五等分のルルーシュさん。 作:ろーるしゃっは
上杉風太郎という人間は、凡そ成績優秀な優等生と言って差し支えない人物だ。金の髪色はお世辞にも大人しい……とは言えないが、少なくとも教師陣からは「学年一位をキープし続ける賢しい生徒」との印象を持たれている。
しかし、その模範生の言動もつい5年前までは180度違っていた。当時の彼は小学生にしてピアス上等のヤンキーかぶれ。思考も口調も荒々しく、眉毛は厳つく剃り込まれ、髪は逆立つオールバック。
授業は寝るかフケるかの二択。教師にバレようが授業中に平気でガムを噛みケータイを弄る、立派な素行不良学生であった。
破っていたのは法律ではなく校則だけ、という点ではまだ可愛げがあったが、この調子では将来的にグレてもおかしくはない生徒だった。
そんな往時の彼に、大きな人生の転機を与えた人物が1人いる。或いはそのコンタクトこそ、今日に至るまでの全ての始まりだったのかもしれない。
彼らの予期せぬ初邂逅は、今より五年前の京都駅に遡る。ソレは故あってカメラに凝っていた時分の風太郎が、すったもんだの末に盗撮犯の疑いをかけられていた時だった。
誰何に詰問、共する戸惑い。成る程、確かにパシャパシャとあちこち撮っていたのは事実。でも収めていたのはあくまで風景、と無実を主張するも梨の礫。高圧的に問い詰められ続ければ、如何に跳ねっ返りとはいえ、バツが悪くならざるを得ない。単独行動ゆえ無罪を証言してくれる友人も不在。何より窮地を脱する弁舌を、当時の彼は持ち合わせていなかった。
自分ではどうにもできない無力を、衆人環視の中で痛感していた状況下。
「彼に瑕疵は有りませんよ。私が証言致します」
頭上から降ってきたのは、赤髪の少女が振り絞った蛮勇ではなく。宛ら天の声が如き、怜悧な一声だった。
☆
(……なんだ、コイツ?)
えらく、気障な言い回しする奴だな。金髪の少年が思案しつつ顔を向けると、其処に居たのは男子が一人。年嵩は、恐らく自分とほぼ同じ。
敢えて特筆すべき点があるとするなら、その生身の人と思えぬ程の、造形の美しさだろうか。魔力を湛えるが如き紫眼。闇夜にあっても艶めくであろう黒糸。黄金比を体現した顔貌に、均整の取れた長い手脚。無形のカリスマすら感じさせる、堂に入った挙措動作。悠然と階段を降りる仕草は、余人をもって隠し切れぬ気品すら漂わせる。
「御公務中に相済みません。どうにも座視は拙い、と感じましたので」
変声期を一足早く迎えたのか、同年代より一段と低く、よく通る声。標的を職質中の警察官に定めて尚物怖じせぬメンタリティは、年齢に対しあまりに不相応。短身とは既に呼べぬ背丈の痩躯に纏うは、先日
子供にしてはあまりに背伸びしすぎな格好は、しかし磨き込まれた焦茶の革靴からカフスに至るまで一分の隙も無い。故に、些末な違和感すら生じさせない。むしろ彼の意図した「演出」に、見事一役買っていた。
同年代の人間がランドセルを背負って和気藹々とやってるだろう中にあって、その少年はあまりに異質。警官が追い払いもせず、思わず問うてしまうくらいには。
「君、この子と知り合い?それとも友達かい?」
「まさか。こんな品のない友人、寡聞にして存じません」
「なっ、テメェ…!」
だが、口の悪い少年から飛んでくる睨みも、詰問に近い語気の誰何にも、彼は眉一つ動かさない。
「手前?私は現況を申し立てたまでのこと」
一歩、二歩、寄るにつれ仔細が分かる。見目麗しく身形も良い、加えて仕草に隙がない。絵画から抜け出てきたかのような少年を視た公僕に浮かぶのは感嘆ではなく、特大の違和感だった。
