今日、アフガニスタ ンにおいてのみ専ら行なわれているブズカシは、アフガニスタンの人々の大胆さや激しい闘争心に影響をもたらしている。この競技の起源については明かでない が確かなことは、ブズカシから発展しこの発展がなければ廃れていたであろう巧みな乗馬の伝統は、アレクサンダー大王の時代にまでさかのぼることができると いうことである。
熟練した馬乗りであるアフガニスタン北部の遊牧民は、意気揚々と勝ち誇ったアレクサンダーと行き着くところまで 戦った。古代ギリシャ人が最初にこの中央アジアの恐るべき卓越した馬乗りたちを見たとき、ケンタウロス(半人半馬の怪物)の伝説は実在したのだと信じたと いう。近代のブズカシを見た人は、誰もがこのギリシャ人の反応を容易に理解できるであろう。インドに進攻する前に、アレクサンダー王はこの頑強な品種の馬 で騎馬隊を補充した。
多くの人はブズカシというと悪名高いチンギス・ハーンを連想する。モンゴルの馬乗りたちは敵の野営地にすば やく前進し、馬から降りることなく羊やヤギ、その他の戦利品を全速力で略奪することに巧みであった。一説によると、アフガニスタン北部の住民は仕返しとし て襲撃に対抗する騎馬防衛隊を組織し、これが今日のブズカシの直接的起源かもしれないということである。また、これは小アジアにおけるモンゴル皇帝とその 黄金軍団の軍事行動のもっともな再演のようにも見える。
チョパ ・アンドースとブズカシの馬
ブズカシはアフガニスタンのスポーツにおける多くの英雄を生み出している。“チョパ・アンドース” (中心的選手) は伝説的人物であり、ジョセフ・ケッセルは小説「馬術家」の中で、世の英雄のごとく美化して描いている。しかしブズカシは実際に、競技者に対して、最も高 いレベルの馬術、勇気、肉体的強靭さそして闘争心を要求しているのである。
ブズカシにおいて経験は極めて重要であり、競技の熱狂的ファンは、優れたチョパ・ アドースは少なくとも40歳以上でなければならないと主張する。
向上心旺盛な初心者は、少年のようにブズカシを始める。誇り高きブズカシ帽を被るには、何年間もの厳しい練習が必要なのだ。競技の間、未来のチョパ・アン ドースたちは戦いの様子を周囲で馬に乗りながら、できる限りじっと監察する。そしていずれは、最も腕の立つ者がマザリシャリフ近くのダシュティ・シャデア ンDasht-i-Shadian (幸せの砂漠)やクンドゥズ競技場で行われるような重要な大会に出場することになるのである。
けれども、騎手であるチョパ・アンドースはブズカシのたった半分でしかない。つまり、乗っている馬が非常に重要な要素なのだ。「悪い馬に乗ったいい騎手よりも、いい馬に乗った下手な騎手のほうがいい」と言うアフガニスタン人の声を、どのブズカシ大会においても聞く。
北部のアフガニスタン人は、何世紀も前と変わらず、非常に優れた耐久力やスピードというブズカシに不可欠な性質を持つ馬を飼育している。現代の試合では、 2種類の品種の馬が使われている。一つはタルタルTartarと呼ばれバグラン、クンドゥズ、サマンガ、タハール、そしてバダクシャンといった地域を原産 とする。大きさは小さいがとても敏速でたくましく、アレクサンダー王も非常に感心した馬である。中央アジアを訪れた最初の「旅行者」であるマルコ・ポーロ も、この地域の馬に賞賛するばかりだった。
ブズカシで使われる馬のもう一つの品種はトルクメニスタン平原のすばらしい雄馬、 ハバシュである。マザリシャリフからマイマナに伸びるこの乾燥した広大な大草原と丘陵地帯の広がりでこの品種が育まれている。春にはこの馬の大群が、アフ ガニスタン北部の草に覆われた丘を自由に歩き回るのを見ることができる。
これら2つの品種のほかに、Borta、Waziri、Arabiそして the Tazi という種類の馬があり、ブズカシの試合に何頭か使われることがある。Waziriという馬はテントの杭抜きによく使われる品種である。
馬はまたブズカシの目的上、毛色によっても格付けされる。一般に、Jerand (赤毛)、Toroq (えんじ)、 Mushki (黒)、 Kahar (黄色), Gul Badam (斑点), Ablaq (まだら) and Kabood (灰色)の9種の色がチョパ・アンダースやサイエスSayez(トレーナー)によって区別される。
