私のナイフとフォークでの食事
デビューは横浜のレストランだ
った。1960年代、幼稚園の年長
の時だ。
人様のお宅に訪問した時に、
母が応接間で長話になっていたら
「お母様、そろそろおいとまし
ましょう」と言っていた頃。
テーブルマナーは父から教わった。
父は日本で初めて純国産自動車
を作った人から教わった。
大正時代に国費留学でフランス
に自動車工学を学ぶために渡航
し、その足でアメリカに渡り帰
国して日本の自動車産業に多大
な足跡を残した人物だった。
東工大卒。先祖は秀吉側近の堀
久太郎秀政で、直系子孫だった。
父も相当目をかけられたが、
その人は私の事もよく可愛がっ
てくれた。
初めてのナイフとフォークの会食
の前に家で練習食事(笑)で父に
仕込まれたが、いざレストラン
で実地体験してみたら、困った
事が起きた。
ナイフが切れない!
見たら、刃先が丸まっている。
どのナイフも。
幸い、柔らかい肉料理だったので
難なくこなせたが、あのナイフの
切れなさには閉口した。というか
戸惑った。
カミソリのように切れなくとも
肉片を断裂させずに切れる肉の
仕上げがある本格料理を知らな
かったのだ。
だからこそ、レストランのテー
ブルナイフはまるでバターナイフ
のように刃引きされているのだ。
だが、かなり後年、疑問が湧いた。
でも、どこのレストランでも、
切れないナイフが定番だぞ、と。
変なの、と。
大きな硬い肉片を切るシーンでも
出てくるナイフはバターナイフ然
としたものばかりだったからだ。
多分日本人が開発発明したのかも
しれないが、ある時期からテーブ
ルナイフにギザ刃のついた物が
登場し始めた。ステーキなどは
それで切るのだが、それまでの
バターナイフ刃引き物に比べた
ら隔絶された切れ味を示す。
本場おフランスあたりでは切れな
い肉など出さないが、アメリカン
ステーキなどではあの刃引きでは
切れない。そして肉を潰すので、
焼きが台無しになる。
研ぎ上げたナイフのように切れる
テーブルナイフの登場には私は瞠
目した。
年齢が進み、先輩同僚後輩親戚等
の結婚式に出席するようになった。
また、仲人も務める年齢にもなっ
た。
テーブルナイフとフォークを使え
るようになっていて良かったと
思ったのは、そうした社会的な
セレモニーに出席する際に、お招
き頂いた方々に恥をかかせるよう
な食事作法にはならなかった事だ。
自分が恥をかくのではない。
招いてくれた人と自分の親が恥を
かくのだ。
躾られていて良かったと親に感謝
した。
それと、これは躾ではなく自分から
進んで学んだ事だが、筆で文字が
書けるようになっていて良かった
と感じた。
冠婚葬祭等で芳名録などに住所氏
名を手書きする時、日本人らしく
ちゃんと毛筆で文字が書けるよう
に学習して来た事が、そうした
社会的な公の場で活きた。
また、留学で来日していた外国人
の剣友と惜別の時にも、自作の
漢詩を毛筆でその場でフッとした
ためて渡す事も、日本を去る友か
ら喜ばれた。
作法は身につけていたほうが良い。
できれば、子がいるならば、その
子が幼い時から躾はきちんとやっ
ておいたほうが良い。
その子が公の場で恥をかかないよ
うに。また、人に恥をかかせない
ように。
情操教育と共に、子の躾は人の
社会では絶対的に必要だ。