「そうでしょう?警邏方」
………この子供、何処かおかしい。日頃より職務に忠実な公務員らは思案する。少なくとも現代日本の児童は、こんな……殺人現場に臨場した時のような、濃厚な死の匂いを纏ってはいない。整った眼窩に嵌め込まれたアメジストが放つ光は、妖艶でありながらも禍々しい。
優先順位を金髪坊やからこの
正規の訓練を積み、教本や現場で様々な事例を見聞した彼等は知っている。
「……日本語上手だねえ、いつ覚えたの?」
「未だ道半ばですよ、暫く前から留学中で」
「へえ?若いのに感心感心」
「母国語では無い故、言葉の
『外国人だから聞かれたことの意味わからなくても許せ』、とすかさず釘を刺しに来た。断られる前提の牽制だろうがそうはいくか、とばかり。
「何だったら英語でも良いよ?」
「やめておきます。
「言うねえ、君?」
スルー。が、普通に件の彼に失礼である。しかし日本人なのに派手な金髪と、いかにもなスエット姿の風貌をみれば皆が内心納得だった。社会で生きていく上で、身形とはかくも重要なのである。
閑話休題。
「今日は1人?親御さんは?」
あえて答えず、次に移るも。
「トランジットの不都合で。到着は明日以降の予定です」
「じゃあ、一人で旅行ってことね?」
「京都の紅葉は一見の価値あり、と伺いましてね」
繰り返す詰問を、のらりくらりと躱される。多少高圧的に接しても全く臆さぬだけでなく、掴めたと思ったら逃げていく。面倒な上にやり辛い。
昼日中の京都駅。いつの間にやら、彼らのやりとりは衆目の視線を集めていた。そして傍目から見たこの絵面は、日本人の判官贔屓を誘発する。
外国人の男の子が庇いだてするように同年代の子の前に立ち、彼からみれば異国の言葉で弁を尽くしている。これがガラの悪そうな輩なら話は違うだろうが、生憎と線の細い美少年。人心がどちらに寄るかは明白だった。
気付けば注がれていた好奇の視線は、2対1という戦力差もあってか、徐々に警官に対する非難めいた目線と囁きに変わってきていた。
この状況で少なからず焦るのは、職質される側ではなく
「君、名前と出身を教えてもらっても……」
………いや、馬鹿馬鹿しい。気圧されるな。たかが丸腰の餓鬼相手に何を梃子摺っている。痺れを切らしたもう一人が、まるで自身を鼓舞するかのように述べた誰何に。
「見ての通りの異邦人。名は……」
だが。制服に身を包み、鉄火場を潜り抜けてきた男達の直感は正しかった。眼前に居る子供は、まかり違っても単なる勉強熱心な留学生ではない。
建国より戦争と政争に明け暮れ、史上最大の軍事・経済大国となって尚、人類文明の頂点に君臨し続ける大帝国。その血と黄金に濡れた玉座を継ぐ資格を有する皇子にして、目的の為に手段を選ばぬ危険人物でもある。そして。
「……『アラン・スペイサー』、と申します」
──この状況は、既に少年の目論見通りである。
☆
情勢は時間経過と共に優勢になる。自分を取り巻く盤面の操作も織り込み、態と目立った行動をとったルルーシュ。が、「無鉄砲なことはやるものではないな」、と心中で渋面を作っていた。
「取り敢えず、身分証見せて貰えるかな?」
案の定、当然の質問が飛んできたからである。さて困った。言わずもがな本名は出せない。公式発表では「全治不明の病気療養中のため、アリエス宮に篭っている」筈の自分が、今此処に居てはおかしい。第一、かのテロ事件を主謀した饗団らに高々と居場所を教えることになり、敵に面や現住所が割れていない優位性が失われる。
