開いたドアの向こう側に

いつかは、こうなる、と判っていたことが、ついに始まっただけとも言える。

安倍元首相暗殺が引き金になる、という意外な始まりだったが、その衝撃で社会全体が、ばっきり折れてしまったような感覚があります。

こういうことは特に、社会のなかにいても判るわけはないし、外から見てると、こういうふうに見えるのだ、と言われてもピンとこないのも判っています。

だいたいいつもは、日本語のなかにいる人達に判るように書いて、理解してくれる人も多いが、今回は、そうは行かないのも予想がつくような気がする。

もしかしたら、なにを言われているのかも判ってもらえないかも知れません。

社会全体に激しい思い込みが出来てしまうことがあって、しかも理知的なスタイルを好む民族は、それを理窟で補強して、鉄壁の思い込みをつくってしまうことがある。

歴史上、最も有名なのはドイツ人たちのナチ思想でしょう。

アーリア人なる架空な概念をつくりだして、科学的に証明された現実だと考えた。

いま振り返って考えると、バカバカしいにもほどがあって、人種によって優劣があると考えた。

無論、DNA解析が発達したいまでは、人種によって能力に差があるというのは、まったく根拠のない迷妄だとわかっています。

しかし、ドイツ人たちは、そうはおもわなかった。

ユダヤ人たちを探しだし、ひきずりだして、どんどん強制収容所に送り込んだ。

ユダヤ人を銃弾で処刑するためのコストが高すぎるのがわかると、なるべくコストが低い殺人方法を研究してガスチェンバーという、いちどに安価に殺す方法を考案した。

それだけでも十分、狂っているが、ついでにスラブ人も劣等民族とみなしていたドイツ人たちは、東方に眼を向けて、スラブ人を皆殺しにして、余った土地にゲルマン人の王道楽土を作ろうとしてバルバロッサ作戦を発動します。

狂気の沙汰、という使い古された古い日本語が、そのまま当てはまるような行状だが、当時のドイツ人は、おおまじめだった。

自分たちが正しい、と信じて、疑いをもたなかった。

あるいは近いほうに例をとれば中国の文化大革命がある。

不倫の果てに、毛沢東と結婚するために交わした延安での中国共産党幹部たちとの約束をいったん反古にすると、元俳優らしく芝居がかったことが大好きな江青は、物理学者で四カ国語に堪能だった劉少奇夫人、王光美への激しい嫉妬心をエネルギーにして、大躍進政策の失敗で、まったく国民の支持を失って、劉少奇に、お株を奪われた夫の毛沢東と共に、

考えてみればバカバカしいような私怨を晴らす意図を隠して、

「文化大革命」という政治運動であるかのような装いを凝らした復讐劇を開始する。

中国の歴史では、ときどき有ることだが、国民を道具にして個人的な恨みを晴らすという、気が遠くなるような政治的不誠実さを発揮します。

造反有理

革命無罪

詩人の夫と俳優の妻は、「先行世代は革命に参加して建国したが、我々には出来なかった。いまこそ第二の革命に参加できるときが来たのだ」と考えた若い世代を焚き付けて、壊し、なぶりものにし、殺していきます。

政治と熱狂が結び付いて荒れ狂うことによって政治体制が変わる、顕著な特徴をもつ中国人民を知り抜いた、毛沢東の知恵だったでしょう。

このカップルは、当時、世界的な名声と人気を博していた劉少奇と王光美を追放することに成功する。

大切なことは、文化大革命は燃えさかりだすと、誰も疑わなかったことで、

実は毛沢東と江青の個人的野心の計略であることを見抜けた人は鄧小平を初め、ほんの少数の人間でしかなかった。

国民集団が疑いをもたずに誤った考えに囚われると、誰が、どんなに上手に説明しても聞く耳をもたないことを熟知していた周恩来は、自分を抑えて、優柔不断と罵られながら、秘かに鄧小平や宋慶齢を断罪の魔の手から逃れるように手を回したりして、

「やがて真実があらわれるときのために正しい考えの芽を残しておく」ことに専念しだします。

状況が逼塞しているときに、誰にでも判りやすいおおきな不正が明らかになったときが、社会は最も危ない。

社会と言えど人間が構成しているものなので、なにも解決できずにイライラが募る社会では、判りやすい醜聞に一斉に飛びつくことは防ぐことはできない。

長い経済不振があり、ダムが決壊する寸前のような病んだ財政があって、そのうえにコロナパンデミックまで荒れ狂いだして、なんだか、別に日本人じゃなくたって、狂いだしたくなるよ、という状況が一方にはあります。

