1979年生。東京都出身。中央大学中退後、哲学者・批評家の東浩紀に師事。ライター兼編集者としてキャリアをスタートし、ゼロ年代批評の記念碑的同人誌『美少女ゲームの臨界点』の発行に携わる。後にシナリオライターとしてデビューし、ノベルゲーム『波間の国のファウスト』、その前日譚となる小説『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』を執筆。https://twitter.com/shin_satou?s=20
小説家、脚本家、評論家。小説に『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』、おもな評論に「あらゆる生を祝福する『AIR』(『美少女ゲームの臨界点』)」、「オートマティズムが機能する(『新現実』)」、「『イリヤの空』、崇高をめぐって(『社会は存在しない セカイ系文化論』)」など。最新の論考に、欅坂46論「第三の永遠」がある。以下のリンク先にて公開中。
https://note.com/kayn_0424/n/n91f112b0be18
──HRTimesではこれまで、ベンチャー企業の代表を務めている方などに取材することが多かったのですが……。
そうですよね、ちょっと僕とは遠い世界の方ばかりが……(笑)。
──たしかに(笑)。ただ、HRTimesは「若い世代が自分の将来について考えるためのメディア」なんですね。ですから、就活でも起業でもない選択肢……たとえばフリーランスや研究者といった第三の選択肢も紹介すべきではないかと思っていたんです。
なるほど。
──そんなとき、佐藤さんが note に掲載されていた「第三の永遠」 1を拝読し、ぜひお話を伺いたいと思い連絡させていただきました。まず、あの論考では現代の若者を「弱さや傷つきやすさを抱えた存在」と分析されていたのが非常にしっくりきたんですね。 そして、彼らがときに社会からの圧力や、周囲との競争の中で挫折し夢を持てなくなってしまい、 追いつめられた結果「月スカ」2の章で書かれていたような「匿名の悪」になってしまいかねないというのも納得のいく話で……。
自分で言うのもなんですけど、あれはあまり思いつかないアイデアですよね。歌詞の語り手ではなく、彼女の敵として描かれる犯人こそが読み解く上で重要なのだ、という。
欅坂46の曲はそういった、追いつめられて逃げ場がない人のことも結構描いているんですよね。それがあの曲に凝縮されている気がして、「月スカ」の章を書きました。
──そういった分析をされている佐藤さんの語る言葉や人生こそ、現代の若者に刺さるのではないかなと。
特に、一歩間違えれば引きこもっちゃったり、学校には入ったけどやる気がでなかったり、就活が迫っているのに何もできなかったり、あるいは就職はしたけど上手くいかなくて……とか、なにかしら行き詰っている人にってことですかね?
──そうですね。そういう方が読んだ際に、何かしら役に立つ記事にしたいとも思っています。
──「第三の永遠」では、「夢」がキーワードになっていますよね。佐藤さんの「夢」の原点になったという、幼少期に神と出会ったエピソードについて詳しく聞かせていただきたいです。
僕って、生きづらい小学生だったんですよ。家族も好きじゃないし、友達はいたけど表面的で……そんな鬱屈している奴だったんですけど、あるとき空に神を感じたんです。突然「あっ、これは神だ。今そこに神がいるんだ」ということをありありと感じた。
でも、その神とコミュニケーションを取ることは出来なかったんですよね。ただ、「目標を持った方が良いんだ!」ということだけが直感的にわかった。
それで、色々悩んだ末に「僕はこれから日本の為に頑張ろう」という目標がポッと浮かんだんですよ。小学生にして(笑)。そうしたら、生きづらさが少し解消されたんです。
──その「日本の為に頑張ろう」という意識が、作家の前に志していた革命家という夢に繋がるのですね。
そうです。日本の為に何を頑張ろうか、と色々考えて「この国には革命しかないのかな?」ということになりました。でも、革命って具体的にどういう手段をとるかが重要じゃないですか。
──そうですね。
そうやって色々考えているうちに地下鉄サリン事件3が起きてしまって、ショックを受けたんですよね。今の日本でテロというか、革命みたいなものを起こすと最終的にここまで滑稽なものになってしまうのか……と。それで、革命への情熱が折れてしまいました。
しばらく折れっぱなしで意気消沈していたんですけど、やっぱり何か夢がないとダメだと思って……自分は日本語が得意だし作家になろう、と夢を持ち直しました。
──作家という新しい夢を抱いてから、デビューまではどうされていたのでしょうか?
