「物語という共感装置」がもたらすダークサイド 「強い憎しみ、強い愛」から世界を救う2つの手段

2022/08/23 9:30
「どうやって物語から世界を救うか」がポスト真実の時代の喫緊の課題です(写真:Kanashkin/PIXTA)
陰謀論、フェイク・ニュースなど、SNSのような新しいテクノロジーが「ストーリー」を拡散させ、事実と作り話を区別することが困難になりつつある現代。
このたび、上梓された『ストーリーが世界を滅ぼす──物語があなたの脳を操作する』を「ポスト真実の時代の指南書」であると指摘する、思想家の内田樹氏が読み解く。

「ポスト真実の時代」の実相

「ポスト真実の時代」という言葉が私たちの時代を形容する語としてふさわしいものであると実感されたのはいつか。これについてはかなり厳密に時日を挙げることができる。

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それは2017年1月22日である。その日に放送された「ミート・ザ・プレス」のインタビューにおいて、アメリカ合衆国大統領顧問ケリーアン・コンウェイは、ホワイトハウス報道官ショーン・スパイサーが、第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ大統領就任式には「過去最大の人々が就任式をこの目で見るために集まった」と虚偽の言明をしたことについて問われ、その言明は「もう一つの事実(alternative facts)」を伝えるものだとして報道官の発言を擁護したのである。

この世界には単一の、客観的な現実などというものはもう存在しない。存在するのはさまざまな視座から眺められ、さまざまなフレームで切り取られ、さまざまなコンテクスト上に配列された、似ても似つかぬ事実たちである。「alternative facts」を日本のメディアは「もう一つの事実」と訳したけれど、よく見るとわかるとおりコンウェイはこのとき複数形を使っている。「もう一つ」どころじゃないということである。

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このようなシニカルな態度は「ポストモダニズムの頽落した形態」だと診断する人たちがいる。傾聴に値する知見だと思う。

ポストモダニズムは「直線的な物語としての歴史」や「普遍的で、超越的なメタな物語」を「西欧中心主義」としてまとめてゴミ箱に放り込んでしまった。歴史解釈における西欧の自民族中心主義を痛烈に批判したのは間違いなくポストモダニズムの偉業である。

しかし、「自分が見ているものの真正性を懐疑せよ」というきびしい知的緊張に人々は長くは耐えられない。人々は「自分が見ているものには主観的なバイアスがかかっている」という自己懐疑にとどまることに疲れて、「この世のすべての人が見ているものには主観的なバイアスがかかっている」というふうに話を拡大することで知的ストレスを解消することにしたのである。彼らはこういうふうに推論した。

「人間の行うすべての認識は階級や性差や人種や宗教のバイアスがかかっている。人間の知覚から独立して存在する客観的実在は存在しない。すべての知見は煎じ詰めれば自民族中心主義的偏見であり、その限りで等価である 」

こうして、ポストモダニズムが全否定した自民族中心主義がみごとに一回転して全肯定されることになった。これが「ポスト真実の時代」の実相である。気の滅入る話だが、ほんとうなのだから仕方がない。

ロシアのウクライナ侵攻は「ウクライナの指導部はナチだ」という「ロシアのナラティブ」の帰結であるが、政策の淵源が妄想的なナラティブであることは戦争で現実に人々の身体が破壊され、都市が焼かれることを妨げない。いや、むしろ妄想的なナラティブほど強い現実変成力を持つ。

「共感の過剰」が排他的な暴力の起源

ジョナサン・ゴットシャルの『ストーリーが世界を滅ぼす』はこのようにして「物語は世界を滅ぼしつつある」現実についての豊富な実例の提示と、そこからの離脱の企て(これは希望的観測にとどまる)を記したものである。その問題意識は次の言葉に尽くされるだろう。

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「政治の分極化、環境破壊、野放しのデマゴーグ、戦争、憎しみ―文明の巨悪をもたらす諸要因の裏には必ず、親玉である同じ要因が見つかる。それが心を狂わせる物語だ。本書は人間行動のすべてを説明する理論ではないが、少なくとも最悪の部分を説明する理論である。
 今、私たちがみずからに問うことのできる最も差し迫った問いは、さんざん言い古された『どうすれば物語によって世界を変えられるか』ではない。『どうすれば物語から世界を救えるか』だ」(『ストーリーが世界を滅ぼす』29〜30頁、強調部分は著者)

物語が私たちを魅了するのは、それに確かな実効性があるからだ。ゴットシャルによれば、私たちが今も愛用しているナラティブの原型は新石器時代からそれほど変わっていないらしい。最新の人類学的知見は狩猟採集民がとてもフレンドリーで相互扶助的なコミューンを形成していたということを教えている。

