【私の主張①】

テーマ:

『なんなら、今度blogに綴りましょうか…』 

《ブログ1》

このblogのなかで、私がつぶやいた言葉です

口にした以上はその言葉に責任が伴うものですから、きちんとblogに綴ります

ちなみに【娘の主張】とは

《ブログ2》

こちらのblogのことです

《ブログ1》に綴ったとおり、ビーチの主張を耳にしたときは彼女の迫力に圧巻しつつも、我が娘ながら鋭い洞察力と冴えた見解に思わず納得・感心したのです

それでも、当時の私はリブログさせていただいたミョウガさんのblogのなかで以前コメントを差し上げた時の気持ちのまま…ピーチの主張に理解を示しつつも私自身は以前の思いを覆せずにおりました

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今となってみて、つくづく思うのです

あのときミョウガさんへ、私よりもピーチからコメント差し上げたほうが彼女にとって、ずっと心添えになりチカラになれたのではないかしら…と。


そこで、今回は娘ピーチではなく【私の主張】として掲載するにあたり、慰安婦におけるこれまでの私の思考経緯をお話しようと思います

……*……*……*……

改めまして、まずはじめに私のこのblogをお読みになる皆さまへお伝え致します

私の思考経緯を…となりますと、どうしても話の流れのなかで、かつての出来事をふりかえることになります。そのため過去のトラブルの内容も含まれますが、それは私の本意ではございません

ただ当時のことをすでにご存知の方々もおられるなか、あえて包み隠すことなく表現したいと考えております

なにぶん日本語ネイティブではない私がゆえ、拙い文章で失礼が生じるかもしれませんが、今さら過去を蒸し返すつもりも、また中傷の意図も一切ないものとしてお察しくださいますよう予めご理解・ご許容をお願いしたく申しあげます

また私のリア友である方々につきましては全員すでに了承済みでございます

……※……※……※……

慰安婦といえば、その背景は『戦争』です

私が日米ハーフであるからでしょうか?

かつてのWorld war Ⅱについて話をしたがる人(特に日本人)がとても多いと子どもの頃から感じてきたことです

それについてべつに私は拒みませんし、なんら不快を感じることもありません

なぜなら、私のふたりの祖父はそれぞれ🇺🇸海軍、🇯🇵陸軍として出征しており、ふたりが無事に生還できたおかげで私自身こうして今を生かされているからであって、あの戦争は私が生まれる以前の過去のこととはいえ、もはや私にとって切り離すことなどできない出来事なのです

そのためか、軍・militaryに対して真っ向否定や批判をしたくはないといった意識が心の根底にございます

誰しも家族や友人を悪く言われたくはありません

軍・militaryを批判することは、ふたりの祖父や戦死した友人らの生きざままでをも否定してしまう…大袈裟かもしれないけれど、そんな気がしてとてもイヤなのです

かといって、戦争に肯定的ということでは決してなく、みなさまもご存知のとおり私は反戦思想の持ち主であります

つまり【戦争=回避すべきこと】なのは確かであり【軍人=野蛮な殺人鬼】といった式はあてはまらないという思想です

人の感性はさまざまですが、軍人となるキッカケも人それぞれであって、日本の場合は徴兵制度で半強制的ですがアメリカの場合は志願制度でありながらもあの大戦に於いては徴兵も行われておりました


日本のおじいちゃんが遺してくれた数々の言葉のなかのひとつに

『日本人だけではなくアメリカ人も…世界中の多くの人たちの命が、あの戦争で犠牲になったんだ。その犠牲のもとに、日本はこうして平和な国になれた…そのことを決して忘れないでいてほしい』

という言葉があります


『忘れないでいてほしい』


自ら体験してもいないのに『忘れないで』と言われても、当時中学1年生だった私にとっておじいちゃんのこの言葉はどうもしっくりこなくて、複雑で重いものに感じました

ただありのままに、あえて美化せず軍人であった彼らに対しネガティブな感情を抱くようなことがあっては決してならないと子どもの頃から考えていました

またひとくちに【戦争】といっても私はイラク戦争やロシア・ウクライナ戦争の話に今は極力触れたくありません

それは友人を亡くしてるからです

月日が経てば話せるかもしれませんが、今は無理です

思い出したくもないほどの辛い感情がこみ上げてきてしまい

『なぜ彼らが死なければならなかったの?』といったやるせなさがどうしても拭えないからです

戦争…

どれも同じである事にかわりはないのに、置かれた状況や立場によってこのように思いがブレてしまうことはワガママで身勝手なようでとても恐縮ですが本音でございます

そしてある意味、これは人としての当然の心理ではなかろうかと考えさせられるのです

かつて911テロを目の当たりにした身でもあり、私自身が戦争を知らない人間ではないからかもしれませんが、持論として戦争というものは客観視でないと(感情が絡んでしまっては)容易く語ることなどできないものだと思えてなりません

