第11話 愛の不在
お前なんて産むんじゃなかった。
それは
あの男は物の怪だった。物の怪なんかと、物の怪の子と暮らすなんて、気が狂う。混乱した日摘は家に居られないと思って逃げ出した。その二日後に、母はビルから飛び降りて、コンクリにぶちまけられた飛沫と肉片と、糞尿を野ざらしにした、割れた水風船のような死体になった。
以来、鹿島日摘は凶行を繰り返す。声に衝撃波を伴わせることも覚え、進路を塞ぐ結界術も身につけた。手当たり次第女でも男でも襲い、生で出す。お前たちも物の怪を孕んで苦しめ。俺の地獄を味わえ。そんなふうに。
×
「ぎィ——ギッ、き——」
朔奈が赤黒い——まさに闇色とも言うべき影の拳を打ち出した。ターゲットである男は髪を揺らして斜めに飛び退いて、直撃を避ける。キィンッ、と響いた衝撃の反作用で男はさらに加速して回避を確実なものとした。
影の拳は乗用車数台を巻き込んで粉々に叩き潰す。幸いなのはここは既に勢子辻であり、生身の一般人は締め出されていることだった。霊力に対して何らかの関わりがなければ、この空間には入ってこれない。ただ、変な音がするなぁという具合に現実空間を行き来するだけだ。
軽量とはいえ頑丈な合金の車体がひしゃげていき、あろうことか鉄筋コンクリートの柱までもを粉砕する朔奈の影。燈真はまだまだ雑味が目立つも、あれを正しく使えればかなりいい術師になれると思った。
けれど現状、手放しには喜べない。朔奈はどう見ても鬼に飲まれている。
椿姫を見た。彼女は結界術で朔奈による同士討ちを避けているが、あんな威力で殴りつけられれば一重展開では防ぎきれない。燈真は「二重にしてくれ」と言った。
「朔奈君、だよね……」
真響の目が見開かれ、声は震えていた。頬も唇も青ざめ、己を抱きしめるように二の腕に手を当てている。
「見るな。見なくていい」
「でも——」
「朔奈にとっても、それが幸せだ」
にへら笑いを浮かべていた男だったが、次第にそうも言っていられなくなった。発声衝撃波による高速移動と、声の砲弾による攻撃がほとんど防がれる。そのくせ影の腕は展開する防御結界を易々砕くのだ。
「俺の側で、幸せそうな顔をしやがって」
男は唸るように、そして次の瞬間、激したように怒鳴った。
「他人の不幸を食い物にするお前らに俺の何がわか——」
その言葉は掻き消えた。朔奈が放った影の拳が結界を叩き割り、威力を殺そうとした怒号の衝撃波をも突き破ってターゲットを叩き潰したからだ。
拳とコンクリの支柱にプレスされた男は、割れた水風船のように破裂して飛散していた。腕が引き戻されると粘つく血液とどろっとしたリンパ液、糞尿が垂れ落ちて尾を引いた。
椿姫が思わずえづいて、ただ燈真は真響の目を塞ぐことしかできない。
「おレは……レは……ぐ……ゥゥ——」
ぎょるっ、と右の赤い目が燈真の青い瞳を捉えた。燈真はそれとなく鬼としての妖気を放つ。それは威嚇ではない。宥めるためだ。お互いに同族であると理解させて、まずは相手に波長を合わせる。
朔奈が敵か味方か——というよりは、獲物か同胞かを理解できたらこちらの波に合わせていくように、意識を引っ張る。鬼と朔奈の結びつきを引き剥がすといえば正しいだろうか。
「とゥ……ま……」
逆立つ髪の毛が元に落ち着いて、垂れ下がった。キタローヘアに戻った少年は、なおも血を流す頭を抑えて庇うようにしつつ、その場に倒れ込んだ。
燈真は真響を椿姫に任せて慎重に近づく。朔奈を見下ろして、触れた。呼吸も脈もある。だが、体温が下がっている。
「救護班を。瑞希さん、急いで車をお願いします。そっちのターゲットは椿姫に任せますので」
耳小骨越しに「了解」と返ってきた。
燈真は自分の服の肩口を噛みちぎり、強引に引き裂いた。それで急拵えの止血をして、手元にあった圧搾注射式のアンプルを打ち込む。朔奈の呼吸が落ち着いて、口元を手で押さえる真響がそばに来ていたことに気づいた。
「……今は、何も聞かないでくれ」
真響は小さく頷いて、朔奈の赤く染まった手を握った。まるで愛おしい我が子を抱きしめようとする母親のように。
×
「ノツゴ?」
「愛媛や高知に伝わる妖怪よ。声を出して叫んだりして驚かしたり、行手を遮ろうとしたりするの。多分その能力が戦闘技能に特化した結果、声を衝撃波にしたり結界術に長けた性質につながっていたんでしょうね」
椿姫は芥川民間特殊警備事務所の医務室でそう言った。その場には燈真たちだけでなく、往音や瑞希、真響もいるし、瀧沢チーフもいた。
「俺らは出て行くよ。椿姫、ほら。瑞希さんも、行こう」
