文京ふるさと歴史館に、精巧に再現されたやっちゃ場(青物市場)のジオラマがある。町人たちが生き生きと働き、暮らしているそのジオラマは、おそらく当時の正確な男女比をも再現していて、女性のフィギュアが極端に少ない。数少ない江戸の女性は、表通りにはおらず、みな家の奥の裏庭に隠されるように配置されている。街の喧騒の届かない奥まった場所で、赤子を背負って佇んでいたり、鶏にエサをまいたりしている。

現代では、東京の人口比は、男性より女性のほうがちょっとだけ多いようだ。“出産可能な”若年女性が街からいなくなると人口は減り、やがて地方自治体が消滅してしまうという理論でいけば、東京は若い女を誘惑してやまない魔の都市なのだろう。

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ここにはないから、あこがれつづける

そんな魔都を上手に回遊できるようになるのに、上京して5年はかかった。東京とうまく調和していると思えるようになるにはさらに5年。知らない街を歩いて土地勘を磨き、行ってみたい店に星をつける。一生かかっても攻略しきれないほど、行く場所にはことかかない。

なんとか自力で稼げるようになって、贅沢も知った。30歳の誕生日は、飯田橋のカナルカフェで、寒さに震えながらコーヒーを飲んだ。10年後の同じ日、わたしは帝国ホテルで天ぷらを食べている。なにかにあこがれ、あくせく働くうちに、あっという間に年をとっている。わたしは若年女性だった時間のほとんどを、東京にあげてしまった。

『SEX AND THE CITY』で主人公キャリーの恋人ビッグは、ニューヨークの都市そのものを象徴する存在として描かれる。彼はリッチで、たくましくて、傲慢で、冷たくて、思い通りにならない。じゃあ、わたしにとっての東京は、どんな男性にたとえられるだろうと考えると、100%、すでに死んだ人である気がする。わたしはもうここにはない東京に、あこがれつづけている。

〔PHOTO〕Getty Images