朝鮮人より日本国民に「合邦希望」の電報が送られていた。 | 午後のカフェ・オレ
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朝鮮半島は、歴史上約1000回以上も中国から侵略され、長い間、中国の属国にされていたのですが、わが国が日清戦争で勝利した時、宗主国中国に朝鮮の独立を認めさせました。

また朝鮮半島には、中国だけではなく軍事大国ロシアの潜在的脅威も大きく、日露戦争でわが国が勝利したことで、朝鮮人が「合邦」を希望する電報を、日本へ大量に打つことになったのです。

朝鮮人団体「一進会」(100万人)李容九会長の訳文の冒頭に、「幣会が『日韓合邦』の議を提出せしば、決して独断的に出したものではなく、各階級との連絡を通し、一般人民の不同意少なきを確かめ……」て、決行したことを綴っています。

日本政府は1910年8月29日「韓国併合に関する宣言」を以下の10ヵ国「ドイツ、米国、オーストラリア、ハンガリー帝国、ベルギー、清国(中国)デンマーク、フランス、イギリス、ロシア」に発し、承認されていました。
当時の朝鮮半島は、ロシア、中国が自らの勢力拡大に跋扈していました。
1884年12月中国(清国)が朝鮮に派兵し、独立党のクーデターを潰した勢いで日本公使館を焼き払い、婦女子など多くの日本居留民が惨殺されました。

日本は、1895年3月「三国干渉」を押しつけられると、韓国は、日露戦争開戦を前にして突然「中立声明」を発しましたが、前提条件として自ら他国の軍隊を排除することが必要なのですが、そのときすでにロシア軍は京城を制圧してました。

そして韓国は、日露開戦で日本が有利になると突然「親日」にしゃく変し、「日韓合邦」への道に至ります。

それを決定づけたのは1909年、朝鮮半島の独立を支持していた伊藤博文総監をテロリストがハルビンで暗殺したことです。
(参考、ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実 水間政憲著)


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