同じ理由でブリタニアで使っていた社会保障番号も、通っていた初等部の学生証も晒せない。偽造パスポートを提示する?これも微妙。既に偽名をひとつ使っているのに、これ以上偽データの塊を矢鱈に開帳したくない。よって。
(……国家権力には、国家権力をぶつけるか)
穏便にとはいかないが、手っ取り早く解決させてもらおう。日本に
「すみません、日本で困ったらまずコレを出せ、と友人から言われていたのですが」
懐から電子ロック付パスケースを取り出し、静脈認証で解錠。中を改め提示したのは、如何にも高級そうな一枚の名刺。因みにここまでの思考時間、約3秒程である。
「名刺?それが何かッ…………!?」
不意にかざされたブツを見て瞠目し、絶句するは警官らの方だった。それもそのはず、ラミネート加工され、桜の花弁が透かしで美しく散る白地のそれには、…………「第XX代内閣総理大臣・枢木玄武」と、流麗な草書体で記されていたのだから。
偽物と断ずるにしてはあまりに
意味が分からない。「早耳の玄武」との異名を持ち、警察庁どころか検察にも顔が利く、京都六家の一角にして行政府のトップ。日本の現職宰相の名刺を、何故こんな年端もいかない白人の少年が所持している?まさか……それだけの超VIPとでも?この子供が?
「当然、名刺の真偽を疑われることと思います。此処では何ですし、場所を変えてテレビ電話でお繋ぎしましょう、
疑問に思ったどころか疑問符だらけだったが、モノの精緻さゆえスルーは出来なかった。その時点で、既に帰趨は決していた。
☆
「また何処かでお世話になるかも知れません。其の時は宜しくお願い致します」
場所を人目を避けた物陰に移してのち、本当に首相と繋がったテレビ電話の後。一気呵成に会話の主導権を握り、ルルーシュ・オンステージと化した独演会は、結局いつも通りの舌鋒で締めくくられた。
(………殴り合いから始まったスザクとの縁が、こんなところで役に立つとはな)
人の縁とはかくもわからないものだ。この借りはいつか返さねばならんな、と心に決めた彼をさて置き。先程まで職質をかけていた律儀な公務員らは、「これから枢木議員事務所に向かう」と述べて去っていった。後援者あたりに話でも聞くのだろうが、ルルーシュについての情報が開示されることは一切ない。もっと言えば、そこらの警官では知る権限もない。ここまで断言するわけは。
(俺が日本に居る事は機密。順当に進んでも指定解除は2090年。その頃に存命の関係者は殆ど残っていないだろう)
命を狙われたブリタニアの皇子。彼を日本が公然と隠匿している事実は、日本の改正軍機保護法に於ける「軍極秘」の更に上。最上位の「軍機」に指定されており、情報公開は(ICA勧告準拠の)約80年後となる。早い話がルルーシュ、この国では存在が輻射波動と同じ枠にある。「研究成功の暁には日本政府にも色々と便宜を図る」、などと宣った自身の工作の成果でもあり、彼の希求する再生医療が軍事的色合いも有している傍証でもある。
さて、後にぽつんと取り残されたのは黒と金。用は済んだし移動するか、とばかり帰ろうとしたルルーシュだったが、その背に「なあ」と声をかけられる。
「………一体何なんだ、オマエ?」
目まぐるしく変わるやりとり。悪辣なまでの口八丁。あれよあれよと言う間に大人2人を引き下がらせた手腕。てんやわんやの末にどうにか収めた事態を消化し、一息ついた風太郎が素朴な疑問をぶつけるのは、かくも当たり前であった。