正直、革命家に比べると確固たる夢ではなかったので、目指したのは良いけどこれからどうしようかって感じでしたね。
でも社会にエントリーしないといけないし……とか思いつつ、とりあえず作家をゴールに設定していたら偶然物を書く仕事ができるようになり、最終的に作家になれた……という流れだったので、努力して夢が叶った!というわけではなかったですね。
──東浩紀4さんからの紹介でWebライターとしてキャリアをスタートされた、ということでしたが、これは「波状言論」5のことでしょうか?
その前に別のWebマガジンがあって、そこでの仕事が入り口でした。もともと、書いた小説を東さんに読んでもらって、「良いものを書いてるんだけどなかなか(賞とかに)通らないもんだね」とか言われていたりしていて。
「この業界で仕事したいんだけど、どうすればいいんだろう?」というよくいる若者だった僕に、東さんが手を差し伸べてくれたという感じでしたね。
──そもそも、東さんとはどういう経緯で出会ったのでしょうか?
僕が東さんの講演会に客として来ていて、やたら質問していたらそれが目立ったらしく……東さんの奥さんが声を掛けてくださったんです。で、君は何者なんだという話になって「右翼です」って答えたら、面白いから酒でも飲もうと誘ってもらったのがきっかけですね。
だから行動力は大事ですよ。迷うのも大事だけど、そればかりだと何も出来なくなっちゃいますから。面白い原稿を書いていた人が講演会やるらしいし行ってみよう!くらいの行動力で良いので。その結果、思いもよらないことになったりする。僕だって最初から「よし!東さんと知り合いになるぞ!」とか思っていたわけじゃないですしね(笑)。
──そんな経緯でライターとして出発されたあと、『美少女ゲームの臨界点』6に携わることになるのですね。その後はどういったお仕事をされていたのですか?
ライター兼編集者をしていましたね。だんだん仕事も増えていって、「お?俺、羽振り良くなるぞ!」みたいな時期に突入します。ところがその時にメンタルを病んで、一旦離脱してしまったんですよね。
その時に「やっぱりライターも編集者もやりたくなかったのかな」と思って。それなのに無理してやっていたから、限界が来ちゃったのかな?と。そもそも僕は作家になりたかったわけですしね。ライターとか編集者って、作家ではないじゃないですか。
──そうですね。
『波状言論 臨時増刊号 美少女ゲームの臨界点』(責任編集・東浩紀)
そう考えると、病気が治って復帰したとしてもまた同じことになっちゃいますよね。だからどうしたもんかなぁと思っていたその頃、『月姫』7とか『ひぐらしのなく頃に』8なんかの影響で、同人ゲームが盛り上がっていたんです。
で、病気療養中は友人の家に居候していたんですよ。しばらく厄介になっているうちに、彼がゲームシナリオを書いているのに気づいて、それを手伝うことになりました。それで「あ、これ書けるな」と思ったんです。ゲームシナリオはそれ以前にも書こうとしたことがあったんですが、断念していて……でも、いい加減な理由で始めたら書けるんだなぁと思いました。
「このゲームが評価されようがしまいが僕には関係ないし、病気療養で暇だから手伝ってるだけだし」という気持ちで書いていたら、すごく気楽に書けたんですよね(笑)。
──以前はどうして書けなかったのでしょうか?
──そして、その前日譚を描いた小説『波間の国のファウスト :EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』11を書いて遂に作家デビューということになるんですね。本編以上に硬派な経済モノで驚きました。
僕はあまり「自分はこのジャンルの人間だ」という意識がないんですけど、経済小説を子供のときに結構読んでいたんですよね。あと、リーマンショックが起こる直前辺りに政治経済の流れをまとめて勉強しようと思ったことがあって……その知識で書きました。
当時は題材として経済をもってきてエンタメとして面白くなるように書いていただけで、別に経済モノを書こうという意識はなかったんですけどね。
佐藤心『波間の国のファウスト : EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』(原案:bitterdrop Illusration:ヤマウチシズ)
──作家デビューをされてから、現在までの流れを教えていただきたいです。
まず、お金が尽きてしまいました。ゲームシナリオの原稿料というのはすごく安くて、 書いているときは貯金を切り崩しながら生活していたんですよ。普通なら転職すれば良いんですが、小説の仕事がすでに決まっていたのでそれも難しくて。
当時は編集の仕事もしていたので、小説か編集中の本、どちらか当たれ!と思っていたんですけど……そうはならず。借金することになって、返済のためにまた編集をやって……というのが1、2年続きました。
それである日、限界になって倒れちゃいましたね。それが2014年で、今に至ります。……もう7年か。やばいですね(笑)。
──現在はもう、ライターや編集の仕事はされていないのですか?
