・1988年11月25日夕方、埼玉県三郷市内の路上で被害者女子高生(事件当時17歳)が不良少年グループに拉致され、約40日間に渡ってグループのた溜まり場だった東京都足立区綾瀬の加害者宅に監禁されて暴行、強姦を受け続け、1989年1月4日に加害者グループから凄惨な集団リンチを受けて死亡、遺体をコンクリート詰めにされて東京都江東区内の埋立地に遺棄されました
・1989年3月以降、別の強姦事件で逮捕された加害者少年らが事件を自供した為にその全容が判明しました
・この事件は非常に残忍かつ凶悪な少年犯罪として日本社会に大きな衝撃を与え、加害者少年宅に被害者少女が長期間監禁されていたにも関わらず、その加害者の両親も含めて、少女の命を救えなかった点に、とても激しい非難と疑問の声が上がりました
《加害者少年グループ》
・この事件の刑事裁判で犯行への関与が認定され、有罪判決を受けたのは以下、いずれも犯行当時少年の4人です ・この4人は足立区内の同じ中学校出身の先輩、後輩関係で、いずれも1988年夏頃には在学していた高校を中退あるいは無断欠席していて、監禁、殺害現場となった足立区綾瀬地区を中心として、意味のない不良行為を連日続けていました ・加害者少年C宅の2階には監禁、殺害現場となった少年Cの部屋、及びCの兄(以下ではCの兄をEとする)の部屋がそれぞれありましたが、C宅は両親が共働きで帰宅が遅かった上、Cによる家庭内暴力が激しかった事から、両親が充分にCを監督していなかった為、Cの部屋は不良少年達の溜まり場となってしまっていました ・1988年8月以降、加害者少年B、CはEを通じて繋がりを持った事をきっかけに、Cの部屋を中心に不良交友が始まりました ・主犯格の少年Aは、1988年10月頃、Eの盗難バイクの捜索に協力した事を契機に、E、C兄弟に接近し、C宅に出入りするようになり、更にはDも中学の同学年で見知っていたB、Eを通じてC宅に出入りし、それぞれ不良仲間に加わるようになって行きました ・少年らの先輩には足立区をシマにしている暴力団組織の組員がおり、加害者少年Aらはその組の青年部組織を気取って「極青会」と名乗っていたようです ・1988年10月頃から不良グループ4人は少年Aを中心として順次、女性を狙ったひったくり、車を利用した強姦事件などを繰り返し起こすようになっていました ・また、B、C、Dの加害者少年3人は少年Aを通じ、被害者少女を監禁中の1988年11月~12月頃に架けて順次、暴力団関係者の経営していた花屋の仕事手伝い、街頭での花売りなどに関わるようになり、12月中旬頃には暴力団の忘年会や組事務所の当番にも駆り出される事があったようです
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