人間の思考を担う生身の脳と、二進法で計算を繰り返す冷静沈着なコンピューター。このふたつをつなごうとする際に厄介なことは、分厚い頭蓋骨の奥にある情報を取り出さなければならないことである。そもそも頭蓋骨というものは、脳を安全な場所にしまい込み、周囲のできごとにいちいち反応しないようにするためにあるのだ。
ゆえに自分以外の人の頭の中で何が起きているか言い当てようとするなら、推論するしかない。その人の脳が体にどんな行動を命じているのか、知識と経験を総動員して推測するのだ。例えば、理解可能な何らかの音が体から発せられてはいないか(つまりどんなことをしゃべっているか)、あるいは体の動きから何を考えているかがわかるのではないか、といったことである。
脳の働きを解き明かそうと、多くの人が研究に取り組んでいる。だが、けがや病気によって体を動かしたり話したりできなくなった人にとって、これはさらに重大な問題だ。
何らかのヒントが、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)のような最新鋭の画像技術に隠されているかもしれない。しかし、もっとダイレクトな方法があれば、さらに素晴らしい。そこで技術者たちは過去数十年にわたり、人間の脳とコンピューターのキーボードやロボットアームを連動させること、すなわち肉体と半導体との交信の実現に力を尽くしてきたのである。
こうしたなか科学者と技術者からなる研究チームが、信頼度の高い新手法による臨床試験の成果を10月28日に発表した。弾力があって伸び縮みするステントと呼ばれるチューブに電極を取り付け、血管を通して脳に到達させる手法だ。
脳の動きだけでネットの操作が可能に
この試験は2名の被験者を対象に実施された。まず、先端にステントを付けたワイヤーを喉の奥にある頸静脈に通し、脳の一次運動野付近まで伸ばしてから振動を与える。すると血管の壁に触れた電極は、被験者の脳から発せられる「体を動かしたい」という信号をキャッチし始めたのだ。そして被験者の胸部に外科的に埋め込まれた赤外線送信機を介して、この信号がワイヤレスでコンピューターに送信されたという。
この臨床試験を手がけたオーストラリアと米国の研究者たちが医学誌『Journal of NeuroInterventional Surgery』に掲載された論文で説明したところによると、ふたりの被験者には「ルー・ゲーリック病」とも呼ばれる筋委縮性側索硬化症(ALS)による身体麻痺があった。ところが、この装置を使って脳の動きだけでテキストを送信したり、インターネットを操作したりすることに成功したという。
「自己拡張型ステント技術は、ほかの疾患に対しても心臓外科と神経外科の両方で十分な治療効果を上げています。ステントの自己拡張機能を応用した上で、先端に電極を取り付けたのです」と、介入神経科医のトーマス・オクスリーは語る。彼はこの技術の商業化を目指すSynchronの最高経営責任者(CEO)でもある。「ステントの挿入は容易で、患者はほんの数日で退院できます。設定不要ですぐに作動する“プラグ&プレイ”な術式なのです」
被験者たちは退院後、自宅での訓練を義務づけられた。ステントの先に取り付けられた電極が脳からの信号をキャッチしても、その信号が何を意味するかは機械学習アルゴリズムを使わなければ解明できない。ほかの条件が整っていても、脳の反応だけで心の動きを読み取ることはできないのだ。