第7話 型、式、能

「〈食深魚しょくしんぎょ〉ね。……一人でも楽だけど、どうせならあんたも試したいでしょ」

 往音にそう言われて、朔奈は小さく頷く。それから真響に向かって「大丈夫?」と聞いた。すぐに剣が振動し、骨伝導マイクのような響きを伴う肉声で「平気」と応じる。

 朔奈は体が自然と体得している剣術に従い、〈廻異真響〉を上段霞に構えた。相手が人間であればその切っ先は目、もしくは喉に向けられる、己の視線と水平に刀身を寝かせる構えだ。スポーツとしての剣道においては滅多に見られない構えだが、剣術全盛の時代には確かなものとして存在する、古い剣術の構えである。

〈食深魚〉が銛を二、三回振り回し、ぎちぎちと耳障りな音を立ててエラやらヒレを震わした吠えた。朔奈は次の瞬間には目の前まで迫っていた銛の先端を剣でいなしており、相手に対してすれ違うような形で踏み込む。そのまま剣を薙いで切り抜け、大腿部を裂かれた魍魎が微かに息を呑む音を立てた。

 後ろに回りつつ朔奈は急反転、背後から切り掛かる。これは武士様や騎士の御前試合ではない。相手に勝つ——殺すためならばなんでもありの殺し合いだ。真後ろから切るなど、むしろお行儀がいいと言える行いだろう。

「朔奈君!」

「っ!」

 真後ろへ振るわれた銛に気づいた朔奈は、瞬時に〈廻異真響〉の腹でそれを受け止めた。ガィン、という鈍い金属音と鋭い振動に、柄を握っていた両手が痺れる。奥歯を噛んで、朔奈はノックバックしつつ目玉が敷き詰められた水槽に頭を突っ込む前に踏みとどまった。

「真響さん、平気?」

「うん、ちょっと痛かったけど大丈夫。朔奈君は?」

「俺は問題ない」

 下段霞。朔奈は相手の刺突を左右にステップして連続で回避し、カウンターの逆風を見舞う。だが真下から切り上げられた刀身を、〈食深魚〉は銛で容易く防いだ。それから朔奈をやたらと障害物が邪魔する場所へ追い込もうとしてくる。

(逃げ場を奪ってトドメを刺そうって感じかな。格ゲーじゃないんだから、そういうハメ技はやめてほしいけど)

 朔奈は思い切って水槽の一つを蹴り倒した。この液体の比重が一リットル一キロとするならば、どう考えてもその水槽は六〇〇キロ以上の水が入っていたはずだろう。しかし霊葬器を握ったがゆえに得られた身体能力は、怪力をもたらしてその水槽を蹴り飛ばすだけの脚力を付与していた。

 ばしゃっ、と濁った水がこぼれて目玉が溢れ出し、死臭とか腐乱臭とかいう類の悪臭をもたらす。

〈食深魚〉が水の流れに足を踏ん張って、動きが止まった。朔奈はいっそ冷徹なまでに心を凍て付かせ、汚水を跳ね散らして目玉を踏み潰し、相手の懐へ。剣を袈裟懸けに振り下ろして、〈食深魚〉の胴を深々と断ち切った。

 が、手応えが薄い。まるで分厚いゴムの表皮を切ったような。肉を断ち切った感覚ではなかった。

 見れば魍魎の、切り裂かれた腹部の内側にはゼリー状の液体が蠢いており、それが斬撃の威力を著しく減衰させていたのだ。

 朔奈は舌打ちして相手の銛を半身になって躱し、蹴り倒した水槽を踏んで跳躍。真下に振り下ろされた銛がプラスチックの水槽を叩き割って、目玉をいくつも踏み潰すのを見ていた。

 ——くそ、精神まで削ってきやがる。

 朔奈は大きく息を吸って、一旦止めてから吐き出す。

 なにか、大きな有効打がいる。戦局をかえる決定的な一撃が。

「真響さん、型と式と能の話は覚えてる?」

「うん。武器のカテゴリ、術式っていう魔法みたいなのと、あとはその巫覡が持つ技能の力スキルだよね?」

「そう。多分——」

 刺突。屈んで避けて、脛を切り払う。しかしまたしてもゼリー装甲に阻まれた。無造作の蹴りが飛んできて、朔奈は咄嗟に剣で防いだが運動エネルギーの収支で真後ろに吹っ飛んで、積み上がった段ボールの山に突っ込んだ。