しかも、こればかりは、いま一時的に正しく見えている、ということではなくて、軽く、たいしたことではないと見せようとしているマスメディアや政府の努力にも関わらず、隠しようもなく、覆いようもなく、カルトというものが常にそうであるように、カラクリを聞かされると、なんとなく信じることがマヌケであるように見える、いわばエセ宗教が実は政府を構成している与党を牛耳っていたというのは事実で、明らかな不正が事実なのだから、

これにいっせいに飛びついて、悪を退治しようとするのは当然でもある。

ところが、遙かな遠くから日本を観察している観察者にとっては、図式として、最悪で、解決しなければならない問題が山積の頂点に達した、ちょうど、そのときに、二発の銃弾が、日本の支配構造の実相を曝きだしてしまった。

しかも、もちろん早急に解決されなければいけない問題で、それなのに、日本の人のいまの習慣として大規模デモは打てず、次の選挙までの3年間、有効な民主手段は皆無で、ただ無効と30年にわたって証明されている、ゆるい、水面下での徒党の党派性を背景とした、「言論」に拠って異を唱えることしか社会として方策を持っていない。

構造として、どうなっているかというと、向こう3年は、国の生存能力の回復とは見当違いの社会不正の是正に、大きなエネルギーを使わざるを得ない羽目に陥っている。

何が悪かったのか?

運が悪かったのだ、と言うと、おまえ、そんなことを言って巫山戯ている場合か、と罵られそうだが、観察者の正直な感想は、それで、理窟はいくらでも立って、「何もしないためなら何でもする」で頑張り続けた結果がこういう形であらわれたのだとか、まともな左翼/リベラルを育てられず、なんだか幼児的な、真理を求めるよりも相手を陥れることを目的とするような、ワイマール左翼より酷いね、といいたくなる反体制勢力しか育てられなかったことや、その左翼/リベラルの、人気を増大させる餌と呼べばいいのか、「論争」することによって、いっそう左翼/リベラルの議論の程度をさげることにおおいに貢献した右翼政治家やネット上の自称右翼のトンチンカンな中年の幼児たちが、様々な国に見られるように、逆に政治的言語そのものへの不振を招いて、いまの事態は、山上徹也の銃弾を待っていたのだ、とか、どんなふうにでも説明できるが、そうした一切合切を含めて、どんな社会にも「運」があって、日本は、運が悪い時期にさしかかっていて、

瓦解を目の前にしているのだ、と考えるのが、最も妥当でしょう。

悪い時には悪いことが重なるもので、英語世界はアメリカを先頭にして、どうしても収まらないインフレーションと正面から対決する決意を固めつつある。

パウエルの昨日の説明の意味は、「わたしはボルガーになることを恐れない」という意味です。

利上げが必要ならば、公定利率を15%でも20%でも、躊躇わない、という意味で、財政破綻の恐れから利上げなんて金輪際考えられない日本はどうなるのか、実はどこも自分の国の問題で手一杯なので日本のことまで頭がまわる国などないが、現実には、長期的には日本の財政に対する死刑宣告に等しい。

利上げで追随すれば日本の財政は、跡形も無いくらい破綻して崩壊するでしょう。

利上げをしないで破綻を避けようとすれば、常軌を逸した円安を招いて、

個人の家計への影響を計るには対アメリカドル100110円が現在の経済状況から適正であることを念頭においておくとよいが、130円、140円となっていくにつれて、それだけ実際の収入は減少して、日本の家庭は困窮していく。

あんた、無関係でしょうが、と言われるだろうが、自分に見えているものを考えると、オロオロしてしまう。

日本がこれから転落していく先を、さまざまな分野について思って、

こんなことが現実にありうるのか、と茫然とした気持になります。

言葉が見あたらなくて、

なにを、どう言えばいいかわかりません。

皮肉に聞こえたら謝るしかないが、どうか無事で、

と祈るばかりです



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1 reply

  1. 構造疲労してハリボテになった船が大嵐の中に突入していくから、乗組員は備えよという忠告ですね。ありがとうございます。ここで呉越同舟ができると少しずつ明るい未来が開けるかもしれないですが

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