文中黒字化と*は芥川。

幼い頃の私は母から聞いた話をもとに、日本といえば甘いミカン、毎日のように入れるお風呂、親切な人々、この三つの印象を強くしていた。

いつかは叔父さんたちのいる日本に行って、思いっきりミカンを食べ、お風呂に入ろうと、そんな気持ちで日本を思っていた。

母から口移しに教わったわずかな日本の言葉を知っているのが得意だった私。

「日本は景色がきれいでね・・・」など母から聞いた話の断片、幼い頃の私には、日本は近くて親しみのある国だった。

親以外のまわりの大人たちから聞かされた話もまた、日本に対して悪い印象を語ったものはほとんどなかった。

それが小学校に入り学年を重ねていくにつれ、「日本人はいかに韓国にひどいことをしたか」ということをだんだんと教えられることになる。

学校の黒板の上には、真ん中に大統領の写真が掲げられ、その両脇に「反共」「反日」と大きく書かれたポスターが貼ってあった。

反共の「共」はそのまま北朝鮮を指し、いかに共産主義が邪悪で恐ろしい思想かを教わり、その一方で日本人が韓国人に対していかにひどいことをしたかを
教わる。

戦後の韓国は、この二つの中心軸をもって民族主義的なイデオロギー教育を徹底させてきた。

韓国の教科書は全国統一の国定教科書だが、中学校の国史の教科書では、近代日韓関係の流れは次のようなトーンで語られる。

「日本は武力を背景にして侵略の野心をむき出しにしてきた」(日朝修好条約前後)

「日帝の武力による全面的な侵略によって、国が弾圧された」(日清戦争前後)

「義士と義兵たちは救国抗戦し、祖国を守るために民族の底力を発揮した」(日露戦争前後)

「1910年、日帝の植民地政策に束縛されることになったわが民族は、光復(戦後の解放)を得るまでの間、植民地政策に対して自主救国運動を展開した」(併合以後)

「日帝は植民地統治の中枢機関として朝鮮総督府をソウルに設置し、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行い、支配体制の確立に力を
注いだ」                            ( 同 )

「ソウルのパゴダ公園に集まっていた各級の学生たちと愛国市民たちが市街地に出てデモを展開した。・・・全民族がこれに参加し、太極旗の波と大韓独立
万歳を叫ぶ喚声は、全国の隅から隅まで波及し広がっていった」 (3・1独立運動)

「これにあわてた日帝は、憲兵・警察はもちろん陸・海軍まで緊急出動させた。

平和的なデモを通して正当な要求を主張したわが民族は、無差別な銃撃によって殺傷され、破壊されるなどひどい受難を被った」 ( 同 )

以下続く。

http://dengon.holy.jp/kyk02.htmlから。

*芥川は、この様な教育であったと、今日、初めて知ったのであるが、少なくとも、過去20年超、35年超、韓国でこんな教育が為され続けていたのに、放置し続けて来た、こういうファシズムが20世紀の後半から21世紀の今に至るも、存在し続けた事を、国連に提訴もしないで来た、日本の職業作家や、知識人、マスメディアの論説委員たちを、今、芥川は、激しく軽蔑する。