「先程名乗った。お前こそ誰なんだ?」
「だんまりかよ。……風太郎。上杉、風太郎だ」
「覚えておこう。それから誤解を招くような事はすべきではない。一歩違えば盗撮犯だ」
「んな事した覚えはねーッての。悪いのはあのポリ公だ」
「なら、何故手当たり次第に撮影を?」
「色々あんだよ、コッチにも」
「職質されてまでやることか?」
「まーな」
「分からんな。
何気ない一言。半ば自分に言い聞かせるように吐いたその言葉に、しかし。目の前の少年は、正鵠を射られたとばかり静かに息を呑んでいた。
「………まさか」
「そのまさか、だ」
ややあってから、「……しゃーねェーな、内緒にしとけよ?」と前置きして。まるで鬱屈したものを吐き出すように、ぽつぽつと語り始めた。
愛知の出であること。親が自営でパン屋を営んでいること。お店を持つのが幼い頃からの夢であった、という母に付き添う形で、父も脱サラして一緒に働いていること。目に入れても痛くない妹がいること。一家4人での新しい暮らしにも慣れ、経営も軌道に乗ってきた矢先のことだった。
母が大病を患い、入院したのだ。家族経営の小規模店舗ゆえ店は休業。家計は父が派遣の仕事などを掛け持ちで入れ、何とか食い繋いでいるとのこと。
そして。母に先日下った診断結果は、癌。しかも進行度合いは初期どころではなく、既にステージ4。加えて。
「…………余命、3年って言われたんだ」
時既に、焦眉の急であった。
☆
病魔の名は、膵臓癌。進行していれば5年生存率は10%を切る、とりわけたちの悪い病。また人体の構造上、膵臓は外科手術による切除が難しい部位である。今でこそナノナイフやらを用いた多角的医療が提供されているが、当時の日本では抗癌剤と放射線治療が依然として中心だった。
(……身体の中心近くにあり、変容が分かり辛い臓器だ。大方、人間ドックでも引っかからなかったんだろう。知らぬ間に放置するうち症状が進行、癌細胞が他の部位へ浸潤・転移し始めていた、というところか………)
この時、ルルーシュの立てた予想は残念な事にピタリ一致。当人は正に初期症状が起こっても単なる腹痛かと思い、胃薬やらを飲んで誤魔化していた。開店資金調達や準備等で忙しく、病院に通い詰めるのが難しかったのも災いした。
更に言えば、一般的に医者の言う「余命」は全く正確なわけではなく、ある程度は幅を持たせる。つまり、風太郎の母が残り3年と宣告されたとしても………丸3年は保たない公算が大きい。
「……母さん、京都が好きでさ。冥土の土産序でに写真撮ってきてくれ、とか言われて」
心なしか空元気を振り絞ったようにも思えた母の言葉に、風太郎は頷くしかなかった。さして興味もないカメラを手に取りバシャバシャ撮るのは、ひとえに母親の望みを叶えんが為だった。
「縁起でもねーっての、マジで」
入院してから、母は子を全く怒らなくなった。かつては厳しくも優しい人だったが、気丈に振る舞うのが精一杯なのが、子の目から見てもありありと分かった。夫と2人の子と過ごせる残された時間を、日々噛み締めているようだった。
だから少しでも励みになればいいかと思って、母の生まれ故郷でもある京都の風景を、この手で収めてあげたかった。
「…………すまん。軽々に聞くことではなかった」
「いーって。気にすんな」
謝罪に手を振り、努めて空気を軽くしようとする風太郎。それでも、払拭出来ぬ重苦しい空気が流れた。ガン。日本人の最も大きな死因とされるそれは、もしかしたらどこの誰にでも起こり得る悲劇。抗う術はあれど、完全に打ち消す魔法は当然、皆無。受け入れる他ない冷厳な現実を、ルルーシュは。