しかし、すべての馬がブズカシ に出場するわけではない。大きな大会のための馬を準備するには、数年間の辛抱強い訓練が必要であり、雄馬だけが使われる。 “チョパ・アンダース” やメヘタルまたはサイエス(トレーナー) は、見込みのある馬に対して、落馬した騎手を踏みつけたり、騎手の指示もなく衝突から身をそらしたりしないように教え込むのである。チョパ・アンダースが 地面から子牛を引き上げやすくする為、最も良いブズカシの馬は、敵にぶつかって押しのけながら、スタート地点周辺の乱闘の中に強引に道を作ろうとする。し かし、騎手が子牛を掴もうと手を下に伸ばし緊張状態に陥いると、馬はぴくりとも動かず、次の動作を待つのだ。
ブズカシは伝統的に 冬の間や初春に行われる。競技をするには暑すぎる春の終わりや夏の間では、馬は静かに牧草を食べることを許される。餌は一日にわずか2回、旬のメロンや時 には生卵やバターを使った豪華な餌も与えられる。ブズカシの馬は30万アフガニー(約6,000ドル)もの値がつく。そしてその馬が連続していい成果を挙 げれば、値段は上がっていくのである。
家族がブズカシの馬を購入するために貯蓄の半分を費やすこともある。より裕福な人たち はチームのスポンサーとなり、チョパアン・ダースの給料や、試合で上げたゴールに対するボーナスを支払う。その上、多くのたちは自分の馬を所有しており、 よいブズカシの馬は20年もの長い間、競技するという。
ブズカシのルール
アフガニスタンのオリンピック連盟は、ブズカシの公式ルールを定めている。けれども、それらはカーブルでの大会においてのみ厳密に遵守されている。北部 地域では、ブズカシが「公式」ルールで競技されることはめったにない。競技場の大きさや種類に制限はなく、一度に500人もの選手が参加することもある。 騎手一人ひとりが単独で戦う自由参加の試合もあれば、川の流れの中で行う“ドイラ・イ・ブズカジdaiera-yi-Buzkashi” という試合もある。
しかし、どのブズカシ競技会でも適用されているルールが2つある。騎手は故意に敵を鞭でたたいてはならず、またわざと対戦相手を馬から突き落してはいけない。
ブズカシという名称は、文字通り「ヤギを引きずること」を意味している。しかし、現在では首を切り落とした子牛が使われており、丈夫で重いため、試合の激しさに耐えることができる。皮を強くするため、死骸は一晩水の中に浸される。
オリンピック連盟のルールによると、競技場は正方形で、外側のラインが一辺400メートル、内側には一辺350メートルの警告ラインが引かれるものとされており、その中にはさらに2つの円が描かれている。
試合は、馬に乗った審判が反則をとるときにだけ使われるペナルティ・ライン(内側のライン)にあるスターティング・サークルの中から始まる。
目標となるのは、子牛をスコアリング・サークルの中に落とすことである。一回のゴールで2点が加えられる。競技場の一方の端には、ゴールした後再びスコア リング・サークルに入れる前に、子牛を一度戻さなければならない地点を示す旗の列が立っている。(仔牛を持って)旗の列を越えたチームには、1点が加算
される。
カーブルで行われるブズカシ選手権では、選手は各チーム10人に限られる。前半の45分間を選手5人で競技し、残りの5人は後半戦に出場する。競技委員長が試合を取り仕切り、試合時間の延長と選手や馬の交代を許可する権限を持つ。ハーフタイムは15分間である。
審判の笛の合図で両チームはスターティング・サークルに置いてある首のない子牛に近づく。選手たちが子牛を掴めるようにするため、馬は荒々しく鼻を鳴らし 後ろ足で立ちながら有利な位置につこうとする。チョパ・アンドーズは、宙に浮いた蹄から身を守るため、長い皮のブーツを履いている。また、転落防止のため 足がしっかりとあぶみ,鐙に固定されるように、ブーツには極度に高い踵がついている。
観衆の目には、試合はまったくの無秩序に見え、ルールの簡単さも競技中のすさまじいプレーの中で失われてしまう。けれども、あるチョア・パンドーズが他の選手を圧倒し、スコアリング・サークルに向かって一人で疾走したときこそ、試合の見せ場である。