第10話 血濡れの影鬼

 瀧沢チーフから与えられた任務は魍魎祓除ではなく、ある手配犯の捕縛・ないしは殺害だった。無論、こんな『殺しの仕事』が表の社会で出回ることなどあり得ないし、仮に裏の職場でも、アニメではないのだから子供相手に堂々と暗殺の仕事など出さないだろう。幼い子供に頼るなんて面目丸潰れもいいところなのだから。

 しかし夜廻り業界という、表でも裏でもない——便宜上『影の世界』などとも喩えられるこの場においては、十歳以上で才能と実力を持っていれば等しく夜廻りであり、巫覡の術——妖術を扱う立派な術者・・と見做される。朔奈も、もちろん往音や燈真、その巫覡たる真響と瑞希と椿姫は、立派な仕事人であった。

 現状朔奈と真響は訓練生の肩書きである五等級の夜廻り等級が与えられているが、ポテンシャル的には四等級といえる。

 夜廻りは常に人手が足りないし、なにより四等級夜廻りであれば四等級魍魎に勝てて当然。ゆえに、『その等級の夜廻りは、同等級の魍魎より強い位置付け』になるのだ。五等級といえば、つまりは最悪でも四・五等級といえる立ち位置なのである。

 それはさておき——。

 ゆえに瀧沢チーフは躊躇う様子も、悪く思う風でもなく平然とした顔でこの任務を告げたのだ。

 とはいえ、大人数で動いて怪しまれては本末転倒である。朔奈は真響と燈真、椿姫の四人で「兄弟とその友人」という風を装ってショッピングモールに来ていた。

 朔奈と真響には告げていないものの、燈真と血縁関係がある朔奈は、確かに兄弟という設定に適した間柄であり、周りも疑うような目を向けることはなかった。幸か不幸か、朔奈の髪は黒いメッシュを三本残して残りは全て白く染まっているのも理由だ。相変わらず彼は長く伸ばした前髪で、右目を隠しているけど。

「春休みってすることがないよね。新作スイーツも食べちゃったし、服を見るのも飽きてさ」

 椿姫がそんなことを言いつつ、アイスティーを口に含む。真響が「そういえば欲しい靴があるって言ってましたよね」と世間話を装って相槌を打った。

 報道番組においては未成年であることが理由で、朔奈たちの顔や音声にはモザイクとボイスチェンジャーがかけられていたし、実名も伏せられていたのでこの場の四人を見てすぐに「あの殺人刑事の身内だ」と騒ぎにはならない。けれど容疑者の名前が公開されたことが理由で、彼らの家庭を少し知る者や、警察関係者には正体がわかるだろう。

 人の口に戸は立てられない。

 朔奈は内心いつ騒がれるかと落ち着かなかった。

 テーブルの下で燈真がつま先で軽くこづいてきて、口の動きだけで『気にするな』と言った。

「俺は弟とゲームを買いに来ただけで、なんでお前らと出くわしたのかがわからねんだけどな。ちゃっかり俺の奢りにしやがって」

 設定上はそうなっていた。新作ゲームを欲しがる弟とその兄が、高校の女友達——否、彼女とばったり出くわす、というシチュエーションである。その彼女はバイト先の友人のと遊び歩いていて、それで四人でカフェを楽しむ。筋書きは概ねそんな感じだ。

 離れた席にいた往音と瑞希は、年が近しい女友達として最近のトレンドである八洲の『ナデシコロード』の話で盛り上がっていた。端的に言えば、八洲国の女性がファッションの式典の場に出て、それをアピールするものである。海外にもよくあるやつだ。耀路巴よーろっぱにもそういった祭典がある。ナデシコロードは一時、多様性だのなんだので中止に追い込まれたが、今ではそれを跳ね除けて堂々と開催していた。

 朔奈自身も空気を崩さぬよう会話に参加して、ターゲットの動きを六名で交代で注視していた。

 相手はこの喫茶店のバイトである女。年齢は二十一歳で、表向きはフリーター。しかし実際はジャスティスワンの構成員と見られていた。

 たったの二十一年しか生きていない女性を殺せ。それこそ世が世なら、人権団体という仮初の正義を振りかざす偽善集団が鬼の首を取ったように、のちに起こる悲劇を知らないくせに騒ぎ立ててこちらのプランを台無しにしてくれただろう。しかしながら、影の世界はその程度では止まらないし、馬鹿げた連中を黙らせる手札は山のようにある。

 つまり、金を握らすことも、物理的に捻り潰すこともできる、ということだ。賢い連中なら金を受け取って黙り込む。アンダーズネットでジャーナリストを気取るやつが金を突っぱねることもあるが、そのときはしれっと『今年も孤独死を遂げる人数が』というニュースの材料になるだけだ。

