第13話 脱出先の屋敷

 ビルの地下に掘られていた脱出用の地下道は、事務所があった燦月さんげつ市の南にある白羽川市しらはがわしの山の中腹まで繋がっていた。地下道は途中で古い坑道——死後、霧散した魂が結晶した霊魂晶れいこんしょうを採掘するための廃坑——に変わり、ボタ山が風に吹かれているそこから出てきたバンは山道を少し降っていく。

 枝葉の間からは昼下がりの陽光が差し込んでおり、意外にも早い時間だったんだと自覚した。鎮静剤の効果が抜けてきて、あるいは極度の緊張状態ゆえかアドレナリンが出ているのだろうか、やたらと体が軽く感じられた。

 そんな山腹の途中にある一軒の大きな屋敷の敷地内にバンが入った。表札には『稲尾』とあり、東雲凛曰く、敷地内には遺伝子改良された桜の木や藤が茂っているという。これらは季節を問わず、一年中咲き誇っているらしい。実際、あちこちにある木々は季節感を無視したものまで実っていた。

 これらは食料自給率の低下が著しい中、ある企業の若者が築いた基礎理論をもとに実用化されたもので、季節を問わない収穫量の安定が可能となり、八洲では野菜や果物の類が、他国とは比較にならないほど安価に手に入る。

 それが結果的に食の欧米化による生活習慣病の対策にもなり、現在では和食中心の食生活が広まりつつあった。

 そんな万年植物は他にも梅や桃、蜜柑、リンゴなど。野菜も作っているそうで、凛は稲尾家の中には園芸趣味が行きすぎた者がいるのだと語った。

 朔奈はそこまで聞いて、ふと気づいた。

「稲尾って……椿姫さんと関係が?」

「関係というか、稲尾の実家だ。あの子と同じでフレンドリーな方が多いが、だからといって馬鹿なことを言うなよ。狐の祟りは恐ろしいからな」

 朔奈の質問に対して凛がそう言った。

 狐って、なんだ? いや、動物であるとは知っているが、なぜここでその狐が出てくるのか。

 バンの中には所員が四名と、それ以外には霊子・電子媒体のデータや紙媒体の記録などが詰まった段ボール、あとは木箱。運転手とその護衛が一人。朔奈と凛込みで、物資多数と累計八名の所員がいた。

 駐車場となっているガレージの隅に停車し、ドアが開かれる。見覚えのある赤いセダンは瑞希の愛車だ。それからバイクやらなんやらの他、家族用の大型乗用車、普通車、軽自動車など。稲尾家はこう言った事態を想定していたのか、はたまた大家族が維持されることを予想しているのか、このガレージは駐車スペースというよりは整備場のような感じである。

 そんなガレージには当然機械いじりのための工具の類もあれば、ジャッキやクレーンなどの作業アームもあった。

「稲尾家には多くの妖怪・・が寄り添う。その中には機械いじりが得意な者や、医師免許、教員資格を持った者もいる。実は芥川事務所の設立に関わってもいるんだ。今回避難先に名乗り出てくれたのも稲尾家の面々だよ」

 本邸に向かう間、凛はそう説明した。

 妖怪、だって? それはつまり、妖の力を持つ巫覡の家系ということか? それをちょっと大袈裟に表現している——、そこまで考えて、ある光景がフラッシュバックする。

 闇色の影の拳、声の衝撃波、こちらを見据える青い目から感じた、自分と同じ異質な血の匂い。

 はっとしたとき、凛が真顔で、平気か? と目の前で手を振っていた。

 朔奈は首を縦に振って、歩き始める。

 玉砂利敷の庭に整備されているのは、巨石となると時価数千万葎貨にも及ぶ御影石の道だった。多くの妖怪が寄り添う家——まさにお屋敷というにふさわしい。そして巫覡は元を辿れば妖怪であるというから、稲尾家もその血筋の大元はなんらかの妖怪一族なのだろう。