(……………また、こんなことばかりか)
傾聴して知った。更々認めたくなかった。幸せな家庭を襲う不幸なんて、鼻で笑って弾き飛ばしてやりたい。
研究さえメドがつけばどうとでもなる。自惚れでなく、自分にはそれだけの力があるはずだ。全くもって嫌になる。C.C.や皇帝にあれだけ大見得を切っておいて、碌な結果を出せない自分に。
(気に入らん。ままならない自分が、何よりも)
皇帝とて、ボランティアで皇子を異国に送り出したのではない。当然ながらブリタニアの国庫も有限であり、原資は国民の納めた税金だ。極秘の研究故、財務省には各所から予算をプールして纏まった資金をつけさせているが、そんな工作はいつまでも持続出来るものではない。さりとて親しい近衛や身内だけで運営が出来るほど、ブリタニア財政は小規模ではない。
絶対権力者であるシャルルといえども、伏魔殿とも渾名されるブリタニア財務省のグリップを握り続けるのは相当に腐心しているのだ。故にこそ内部リークなども警戒すると、獲得出来た猶予は5年。
血に塗れたあの日から既に2年が経過している現在、成果の目処無しとみなされ、本国からの資金援助が打ち切られるまで、リミットはあと3年。
隠していたつもりだが、精神的にギリギリなのがお見通しだったのだろうか。C.C.に「休んでこい」と命令され、半ば蹴り出される形でラボから鞄と一緒に締め出されたのが2日前。勿論今後のスケジュールを考えると、年数どころか日数を詰めることすら厳しい。が、彼女はそれを承知の上で叩き出したように見えた。
(俺が創り出せば、叩き壊せる理不尽がある。当然の事実だ)
ナナリーに人並みの生活を送らせてあげたくて、自責と贖罪の念も込めて、自分で決めた事だった。成し得なければ割腹するつもりだった。だが。
(……贖罪の意を込めただけでは、無理なの、か?)
精神論など大嫌いだ。気合いやら根性といった非論理的で根拠薄弱なトンデモで物事が進むなら、人類はとっくに宇宙を統べている。
(死を背負うだけでは、前に進めない。そういう事か?)
馬鹿げている。気が触れている。気の持ちようで科学を語るなど、まるで非科学的ではないか。
「…上杉、と言ったな。俺から提言することが一つある。覚えておけ」
「なんだよ、いきなり?」
気休め、疑似科学。或いはプラシーボ効果。確証の無い無責任。苦しむ人に半端な希望をぶら下げるなど忌避すべき行為。なのに。
「2年だ。2年で、俺が全てどうにかしよう」
心が、動く口が止まらない。
☆
いや、何でお前が…?……返ってきた、当然のリアクションに。
「俺の自戒に触れたからだ。それ以上でも以下でもない」
「………フザけてんのか?冗談にしちゃ笑えねーんだけど?」
「伊達や酔狂でここまでほざくか、阿呆」
「ッ、医者が無理って言ってんだ!お前に何が出来んだよ!?」
「何も出来ないさ。
「は!??」
「俺はかつて籠の鳥だった。生きながらにして死んでいた」
忘れたことはない。血に塗れた屈辱を。大事な存在をズタボロにされた苦痛と憤怒を。心安らぐ日々は、砂上の楼閣でしかなかった。裕福な暮らしも、豪奢な衣服も、贅を尽くした日々の糧も、全て親から雛鳥のように与えられていただけだった。
……一山いくらもしないような安価な銃弾で、簡単に壊れる程度のものでしかなかった。
「母が寝たきりなんだ。俺の所為で負った怪我でな」