 エビの殻やらカニの殻とか、あとはなぜか人の骨が入っていた。ぱりぱりがりがり音を立てて立ち上がって、込み上げてきた胃液混じりの抹茶オレを吐き捨てる。

「大丈夫!?」

「問題ない。……で、話を戻すとさ。喧嘩なんて知らない俺がここまで動けるのは、能のおかげだと思う。武器の型はこの剣。だとしたら、あとは式なんだ」

「式……この、なんかもやっとしたものがそうなのかな」

 朔奈は防戦一方を避けるため、効かないと分かっていても切り込んだ。怯ませてその隙に距離を置き、間合いを詰められればカウンターで虚をついて時間を稼ぐ。とはいえ強化された肉体にも限界はある。スタミナが尽きる前に、一つの打開策がいる。

「魍魎は霊力の塊って言ってた。ってことは、切ったりした時点でその霊力を少しずつ吸い取ってるんじゃないかって思うんだ。そのもやもやは、多分霊力なんじゃないか?」

 往音はそんなやりとりを聞いて、「本当に生意気なくらい賢いんだから」と呟く。瑞希が「嬉しいくせに」と返したが、そのやりとりは朔奈たちには聞こえていない。

 真響は可能性としてはありうると思っていた。このもやには、なぜか力を感じるのだ。ソウルエンジンを前にした時のような、あの感じ。

 通常、生物の体内に霊力を入れることなど不可能だし、禁じられているからそんな経験はないが——だから、なんとなくもやもやしたもの、としか表現できなかった。

 ではこのモヤモヤをどうすべきか——今回に限ってはあの『声』が導いてくれないが、考えうる方法を真響は思考し、一つの結論に至った。

「とりあえず霊力を圧縮して打ち出すっていうのはどうかな? 斬撃に乗せて、衝撃波みたいに」

〈食深魚〉の左拳をダッキングで回避。髪を掠め、右目を隠す前髪がかすかに揺れた。朔奈はすぐに「それでいこう」と口にする。

 瞬時に魍魎の腹を蹴り付けて後ろへ跳躍、距離を置く。

 すると〈廻異真響〉が薄い紫紺の——竜胆色の輝きを帯びた。霊魂粒子が放つ星のようなそれではなく、もっと流動的なもの——それこそ水やら風やら、あるいは炎のようなものだった。

 陽炎のように揺れるそれを大上段に構え、朔奈は一気呵成に振り下ろす。

「ぶっ飛べ!」

 放たれた三日月状の斬撃波が〈食深魚〉を打ち据え、ばしゃっ、と大量の黒い血をぶちまけさせるが——しかし、両断には至らなかった。けれど明らかに内臓に達しており、恐らくは瞬時に防御に使った左腕の肘から先が切り落とされていた。

 朔奈は二度目の斬撃波を——と思ったが、なぜかそこで急に体が重く、そして怠くなった。インフルエンザのとき、布団から出るのも億劫になるあの感じだ。立っていられない。足元がおぼつかない。意識が混濁する。

 小さい頃の記憶がいくつかフラッシュバックした。走馬灯——? しかし、あるはずがない・・・・・・・奇妙な光景も・・・・・・そこにあった・・・・・・

「っ、ふぅ……ぁ、……なんだ……畜生……」

 魍魎の治癒が少しずつ始まっていた。霊魂粒子と、そして妖力粒子が結合して、その反応でどんどん傷を回復させていく。霊力も妖力も体内には持たない人間には不可能な、超常現象めいた——生物学の域をはるかに超えた代謝能力であった。

「朔奈、よくできたわ。二度目の戦闘で三等級に有効打を叩き込めたのは天賦とすら言える。あとは私が始末する。……大丈夫、今までの働き分の霊子は分けるから」

 往音が鎌を回転させつつ前に出た。敵が瞬時に左腕を治癒させて生やし、両手で銛を掴んだ。が、往音が軽く鎌を振るうと信じ難いことが起きる。

 鎌の柄がまるで蛇のように伸びたのだ。じゅるじゅると有機的な触手のような、筋肉の繊維剥き出しのようなものによって刀身と柄の間が伸びて、鞭のようにしなる。変則的な攻撃である鎌の、その特徴を二乗したかのようなトリッキーな一撃。

 〈食深魚〉は慌てて後ろへ下がろうとするも、長いリーチに巻き込まれて首を一発で落とされた。

 周囲の機材もまとめて叩き切られ、血のようなものとスパークを散らす。

 じゅるっじゃこっ、と音を立てて柄が戻った鎌を手にして、吸い込まれる黒い霧——霊子の幾許かを〈廻異真響〉に導いていた。

 朔奈の意識があったのはここまでで、

「朔奈君! 朔奈君っ!」

「朔奈!」「朔奈君!」

 という真響と往音と、瑞希の声を反響させる、暗く染まった世界へと意識が沈んでいった。

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