山上徹也容疑者の全ツイートの内容分析から見えた、その孤独な政治的世界

伊藤 昌亮 プロフィール

なぜリベラル派を嫌うのか

このように彼は、嫌韓、歴史修正主義、排外主義、弱者男性論など、ネット右派に特有の主張に強くコミットしている。そうしたことからすると、その政治的傾向としてまず挙げられるのは、ネット右派的だという点だろう。

ただしこの場合のネット右派とは、とくに1990年代以降に現れてきた、いわば「新右派」を指すものだ。一方で彼の場合には、それ以前からの「旧右派」、つまり従来の保守派に特有のいくつかの主張にもコミットしている。

 

ここで3番目・4番目に言及度が高いテーマ、[左派・リベラル][憲法・安保]を見てみよう。これらのテーマは相互の関連度が非常に高く、また、[中国][アメリカ][自民党][安倍]との関連度がともに高い。一連の政治的な議論、とくに米中関係を軸とする外交問題の枠組みの中で語られていることがわかるだろう。

とくに[憲法・安保]に関わる語で出現度が高いのは、「憲法」「集団的自衛権」「安保」「違憲」「自衛隊」などだ。これらの語を多用しながら彼は、集団的自衛権容認、憲法改正賛成など、保守派の主張に則って議論を展開している。

ただしそこでの議論は、それらに賛成するというかたちで行われるよりも、反対しているリベラル派を批判するというかたちで行われることのほうが多い。これら2つのテーマの関連度が非常に高いのはそのためであり、また、憲法・安保問題を語っているにもかかわらず、[左派・リベラル]のほうが[憲法・安保]よりも言及度が高いのもそのためだ。

さらにそこでの批判は、フェミニズムや反差別運動への批判の際とは異なる調子で行われることが多い。小馬鹿にするようなシニカルな調子が目立ち、そのためこれら2つのテーマでは、嘲笑度が非常に高くなっている一方で、憎悪度はそれほど高くない。自らの私的な事情を踏まえた問題ではないので、怨恨感情が入り込む余地がないからだろう。

このように彼は、嫌韓や弱者男性論など、新右派に特有の主張には憎悪とともにコミットし、憲法・安保問題など、旧右派に特有の主張には嘲笑とともにコミットしている。そこでの批判はいずれもリベラル派に向けられたものであり、そのため総じて彼の議論は、反リベラルというより大きな主張を構成するものとなっている。

では彼は、なぜそれほどリベラル派を嫌うのだろうか。その答えはこれまでも見てきたように、強者と弱者、加害者と被害者という関係の認定をめぐる問題にある。

つまりリベラル派は女性やエスニックマイノリティなど、弱者を助けようとして声を上げるが、しかし彼自身は、そこで助けられるべき存在にはリストされていない。それどころかミソジニスト、レイシストとして、それらの弱者を迫害している加害者にリストされてしまっている。

統一教会という明確な加害者による被害者であり、助けられるべき存在であることは明白なのに、そうした自分が助けられないどころか、逆に責められてしまうとはどういうことか。だとすれば、弱者を助けようというリベラル派の姿勢とは何なのか。その当否はともかくとして、そうした思いが彼にはあるのだろう。

そのためか、彼は「左翼の非人間性」を指摘しながら嘲笑的に言う。「『もっと弱者を助けろ』と言う左翼や左翼支持者が『私一人が負担を負おう』なんて言うのオレは聞いた事ないけどな(笑)」。

こうした考え方は日本のネット右派のみならず、アメリカのオルトライトなど、今日の世界を覆っている右派ポピュリズムに特有のものだ。そうした潮流の中に彼もまた位置しているのだろう。

関連記事