そうですね。だから今は障害年金で生活しています。でも、病気が治らないのには理由があって……僕って、子供のときに虐待されていたんですよ。
ただ、それが根本的な問題だってことに以前は気づいていなくて、そのトラウマに触れる出来事が起きたときに症状が悪化しちゃったんですよね。……解離ってわかります?解離性同一性障害。
──いわゆる多重人格……。
そうです。多重人格になりかけって感じでした。別の人格みたいなものが出てきたり、前後不覚になっておかしくなったりしていたんですよ。なので、「第三の永遠」で若者の特徴として書いた、傷つきやすくて脆い……みたいなのって、どこか自分にも近いんですよね(笑)。
ただ、そのことは病気になって初めて気づいたんですよ。自分は脆いのに、今までそうは思っていなかった。
──あの若者観は客観的な分析に基づくものでもあるし、佐藤さん自身がそうだったからこそ書けた、というのもある……。
そうですね。あの主張を仮説ではなく確信として書けたのは、自分のことがあるからだと思います。やっぱり現代人……特に若者は傷つきやすいし、優しいんですよ。
相手を傷つけないためにすごく気を使うし、それがストレスにならないわけがない。その結果、攻撃性が内側に向いたりもしてしまう。昔の若者とは大きく違いますね。
──「第三の永遠」では、社会からの抑圧に対する若者の態度変化についても書かれていましたね。かつての不良少年・少女が体現していたような社会秩序に対する正面きった反抗から、秩序には沿わない価値観で生きる方法を模索する抵抗に変わっていると。
昔の若者って熱量が高いんですけど、今はそうじゃないんですよね。たとえば、上司が理不尽だからって怒鳴らないじゃないですか。そこで怒鳴る人って現代では少数派で、今の若者はたいてい優しいから怒らない。だから自分を傷つけて病気になっちゃうんだろうなと。僕も同じなんだと思います。
──たしかに、事前のコメントで「傷つきやすい心の持ち主だったけれど、夢をもっていたから生きてこられた、死なずにいられた」ということを書かれていましたよね。これはどういうことなのでしょうか?
逆に、死ぬ状況ってなんだろう?と考えると「主体性や理性を保っていられなくなっている」ということだと思うんですよね。ヤケになっているときってあるじゃないですか。
──ありますね。
その酷い状態になると薬を飲んだり、飛び降りたりするわけですよ。そうならずに生きていられるというのは、主体性や理性を失わずに制御できているということです。
理性を保てなくなると、夢も持てなくなるんですよ。夢があるから理性を保っていられる、ではないですよ。夢を持てるくらいに理性を保っているから、生きていられる。あるいは死なないでいられる。
どちらが先立つというわけではなく、循環しているイメージですね。夢があるから理性もある、理性があるから夢もある……という風に。
──そのサイクルがうまくいかなくなり、理性を保てなくなるとまずいのですね。夢に関しては「夢を叶えられなくても、生きる意味さえあれば前を向ける」というお話もあったかと思うのですが、それについても詳しく聞かせていただきたいです。
生きる意味と夢ってセットなんです。たとえば「国の為に尽くしたいから公務員になる」という人がいたら、「国の為に尽くす」が生きる意味で、公務員が夢ですね。
──「夢を叶えられなくても~」というのは、もし公務員にはなれなかったとしても、「国の為に尽くす」という生きる意味さえ無くさなければ、挫折したまま終わらずにいられる、ということですか。
そうです。夢は叶わないかもしれないじゃないですか。僕も、作家になるぞーと思っていたけど最初に仕事になったのはライター・編集者だったし。それでも、生きる意味が厳然としてあればそこまで苦しまないし、迷わないと思うんですよね。
さっきの例であれば、公務員になれなかったとしても別の形で国の為に尽くす方法を見つけることができれば、満ち足りた気持ちになれるはずなんですよ。
──今まで多彩な仕事をされてきたかと思うのですが、どういった時に「良い仕事をしたなぁ」と感じますか?