「狩猟採集民の生活の大原則は非常に単純だ。仲間を結束させることは何でもせよ。仲間割れの元になるようなことはするな。分断の種を蒔くな(食物、セックスパートナー、注目など)自分の分け前以上を独り占めするな。腕力に恵まれていてもそれを誇示するな。狩りの才能や魅力的な容姿があっても他人にひけらかすな。つまりは良い人であれ」(前掲書161頁)

物語は共感の数だけ非情を生む

そのような原始の共同体を安定的に維持するためにストーリーの太古的な原形が創り出された。宗教や道徳や経済活動や親族形成についての規範をメンバーたちが深く内面化するための最も効率的な道具が物語だったからだ。「私たちは物語を通して最も多く、最もよく学ぶ」(前掲書45頁)からだ。物語を通じて集団の若き成員たちは、集団の宇宙観と価値観と美意識と行動規範を身につける。

けれども、物語が狩猟採集民由来の太古的な起源を持つという事実そのものが物語の限界にもなる。

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物語は発生的には結束力のある、同質性の高い小集団を形成するための装置だった。ということは、それは同時に「他者」「外部」との間に決定的な境界線を引くための装置でもあったということである。

排他的な暴力の起源が自分の属する集団への過剰な帰属感、共感の過剰であることを私たちは知っている。テロリストが敵に鉄槌を下さなければならないと感じるのは、敵によって苦しめられている同胞に対して深い共感を覚えるからである。身内に対する共感が敵を罰するインセンティブになる。

「強い憎しみの裏には強い愛がある。その憎しみと愛はすべて物語によって―実際の歴史、古代の宗教神話、悪の陰謀物語への耽溺によって吹き込まれた」(前掲書177頁)

たしかに「ストーリーテリングのビッグバンは共感のビッグバンをもたらした」のだけれども、それと同時に「物語は共感の数だけ非情を生む」ものでもあった(前掲書177頁)。「共感」には「ダークサイド」がある。

この「ダークサイド」のもたらす害をどうやって抑制し、最少化するか。それがゴットシャルの物語論の実践的な主題である。「どうやって物語から世界を救うか」がポスト真実の時代の喫緊の学的課題であるというゴットシャルの意見に私は深く同意する。

「物語から世界を救う」手段をゴットシャルは二つ挙げている。一つは他者への共感を育てることのできるタイプの物語。もう一つは科学である。

「奴隷制・家父長制」が非難されるようになった原動力

物語はもともとは小さい集団を結束させるための装置であり、集団の外部や他者との間にコミュニケーションの回路を立ち上げるための装置ではなかった。けれども、すぐれた物語は読者や聴き手を「他者の心の中」に送り込むという想定外の機能を発揮することができた。

「物語は共感装置だ。これが機能するとき、私たちは別の世界、別人の心の中に飛ばされる。物語をお互いを他者として見るのを、究極の形で止めさせてくれる。つまり『彼ら』が『私たち』になる。物語の力が最大限に発揮されるとき、私たちは相手との違いは幻想であり、偏見には根拠がないことを教えられる」(前掲書173頁)

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ゴットシャルが引用している歴史学者リン・ハントによれば、18世紀になってから奴隷制、家父長制、拷問などが「突如として非難されるようになった」ことの大きな原動力は「新しいストーリーテリングの形態、すなわち小説の登場」だったそうである。

「ハントによれば、小説は自分の家族や血族や国やジェンダーの外にいる人々に共感することを教え、それによって人類史において最も重要な道徳革命のきっかけを作った」(前掲書174頁)

これはストーリーテリングについての気の滅入る話ばかり読まされてきた読者にとっては例外的な朗報である。ハントによれば、共感能力は筋肉のようなもので、フィクションを消費すれば消費するほど共感の「筋力」は強化されるのだそうである。にわかには同意しがたい意見だけれども、文学的素養のない人たちが他者の内面についての想像力の行使を惜しむ傾向があるのはたしかな事実である。

ゴットシャルが期待するもう一つの知的な装置は科学である。

「科学は本質的に、現実に関するナラティブのどれが真実でどれが偽物かを見つけ出すために人間が考え出した、最も信頼のおける手法である。(…)科学は、私たちのエゴや物語が私たちに見せたいものではなく、私たちの目の前に実際にあるものを強制的に見せる一つのツールである」(前掲書238頁)

「真か偽か」ではなく「公共的か否か」

 この科学への信頼という点で(プラトンへの手厳しい批判と併せて)ゴットシャルがカール・ポパーの『開かれた社会とその敵』の熱心な読者だったことが推察される。

「ロビンソン・クルーソーは科学的であり得るか?」というわかりやすい例を挙げて、ポパーは「科学性とは何か」について独特の定義を下した。

無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが孤島に研究室を建て、そこで精密な観察と分析を行って学術論文を書いたとする。孤独な研究者が発表したその論文の中身は現在の自然科学の到達点とみごとに一致するものであった。さて、クルーソーは「科学者」だと言えるだろうか?