吐露に、彼が初めて瞠目したのを感じる。感じながらも、自分でも驚いている。思えば自分とこいつは似ている。民族も人種も出生も、国籍も違う。しかし歳も同じで、目付きが荒んだ捻くれ者。態度にシスコンの気があり、そして………度し難い程の己の無力が、嫌いで嫌いで仕方がない。
「……それも、お前にどうにか出来るってのか?」
「出来る出来ないじゃない。やるかやらないか、だ」
「何、やろうってんだよ」
だから、俺は。
「
……それが、俺の至上命題だ。一息に言い切った自分の姿が、風太郎の眼に焼き付いているようにも一瞬思えた。
「……喋りすぎたな。お前を呼ぶ声もしてるし、頃合いだろう」
話が長丁場になっている最中に、いつの間にやら。上杉、と遠くから彼を呼ぶ少女の声が聞こえてきた。心当たりがあるらしく。
「この声……竹林か?」
「身元引受人が来たようだな」
「俺はともかく、お前はどーすんだよ?ツレがいんのか?」
「一応な」
「なーんでぇ、彼女持ちかよムカつくな」
「厳密には違うがな。それからお前に、俺から最後に言っておくことがある」
「なんだ?」
「俺の名は『アラン・スペイサー』ではない」
2年前なら、到底言わなかった選択肢。約定を果たす意思を示さんとばかり。己が首にぶら下げたドッグタグを、ルルーシュは素早く外して風太郎へ放り投げた。
「ぅわッちっ!?あぶねーな何だよ!?」
「
「急にどうした、オイ?」
「いずれ分かる。今日の事はくれぐれも秘密にしてくれ。これは
バサリ。少年が危なげなくキャッチしたのを視界に収めた若き皇子は、優美なサイドベンツの裾をはためかせて、たちまちその場を後にした。
「……なんだってんだ………」
秘密、か。残されたのは、茫洋とする金髪一人。とそこに、後ろから何やらお冠なご様子の少女が近寄っていき、おもむろに首根っこを掴んだ。先程風太郎があたりをつけた少女・竹林その人だ。
「やっと見つけた!こんなとこで何してんのよ上杉!皆待ってるのよ!?」
「あーっと、すまん!この通りだ!」
雷投下。遅ればせながらやらかしを実感した風太郎、慌てて平謝りであった。
「ホンット調子いいんだから……ってあれ、今誰かいた?」
「ん?いや、誰もいねーよ?」
「だって、なんか嗅ぎ慣れない香水の残り香があるような…」
「気の所為だろ。あ、あと真田達にもお詫びにジュース奢っから許してほしーんだけど」
「まあいいけど………まずちゃんと謝んなさいよ?」
「はーいはい。あ、それからさ、竹林」
「何?トイレならあっち」
「いや、じゃなくて!…………あのさ、俺に勉強、教えてくんね?」
「……はっ?」
「ま、無理とかならいーんだけどさ」
『聞き間違いか?今日は槍でも降るんじゃないか』みたいな怪訝な顔をする竹林。彼女にまるで進⚫︎ゼミの申し込みを親に頼む小学生みたいな拙い弁を振るい出した風太郎は、「また後で聞くわ」、とその場は保留にされたのだったが。
(……同い年で、あんだけやべー奴がいる。態度こそスかしてっけど、喋りからして今の俺じゃあ到底及ばねーのは分かる。あんなんに追い縋るには…)
勉強しか、ない。それも生半可ではなく、獣のように貪欲に。なら嫌いだけどやってみっか。この時抱いた至極単純だが強い動機を、彼は後々まで持ち続けることになる。
さてアヒルの雛みたいにてくてくと彼女の後ろをついて行きつつ、ポケットの中にある純銀のドッグタグをもう一度よく見てみる。「Lelouch.L」とだけ彫られたそれは、名前以外の全てが空欄だった。
(つーかなんて読むんだこれ………レロウス?)
