった。

和田と大次郎のこのやりとりを、当時の2人は知らない。