 オーダーしていた抹茶オレを朔奈はストローで吸い上げる。甘いものが苦手だという燈真はブラックコーヒーを飲んで、隣の椿姫から「女の子の前でブラック飲むの痛いわ〜」と煽られていた。真響はそれにちょっとだけ笑って、ミルクティーを口に運ぶ。くだんの燈真は「悪かったな、痛い男で」と少し不貞腐れていた。

 耳小骨をゆする感覚。骨伝導無線機だ。霊子の妨害を受けない電波式のものである。体に取り付けた小型の蒸気ソウルエンジンから電力を得て、人体の塩分でそれを電導して動かしているものである。人体への霊力流入は極めて危険であるため、隠密性を保持した通信は電波が一番だった。

 霊力を流すのに最も効率のいい伝導物質は血液だが、それを宿す肉体はあまりにも脆い。下手に扱えば、霊力の奔流で体が爆発する。文字通り、本当に。

「巫覡と思しき男が入店した。背の高い、三十代前半の男。サングラスにブラウンのコート」

 往音の声に反応したのは椿姫だけだ。自然な風で、メニュー表を見るついでにと言った様子で視線を投げる。

 小声でボソボソと椿姫が応じた。

「確認した」

 燈真がそれを聞いて、「腹痛い。冷たいもん食ったから」と言って、席を立った。彼はこの時のために、冷たくて苦手な甘味を口にしていたのである。

 巫覡の男はバイトの女と二、三言葉を交わす。それから、何かを受け取って店を出た。燈真はその背を見て、朔奈と真響にハンドサインを出す。

「あ、メール。燈真、家に帰ろうか……だってさ。そろそろ行こっか。ねえね、私たちも遊びに行っていい?」

「いいかな?」

「うん。兄さんもいいって言うよ」

 椿姫が席を立って、伝票を手にレジへ。暗殺対象の女に精算してもらった。まさか彼女も、今まさに店を出た四人が己と己の巫覡を捕縛、ないしは殺害しようとしているとは夢にも思うまい。

 往音と瑞希はその御巫の女の監視だ。あの女もまた捕縛・殺害対象なのだから。

 こんなに民間人が多い場で荒事なんてごめんだと燈真は思っていた。幼い朔奈に、『コラテラルダメージなんて気にしなくていいんだぞ』と言っているのと同じだ。大義のための犠牲はもちろん払わねばならないが、だからといって不必要な人命を失っていいわけではないし、そもそも無関係な第三者を巻き込むなど三流もいいところだ。

 プロならターゲットだけをピンポイントで仕留める。

 それが今年十八歳にして夜廻り歴三年を迎える燈真の持論であった。

 絶対に一人になる瞬間が来る。経験則で、燈真はそれを知っていた。ショッピングモールの地下駐車場へ。燈真と朔奈は『親が待つ車に戻る兄弟』というムードでターゲットと同じエレベーターケージに乗り込んで、椿姫と真響は階段から降りていた。

 しかし敵も馬鹿ではない。

 地下二階でエレベーターが開くや否や、男は突然走り出したのだ。燈真はそれでもまだ焦ってはならないと思った。こんなものはただの揺さぶりである。が、肝心の朔奈が釣られてしまった。

「クソっ! おい!」

「朔奈、待て! ——畜生、椿姫と真響、こっちに集合!」

 実を言うと朔奈は焦っていた。

 信じていた叔父の凶行、隠れて行っていた卑劣な犯罪。それに気づけなかった自分。その全てが嫌で、何か一つ他人に誇れる功績が欲しかった。

 俺は役立たずなんかじゃない。弱虫じゃない。いじめられっ子じゃない。女の子の力なんてなくとも、俺一人で小賢しい悪党の一人二人どうにでもできる。——そんな風に。

「待ちやがれ!」

 怒鳴る朔奈の声音には鬼気迫る物があった。以前ファストフード店の店員を脅しつけたように。

 その声音を聞いた燈真は「まずい」とぼやいた。

 朔奈が燈真と同じ血を持つならば、彼もまた——

 ふと燈真の『拙い』は違う意味のそれに変わった。

「んのクソガキが!」

 逆上したサングラスの男が急反転。そこにあった消化器を掴んで取り外し、あろうことかそれで朔奈の頭部を狙って投げつけ、打ち据えたのである。二〇型の粉末薬剤を充填したもので、こんなものが頭に当たれば常人などひとたまりもない。

