「モブ」でいられる心地よさ
30代の中盤で、それまで住んでいた中央線から、東側の下町エリアに引っ越した。住む街を変えると、ほとんど生まれ変わったのと同じくらい、なにもかもが新しくなる。もう一度、上京できる。
年齢的にそろそろマンションでも買っていいんだろうけど、そんなものを買ったらこの軽やかなストレンジャー感覚が失われそうで怖い。自分でも持て余していた自我によって東京にたどり着きながら、東京にいると逆にその自我は浄化され、不思議と薄まっていく。かえって躊躇なく自分でいられる。この感覚を手放したくない。
自意識過剰ってのは最近インテリがよく罹ってる病気でね、みたいなセリフを、昔の日本映画で聞いたことがある。誰もが自意識について悩むようになったのはごく最近で、明治の文学者が苦悩した近代的自我は、江戸時代の庶民にはなかったのだろう。歌川広重の浮世絵に描かれている、ふんどし丸出しでエッサホイサと荷物を担ぐモブの心地よい自我のなさに、わたしは東京にいるときの自分のフリーダムを重ねる。
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江戸は、田舎に仕事のない若年男性が大量に流れ込み、男女比がアンバランスなほどだったという。だからあの浮世絵に描かれている男性の多くも、江戸を故郷としない上京者であり、地縁からも血縁からも解き放たれて、気持ちのいい自由を謳歌しているのかもしれない、なんてことを思う。しかし、それはあくまで、若年男性だったらの話だ。