そんななか、私が信じていることがあります

たとえどんな悲惨な出来事が起きようとも、起きてしまったことはいくら足掻いても何年経過しようとも、その過去を変えることなどできません

そのなかで、今を生きる人間になにが出来るのかといえば、双方の国の人々が互いに理解しあおうと努めて建設的(あくまで悲観的にならず)に語り合うこと。それによって次世代のために大いに貢献され平和な未来を築く一歩に繋がる…

そう考え信じてやまないのです

とはいえ、アメリカはみなさんもご存知のとおり核保有国であり、いつだって戦争に絡んでしまってる国であり、そして日本と違って世界に敵が多い国です

だからこそ、戦後半世紀以上もの間【戦争ができないのではなく、しない国】を貫き通している日本のあり方に私は敬意と誇りを感じています

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ただ、とても不思議で残念な思いもあります

私がこれらの質問をしたら、果たして日本の皆さんはどう応えるのでしょうか?

🍋『なぜ日本は被爆国としての主張を世界に向けて発信しようとせず核開発承認国のなかにいるのでしょうか?』

また

🍋『なぜ日本はかつてアメリカによって投下された2発の原子力爆弾に抗議する姿勢をみせないのでしょうか?』

かつて私は日本人の友人と上記について会話を交わしたことがあります

そのとき広島出身のSさんはこのように応えてくれました

『日本は戦争で負けた国、いわば敗戦国。アメリカに対して抗議なんて出来る立場ではないもの…情けないけど日本はアメリカの傘の下にいることで安全の保証を得られてるも同然の国なの。だいいち、かつて昭和天皇が公の場でこう言った以上、誰も何も言えるはずがないのよ…』

1975年、私はまだ生まれてもいません

『原爆投下はやむを得ないことと、私は思ってます』

昭和天皇のこの言葉に私は正直愕然としました

皇室や天皇に関心を示さないアメリカ人

私も決して例外ではございませんが…

ただ、日本に於いて天皇といえば今でこそシンボルでありますが、古くから神として崇められていた尊い存在であります

現にかつて『天皇陛下万歳!』と言いながら出陣し散っていった大勢の日本兵がおりました


私が子どもだった頃は例年クリスマスをアメリカで過ごし、お正月に向けて来日し新年を日本で迎える…そんな年末年始のスタンスが恒例でした

新たな年を迎えて挨拶を交わしお年玉をいただくと、みんなでお雑煮をごちそうになって皇居の一般参賀へ出向き、そのまま靖国神社へ初詣に出かけてたのです

当時深く考えたこともありませんでしたが、ガラス越しで手を振っていたヨボヨボのおじいさんが昭和天皇だったのです

戦中『靖国で会おう』と口にしながら散っていったかつての戦友たちを偲びながら、おじいちゃんは年始めに挨拶したかったのでしょう

昭和天皇といえばそれくらいしか私には思い入れがありませんが、戦後D.MacArthurとの対談において命乞いをするかと思ったら意外にもそうではなかった彼の人間性に惹かれたとされる言い伝えがあります

天皇は戦犯から免れて日本国のシンボルとして継承され、それによって日本は植民地になることはなく沖縄こそ占領されたものの独立国であることが許されました

天皇=神と綺麗に洗脳されていた当時の日本人があまりに多すぎたという説もさることながら、これまでの日本人に根付いていた鬼畜米英といった思想から反逆暴動の勢いを抑える計らいやアメリカへの忠誠を煽るために仕向けたパフォーマンスであると…現に他の連合国からは天皇を処刑すべきだといった声が強かったにも関わらずアメリカの独断ともいえる判断によって天皇を処刑しなかった…などといった言い伝え?!もあり、定かではありませんが。

ただどちらにせよ、私は昭和天皇のこの言葉には強い憤りを感じています

Sさんはこうも続けました

『ひどいでしょ?かつての広島県民として、昭和天皇にはガッカリ。なぜ原爆投下される前に降伏しなかったの?って思うわ。勝ち目のない争いでも見境なく突きすすもうとする無謀なとこは日本のよくない部分で、昭和天皇としてもそれを悔やんでるからこう言うしか他なかったのでしょうけど、それにしても…って思うのよ。平成天皇には好感もてるのだけれどね…』(当時は平成時代)

Sさんの主張はごもっともで、ましては広島や長崎の人々であれば当然の思いでしょう

でも私は思うのです

昭和天皇…日本人にとってとても尊い方だと思われます

でも彼がこう言ったから…ではなく、またかつての戦争で日本が敗けたから…でもなく、今、生かされてる日本人が世界平和を真に願うのならば、アメリカの傘の下にすっぽり入ってしまうのではなくて強い姿勢でもって抗議しなくてはいけないんじゃないですか?