でもまぁ、良いか悪いかっていうのは結局のところ、他人がどう受けとるかですよね。ただ、僕自身は毎回すごく良い仕事だと思いながらやっていますよ。こういう能天気なところも、生きていられる理由なのかな(笑)。
凄く尊敬している人だったり、とてもたくさんの人に評価されたりして、嬉しさに多少差があるときはありますけど……やっぱり、毎回すごく良い仕事だと思いながらやっています。
──「道半ばで挫折して夢を捨ててしまう人」というのが多数派なのではないか、と思うのですが、佐藤さんは「第三の永遠」で、そうならないための方法として「能動的に夢を追うことをやめ、受動的にチャンスを待つ」という態度の転換を提示していますよね。
「期待していない自分」12の章で書いたことですね。夢を追って色々やっても上手くいかなければ当然、途中で挫けてしまう。そうならないためにはどうすれば良いだろう、と考えたとき、期待をやめて偶然を待つのが重要になってくるんです。
成功に繋がる必然を追い求め続けても成果がでない、そうすると傷ついて夢そのものを諦めてしまう。でも、そこで自分から夢を追うことをやめ、偶然の出会いを待つようにすれば夢を持ちづけることができるんです。
──しかし、「偶然を待つ」と聞くと「本当にそれでなんとかなるのか?」と不安になるのも事実かと思います。そこで次章では、偶然を待つことが確かに救済になり得るということ、つまり「偶然の確かさ」を導くために「二人セゾン」13の読解に入るわけですよね。……その辺りの話を聞かせていただきたいです。
「偶然の確かさ」というのは、救済となる偶然が必ずどこで訪れるからそれを待つ、ということではないんですね。どんな偶然にも特別な可能性、求めていたものではなかったとしても人生にダイナミックな変化をもたらす可能性があることを理解し、自分がそんな無数の偶然に囲まれていることを自覚するということです。
そうすると、一つ一つの出会いや、自分に関係する物事がよりクリアに見えてきたりもする。悟りとは書いてないけど、人によっては悟りと捉えるかもしれないですね。
──それこそが、佐藤さんが「第三の永遠」と呼ぶ在り方ですね。
はい。ただまぁ、そう言っても「もっと確かさが欲しい」という風になっちゃうんですかね……?
──佐藤さんも書かれていましたけど、今の若者は傷つくことへの強い拒否感があって、それを回避しようとする傾向にあるんですよね。そう考えると、やはり……。
たしかにそうですね。「確かさが欲しい」っていうのは、背負うリスクをゼロにしたいとか、そういうものに近いですよね?
──そうですね。もっと自分が失敗しないという保証が欲しい、正解の選択肢とのマッチングを確実に成功させたい、ということだと思います。
マッチング、というとですね。「マッチング主義者」と「運命論者」っていうのがいると思うんですよ。仕事のときとか、恋愛のときとか……わりとあらゆるときにこの2パターンに別れるんです。たとえば作家になりたい人がいた場合、新人賞にとにかくたくさん応募してみるっていうのはマッチング主義者のやり方ですよね。
僕は運命論者の方だったので、東さんの文章を読んで「ここに文学の中心があるんだ!!」みたいな謎の確信をして講演会に行ったりしていたんです。勘違いかもしれないんだけど、そういうときって根拠のない確信に満ちているんですよね(笑)。
──わかります(笑)。実際、東さんと色々仕事をされたことで共にゼロ年代批評を切り拓いたわけですし、その「確信」は正しかったということですよね。恋愛の場合はどうなるのでしょうか?