「ええ。……じゃあ、往音」
「うん……」
朔奈は命に別状はないとのことだった。恐らくは鬼の力による恩恵だろう。力の発露とその定着が急速に進んだがゆえの意識混濁であり、今後はそのようなことは滅多にない——らしい。
頭には包帯が巻かれ、八針を縫う大怪我だったが半妖としての回復力でなんとか持ち堪えている。
往音はそんな彼に対して、「頑張ったね」としか言えなかった。従姉妹として……姉のように振る舞う自分が情けない。それから、燈真に嫉妬する自分にひどく嫌悪を覚えた。
男同士ゆえに打ち解けるのが早い。それは事実だ。けれど長年一緒にいた自分には見せない笑顔や純粋さを、出会って間もない燈真に見せている。血縁もそうだが、やはり同じ半妖であると言うそれが大きなシンパシーが無意識下にあるのだろう。
意地汚い女。往音は自嘲気味に微笑んだ。
「瀧沢チーフの資料には、男が……鹿島日摘が妖怪であると言う記述はありませんでした」
どこか責めるような口調になってしまったことを、しかし瀧沢奏人が咎めたり不機嫌になる様子はなかった。何を考えているのかわからない糸目で朔奈を見て、呟く。
「それについては私のミスだ。もっと念入りに下調べをすべきだった。言い訳めいているが……ここ二ヶ月で起きているジャスティスワンの犯行は世間の明るみにも出つつあるんだ。我々影の世界が日の目を浴びることはあってはならない。一般人にとって、正気と理性の世界において我々はあまりにも異質だ。最悪、私たちと……妖怪や術師が一般人と戦争になることもある」
きっとその時には、核兵器も用いられるだろう。奏人はそう言い切った。優秀な情報筋や、各方面に太いパイプを持ち、彼自身もかつては国防軍に居たがゆえの発言だ。
確かに普通の人間にしてみれば、人の姿形をした存在が突然武器になったり、あまつさえその祖先が奇妙な妖怪だと告げればいい顔はできないだろう。それを理解した上で、往音たちは影の住民として暮らすことを選んだのだから。
「私自身が立身出世に興味を持たずとも、ここはあくまで経営されている事務所。ある程度の業績がなければ倒産する。ここを頼みの綱に、最後の砦にしている子たちが多いのは知っているから、その場を守るためにも非情な判断をする。それが、チーフというものさ。私は末端の一つの長に過ぎず……」
奏人は朔奈の額を撫でた。「痛かったろう」と、本当に自らも痛みを味わうように口にした。彼の秘書である鉄仮面の女は、たまに「瀧沢チーフの優しさに甘えるな」と言うが、こう言うところなんだと思った。この人はあまりにも、他人の痛みに敏感で、非情になれても鈍感にはなれない。
「……やはり、私は所詮何の力もない平社員なのさ。子供に殺しの仕事を任せるような、外道のね」
彼なりに今回の仕事には——いや、過去のどんな仕事にも迷いはあったのだ。だが部下にそれを見せず、強く振る舞うのも長である。縋る側ではなく、縋られる側。いい給料と、安全な事務所での仕事。それは、決してなんの責務もなく得られるわけではないのだ。
「すみません……責めるようなことを言って」
「いいや。……朔奈君の力については、燈真君が調べた通りなんだろう。影鬼の力を発揮し、他ならない影鬼の妖気で落ちつけさせられたのだからね。それから血縁関係だったり……。うん、世間っていうのは、案外狭いものだね」
真響はそれらの会話が聞こえていたのかいないのか——朔奈の手を握ったまま眠っていた。その目尻から頬には、這いつくばっていた涙が乾いた跡がある。
「真響君を任せていいかな。諸々の処理は私が済ませておく」
「助かります」
往音は真響を抱きかかえた。小さな声で「助けてあげられなかった」、「ごめんなさい」と呟く。それがあまりにも苦しく感じられた。心臓を握られた上に喉を締め上げられているような感じだ。けれど、真響を責めるつもりはない。誰も、朔奈と真響を、あの場にいた者を責められはしない。
一人一人が、あまりにも暗く染まった、黒いものが染み付いた過去を背負っている。
そして朔奈は、その過去や地獄を誰かに持ってもらうという頼り方を、未だに知らないのだ。やはり、燈真が言ったように。
「私も、もっと強くならないと」
従兄弟を守ると決めたのだ。実父が朔奈へ妙な執着を見せ始めた頃には、とっくに。
廊下の窓から見える夕日を眺め、往音は深呼吸した。
御巫としても、朔奈の家族としても、強く——ただ、強く。従兄弟に頼られるくらい、強く。
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