アメリカ人としても日本人としても私自身、このようなことは言いたくないですが、かつて2度も原子力爆弾を落とし日本を震撼させたアメリカです。その国の傘の下で平和を唱えるって…日本人のプライドは何処にあるのですか?

私はこれまでにも、かつてblogに綴ったこともありますしblogのなかのコメントで交わしてきたこともありますが、日本の政治家たちは与党も野党もみなアメリカをあてにしすぎてる気がします

いざとなればアメリカが助けてくれるとお考えなのか、日米安保条約をどこか履き違えてらっしゃるような気がしてなりません

もちろん、同盟国であるがゆえそれぞれの役割分担ってあります。頼れるとこは互いに頼っていいですし、日本に米軍基地があちこち点在してるため防衛面においてバリアーになってることは確かであって…それは間違いありませんけれど。

現在アメリカに守ってもらってる状態だから、かつての原爆投下はやむをえないことだと、そのように天皇をはじめ日本の政治家が仰有るのならば国民は少し考え直したほうがいいかと思うのです

『日本から武器を取り上げたのはアメリカ…』と言われてしまえばアメリカ人としては返す言葉もなくなりますが、日本がもっと独自に防衛力を強化することは今後大切な課題であると思うのです

先日東京で行われたJ.Bidenとの会談のあと岸田首相はそのような旨を発言してましたが、私は思わずaha?┐('~`;)┌と不安になりました

語弊のないよう付け加えときます

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決してかつてのような軍国国家になれと言ってるのではありません。国家予算を軍事力強化に充てろと言ってるのではないのですよ…

日本は被爆国として核はもたないというポリシーはkeepしてほしいし、世界における核断絶に向けトップをきって尽力してほしいのです

被爆国である日本だからこそ、その発信には説得力があるのです

むしろ日本でないと出来ないことなのです

なのに怠ってアメリカをはじめとする核保有国に媚びながら、ちゃっかし核開発承認国のなかにいる


『なぜ日本は、核開発承認国のなかにいるのでしょうか?』


憲法9条を守るということ

『日本国憲法は敗戦後アメリカによって押し付けられた憲法』などと卑屈なことを仰有る日本人が、かつておられました

けれど、私は憲法9条は日本の宝として、ぜひ大切に守っていくべきだと切に願っております


そんな私自身、日本とアメリカが戦争していたあの時代を生きたわけではありません

誰しもその時その場にいなければ、わからないことだらけです

ただ、当時を生きた人たちから話を聞くことや、遺された資料や文献などから概ねのことを理解することができます

なかにはフェイクであったり、国によって事実が隠されたり誤魔化されたりしながら人々が翻弄されたり洗脳されてしまったり…

文献においては書き手の感性が大きく反映されてしまうこともあるため、読み手によって大きく解釈が異ってしまうこともあるでしょう

そんななか、個人的な好き嫌いや偏見をも一切抜きにしたcleanな状態で、あくまでも【公平】に、さまざまな角度から眺めてみる重要性…

これまで重々わかっているつもりでいましたが、ここ最近になり私は強く感じております


以前綴ったこちらのblog

かれこれちょうど1年近く前のものになりますが

《プログ3》

このとき、私は【慰安婦の強制連行はあったのか?なかったのか?】をテーマに私なりにまとめあげてblogにしました

当時の私の意見は『あった』です

いゃ正確にいうのなら『あったのではないか』でしょうか

なぜなら《ブログ3》で綴ったとおり、リュウさんだけではなくリアルで親しくさせていただいてる私の韓国人の友人らも『強制連行はなかった』と強く主張しており、そんな彼らの話にもきちんと耳を傾けない限りわからないこと…そう思っていたから。

また、なによりも私自身が慰安婦というものについて、これまでの未熟な浅い知識のなか、ずっと同じように捉え思い続けてきたのか?!というと決してそうではなく、ゆりかごのように揺れ動いてきたからです

恥ずかしながら、慰安婦ってなに?といった時期もありました

また慰安婦を小出しにしながら執拗に日本に謝罪を求めてくる韓国に対して不審に思う時期もありました

『強制連行などなかった』として韓国の主張を突っぱねて応じようとしない安倍晋三氏がいて、そんな彼に対し胡散臭く感じながらも、やたら韓国の肩をもちながら日本を目の敵にしていたアメリカのH.Clintonの強い反日感情に対しても大きな不満を抱いておりましたから。


忘れもしません、2016🇺🇸大統領選挙

私は、H.Clintonには絶対にアメリカ大統領になってもらいたくなかったのです。だからといってD.Trumpもまったく冴えない…と、この最悪カードともいえる大統領選挙に当時まったく気乗りしませんでした

