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素直に勧めに応じて、エカテリーナはクレープにナイフを入れた。
貴族令嬢たるもの、クレープとはお皿に形よく盛り付けられているのをナイフとフォークで食べるものであって、食べながら歩いたりするものではないのである。前世の有名映画『ローマの休日』ではオードリー・ヘップバーン演じる王女様が、ジェラートを手に持って食べ歩きしていたけれど、あれがお忍び中の解放感の表現になるくらい、身分ある女性の行動としてはあり得ないのだ。
とはいえ庶民の間では、屋台でクレープを買っての食べ歩きは普通らしい。フローラに教えてもらって、お昼で作るクレープはそちらの感じで、紙で巻いて手に持って食べる形にしている。なにしろ、食べやすいので。ただあくまで、席に座って食べているのだが。
男子はそのへん女子より自由で、学園祭の準備で忙しい時期は、サンドイッチとか食べながら移動する男子を見かけた。
正直ちょっと、いいなーと思って、私も食べながら歩くのをやりたかったけれど、やりませんでした。
お兄様に引かれたら嫌だから!
音もなく切り分けたクレープをきれいな所作で口に運んで、エカテリーナはゆっくり味わった。
そして、にっこり笑った。
「美味しゅうございましてよ。よいお味ですわ」
どんな出来でも『褒める』一択の状況だが、実際に美味しかった。
前世で一人暮らしをしていた頃、自宅でクレープを作ったことはあるが、ホットケーキミックスに多めに牛乳を入れて薄く伸ばしたテキトーな代物だった。それでも美味しくできたのは、必要なものが厳選された素材でいい案配にあらかじめ混ざっている、ありがたい魔法の粉のおかげだ。ああ尊いメーカーの企業努力……。
皇国には、前世で当たり前だったものがいろいろとない。今回なら、ホットケーキミックス。ここでは、料理する人がいちいち自分で計って混ぜる。
そして火力はかまど。薪を燃やした不安定な熱だから、ちょっと気を抜いただけで、一部は生焼けで一部は焦げ焦げ、なんてことがあっさり起こってしまう。
だから失敗すると、あり得ないほど悲惨な味が爆誕する。それはもう爆発的に。
エカテリーナが前世の日本食にあまりチャレンジしないのは、それが理由だった。あの繊細微妙な味わいは、再現が難しい上に、リスクが大きいから。
それはともかく、それを思えばミハイルのクレープは、とても上手と言えた。
ほんのり甘味のある生地はしっとり感の残る焼き加減、包まれているのは葡萄のコンポートで、ちょっぴり酸味があって爽やかな味わいだ。上手だがどことなく手作り感も感じられるのが、むしろ好ましい。
下準備をかなり丁寧にしたに違いない。粉が
青いエプロンを粉だらけにして、せっせと粉を振ったり生地を混ぜたりしているミハイルの姿を想像して、エカテリーナは微笑んだ。
「よかった」
ミハイルは本当に嬉しそうな笑顔になる。いつものそつのないロイヤルスマイルとは違う、少年の顔だ。
「やってみて、想像よりずっと難しくて驚いたよ。君たちはいつも上手に作っていて、すごいね」
「わたくしには、よい先生がおられましたのよ」
エカテリーナがフローラに目を向けて言う。フローラは赤くなって首を振った。
「エカテリーナ様は、最初からとってもお上手でした……でも本当に、これは美味しいです。粉を振るところから、とても丁寧になさったんですね」
「うん、そういうところから気をつけないといけないんだね。実は、皇城のシェフに作り方を教わったんだ。美味しいものを作るには妥協は許されないのです、って力説された」
ミハイルの言葉から、皇城のシェフにスポ根のコーチみを感じてしまったエカテリーナである。
「父上に話したら、自分もやってみたいと仰せになったよ。近習たちが真っ青になって止めていた」
これには、エカテリーナとフローラ二人揃って笑ってしまった。あの威厳あふれる皇帝陛下が、エプロンを着けて粉だらけになって料理する姿……それもきっと素敵だろうけれど、側に仕える人々が動揺する気持ちも解る。
あ、でも日本には、平安時代に料理男子な天皇がいたんだった。超子沢山激モテ男子の。
「皇后陛下はお料理をなさるんですか?」
フローラが無邪気に尋ね、その清く正しいヒロイン力にエカテリーナはちょっと
ミハイルは少し考え、にこっと笑う。
「そう言えば、魚を焼くのは得意だと言っておられた。昔はよく、自分で釣って自分で焼いたそうだよ。船が難破して無人島に流れ着いても、一人で生き延びられると自慢しておっしゃっていた」
おおお。
皇后陛下、もともとユールセイン公爵家のご令嬢なのに……魚釣り。そして自分で焼く。それも火起こしから自分でやって焚火で焼く、ワイルドなお姿を想像してしまった。
でも無人島でも生き延びられる、とおっしゃるからには、そういうスキルをお持ちなんだよね。ど……どういうことかしら。
しかしカッコいいな。前世でもインドア派だった私なんて、船が難破したら即サヨウナラですよ。
皇帝陛下は皇后陛下をすごく愛していらっしゃるけど、もしかするとそういうワイルドさに惚れたのかしら……。
そんな風になごやかに話しながら三人でクレープを味わい、三人ともきれいに食べ終わった頃。
「エカテリーナ……その」
言いかけて、ミハイルは珍しく口ごもった。あの、とか、その、とか、言いかけては躊躇う。
初めて見るミハイルのそんな様子に、エカテリーナは紫がかった青い目をきょとんと見開いた。
皇子、どうしたの?
何度か咳払いした後に、ミハイルはようやく言った。
「エカテリーナ……その、来月の、舞踏会なんだけど。
僕と一緒に参加してくれないかな。
君と参加したい……僕の、パートナーになってほしいんだ」
前回はたくさんの温かいお言葉ありがとうございました。
本作の連載を始めて3年半ほどになりますが、あの失敗は始めてで、あううってなっております……。
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