 妖怪とは人間に仇なすが故、退治される対象であるように思っていた。けれど巫覡として現代社会に適応して、人間と共に歩む存在になったのだろうと、朔奈はそう解釈した。だが。

 玄関前のドアホンを押した。鳴り響く電子的な呼び出し音に、やや元気な足音。玄関が開かれると、そこには朔奈が夢や幻だと、以前の経験を経てそう思っていた妖怪・・がいた。

 月白の髪の毛はその先端に竜胆色のグラデーションが濃くなっていき、頭頂部には狐の耳、腰からは二本の尻尾が生えている。耳と尻尾もやはり先端は竜胆色にグラデーションしていき、そんな幼狐・・の少女は二本の尻尾を揺らしながらこちらをまじまじと見上げていた。

「き……狐」

 可愛らしいもちもちした肌に、幼児体型の丸っこいボディライン。身につけているのは桜色の着流で、彼女は突如やってきた八人にも物おじせず「だれ?」と舌足らずな声で聞いてきた。

 威圧的な凛では怖がらせてしまうと思ったが、彼女はしゃがみ込んで視線を幼狐に合わせると、「奏人さんの部下です。菘ちゃん、そのお話は聞いてるかな?」と言った。

 菘というらしい幼い妖狐は「うん。ちょっと待っててね」と言ってスタスタ去っていく。その都度大きな二本の尻尾が揺れていた。

「あの子はああ見えてももう二十年近く生きているから、お前よりは年上だ」

 いつもの鉄仮面に戻った凛がそう言った。

「妖怪……実在するんですか。あれって、巫覡を別の言い方してるって、そう思ってましたけど」

「実在するよ。一般人が知らないだけで、結構いる。彼らは概して人間に化け、その社会に適応する方法を知っているからバレないというだけでね。漆宮の巫覡である稲尾もそうだし、真響にもなんらかの妖怪の血が流れている」

 その後凛が語ったところによれば、妖怪と人間では加齢速度が大きく異なり、種族さはあれどおおよそ百年から百五十年で成人らしい。菘は人間に換算すれば精々六歳か七歳くらいであるという。

 菘が奥に消えて何事か説明すると、その奥から落ち着いた雰囲気の着物を着込んだ女性が出てきた。栗色のボブカットをした女性で、お辞儀してから「とにもかくにもお上がりください」と言った。朔奈たちは「お邪魔します」と言って靴を脱ぎ、それを下駄箱に並べてかまちを踏んだ。

ひいらぎ、お客様ですよ」

 女性がそういうと、ふすまの向こうから「おう、入ってもらってくれ」と、女性的なのに迫力のある声が返ってきた。聞いたものの肩を思わずこわばらせ、姿勢を正させる力強い、上に立つものの声音である。

 女性が襖を開けて入室を促す。凛を筆頭に、八名がその部屋に入った。

 座卓の向こう側にある上等な座椅子を置いてそこに腰掛けていたのは、月白の菘と同じ色合いの女性だが、年齢は三十代前半ほどの妖狐だった。衣類はやや灰色のニュアンスが強い着流で、豊満な乳房がこれでもかと存在感を主張している。白い長い髪は腰の辺りまで伸びており、何より目を引くのは太くて長い尻尾が九本あることだ。

 全体的に落ち着いた大人の女性であるが、座卓の上にはもう五分の一まで減った酒瓶と、空の瓶が四本。つまみの枝豆やらポテトチップスやらと、そこだけ見るとだらしないが、しかし柊という女性がそこにいることで酒盛りさえ様になって見える——そんな感じだった。

 凛をはじめとする面々が正座するのを見て、朔奈も慌てて膝を折った。

 瀧沢の小僧の話か? 柊は開口一番そういった。凛はその通りです、と誤魔化しのないことばで答えた。

「芥川の馬鹿がおっ死ぬとは到底思えん。どこかに落ち延びておるのだろうな。ジャスティスワン、だのという正義のヒーロー気取りが何を企んでおるのかは知らんが、まあ……ちょっと口喧嘩はしたが可愛いの頼みでもあったし、将来の娘婿もおる。無碍にはせんよ。だが、お主らは客人ではなく人材だ。よいな?」