前B.Obamaに対しては、おそらく多くの日本人が好意的に感じてるのかと思われますが、私のなかではそれほどでもなくて期待を大きく裏切られた残念な思いもございます

『やる!』と言ってたはずの医療保険制度について成し遂げなかった事もひとつですが、なにより来日し広島原爆式典へ参列すると決まった時、私もGrandpaもかつてのアメリカによる原爆投下について日本に謝罪を述べると信じ期待をしたからです

けれど、彼の口から謝罪の言葉が出てくることはありませんでした   

『B.Obamaはいったい何をしに広島訪問したんだ?』

あのときのGrandpaの落胆した顔を今でも私は忘れることができません

日本に対してやりすぎてしまったことを、たったひとことでいいから、アメリカ大統領としてきちんとお詫びしてほしかったのに…

とても残念でした

ただそういったアメリカ人ばかりではなく

『お詫び?なぜそんなことするんだ?』

『日本に詫びる必要はないんだよ』

と仰有る退役軍人の方々も大勢おられました(おそらく、そういった方々のほうが多かったです)

彼らいわく

『広島と長崎については空からのビラでもって予告したのだ。日本に対して降伏する猶予を与えたのだよ。なのに降伏しなかった…その決断をした責任はすべて日本側にある』

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『戦争は勝者がすべてだ。敗者には何も言う権利などない。戦争とはそういうものだ』

と仰有いました

日本人としては納得いかない部分でもあり、当時は彼らへ食って掛かっていったこともありましたが、これはアメリカ退役軍人の方々ならではの当然の主張…大人になった今、そう納得もできます

もちろん、退役軍人ではない方々が口にしたらドン引きしちゃいますが…このあたり、アメリカ退役軍人へ対する思いというのでしょうか…日本人の方々とアメリカ人でもある私たちの間には感情のズレが生じるのは致し方ないことかと思われます

『アメリカは日本に対してやり過ぎてしまったことを悔い改めねばならない』といったGrandpaの主張は日本のルーツをもつ孫である兄や私への愛情でありながらも、彼ら同胞へ対する気遣いであったと思っています。だとしても、かなりレアなタイプかと思います

(もちろんGrandpa以外の退役軍人の方々も私たちのことは当然理解してくださっておりました)


このようにさまざまな感性をもつ人間が混在するのが【国】であって、万人が満足するような100%perfectな政策を施せるリーダーなどありえません

ここ近年の🇺🇸大統領のなかでいうのならB.Obamaは極めて善人であったかと思います

2016、私はやむを得ずD.Trumpに投じたのですが、4年間における彼による政策はハチャメチャすぎて悪夢でしかありませんでした

大ウソつきのナルシストは、まさに【裸の王様】そのものでアメリカにとっても、また世界にとっても前代未聞なひどい男でした

彼の【おともだち】である日本の安倍晋三氏も負けず劣らず目も当てられないひどい男でした

当時は日米首相ふたりして世界に恥をさらしておりましたが、ふたりリーダーから外れた今、たまに考えるときがあります

もし、H.Clintonと安倍晋三だったらどうだったんだろ?って……

ちなみにここでまた語弊があってはならないので捕捉します 

私は民主党支持者ですが、共和党の政策において真っ当から否定しているわけではございません

D.Trump政権以後~現在の共和党はまったく論外ですが、かつての『古きよき共和党』といわれた時代、両党がうまく牽制しあえていた時代の共和党の政策においては頷ける部分もあるからです

たとえば、課税におけること… 

高額所得者に課せられる高い税率を施す民主党の政策においては真の平等とはいえない気がして賛同できないのです

決して税金を納めたくないと言ってるのではありません。国政に納得いかないとき税金がつかわれることに納得できないのです。その分を寄付に充てたいとシビアに考えてしまうからです

そして税金は同じ税率で以ての納税でこそ平等といえると思うのです

また、H.Clintonに対する嫌悪感はなにも彼女の反日感情の強さに唖然とするだけに留まりません

夫が大統領だったときに中東との関係をめちゃくちゃにしたこと(結果、のちBush政権下でイラク戦争を引き起こし、多くの尊い若いmilitaryが犠牲となったこと)でアメリカ暗黒時代の発端だったことから【再びクリントン大統領の誕生】なんて考えたくもなかったからです

その他いろいろ…実は彼女における愚痴はブロ友の大湾節子さんのblogのなかで、かつて不躾にもたくさんコメントし吐かせていただいたことがありました

でもH.Clintonよりもやはり【裸の王様】の愚痴のほうが断然多かったですけどね(^^;

半年後の中間選挙、また気になるところですが(^^;

