第8話 終わりの始まり

 二月も終わり、三月に入った。小学校の卒業式まで間もない。それを思うとなぜ自分の弟が死なねばならなかったのかと、来年から大学生活三年目になる長橋明紀あきのりは奥歯を噛んだ。おまけに母まで気が狂ったようになって舌を噛んで死亡し、父は失踪。小学四年生の妹と二人、明紀は苦痛の世界で生きていた。

 ちょっとした火遊びのつもりが、こんな報いを受けるなんて。

 明紀は真っ暗な闇夜の中を走り続けていた。背後は振り返らない。とにかく逃げる。

 慌てて見つけた裏路地に飛び込んで、いくつかの曲がり角の先に辿り着いた時とんだ失策だと気づく。

 そこは絵に描いたような袋小路で、目の前はあまりにも狭すぎて通り抜けられない。両脇はビルの壁で、そして後ろには。

「鬼ごっこは終わりだ」

 一人の男。

 仕立てがいいはずのスーツはすっかりくたびれており、ぎょろりとしたクマのある目、無精髭が散った顔は、しっかり手入れしていれば美形で通るだろう。鍛えられた肉体のその拳は大きく、目つきは怨敵を睨む肉食獣のそれ。

「まっ、待ってくれって! 誘ってきたのはあっちなんだ!」

「刻子はそんな真似はしない。裁判でもそう繰り返していた。……お前のせいで俺の家庭は壊れた」

 相手は現役の警察官。下の名前は知らないが、ちょっとおだてたらその気になったおばさんの旦那であるならば、その苗字は八十神であるはずだ。

「娘も、息子・・も……俺を妻一人モノにできないだらしない親父だってな。娘に至っては口も聞いてくれねえ」

 ぱきぱきと関節を鳴らす。肩を回し、煙草を吐き捨てて踏み潰した。

「わかってんのかよ。警官が民間人殴るなんて許されねえんだぞ!」

「ならお前の行いは許されるのか? 俺の子供を苦しめた罪に対する罰は? 首をつった刻子への謝罪は?」

「首……? なんだよあのババア、ちょっと遊んでやってくらいで——」

 打ち出された拳が明紀の顔面にぶち当たる。左の奥歯が折れて、続けて繰り出された左拳が前歯を三本叩き折る。

「警官が民間人に手をあげるのは御法度だ。でもそれは、バレればだろ。お前だってそうだったはずだ。見つからなきゃ他人の妻だろうと汚ねえポークビッツをぶち込んでいいってな」

 肝臓へ突き刺さるような拳骨と、胃へ命中したパンチ。明紀は胃液と、そして血を吐いて疼くまる。

「なるほどな。……人殺しの気持ちが少しわかったよ。でも俺は違う。俺は正義の代行者だ」

 八十神朔往は右足を振り上げ、それを項垂れる明紀の頭部へ叩き落とした。


×


「聞いたか? 長橋の兄貴が死んだって。全身すげえボッコボコで、頭潰れてたって……ほら、拡散されてたろ、アンダーズネットの殺人掲示板キラーボードで」

「はぁ? あの家呪われてんじゃねえのか? ってかやめてくれって、吐きそう」

「ごめん。……けどやべえよな。犯人も見つかってねえし、この街ちょっと危ない気がするわ」

 三月十四日の金曜日、小学校の卒業式の場。卒業生入場前の廊下で、同級生がそんなやりとりをしていたが、すぐに呪いという単語から派生して流行りのゲームやらアニメの話題になる。

 けれどその呪いというものが決して他人事ではない朔奈には、それを軽んじて無視できるものではなくなっていた。

 最初の一人は朔奈が呪ったことが原因だ。しかし、それ以降の呪いはまた別のものである。勢子辻の神社で、そして瀧沢奏人の見立てではそれが最も可能性として高く、適切なものであるとされている。

 卒業式なのに随分と陰鬱な気分にさせてくれる。そのくせ空はムカつくほどに快晴で、うんざりさせられた。環境維持パイルフィヨルドが半ば強引に環境を回復させているおかげで、卒業シーズンに桜が咲くだなんてことはないが、人の気持ちも知らないで機械は気楽でいいな、と受取人不在の愚痴を漏らす。

 叔父は、こなかった。

 というかここ半月、どこにいるのか不明なのだ。

 警察署から叔父の部下であったという女巡査がやってきて、「八十神先輩、こちらに帰ってきていませんか?」と、刑事にしては随分と物腰の低いような口調で聞いてきたのである。

 そこにいた朔奈と往音、そして現在居候という形になっている真響も知るはずがなく、「連絡すらないです」と答えるしかなかった。エレフォンを見せて履歴の類も見せた。

 何かあったのかと不安になる朔奈だが、実子である往音は薄情にも「所詮私たちなんて邪魔者だったのよ」と吐き捨てて、あろうことか叔父の私物を全て片付け、瑞希の運転する車でゴミ処理施設まで運んで行ったほどだ。

 親子の確執は、家庭にもよるが……場合によってはそれこそ事件に発展するほど根深いものがある。往音は特別朔奈には恨みがないと断言したが——夜廻り業界に巻き込みたくないというのが往音の本音だ——、しかし個人的に実父の朔往が嫌いだと口にした。あいつは私を女として見ているから、だなんてことを言ったのだ。

 朔奈はやりきれない思いだった。いくら知識を持って賢く振る舞っても十二歳の少年。家庭というものが与える影響やストレスはすぐに出てしまうものであり、彼の黒髪には誤魔化せないほど白髪が目立っていた。自分でも、胡麻プリンみたいだとすら思える。

