分子研、6.5ナノ秒動作の2量子ビットゲートの実行に成功

8月10日(水)17時11分 マイナビニュース


分子科学研究所(分子研)は8月5日、「単一原子レベルで世界最速の2量子ビットゲートに成功 -超高速量子コンピュータ実現へのブレークスルー-」と題した説明会を実施した。
内容としては、ほぼ絶対零度にまで冷却した2個の原子を光ピンセットでマイクロメートル間隔で並べ、10ピコ秒だけ発光する超短パルスレーザーで操作することで、量子コンピューティングに必要不可欠な基本演算要素である「2量子ビットゲート」の操作時間において、従来の半分以下の6.5ナノ秒で動作させることに成功したというものであった。
同成果は、分子研 光分子科学研究領域の周諭来大学院生、同・富田隆文特任助教、同・シルヴァン・ド・レセレウク助教、同・大森賢治教授らの研究チームによるもので、説明会にはこの4氏も参加した。なお、大森賢治教授は日本の量子コンピューティング研究の第一人者であり、文部科学省Q-LEAPと内閣府PRISMが重点支援する、超高速量子コンピュータ開発のための大規模・長期プロジェクト(2018-2028)を率いている。また2022年度からは、内閣府/JSTムーンショット型研究開発事業「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」のプロジェクトマネージャーにも選出された。
今回の研究成果の詳細は、英科学誌「Nature」系の光学に関する全般を扱う学術誌「Nature Photonics」に掲載された。
量子コンピュータのハードウェアは、複数の方式が考案されており、IBMやGoogle、インテルのほか、日本では理化学研究所などが研究を進めている超伝導を筆頭に、イオントラップやフォトニクス、シリコン電子スピン、トポロジカル、ダイヤモンド、そして分子研が手がける冷却原子などさまざまなものがある。
これらの方式の中で、最も研究が進んでいるといわれるのが超伝導方式で、同方式に関してはIBMが2022年後半に433量子ビットのプロセッサ「Osprey」を、2023年には1000量子ビットのユニバーサル量子プロセッサ「Condor」を発表するとしている。また、Googleも超伝導方式を採用し、2029年までに誤り訂正が可能な100万量子ビットの量子コンピュータを開発するという計画を発表済みである。
しかし、超伝導方式やイオントラップ方式は大きな課題を抱えているとされている。量子コンピュータで扱う、量子情報の最小単位である「量子ビット」の数を増やす際に、100量子ビットほどで頭打ちになると推測されているためだ(IBMは、2021年に発表した「Eagle」で127量子ビットを実現)。交通渋滞の解消や、流通における効率のいいルートの探索など、量子コンピュータを実際に社会問題を解決するのに利用できるようにするには、1000量子ビット以上が必要といわれており、超伝導方式やイオントラップ方式で、どのように1000量子ビット以上に到達させるのかは今のところ表立っては不明である。

それに対し、ここ5〜6年で急速に進展し、注目が集まっている冷却原子方式は、現状の技術で1万量子ビットまでの大規模化が可能だと考えられている。その仕組みは、レーザーによる光ピンセットで冷却した原子を、マイクロメートルスケールの間隔で整列させて、それら1つ1つを量子ビットとして扱うというものだ。
また、これらの原子は周囲の環境系から非常によく隔離されており、同時に互いの原子同士も独立しているため、量子ビットのコヒーレンス時間(量子の波の性質が持続する時間)が数秒にも達するという。これは超伝導方式と比較すると6桁以上も長く、高コヒーレンスなところも大きな優れた点となっている。
分子研の冷却原子方式の場合は、原子にはルビジウム(気体)が用いられている。ルビジウム原子は、レーザー光で減速させられ、限りなく絶対零度に近い絶対温度0.00001Kまで冷却された状態となる。そのルビジウムが、今回の研究では800個が扱われた。ただし、そのうち実際に量子ビットとして使用できるのは半分ほどとなり、およそ400量子ビットということになるとする。
分子研の量子コンピュータは、量子ビットの「0」と「1」をルビジウム原子における電子軌道の違いで表している。ルビジウム原子の場合、通常は、最も外側の電子は原子核から0.5nmほどの「5S軌道」にある。これを初期化する形で、レーザーで少しだけエネルギーを与えて1つ外側の「5P軌道」に励起させた状態が0とされた。また、5S軌道に対して10ピコ秒だけ超高速パルスレーザーを照射して、100nmほどと原子核から遠い「43D軌道」、またの名を「リュードベリ軌道」に励起させた状態が1とされた。
電子がリュードベリ軌道にあることをリュードベリ状態といい、この状態にすることを「リュードベリ励起」という。リュードベリ状態は、原子核と電子が離れているため、原子全体で見たときに電気的に偏った強い力が発生することが大きな特徴とされる。この強い力が、量子ゲート操作をするのに重要となってくるのだという。
また量子ゲート操作とは、古典(従来型)コンピュータにおけるANDやORなどの論理ゲートに対応するもので、種類としては大別して、1入力1出力の「1量子ビットゲート」と、2入力2出力の「2量子ビットゲート」がある。どちらも量子コンピュータにとっては重要で、特に量子コンピュータならではの高速性を実現するには2量子ビットゲートは必須とされている。
1量子ビットゲートと2量子ビットゲートは、性能的に単に倍というレベルの話ではなく、仕組みとして、まったく別物といってもいいほどの性能差が現れるという。1量子ビットゲートだと、個々の量子ビットが独立に動作していて互いの連携がないため、最大でも量子ビット数の数だけしか速くならず、400量子ビットの場合で400倍であり、あまり古典コンピュータと変わらず、量子コンピュータらしさを活かせていないとされる。
対して2量子ビットゲートは、2つの量子ビットの間に相関を生じさせる、量子らしい特徴がある。相関があるとは量子ビット同士が量子もつれの関係にあるということであり、片方の量子ビットを操作すると、自動的にもう片方も操作させることになるということとなる。
しかもこの相関は、単に2つの量子ビットの間で終わってしまうわけではない。400量子ビットだったとしたら、量子ビット1と量子ビット2、量子ビット2と量子ビット3、量子ビット3と量子ビット4……量子ビット399と量子ビット400と次々と相関を持たせられる。その結果、1つ操作しただけで、すべての400量子ビットをまとめて操作できるということになる。つまり、理論的には2の量子ビット数乗という指数関数的に高速化を実現できるのだ。現実にはさまざまな条件が重なってくるため、あらゆる計算でこの速さが絶対に実現するというものではないが、同じ400量子ビットでも、1量子ビットゲートだけだと単なる400倍だが、2量子ビットゲートならなら2の400乗倍という、量子ビット数が増えれば増えるほど指数関数的に高速化する、ということである。
このような事情のため、2量子ビットゲートを実用化が期待されるが、実際には非常に困難とされる。それを今回の研究では、光ピンセットで1〜2μmの間隔で整列させた2つのルビジウム原子を、同時にリュードベリ状態にすることで実現。つよい電気的な力を持った2つのリュードベリ状態の原子が近くに並んでいれば、エネルギーのやり取りが発生するが、実際にエネルギーが周期的に往来する様子が観測されたという。
この原子間のエネルギー交換には、2つの原子の量子状態が持つ「符号」を変化させるという性質があるため、量子ゲート操作へと応用することが可能であり、これは2量子ビットゲートとして利用できるということを示すものとなるとする。