節子さん、その節は本当にありがとうございました

改めて感謝いたします


話が思いきりズレてしまいましたが

当時の私は慰安婦についてまったくといっていいほど理解しておらず無知でした

ただ執拗に謝罪を求めてくる韓国と、それに応じようとしないけどハッキリとした姿勢をみせるわけでもない日本と、どことなく韓国贔屓のアメリカと…どれもこれも違和感を感じていたのです


そんなときでした

あるBlogger(仮にAさんとします)のblogを訪ねたとき、慰安婦について綴られておりました

私はそのとき迂闊にも『レイプ』といった語彙を使ってコメントを差し上げました

するとAさんは私に憤慨なさり、これらのことをコメント返してこられたのです

↓↓

慰安婦であった女性は1日に複数人の日本軍人の相手を立て続けにさせられていた(外で並んで待っている軍人までもいて)

当時海軍に従事しのちに首相となった中曽根氏によって慰安所が設けられたが、戦時中にこういった施設を軍で以て設けていたのは旧日本軍だけだったetc…

コメントはすでに削除されてしまったようですが、Aさんは自ら韓国へ行かれ慰安婦であったというおばあさんとお会いし直に聞いたお話だと仰有ってました

今となっては矛盾を感じております

けれど、当時の私はAさんの主張をそのまま鵜呑みにし、ひとりの女性として自分の無知からくる軽はずみな発言でもってAさんからお叱りを受けたことをとても恥ずかしく思い悔やんだのです


タイムリーにも日系アメリカ人であるミキ・デザキ氏が慰安婦問題を取り上げた論争ドキュメンタリー映画・主戦場が上映されておりました

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たまたまAさんからお叱りを受けたばかりのときにこの映画をみた影響もあって、映画をみての感想はblogに綴ったとおりですが、今振り返ると当時の私はかなり偏見の目で以てこの映画をみていたと思います(当時ライムからも指摘されましたが…)

【強制連行を否定する】いわゆる日本の櫻井よしこ氏や杉田水脈氏らのことを、以前より私たちはどうしても好きになれず、もはや嫌いなのです

特に杉田氏に対してはなぜあのようなありえない失言を繰り返す女性が日本の国会議員なのか?不思議でなりません

櫻井氏に対しては、かつてGSOMIA問題の討論に於いて、アメリカが韓国を説得したにも関わらず『日本が韓国に勝利した』とトンチンカンなことを口走り、アメリカのことを『ジャイアンだから仕方ない』と嘲笑しながら貶していて、とても感じ悪く正直良いイメージありません

そしておふたりを含む強制連行否定派の方々が『映画にするなんて聞かされていない』として、デザキ氏を訴えておりました

【では、もし映画にすると予め聞かされていたとしたら、また違うように語ったのでしょうか?】

当時の私は、先入観から彼女らの主張を真っ向からすべてネガティブに捉えて否定していたのです

そして、私のなかで断定したのです

【強制連行はあった】んだとして。

あまりに短絡的すぎる浅はかな結論だったと思います

今になり冷静になって考えてみます

当時もし彼女らが『強制連行はあった』と語れば、私は『強制連行はなかった』と捉えたのかしら?

おそらく、そうであったかと思います

はっきりと『それは違います』と断言できません

なぜなら、慰安婦についてまた強制連行というものについて、当時の私にとってはまったくといっていいほど無知すぎて情報もなければ知る由もない事柄で漠然としすぎるものだったからです  

あくまでAさんから聞いた話と、対峙する双方の言い分をドキュメンタリーとして制作した映画・主戦場のみだったからです

その狭い視野のなかで、おそらく先入観に惑わされた見解をしたのではないでしょうか…と思われます


そんな時、考えさせられることが起きました

デザキ氏に対して訴訟を起こしてるおふたりをはじめとする強制連行否定派の日本人に対し、ニューヨークタイムスがこのように報じたのです

【小さいながらにも活発な日本の右翼が…】といった表現でもって痛烈に批判したのです

瞬く間に全米に大きな波紋を生み、在米日本人が不当な差別やイジメを受けることが増えていき、いわば人権差別問題が生じてしまったのです

特にCA州は全米で最も日系人の多い州であり慰安婦像をめぐり裁判沙汰にまでなりました

CA州在住の私の日本人の友人が

『私たちは右翼でも左翼でもないわ。なのに息子は学校で右翼呼わばりされ…私も見知らぬ人から突然''yellow jap''と…心外よ。ニューヨークタイムズをはじめ世論ではデザキ氏の映画や慰安婦像をネタにし日本をターゲットにして慰安婦…慰安婦…って言って日本ばかりを責め立ててるけど、だったら二日市保養所はどうなのよ?』