良い恋愛をしたい、となったときにマッチングを高める方に行くのか、運命論なのかでやっぱり違いますよね。たとえば合コンって、マッチングの最たる例じゃないですか。僕なんかは合コンとか嫌で、なんで皆は合コンなんてするんだろうとか思っていたわけですよ(笑)。
──運命論者はマッチングを高めることに興味がないのですね。マッチング主義者からは逆に「その謎の確信どこから来るの?」とか思われているかもしれないですけど……。
両者は全然違う立場、違うルールで動いているんですよね。だから、自分がどちらなのかは理解しておいた方が良いと思います。偶然の確かさが欲しい、というのはマッチングの成功率を高めたいという発想だから、マッチング主義者ならそれで良いのかもしれないけど……運命論者なら、ちょっと一旦考え直そうと。
──「確かさが欲しい」と悩んでいる人も、もしかしたら運命論者かもしれないのですね。であれば、それに気づいてそちらのルールで生きていく方が楽なのかもしれない?
そうだと思います。人によって「確信」をどの程度抱けるかは違うと思いますけど、もし運命論者のタイプなら、考えていけばどこかに見つかると思うんです。僕はたぶん、神を信じているのもあって「確信」を結構抱けるタイプだと思うので……そうでない人の気持ちに寄り添えていないかもしれないんですが。
──転職や就職で悩んでいる際などは特に、「確信」を持てると良い気がしますね。「自分はこの仕事しかないんだ!」という感じで。
そういうときって、どんなポイントで悩み始めるんですかね。
──本当に自分がやるべき仕事や、いるべき場所はここではないんじゃないか?という葛藤が多いのではないでしょうか?
なるほど……大事なのは自己洞察ですね。自分で自分のことがよくわからないと、当然迷うじゃないですか。逆に、それがよくできれば迷いなく就活に挑めたり、転職を決意できたりするでしょうし。
──そうですね。「この仕事をすべきなのかもしれない、でもそうではないのかもしれない」というようなゆらぎが辛さに繋がるのだと思うので、自己洞察をして、はっきりと判断ができれば楽になると思います。
今「ゆらぎ」っておっしゃったけども、「ゆらぎ」を否定的に捉えないことも大事だと思うんです。様々な現象が「ゆらぎ」で出来てるわけじゃないですか。たとえばこの水が入ったコップもそうだし、コップに力を与えれば水が動いて、新しく「ゆらぎ」が生まれるわけですよね。
確かに「ゆらぎ」は人の心に不安を与えて苦しめるけど、同時に「ゆらぎ」は自然の原理なんですよ。そう考えれば、ゆらぐ自分を否定する必要もなくなると思うんですよね。だって自然の原理ならしかたないじゃないですか。花が枯れていくときに「なんで枯れるんだぁ!」とか絶対言いませんよね(笑)。
──言わないです(笑)。
でも人間って、自分にはそういうことをするんですよ。「自分はなんで揺らぐんだ!なんで迷うんだ!」ってさ。でも、それは花が枯れるのと同じ自然の原理なんですよね。そう考えると、ちょっと自分に無茶言ってたなぁと思えて、心が軽くなる気がしませんか?
──たしかに僕自身、そう考えると楽になる部分がありますね。ちなみに、佐藤さんがこれまでにかけられて楽になったり、嬉しかったりした言葉はありますか?
これも東さんなんですけどね。うつ病の療養中に会いに行ったことがあって。そのときに、「佐藤君は10年に1度いい仕事をすればいいよ」って言ってくれたんですよ。いい言葉だなって当時も思ったんだけど、今思うとさらに含蓄があるなぁと。
──救われますね。そんなこと言われたら……。
嬉しいよね。あと、10年ってのが絶妙だよね。ただ問題はね、そろそろ10年経つんだよ。僕もさすがに10年は立たんだろうと思っていたんだけど……なかなか頭が痛い(笑) 。
──これからは宗教を起こしたい、聖書を書きたい、ということを以前仰っていたように思いますが……。
そうですね。実は「聖書が書きたい」っていう作家は結構いるんですよ。だから、伝統的に考えると作家の目標が宗教に近づいていくっていうのはそう間違ったことでもないんです。なんで宗教かって理由はいくつかあるんですけど……わかりやすいところでいうと、そもそもぼくは神と出会っている人間なので「神への確信」があるんですよね。それを、何か形にして残せないかなって。それが小説であれなんであれ、作品であれば尚良い。
そこで宗教運動みたいなものを興せたら面白そうだなぁ、と。そういうことを考えているとすごく楽しいんですよね。あと、新興宗教とかって馬鹿にされがちだけど、ものすごいお寺をつくったりしますよね。そういうことを可能にする情熱みたいなものが宗教には渦巻いている感じがして、惹かれるんです。
要するに、ぼくが「宗教をやりたい」とか言っているのは、子供が宇宙飛行士になりたいとか、こういうおもちゃが欲しい、みたいなことを言っているのに近くて。非常に子供じみた感覚で、やっぱり宗教ってすごいよなぁ、そういうすごさを形にして世に残したいなぁと。それを可能にするものが書ければ、とも思っています。
──最後に、この記事を読む若い世代に向けてのメッセージをお願いできますか。
そうですね……彼らが具体的に抱えている葛藤って、どの辺にあるんですかね?