ルルーシュである。
☆
…………そういや、あの日からもう5年か。
時を戻して、現代日本は愛知県。日取りは模試から5日後のこと。自宅兼店舗のパン工房にて、上杉風太郎は長い回想を終えたところだった。放課後にやってる店舗の清掃と翌日分の仕込みの手伝いは、既に自身の日課になって久しい。
(マジで2年でやるあたり、大概人間やめてるよなアイツも)
あの邂逅から、既に5年。交わされた約束を事実、ジャスト2年後に果たしに来たジュリアス・キングスレイこと『ルルーシュ・ランペルージ』。彼がそれから程なく創設した新興企業「黒の騎士団」は、市場関係者でその名を知らないならモグリだ、と言われるまでに急成長するまでになっている。
企業飛躍のきっかけになったタネは言わずもがな。中核となった少年と再会した2014年当時の事を、今でも鮮明に覚えている。
『喜べ、条件は全てクリアされた』
病院で母の見舞に来た風太郎に会うなり開口一番。くっさい台詞を恥ずかしげもなく吐いた(※様になるのがムカついた)後、都内の病院(やけに真新しかった)に風太郎の母を転院させたルルーシュ。そこから先はあっという間だった。何せ寛解どころか完治したのだ。
治った原理を説明した広辞苑数十冊分はあろうかという医学書の束を、食い入るように読み漁ったのは今でも覚えている。感動のあまり黒の騎士団への就職を直談判したのは、若気の至りと言えるだろうが。
ともあれ退院以来、母は病気どころか風邪すら一度も罹っていない。何事もなかったかのように元気に働く姿を見るたび、とても数年前まで死の淵にいたとは思えないと感じる。
そんな、涼しげな秋口の折に。
「手、止まってるよ?フータロー」
「うおわっ!!?」
耳に当たる突然のこそばゆい感覚に振り向くと、いつの間にやら腐れ縁の女子兼バイト仲間が一人いた。音も立てずに背後にいた彼女こそ、おバカだった往時の風太郎に勉強を教えた張本人こと。
「耳に息ふきかけんなって、竹林ッ…!」
あの時拾いに来てくれた、彼女だった。
☆
ニコニコとご機嫌な様子で風太郎をイジっているが、これでも旭高校トップタイの成績にして、全国模試一桁常連の才女でもある。
「簡単に後ろを取られるフータローが悪い」
「前から思ってたけど忍者か何か?」
ちなみに彼女、篠崎流ナントカ術?とか言うヤツをこっそり習ってるらしいのだが此処では割愛。
「……まーいいや、いらっしゃいませ」
「どーもー、竹林入りまーす♪…あれ、お礼は?」
「はいはい感謝してます。でも振替休日にまで律儀に来なくたって店は回せるぞ?俺がいれば」
「あ、そーゆーこと言うんだ?同クラでしかも隣の席の女子に?」
「いやクラス別だろ」
「そんな事より次何作るの?手伝うよ?」
「スルーかよ!……竹林お気に入りのアレ。こっち半分頼まれてくれ」
「り!」
「なにそれ」
「りょーかいの『り!』」
「分かんねえ……」
ちなみに今こねてるのは、彼女のでもある焼きたてクロワッサン。極めてシンプルだが、実はこれが食パンを凌ぐこの店の一番人気。塩バターやベーグルサンドも及ばない。尚、エスプレッソと合わせて飲むのがおススメだ。
尚かの男の妹・ナナリーちゃんが好きな味でもあったりする。らいはと今でも連絡を取り合ってるらしい彼女は、そう言えば初めて会った時は杖をついていた。次に会った時は兄の運転する車、その次は(自分で買ったらしい)大型二輪に乗ってきた。今頃は自在戦闘装甲騎でも乗りまわしてるんじゃないかと、若干戦々恐々としてるのは自分だけだろうか。
母親お手製の「新作レシピ試作リスト」と銘打たれた紙束をトントンとまとめながら、一見不良の金髪少年は心中で独り言。
(今頃何してっかな、あいつ……?)
隣り合って作業をしていると、「ところでさ」と竹林が下から覗き込むように話しかけてきた。この二人、意外や意外と息が合うのだ。
「ん?」
相槌に対し。それまでおちゃらけていた竹林が、真剣な面持ちになったかと思うと。
「久しぶり。すっかり変わったね、フータロー」
「いや昨日も此処に来てたよな?」
……意外と息が合う気がする……いやしないかもしれない。