第12話 襲撃
芽黎二十四年、三月二十六日、水曜日。
朔奈は医務室で目を覚ました。見学の際、ここが怪我を負った夜廻りが運び込まれる場所であるとあらかじめ説明を受けており、知識としてはこの場を知っていたが、なぜ自分がここに居るのか――それを考えて、その直後に消化器が飛んでくる光景がフラッシュバックして額を抑えた。そこには包帯がきつく巻かれており、痛みが残っているのがわかる。
ずん、と重くのしかかるような、あるいは何かが圧迫しているかのような痛みだ。けれど同時に、精神的にも重く苦しかった。
消化器が飛んできて、その後どうなったのか。そのあと、何が起きたのか。それを思い出そうとするが……断片的に褪せた写真のような光景が浮かぶだけ。けれどはっきりと、自分があの男を殴り殺したことは覚えていた。
「ぅぶ」
男の最期がはっきりと思い出され、朔奈はサイドテーブルに置いてあった洗面器に顔を突っ込んで、胃液を吐いた。胃酸が喉を焼いて、涙が溢れる。
荒れ狂う呼吸を抑えつけようとするが、弾んだ息は自分の力ではどうにもならない。暴れ馬のようにいななく肺を抑えられないのだ。すぐにナースコールを押し込むが、機器が警報を発していたのもありすぐに救護班のスタッフが駆けつける。
朔奈は「大丈夫よ」と声をかけられながら、酸素吸引器を押し当てられて鎮静剤を投与され、微睡む意識にあらゆる思考を投げ渡すようにして枕に沈み込んだ。
それからどれくらいの時間が経っただろう。
小さい頃の記憶をかき集めた、よくわからない世界を旅していた。
朧げな姿の両親。そのあとの八十神朔往に引き取られてからの生活。記憶から抜け落ちていたのだろうか、今思い返せばそういえばそうだったと思える、朔往の横暴な態度や粘着く視線。
それから遠いところに霞む、一人の女性の微笑み。
――大丈夫。君ならできる。
その声は、虫人間を前に朔奈を導いた、あの――……。
「さがせ。白髪に黒いメッシュのガキだ」「四階は制圧できたらしい。ここもすぐに落とすぞ」「手間をかけるな。鬼が帰ってくる前に――」
騒がしい。ゆっくり寝かせてくれ。
朔奈は呼吸器を外してベッドから落ちた。本当は床に降り立とうとしたが、力が入らなかった。鎮静剤が効き過ぎているのかもしれない。四肢が怠くて重く、満足に持ち上がらない。まるで手足を別の生き物のそれに挿げ替えられたような感じである。いうことの効かない体を引きずるようにして、朔奈は近くの机を掴んで立ち上がった。
(白髪に黒メッシュって、俺じゃないか)
制圧、探せ、手間をかけるな。
その行間を読むのであれば、朔奈を探す何者かの侵入を許し、攻撃されていることだ。
ぼんやりと幕を張ったような鼓膜をゆする、鋭い炸裂音。怒号と悲鳴。誰かが術を使い、攻めて来ている。
戦わなきゃ——。
御巫にとって理想的な戦闘状況は常に巫覡がそばにいること。異性間であれば、家庭事情もあるが多くが夫婦となるケースが多いのが御巫と巫覡というあいだがらであり、しかし中学進級を控える子供にはそれが難しかったりもする。
要するに朔奈を暗殺することが目的であろう彼らにとって、今の状況は最高なのだ。
と、目の前の強化ガラス越しに若い所員が見えた。彼は裡辺地方に本拠を置くスターライズ重工のライフルを手に、しかし次の瞬間銃声とマズルフラッシュが瞬いて後ろにひっくり返る。
朔奈は腰が抜けてその場にくずおれた。
……銃だ。人を殺す道具だ。鋭い音の正体はあれだったのだ。術なんかじゃなかった。
自分でも何を考えているのかわからない。あまりにも幼稚だとわかっている。けれど慌てて机の下に隠れた。そこが絶対に安全な砦であると信じて疑わないように。
激しく震える指を噛んで、血が出てもまだ止まらない。歯の根が震える。