そう言いながら、慰安婦像において迷惑だと彼女は猛烈に大反対しておりました

ただひとくちにCA州といっても地区によってその温度差はさまざまであったようですが、裁判に於いてはCA州での慰安婦像の建立についてその風紀や秩序を乱すものという判決が下されました

この裁判に当時携わっていたひとりの弁護士のお話です

『多くの人たちが慰安婦像をめぐり履き違えておられるようです。アメリカに次々と建立されている慰安婦像は、在米日本人に対する当て付けではなくてアメリカがアメリカのために建立してるものなのに…。今回慰安婦像をめぐってこのような混乱を招き日系人差別の人権問題に発展してしまったことは国として大変遺憾であり、当然この判決は妥当なものであると思われます』

そして、恥ずかしくも私は友人の言い放った【二日市保養所】というものを知らずに、このとき初めて耳にしたのです

調べてみました

満州から引き揚げる際、その道中で日本人女性がソ連兵をはじめ他国軍人から強姦されたが、憔悴しきった日本兵には助けられるほどの力も術もなく云々…日本人婦女暴行によって身籠った命を中絶するための施設といった戦争によってもたらされた女性の屈辱を感じざるを得ないとても悲しい内容がそこに記されておりました

赤ちゃんにはなんら罪はないのに…


ちなみにニューヨークタイムズは、いわゆるリベラル紙といわれるメディアです

友人が勤めており、私たちも永年購読していますが時折日本を差別しとても悪く書き綴るような反日プロパガンダ的な報道表現が垣間見られるときがあり、そんなときはしばらく購読をストップします

人間誰しも、目にしたくないニュースや表現は敬遠するものです

それじゃダメだわ…と、最近になってようやく思えるようになれた次第ですが《ブログ3》を作成しUPした当時はイヤなものはイヤ…まだそこまで謙虚に省みることなどできませんでした

私としてはAさんへのかつての償い?名誉挽回?したいといった気持ちが、あの当時は正直ありました

大きなお腹をさすりながら図書館に通って本を借りて、まるで学生に戻った気分で単なる自己満足でありながらもとても満足だったのです
けれど、私にとって心揺るがす衝撃的なことがあったのです
大阪の社長夫人ことママさんとのやりとりです
彼女も決して櫻井よしこ氏を快く思ってるわけでも好んでるわけでもありません。けれどそういった偏見を一切拭い去っており、冷静に謙虚に捉えておられました
彼女のその姿勢に、私は自分にはない器を感じさせられた瞬間でした

学校で習うことのない歴史や、表沙汰にならず知られてない事実は、どこの国にも山ほどあるものだと思います
学校で習う歴史が必ずしも理にかなった正しいものなのか?といえばそうとは限りません
自国の都合のいいように書かれた教科書はどこの国も共通ですから、当然、国によって内容にズレが生じたりもします
中学生時代はそれもカルチャーショックのひとつでしたが、いつしかそういった違いを楽しむようになりました
たとえば、日本では8/15を【終戦】として定めてますが、アメリカではこの日は【対日勝戦記念日】であり終戦ではありません
アメリカにおける【終戦】はミズーリ号での調印でもっての9/2なのです
ちなみに韓国は?と思い、友人に尋ねてみると韓国での8/15は日本からの【独立記念日】として定められているそうです
日本も韓国もアメリカも8/15の捉え方がそれぞれ異なり、それは決して珍しいことではありませんし、どれが正しいも間違えもないと思うのです
アメリカで過ごした学生時代に数人の友人らと語りあったことがあります
アメリカ史の教科書には歴代大統領は載っていても起源であるネイティブアメリカンのことは載っていないことについて
『これって変、とてもおかしなことだ!』って。
戦争のことについても、アメリカ公文書にあるはずの当時の米英両首相らによる日本への挑発、また暗号でもって予め日本の奇襲を察知してたことなどは記されておりません
そして、原爆投下についても日本に2発投下したということは綴られていても、いつ?どこの都市へ?といった詳細については触れられていないのです
『パールハーバーまでも侵攻してきやがって』
『原爆投下したことで、アメリカがあの戦争を終わらせてやった』
などといった恥ずかしい発言しちゃうアメリカ人が多いのもそのためです 
自国の教科書だけの知識のままで、それ以上突っ込もうとしなければ到底わかるはずなどありません
また黒船に乗ってきたペリーは日本でとても有名で日本史上に於いて重要人物なのでしょうが、アメリカではペリーなんて人物は微塵たりとも教科書に出てこないので知ってる子どもはいないのでは?と思われます
                                                                                 そして、なによりこのblogに寄せていただいたコメントのなかで、okinawahisuiことひすいちゃんが教えてくださった【知る人ぞ知る隠された沖縄戦での真実】

眼から鱗でした

当時も、そして現在においても🇺🇸militaryによる強姦や婦女暴行はあとを絶えません

私も苛立ちとやるせなさを感じてます

そして、それを本土のアメリカ人はまったく知るすべもないことに更に憤りを覚えてしまいます

けれど日本人もどうかしてると思うのです

広島にしても、長崎にしても、そして沖縄にしても、県民以外の人たちは興味すら示さず知らんぷりな人が多すぎませんか?

