堕落・貧困・文学

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貧困は文学で極めて頻繁に扱われる。貧富の問題ばかり書いていると言ってもいいくらいだ。経営者として資金繰りが苦しいとか、そういうのはあまりなさそうで、おそらく経済小説としてたくさん存在しているが、文学では扱われない。文学で描かれる典型は、放蕩して借金で苦しむ退廃的人間である。遊び人が反復強迫のように借金を繰り返して堕落を極め、破滅して終わるのが文学である。病気や貧困でないと詩人になりづらいし、没落を歌うために没落するというのもあるが、文学と詩は通底していると考えると、普通の人間がギリギリの市民生活を維持しているストーリーではピンとこない。カラマーゾフの兄弟や太宰治が典型となるが、放蕩は自傷行為であり、経済への不安は表層的なもので、自分の人生そのものへの物足りなさが根源である。たとえば氷河期世代の非正規が不安だというとして、それは一応は経済不安であるが、やはり何も成し遂げてない自分の人生の終末に向けた実存的不安なのである。大企業の正社員は何かを成し遂げてるのかというと疑わしいが、成し遂げたつもりになるのは容易い。大企業の名前を主語にできる人と、自分の個人名が主語になってしまう人間では存在証明においてかなり隔たりがある。文学者は真面目系クズというか、読書好きのわりには怠け癖があるタイプが多いし、そのダラダラした無為な在り方を強調して書くなら放蕩となるし、赤貧が描かれるとしても、おそらく貧困問題を扱いたいのではなく、経済的貧しさと人生の貧しさを重ねているのである。
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