剣だとか鎌じゃない。無論これらも使い方次第で人を傷つけられることは知っている。けれど自分達が持つ巫覡は魍魎やなんかの、異形の化け物を祓除する武器である。
けれどここへ乗り込んできた連中が持っていたのは、さっきの音と現象は殺人のために生まれて進化した銃じゃないか。
化け物狩りの武器ではない。人狩りの武器だ。
震えが止まらない。強く噛んだ皮膚が裂けて抉れる。撃たれたら痛いでは済まない。
死んで消える。今までいじめられて苦しい思いをしても、自殺だけはしなかった理由は、ただただ死ぬのが怖かったからだ。
「ここにいるのか?」「探せ。ロッカーの中もだ」「案外ベッドの下にいたりしてな」
呼吸するな。息遣い一つで死ぬ。
けれど現実は非情だ。椅子を退けた、フルフェイスマスクの人物が「いたぞ」と言った。その手にはサブマシンガンらしき銃。
「あ……ぁ」
思わず失禁し、恥ずかしさと無様さと、けれど死にたくないという焦りが噴き出した。奇妙な興奮状態の中、皮膚が抉れた左手の痛みなどありはしない。
「来い、ガキ。抵抗したらわかってんだろ」
「っ、は……はい」
机の下から引き摺り出され、けれど次の瞬間掃射音が轟いた。銃を持って武装した連中がひっくり返り、室内にメタルマスクこと瀧沢奏人の秘書である
微かに呼吸のある連中を射殺し、朔奈を抱える。彼女はいつもの鉄仮面ではなく、痛み分けしてそれを噛み締めるような顔をしていた。
「怖かったろう。でもこれは、お前のせいじゃない」
凛は片手で個人防衛火器――PDWを握って、追い縋る連中を撃退。医務室を出て、屋内にある非常階段へ。
「あ、あい……つらは?」
「ジャスティスワンだ。テロリストだよ。お前の力を狙っている」
どうして俺を、と朔奈は言いたくなった。なんで俺なんだ、そんな嘆きが。けれどそれを口にするよりも早く、朔奈は「階段を降りる。舌を噛むから喋るな」と凛から言われた。
凛は階段を降りるというより飛び降りるような勢いで駆け降りていく。既に本格的な訓練を積んでいるプロの黒服たちが部隊を展開しており、ビル全体から銃声がしていた。近隣への音漏れを心配するが、多分結界か何かで防がれているのだろう。でなければとっくに警察が来ているはずだ。
「いっ、一階から出るんですか?」
ロビーについて、凛に聞いた。
「いや、地下からだ。こういう時のために脱出トンネルがある。こんな商売だからな。遅かれ早かれこうなってた」
「真響は? 往音たちは?」
「無事だよ。とっくに稲尾家に逃げおおせているだろう」
一階の片隅にあったコーヒーサーバーのボタンを一定の手順で押すと隠し扉が開くらしく、凛が向かったのは繋ぎ目の見えない隠し扉だった。壁が左右に開いて、奥にあった耐爆仕様のドアを開ける。非常灯のついたそこへ入り、ドアを閉めた。
「他の連中もじき合流する。今は自分の心配をしていろ」
地下道へ降りていく階段も、ほとんど飛び降りていくような感覚だった。朔奈はその間、ずっと自分のせいだと責めていた。ほかの職員から何を言われるかわからない。怒鳴られるかも、殴られるかも。——殺されるかも。
到底心配などしてもらえない。相応の責任を取れと迫られるに違いない。
頼むからどこかで落っことしてくれ。そう願った。しかし凛の力強い腕は朔奈をしっかりと担いだままで、そうこうしているうちに骨組みのような支柱に支えられている地下道へ辿り着いた。
そこには一台のバンが止まっており、後部座席が開く。
凛は朔奈を抱えたままそれに乗り込んで、「出せ!」と指示した。
蒸気ソウルエンジン式のそれは一度震えた後発進。悪路に強いタイヤが砂礫を噛んで、進み始めた。
芥川民間特殊警備事務所に火の手が迫り、ビルが焼け落ちたのは間も無くのことだった。
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