 ゴンッ、と鈍い音がして、朔奈はそのまま力なく倒れる。額が大きく割れて出血し、手足は電気を流されたカエルのように跳ねている。

 燈真は「この野郎!」と激昂し、遅れて駆けつけた椿姫は息を呑んだ。そして真響が声にならない悲鳴をあげ、その中で男が高笑いする。

「なんだよ! オスガキ一匹死んだくらいで騒ぐな!」

 その気になればマイクロバスを吹き飛ばすこともできる燈真の拳打を男は右手一つで受け止めて、拳圧でヒビが入ったサングラスを捨てる。

「なんだ、お前……俺と同じか? 力を自覚してるな」

「お前……っ」

 燈真はすぐさま拳を捻って離脱。その右拳は男に握り込まれ、折られていた・・・・・・。ねじ曲がっている中指を力尽くで戻す。激痛が走るが痛みを無視することは得意だった。顔色ひとつ変えずに、奇妙な音を上げながら曲げ直した指を数回曲げる。

「悲鳴をあげねえ奴は嫌いだ。ラブドールじゃ興奮しねえだろ? せめてオートマタじゃねえとさ!」

 さらに男は朔奈の腹を蹴飛ばした。ゴム毬のように、頭部を血まみれにしている朔奈が転がる。

 冷静でいろ、血を昇らせるな。プロがこんなことで取り乱すな。燈真は何度も己にそう言い聞かせるが、しかし膨れ上がる憤怒は収まらない。

 それは——、燈真が、

「〈鬼〉だろ、お前」

 ——そう、そうとも。燈真は紛れもなく鬼なのだ。

 なんら隠し立てすることはない。燈真は半妖であり、鬼の血を持つ。そもそも巫覡の元は妖怪であるからして、ではその血を強く持ったまま、妖怪として生きながらえ人の目を忍ぶ者もいるのでは? そう思うだろう。それは事実であった。

 燈真は世を忍んで生き延びてきた鬼の血を持つ男であり、またその気質をそこそこ強く受け継いでいた。首をもがれても泣かないど根性、そして怒り狂えば手がつけられない、そんな気質を。

 けれどそれを知ってなお挑発したこの男もまた、妖怪——アヤカシなのだ。

「くっくく……メスガキに使われることには飽きてた。いいね、久々に気持ちよく殺り合おう。逝くまでやめねえデスマッチだ!」

 ふざけやがって。

 燈真の中でぶちん、と何かが切れた。

 恐らく、それがいけなかったのだ。

 青年の圧——妖気が溢れた瞬間、彼らは息を呑んだ。

 より濃い、いや——黒い妖気が滲んだことに。

 ぬばたまの闇から這い出すようにして、その血が目覚めたことに気づく。

 ゾッとするとはこのことだろう。ターゲットの男も、何より今の今まで怒りに支配されていた燈真さえ一瞬で現実に引き戻されたのだから。

「ぐ、ギュ……ィぃイ——キぃ」

 ゾンビのように立ち上がったのは他ならない朔奈だが、荒れ狂う妖気が彼の髪を躍らせている。普段隠しているその右目が露わになり、燈真は苦い唾液が滲むのを感じた。

「やってくれたな、お前は……」

 ターゲットに向けて毒づいた。

 朔奈の右目は酷いものだった。周りの皮膚は焼け爛れて変色しており、普段は焼けて癒着した右目が開いている。

 その瞳は滴り落ちる血を思わす深紅のそれ。悍ましいまでの黒ずんだ妖気。心胆寒からしめる異様な空気。

「カア、さマ、トうサ、ま」

 じゅるるるる、と黒い妖気が渦を巻き、それは奇妙な腕を形成。影と血を練り込んだような、黒と赤の腕だ。

「わレらが、キジんサま」

 直後、地下駐車場に暴風が吹き荒れた。

 燈真は影鬼かげおにという鬼の血を引く。それは母型の血筋である如月家に流れる血によるもので、燈真の母の妹にあたる女性の子供であれば、血の濃さはちょうど半分。朔奈は比率的には燈真と同じ綺麗な半妖である。

 従兄弟であり、ある意味では本当に兄弟といえる朔奈の顔には正気の「し」の字もない。溢れ出す影鬼の力に飲まれた脆弱な心の持ち主の面影があるだけだ。

 いきりたっていたターゲットはまだことの重大さに気づいていないのか、シャドーボクシングを始めている。

 椿姫はもちろん、真響が割って入れる状態ではない。

 骨伝導無線機越しに椿姫は「イレギュラーが起きた。局所勢子辻を展開する」と告げた。一般人を避難させるのは間に合わない。であれば、一般人を締め出す結界を作るしかない。そういう判断だった。

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