実験では、片方のルビジウム原子(量子ビット1)が1の状態のときだけ、もう片方のルビジウム原子(量子ビット2)の重ね合わせ状態の符号が反転し、2つの波の山同士が揃うように重ねた0+1状態から、2つの波の山と谷が揃うように重ねた0-1状態へと変化する様子が観測されたという。なお2量子ビットゲートには複数の種類があり、今回実現したものは、ほかの2量子ビットゲートの基礎となる「制御Zゲート」といわれるものだという。
そして、今回はエネルギーが往来する1周期分に要した時間(2量子ビットゲートとしての動作時間)が、報告された中でも世界最速クラスとなる6.5ナノ秒であったという。これまでの公の記録は、Googleが超伝導方式で達成した15ナノ秒だったが、それを半分以下にまで短縮したことになる。なお、今回は2つの原子間は2.5μmだったがこれをさらに近接させたり、10ピコ秒のパルスレーザーの精度をより高めたりするなどして(現状の市販レーザーは30%ぐらいばらつきがあるという)、将来的には現状の仕組みでも1ナノ秒ほどまでさらに時間を短縮できるとしている。
ちなみに、原子自体の間隔は、今回の半分ほどの1.2μmまですでに実現されているが、その距離まで近づけると、どれだけ温度を絶対零度に近づけたとしても、量子力学的に20nm程度で原子が揺らぐため、距離の精度に影響してしまうようになるという。その結果、量子ゲート操作のばらつきが出てしまうため、今回は妥協して2.5μmとしたという。
なお、揺らぎを極力抑える技術も開発済みとのことだが、それを備えた状態で実現するのは非常に作業量が増えてしまうため、今回はリュードベリ軌道でのエネルギーのやり取りを確認することが主目的だったことから、見送ったとする。今後、1ナノ秒を実現する際にそうした揺らぎを抑える技術も投入されることだろう。
ともかく量子コンピュータの実現には、量子ゲート操作の高速化が必須であるが、量子ゲート操作は、外部環境や操作レーザーなどが及ぼすノイズに影響を受けやすく、精度(忠実さ)が容易に劣化してしまうという課題があり、ノイズの時間スケール、およそ1マイクロ秒よりも十分に速い量子ゲート操作を実現できれば、ノイズによる計算精度の劣化から逃れることが可能とされる。今回の成果となる6.5ナノ秒はノイズよりも2桁以上速いことから、ノイズの影響を無視できるとされ、もし今後、1ナノ秒が達成できれば、より盤石なものになるとされる。
なお、2量子ビットゲートについては今回の制御Zゲート以外として「制御位相」、「制御NOT」、「SWAP」、「iSWAP」、「Root-SWAP」などがある。制御Zコードが重要とされるのは、1量子ビットゲートを組み合わせることで、制御Zゲートからほかの2量子ビットゲートへと変換することが可能になるからで、たとえば、ある1量子ビットゲートと制御Zゲートとさらにもう1つ1量子ビットゲートを組み合わせると、制御NOTゲートと等しくなるという。また、制御NOTゲートを3回操作すると、SWAPゲートと等しくなるという。
今回の研究にて制御Zゲートを実現できたということは、そのほかの2量子ビットゲートも実現できるめどが立ったということであり、冷却原子方式で量子コンピュータを実用化するのに、要素が揃ってきたということになる。
今回の研究成果により、大森教授らは、冷却原子型の注目度がさらに上がるとする。それと同時に、現時点で開発が先行している超伝導型やイオントラップ型の限界を打ち破る、まったく新しい量子コンピュータ・ハードウェアとして冷却原子型が期待されるとしている。ただし、実用化までにはまだ越えるべきハードルはあるとするが、今回の研究成果は、冷却原子方式が量子コンピュータのハードウェアの種類として、世界をリードする日が来ることを期待させるものだったといえるのではないだろうか。

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