──やっぱり、夢についてですかね。「第三の永遠」では、夢を抱えたけど色々な障害によって阻まれてしまう若者の姿が描かれていたと思うんですが、そもそも、夢を抱くこと自体にハードルがある、という人も多いような気がするんですね。「自分は夢を抱きたいけど、夢を抱けるような自信すらない」という。
そういう場合、一緒にいて楽しい人や、楽しくなれる場所への嗅覚を敏感にするのが大事だと思います。夢を持つ自信が無いとか、取柄が無い自分はどうすれば良いんだろうとか……そういう悩みを打開するのに必要なのは、楽観的に考えられるようになることなんですよ。でもそれは、1人で鬱々と悩んでいると難しい。
たとえば僕って作家を目指していたはずなのに、東さんのところでライターとしてキャリアをスタートさせたわけですよね。けど、当時「本当は作家になりたいのに……」みたいなことは思わなかった。むしろ「ライターをやってれば作家に至るルートが出来そうだし、ラッキーじゃん!」と楽観的に考えていたんですよ。
でも、その発想は東さんが一緒にいて楽しい人だったから生まれたんだと思うんですよね。もっと嫌な人だったら「誰がライターなんかやるか!」って感じだったかもしれない(笑)。
──とりあえず、楽しそうな場を探して飛び込んでみるのが大事なんだと。
そういう場所って、たとえ自分の夢には繋がらなさそうでもそこそこ居心地が良いんですよ(笑)。別に繋がらなくても良いかぁ~みたいな気持ちにもなれますし。
それに、そこでなら仕事をもらったとしても「どうせ自分は……」とか思わずに、気楽にこなせる。もちろん、ネガティブな自分を否定する必要はないけれど、そこで袋小路に陥るのはまずい。
──「偶然の確かさ」の話とも繋がってきますね。求めていたものではなくても、そこで得た偶然が大きく人生を変えることもある。
そう、全く新しい発見があるかもしれないんですよ。たとえば、試しに株トレーダーとかやったらバカバカ当てられたりして……「俺天才じゃないのかな!?」と思うとかね。そういう極端な例外もあり得るじゃないですか?どんな偶然があるかはわからないですからね。
そして、その偶然を上手く活かせるのは楽観的な発想だし、それが浮かんでくるような、楽しい環境にいることが大事だと思います。
『波間の国のファウスト:EINSATZ 天空のスリーピングビューティ』のあとがきで、佐藤さんはこう書いています。
「皆さんは「投資とは何か」と聞かれてどう答えますか?(中略)私が執筆中に念頭に置いていたのは、投資とは、自分が「正解」と信じるものに賭ける行為全般ではなかろうか、という考えでした。未来に起きる事象は誰にも分かりません。投資家とはそういう不確実な正解を的中させるべく賭けを行う存在です。けれど彼らの営為は、金融市場に限った特殊なものではなく、じつは人ひとりの人生にも通じるのではないか。(中略)僭越ながら、ひとりの投資家たる読者の皆さんも──どうかよい「投資」を。リスクの波を乗り越え、賭けに勝ち、人生をつかめますよう。」
けれどもそれから8年後、現代を生きる若者は弱く、傷つきやすく、リスクの波を前に立ち止まってばかりです。しかし、たとえ賭けに負け挫けたとしても「生きる意味」さえあれば、あるいは「期待しない」ことで前を向き直すことができる。仮に賭けるなにかを持てなくても、居心地の良い場にいればいずれ、周囲に溢れる無数の可能性を活かせる楽観性を獲得できる。佐藤さんはそんな風に、新たなEINSATZのやり方を示してくれた気がします。