自分がそこにいないから関係ないとばかりに、口にしてみても行動が伴わない人ばかりなのでしょうか?

《ブログ4》

子どもの頃はてっきり日本全国の学校でそうだと思ってたそうです。でもあるとき、ふと広島だけなんだって事に気づかされたと話してくれました

『(意識も行動も)他県の人達とはちがうんだって思い知らされたの』

『考えてみれば8/9は広島では休みだったから、長崎の人も同じように思ってるんだろうね…』

この話を聞いたとき、とてももどかしかったです


《ブログ4》にて貼付したシーサーとキジムナーさんのblogのなかでコメント交わしたとおり、日本のメディアでお偉いさんが

『まったく遺憾です。断固アメリカへ抗議します』

と発言してるとはいえ

いつ?日本の誰が?アメリカの誰に?どのように伝えたの?かについては、その後一切伝えられていないから誰も知るすべないのです

実際は、その場だけ口だけでまったく抗議などしてないかもしれません…

メディアは伝えぱなしのまま…

人々はそんなメディアへ問い合わせたり抗議したり、そのお偉いさんにツッコミするわけでもなく、ただ🇺🇸militaryを批判してばかり(それも直にではなく)で、それじゃまったく先にすすめないし解決の糸口なんてみつかるはずありません

一部の厭らしいmilitaryのせいで、真っ当なmilitaryや私ら在日アメリカ人までもが迷惑被るのは、まっぴら御免なのです

ちょうどそんな憤りを感じていた時だっただけに、

彼からの【公になってないけれど沖縄史実の大切なこと】を綴られたコメントに、私の心が救われたのです

それと同時に、表沙汰ではない隠された歴史と真実を突き詰めようとする大切さを改めて痛感させられた瞬間でもありました


慰安婦について話を戻します

NY州ではかれこれ数年ほど前からすべての公立校の教科書に載るようになりましたが、私が子どもの頃はまったく知る由もないことでした
(日本での教育においてもそうでしたが)

そこで、言葉の壁?国民性の違い?を感じざるを得ないトラブルが生じました
《ブログ5》

《ブログ3》の掲載をあたって、私はネトウヨだという疑惑をかけられてしまったのです

それについて直接ご本人のblogへ抗議のコメントを差し上げると彼女はすぐに訂正・謝罪のblogをUPしてくださりました

そのことを《ブログ5》でもって公表したのです

そして私のこちらのblogにもコメントを寄せてくださりました

そのとき彼女の誠意を感じたのです

なぜ私をネトウヨ呼わばりしたのか?という質問に対して『慰安婦はレイプなのです』と主張なさっておられました

以前、私がAさんに対して『レイプ』と迂闊に書き綴ったがためにお叱りを受けたことへの矛盾と不甲斐なさを感じたと共に、当然日本人同士であっても『レイプ』という言葉の捉え方にズレが生じてしまうこともあるのだろうと感じた次第です

ちなみに私は『レイプ』をいわゆる『婦女暴行』というニュアンスで以て、かつてAさんにコメントしたのですが、彼がどのようなニュアンスで捉えて憤慨なさったのかは明らかではありません

なので【強制連行】といった言葉においても当然同様に捉え方のズレがあるのでは?と痛感しました

人によっても、また国によってもさまざまな解釈があるのでは?と気づかされたのです

ただ『もしナチスと呼ばれたら?』というコメントを寄せられましたが、『ナチス』などと誰も口にしておらず途中で話が噛み合わなくなりました。言ってもないことを言ったと主張されても唖然とするばかりで、当時妊婦であった私はすっかり憔悴しきって対話を交わす気力さえ失ってしまったのです

その後、彼女によって綴られたこの絡みにおけるblogのすべて…せっかく綴っていただいた私への訂正・謝罪blogまでも彼女自らの手によって、すべて削除されてしまいました。誠意を感じたはずなのにとても悲しい瞬間でした

《ブログ5》は対話を試みたくてUPしたblogだっただけに、とても残念でした


ただ月日が流れ、今になってしみじみ感じることは…

言葉の壁、国民性のちがい…そしてその根底にある教育の違いが私たちの間に大きく立ちはだかっていたのではないかと思われます


私自身、アメリカと日本で教育を受けてきており、その違いは重々わかっているつもりです

アメリカから日本の学校へ編入した当初は多感な思春期でもあったため、カルチャーショックの連続でしたが子どもなだけに順応性に長けていて、アメリカ帰国する頃には日本の学校のしきたりにすっかり馴染んでおりました

