「前置きもなく、いきなりお身体のことを話し始めたといいます。雅子妃殿下は羞恥心と驚きで複雑なお気持ちになったそうです。ひとりの女性が夫婦間のことなどを他人に軽々しく言えるはずがありません。雅子妃はしばらく黙ったままだったそうですが、あまりに理解がないためプライバシーについて言われたところ、結局、聞き入れてもらえないまま話は平行線に終わったと言われていました」
しかし、宮内庁は東大病院で不妊治療の権威といわれていた堤治教授を宮内庁病院に招聘、不妊治療を強要して、1998年から検査や治療を始めた。
ただし、雅子皇后は巷間言われていたような「体外受精」などの治療を受けたわけではない。検査は行われたが、治療については、堤教授には体外受精の技術はなく、あったとしても、排卵誘発剤、人工受精などのレベルだったと言われている。しかも、検査の結果、雅子皇后に問題はなかった。この検査についても前掲書『ザ・プリンセス』が宮内庁関係者のこんな証言を掲載している。
「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったといわれています」
そして、2001年、愛子内親王が誕生。これでようやく、雅子皇后へのプレッシャーは軽減されるだろうと思われた。しかし、実際はまったく逆だった。出産したのが女児だったことから、雅子皇后への風当たりはむしろ強まった。安倍首相を取り巻く右派が今も固執している「男子にあらずんば天皇にあらず」という男系男性天皇への固執が雅子皇后にさらなるプレッシャーを与えたのである。