 周りはそれについて気付きつつも何も言わない。先生から「どうかしたか?」と聞かれたが、朔奈は「中学生活への不安です」とだけ答えておいた。

 助けを求めれば、その弱みにつけ込む誰かにまた攻撃される。朔奈はいじめという経験から強くそう思い込んで、そしてそれが世界のルールだと信じていた。


×


「ごめん、燈真とうま椿姫つばき。忙しいのにさ」

「いいって。あの子も大変だな」

 卒業生の保護者席には、往音と瑞希の他に二人の男女が座っていた。

 彼らは往音と同じ高校に通う同級生で、来年度からは高校三年生になる。漆宮しのみや燈真という白髪の少年に、同じく白髪——というか、ほんの少しだけ青っぽい月白の頭髪の先端を竜胆色に染めている少女の稲尾いなお椿姫だ。

 二人はそれぞれ御巫と巫覡だが、それだけでは言い表せないある秘密があった。

「髪の毛が白いけど、染めてるの?」

 椿姫が聞くと、往音は首を横に振った。

「私のせいでもあると思う。……ストレスで、白くなった」

「生まれつき白い俺と違うんだな。……あいつ、あれだ。昔の俺と同じなんだろ」

 小声でやりとりする四人。周りは入場した生徒に拍手を打つ。彼女らも、朔奈と真響に盛大な拍手を送った。

 喋ることができない中、燈真は筆談でメモを送ってきた。角張った力強い文字で、

『助けを求めることに忌避感を抱いている目だ』

 と記している。それから二枚目。

『一匹狼は淘汰される。人は本来、助けを求める個体が生き残って、今の社会を築いたんだ。痛がりで泣き虫なくらいが、一番生き残る』

 燈真自身もかつては札付きの不良だったことは、他ならない同級生の往音が知っていた。けれど彼は椿姫という身近にいた一番の理解者と接し、お互いに理解をして、そして助けを求めて強くなったのだ。

 なんらかの優秀さゆえに孤立し、孤独になっていく生きづらさ。燈真はその中で椿姫に助けを求め、今では誰かを助ける場にある。

 燈真は初対面である朔奈を見て、

『俺たちで助けてやろう。朔奈も、真響も。呪いどうこうじゃない。俺にとっては他人事じゃないんだ』

 というメモを回した。

 往音は素直に感謝して、瑞希も往音の耳元で「私にとっても弟と妹なんだから」と囁いた。椿姫も力強いサムズアップをする。

 卒業生が元気よく返事をする中、朔奈とそれに続く真響の声はひどく弱々しい。

 彼らは嫌々、という様子で往音たちのもとに来て、卒業証書を渡そうとして、

「よう、おめでとう」

「おめでとう、二人とも」

 見ず知らずの男女に声をかけられて、不審者を見るような顔になった。往音は笑いながら、

バイト先・・・・の友だち。いい子だから。パッと見ヤンチャ坊主だけど」

 燈真が肩をすくめた。

「悪かったな。……あー、あとでなんか奢ってやるよ。なんでも好きなもんでいいぞ」

「そう、なんだ。……ありがとうございます。……えっと、往音をよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 朔奈と真響はそう言って、証書をそれぞれ往音と瑞希に渡すと、スタスタと去っていった。

「学ランが喪服に見えるくらい暗い顔してたわね」

 椿姫が端的にそういった。周りのご婦人が嫌そうな顔をすると、彼女は「すみません」と素直に謝る。

「あんな状態じゃ、本当に危ないな。色々教えないと、取り返しのつかないことになる」

「そうね。……燈真の二の舞になりかねないし」

 そんなことを言った椿姫に、しかし往音は反論できなかった。

 燈真はある理由から、素の状態でも馬鹿みたいに強い。たった一人で『家の前でやかましいから』と言って暴走族十数名を無傷で一方的にボコボコに叩きのめして病院送りにするようなやつなのだ。

 現在朔奈は、その力を行使することに対して「ノー」と言わない真響がいる。間違って燈真と同じことを思ったり、実行すれば、最悪こっちの業界を知る朔奈は彼自身が祓除対象になりかねないのだ。

 だからこそ、更生した燈真と、彼を更生させた椿姫に助けを求めたのである。今ではすっかり新婚気分のバカップルな二人だが、ヒトとしても夜廻りとしても往音の格上で、瑞希と同じくらいに大人と言える心を持っている。

 少なくとも、実の娘に対して強姦未遂を働いた父と、その父を酷く恨む往音よりは、ずっと指導役にはちょうどいい。

 実を言えば往音は安堵していた。父の目が、あの目が朔奈に向きつつある恐怖から解放されたことに。もともと父は朔奈の母に恋していた男であり、その面影が強い朔奈に妙に執着していたのだ。周りには息子ができたようなものといいつつ、本当は……ただの性の対象としてみているのだ。

 反吐が出る。

 瀧沢チーフに頼んで父の端末に虚偽の捜査資料を入れて家に帰れないよう妨害したことも、一度や二度ではない。

 穢らわしい、クソ野郎が。

 往音はもう決心していた。

 朔奈と真響を連れ、家を出ることを。



 ——そうして卒業式を終えたとき、小学校から出てきた往音たち六人を報道陣が待ち構えていた。

 そこで、八十神朔往が長橋明紀殺害の容疑者であることを知った。



   序章 完

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