今、大人になり4人の子どもたちの親となってみて、学校の授業を参観させていただいたりしながら客観的に日米の教育の違いや国民性の違いを感じることは多々あります

まず🇯🇵では、考えてもわからないとき手を挙げて発言しようとする子どもはまずいません

またわかっていても自信がなければ手を挙げて発言しようとしない子どもも多く見られます

わかっていて手を挙げている子がいるなか子どもなりのプライドなのか『わからない』とは言えない…言いたくない…またもし間違えてしまったら恥ずかしいから…といった心理がおのずと働いてしまう子どもたちがとても多いと感じています

シャイな国民性からか、Discussionといった概念よりも、周りに同調したり歩調を合わせ強調性を大切にした概念が強いのだと感じます

会話を交わしながら、これまでの自分の考えを省みたり改めたりできることはたくさんあると思うので、とてももったいない気もします

過ちや失敗は恥ずかしいことだといった暗黙の認識が根底にあり、冒険を試みず予め敷かれたレールに沿おうとする思想が強い気がするのです

それでも最近ではDiscussionを施している日本の学校が増えているそうです(ママ友談)

一方🇺🇸では、わからないことを『わからない』とハッキリ伝える子どもがほとんどです

たとえ間違えていても自分の思う考えを他人に伝えたいと思う気持ちが先行しており恥ずかしいなんて気にも留めない子どもが多いのです

ここでも綴っておりますが、多くのアメリカ人の親は、子どもに対して【自分の意見をきちんと伝えることを善しとし安易に議論をやめることを快く思わない】考えをもっています

それは、黙ってるのが美徳とされる日本の文化とは相反し、黙っていたら意見を持たないバカと見なされ存在かき消されてしまう国だからです

わからなくても、間違えても、他人と意見が違っていても構わない!そこから学べるのだから!…といったアメリカの風習からくる思想が根底にあるからでしょうか、あえて子どもに冒険させて失敗を体験させたがる親も多いような気がします

ここで語弊があってはいけないので補足しますが、日米の教育の違いに善悪はありません。あくまで国の風習の違いからくるものであって優劣つけられるものではないですから。

現に私自身アメリカと日本のふたつの国の教育で以て今の私として存在しているわけで、日本での教育を受けた3年4か月間はカルチャーショックがありながらも視野を大きく広げてくれた貴重な期間だったからです

日米両国の文化や風習が相反していても、一概にどちらがいいも悪いもないですし、国民性が大きく反映されてしまうのは致し方ないと思うのです

たとえば安倍晋三氏がかつてアメリカ留学したものの、どうしても馴染めずにジャパンシックとなり泣き泣き断念して日本帰国したというケースがありましたように、当然その人の個性によっては順応できずに合う合わないもあるでしょうから。

【年功序列】も日本においてはシビアだと思います

アメリカも両親や目上の人を敬います

ただ先輩後輩といった場合、年齢はまったく関係ありません…といいましょうか気に留めません

それもそのはずアメリカの場合は能力主義なので飛び級制度があります

クラスメイトでも年齢はまちまちですし、現に私もハイスクール時代に飛び級しましたがライムと私は年齢こそ同じでありながら学年2級違いました

なので、アメリカは日本ほど年齢を気に留めない風習です

日本ではなにかにつけて年齢を気にして能力関係なくひとつでも年齢が違えば先輩後輩の上下関係が生まれシビアです

そのために、もしかしたら日本だけでの教育を受けてきたのであろう日本人である彼女からしてみれば、アメリカ人の小娘のような私に対しての訂正・謝罪のblogなど、きっと残しておきたくなかったのかもしれません


『幼児期は大切』

日本でもよく耳にします

確かに幼児期から日本とアメリカの子どもたちは明らかに違う!と感じさせられたことが、私の経験上にもございます

日米どちらが良いも悪いもないなか、現場にいた私は小さな子どもたちの国民性の違いに大変驚かされましたが、かつて中学と高校時代に日本での教育を受けたかつての私自身を思い起こせば、重々納得できるものです

《ブログ5》で綴ったこのトラブルは心外でしたが、この件をもとに私なりに感じたのが、

言葉の壁

国の風習の違い

国民性の違い

…でございました

『強制連行』また『レイプ』といった言葉のニュアンスの捉えかたの違いも含めてです

そんななか慰安婦問題において

日本から…

アメリカから…

そして

韓国から…

視点を変えながら、さまざまな角度から眺めてみる必要性を改めて強く感じた次第です


つづきます