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ポパーは「言えない」と答える。ロビンソンの科学には科学的方法が欠如しているからである。「彼の成果を吟味する者が彼以外におらず、彼個人の心性史の不可避的な帰結であるもろもろの偏見を訂正しうる者が彼以外にはいない」からである。

「人が判明でかつ筋道の通ったコミュニケーションの修練を積むことができるのは、ただ自分の仕事をそれをしたことのない人間に向かって説明する企てにおいてだけであり、このコミュニケーションの修練もまた科学的方法の構成要素なのである」(『開かれた社会とその敵』、強調は内田)

それはロビンソンの科学的知見が間違っていたということではない(実際に正しかったのである)。そうではなくて、ある言明が科学的であるか否かは、その言明が「真か偽か」のレベルにではなく、「公共的か否か」のレベルにおいて決されるということなのである。「私の言うことは真理である。誰が反対しようが私の言明の真理性は揺るがない」と揚言する人の語る言葉は(たとえ真であっても)科学的ではない。「私の仮説は間違っているかもしれない。それについての事後的検証を待ちたい」と語る人の言明はたとえ間違ったものであっても科学的である。そういうことである。

「われわれが『科学的客観性』と呼んでいるものは、科学者の個人的な不党派性の産物ではない。そうではなくて科学的方法の社会的あるいは公共的性格の産物なのである。そして、科学者の個人的な不党派性は(仮にそのようなものが存在するとしてだが)この社会的あるいは制度的に構築された科学的客観性の成果なのであって、その起源ではない」(前掲書、強調は内田)

わかりあえないことをわかりあう「敬意」と「畏怖」を

 科学が科学的であり得るのはそれが「社会的あるいは公共的性格」を持つときだけである。科学者は個人的な努力によって科学的であることはできない。自分が語る科学的言明の真偽、当否についての検証と判断を社会的・公共的な場に委ねることによってはじめて科学的であり得る。

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科学のそういういささか込み入った性格にゴットシャルは「物語からの離脱」の手がかりを見る。

ただ、ゴットシャルはどうやって科学に対する信頼を私たちの中にもう一度根づかせるかについて、特に効果的なアイディアを持っているわけではなさそうである。それは仕方がないと思う。世界を覆い尽くしているこのコミュニケーション・ブレークダウンを解決する方法まで彼に望むのは「ねだり過ぎ」というものだろう。

それでも、ゴットシャルは、本書の最後のほうで、私たちが自分の信念が真実であるかどうかを自己決定することができない以上、自分と異なる信念を持つ他者に対して、せめて「敬意」と「畏怖」を持つことを私たちに勧めている。

「『彼ら』の―あなたにとっての『彼ら』が誰であれ―世界観の物語があなたの物語とは噛み合わずに気に障ったとしたら、彼らはかわいそうな人なのかもしれない、場合によっては恐るべき相手なのかもしれないが、軽蔑の対象ではないと理解しよう。あなたがそうすれば、『彼ら』があなたに対して同じ敬意を払ってくれる可能性は高い」(『ストーリーが世界を滅ぼす』219頁)

孔子が「知」と呼んだもの

他者との相互理解はたぶん不可能である。だったらせめて「敬意」くらいは持ってもよいのではないかとゴットシャルは書いている。その通りだと思う。

「敬」という漢字の原義は白川静先生によると「羊頭の人の前に祝祷の器を置く形。羌人(きょうじん)を犠牲として祈る意」というなかなか血なまぐさいものである。そこから「つつしむ、神事につかえる、うやまう」などの意が生じた。「敬」を用いた最も印象的なフレーズは「鬼神を敬して之を遠ざくるは知と謂(い)うべし」である。

ゴットシャルがポスト真実の時代に立ち向かうときの実践的結論としてたどりついたのはどうやら「他者は敬してこれを遠ざく」という倫理的な構えのようである。だとすれば、それは孔子が「知」と呼んだものと図らずも符合する。私はそのことに深い感興を覚えた。

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