 凛がはい、と応じた。朔奈もこくりと頷く。

 要するにこの家のために働け、ということだ。もちろんその働きとは個々にできる範囲でだろう。それこそ夜廻りとしてというものから、家事炊事の手伝いだったり、そう言った類の。

「ふむ……燈真によく似ておる。事実は口にしたか?」

「なんの、ことですか」

 朔奈が月白の九尾に問うと、彼女は凛を見た。凛が小さく頷き、それから柊が言った。

「お主の母は燈真の母の妹。つまり、お主は燈真とも血縁があるのだ」

「な……」

「不思議なものだろう。世間とは案外狭く、そしてその狭い中で運命だったり腐れ縁だったりが結びつくのだ。避けられようのない血のえにしというべきだろうな」

 燈真が、従兄……? じゃあ自分は、燈真と往音という、家族のつながりがまだあるということか。

 往音が朔奈を避けていたわけではないことを知って、そして思い返せば兄と慕われて嬉しそうにする燈真がいて、自分は本当は一人なんかじゃなくて。

 それに、真響という大切な子がいて。

「あ、あのっ……真響さんと往音と、……燈真に、みんなは……どこですか?」

「そう慌てるでない」

 柊はグラスに注いだ、狐夢月きつねむげつという米焼酎を一気に煽る。

「ぬう、五本空いたな。椿姫に叱られそうだが……まあよい。それでだな、真響という子はとっくにここへ来ておるし、往音と瑞希の二人は瀧沢の小僧のところで今後の話し合いだ。燈真と椿姫は出先でこの事実を知り、認知阻害レヴェナント・スーツを着て帰ってきておる。お主らにもこの認知阻害の衣類レヴェナント・スーツをくれてやるでな、待っておれ」

 どうやら仲間の心配は必要ないらしい。

 凛が、何から何まで助かります、と両手をついて頭を下げた。八洲において土下座とは座礼の中でも最高の敬意を表すものだ。目上のものに従う意志、請い願う姿勢、そして謝罪でもある。柊は柔らかな呼吸の後で、顔を上げよと笑った。

「何度も言うが、喧嘩別れに近い椿姫が帰って来てくれるのだ。まあ、本当なら結婚したとか子供ができたとか言って、事務所の連中と祝っているときに電話がかかってくる方が良いに決まっているが……ともあれ馬鹿娘としばらくおれるだけで妾は満足。そもそも現役引退でな。若者を支えるのが生き甲斐だったのだ」

 柊がパチンパチン指を鳴らすと、襖が開いた。そこには菘によく似ているが、少し年上で——外見的には十歳かそこらの美しい少年がいた。尻尾は三本あり、薄青い着流。眉目秀麗で落ち着いた雰囲気。人間年齢で言えば、やはり十歳かそこら。しかし妖怪としての実年齢でいうと、確実に二十歳は超えているのだろう。

伊予いよさんに叱られたくないから、お酒は持ってこないからね」

「な……そこをどうにかするのが竜胆りんどう、お主だろう!」

「お姉ちゃんにも叱られるんだから僕は。あと、さっきしっかり伊予さんから『お酒持って行かないでね』って釘刺されたし。お姉ちゃんが電話口に何か言ったんだろうね。僕を恨まないでよ」

「ぐぬぬ……! ま、まあよい。湯を張って、彼らの部屋の用意を家の連中に言ってくれ。それから事務所・・・に彼らを」

「わかった。……皆さん、こちらへ。瀧沢さんがお待ちです」

 竜胆というらしい妖狐の少年が女の子のように微笑んで、ゆっくりしつつもゆるりと立ち上がった。多分、何かしらの武術の心得がある——素人の朔奈にはわからなかったが、凛にははっきりとそう言えるだけの動きであるように思えていた。

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夢天月夜のナイトメア 雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き @9V009150Raika

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