三宅一生(読み)みやけいっせい

日本大百科全書(ニッポニカ)「三宅一生」の解説

三宅一生
みやけいっせい
(1938― )

服飾デザイナー。広島県生まれ。多摩美術大学卒業後、渡仏。パリジバンシーなどオートクチュールのメゾン(店)で修業しているとき、その後の彼のデザインコンセプトに大きな影響を与える1968年の「五月革命」に遭遇。ニューヨークを経て帰国後、70年(昭和45)三宅デザイン事務所設立。71年ニューヨークで、72年にはパリでコレクションを発表。76年に着ることの原点に戻って服をデザインするという「一枚の布」のコンセプトで新しい服の概念を打ち出した。つねに身体とフォルム、フォルムと素材との関係における独自の造形を目ざし、布を裁断し縫製したあとにプリーツをかけるという通常と逆の発想から生まれたプリーツの服は、92年「プリーツプリーズ」シリーズへと発展し、いまや国境を越えて広く支持されている。世界各地で展覧会の開催、アーティストとのコラボレーション(共同製作)を行い、世界でもっとも知られる日本人デザイナーの一人。93年フランスのレジオン・ドヌール、97年(平成9)紫綬褒章(しじゅほうしょう)など国内外の受賞・受章も多数。98年文化功労者となる。

深井晃子

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百科事典マイペディア「三宅一生」の解説

三宅一生【みやけいっせい】

服飾デザイナー。広島生れ。1964年多摩美大卒業。翌年ファッションの勉強のためパリへ。ギ・ラロッシュ,ジバンシーなどの店をへて1970年東京に三宅デザイン事務所設立。1971年ニューヨークで初のコレクション,1972年パリで発表。1976年に発表した〈一枚の布〉は独自に開発した布を使い,東洋と西洋を巧みに取り入れ,着物の構成の考え方を服作りに生かしている。1980年代後半以降は服の造形にプリーツをとりいれ新しい服のあり方を示し大衆的な人気を集めている。高田賢三や川久保玲(コム・デ・ギャルソン),山本耀司とともに海外で最も評価される日本人デザイナーの一人。1988年パリで〈A―UN〉展開催。2010年文化勲章受章。
→関連項目倉俣史朗

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「三宅一生」の解説

三宅一生
みやけいっせい

[生]1938.4.22. 広島
服飾デザイナー。多摩美術大学卒業。 1965年から 69年にかけてパリ,ニューヨークに滞在し,ジバンシーやジェフリー・ビーンのもとでデザインを学ぶ。 70年帰国して三宅デザイン事務所を設立し,73年よりパリのプレタポルテ・コレクションに参加。前衛的デザインが特徴。素材とする布の開発にも積極的で,日本の伝統的織屋の技術を現代に生かす一方,最先端の新素材にも挑んでいる。 Issey Miyakeのブランドはアートの世界からも高い評価を受けている。 84年アメリカン・ファッション・デザイナー賞,88年国際文化デザイン賞受賞。 98年には文化功労者に選ばれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三宅一生」の解説

三宅一生 みやけ-いっせい

1938- 昭和後期-平成時代の服飾デザイナー。
昭和13年4月22日生まれ。パリとニューヨークで有名デザイナーの助手をつとめ,昭和45年三宅デザイン事務所を開設。48年パリコレクションに初参加して以来,国際的に活動を展開。東洋と西洋の融合した独自な服作りを追求し,ハイテクを駆使した新素材の開発や衣装展の開催などにも力をそそぐ。プリーツ(ひだ)加工婦人服は人気をよんだ。平成10年文化功労者。11年ブランドを後進にゆずる。17年高松宮殿下記念世界文化賞。18年京都賞。22年文化勲章。広島県出身。多摩美大卒。

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