「一枚の布」といった思想を備えた衣服で、世界的に評価されたデザイナーの三宅一生さんが5日、84歳で亡くなった。その訃報(ふほう)を、美術家の横尾忠則さん(86)は、9日に知った。その夜、長年親交があり、仕事もともに手がけた横尾さんが、三宅さんについて語った。
一昨日、次のパリ・コレクションの招待状の校正刷りもできて、一生さんはなんて言ってくれるかなと思っていました。それが今日、絵を描いているときに突然連絡を受け、急に時間が断ち切られたような、何か大きなものが壊れたような気がしました。
誰もが、一生さんがデザインを芸術の域に高めたと評価するのでしょうが、今は冷静なことは言えません。日本の文化、芸術がここでぶった切られたんだと思う。
初めて会ったのは1971年、ニューヨークのジャパン・ソサエティー。一生さんがショーをやり、その楽屋で会いました。
一歩先にニューヨークで評価され、親近感とあこがれが混じったような思いでした。その後しばらくして連絡があり、パリ・コレの招待状のデザインを頼まれました。1回きりと思っていたのに、今も続いています。
当時、ファッションはヒッピーカルチャーなどの社会現象と手を結び、思想を持ち始めていた。そこに向けて発表した名のあるデザイナーが一生さんで、最初の一人に近かったのではないでしょうか。川久保玲さんや山本耀司さんも、そこに続いたんだと思う。
一生さんの場合、まず、造形…