第6話 職場見学、勢子辻にて
あらかたの話を終えた後、奏人は「もしかしたらその神社自体が
ではあそこはあの女の、あるいは山の主が狩りをする際の拠点だったのだろうか……。
そんな思索が顔に出ていたのか、奏人が往音を掌で示す。従姉妹はそれを察して、
「私たちが言う勢子辻っていうのは魍魎や私たちが展開する一種の異空間で、結界術の類い。現実の空間から隔絶されたもので、周囲にある光景を引き継ぎつつ異質な領域を形成するの。基本的に、一定以上の霊力と妖力を持った魍魎がこれを実行し、」
「場合によっては自然発生もするわ。幻の大陸を見たっていう探検家や、やたらとリアリティのあるオカルトスレッドのお話とかもこのたぐい。そうね、ゲラゲラ医者とかきさらぎ駅も実はこの勢子辻じゃないかって言われてる。規模が段違いだけどね」
瑞希が引き継いだ言葉に、朔奈はそんな馬鹿な、と思った。
好きが高じて遥か以前の、解析機関の実用化と端末の普及が間もない時代、古き良き九〇年代後半からゼロ年代のアンダーズネット黎明期のオカルト話や都市伝説を趣味で読んでいたが、それらの正体が魍魎だとか勢子辻だとか、そんなものだったとは。
もしかしたら創作だとか釣りと言われていたくねくねの類とかも、こういった勢子辻やらがその発生理由なのだろうか。
「俺たちがオカルトの類だと思ってたことは、全部霊魂粒子の……霊子の振幅が見せるただの現象だったんですか」
朔奈の問いに、「そうなるね」と奏人は頷いた。
少しして真響がこう言った。
「巫覡についての説明も、後ほど詳しくされるとお聞きしましたが……私の両親は、私を巫覡だと知った上で捨てたんですか?」
そこには微かに恨みのようなものが滲んでいた。普段は感情を感じさせない顔には、明らかに不快感——実の親に対して抱く、おかしな運命を突きつけたまま蒸発した、そんな置き土産に対する怒りがあった。
義理の親への無関心。それは実の親への、無意識な執着ゆえのものなのだろうか。
「君のご両親がどう考えていたのかは知らないが、巫覡自体は相伝が基本だけど、中には一般家庭から唐突に生まれることもある。ご両親が霊子技術者であったりして、霊力を常日頃身近に浴びる職業であるとこうなることがあるんだ。逆に、御巫の場合は血筋に
俯く真響の手を、朔奈は自然と握りしめていた。
「俺たちはこれからどうなるんですか。一般人が知るべきではない秘密を知った俺たちは」
「そうだねえ……。一つは術をかけて全てを忘れさせること。もう一つは口止め料で黙っていてもらうこと。あと一つは——」
そこで、奏人の部屋にある内線が鳴った。彼はそれを気だるげに取って「どうかしたかな。こっちは講義の真っ只中なんだがね」とぼやく。それから二、三やりとりし、こっちへ向けて笑顔でこういった。
「うん、そうそう。あと一つは君たちも私たちと同じく、夜廻りになってもらうことかな。幸い、おあつらえむきな事件が起きた。八十神君、
朔奈は真響を見た。彼女の目は『行こう』と言っていた。
「わかりました。自分達の目で見て決めます」
「他人の価値観に縋らないんだね。いいことだし、いい言葉だ。じゃあ水原君、くれぐれも安全運転で」
×
「霊子周波数三一一
「どういうこと……ですか」
「真響ちゃんたちは電波の授業は……まあ、わかんないよね。電磁波っていうのは周波数が高くなればなるほど送信できる情報が増えていくんだけど、それは霊子周波数も同じ。大体、三〇〇PGHzを超えると勢子辻が起きる。普通は二、どんなにいっても三PGHzなんだけどね。一般に人体に害をなすレベルⅢの霊魂粒子汚染が、五〇〇P
朔奈はそれを聞いて、素直な質問をした。
「メガ、でさえそれなら……ギガ単位の勢子辻は入った瞬間おかしくなるんじゃないんですか? だって、レベルⅢの霊魂粒子汚染ですら、人によっては幻覚を見たり、心霊体験とかするんですし」
「そうね、勢子辻は一般人は一瞬で気を失う。というより、勢子辻側が不適切な異物として弾く。だけど巫覡や御巫は入れる。どちらかといえば私たちはあっちに近しい存在だし」
真響が何かに気づいたように、
「待ってください。じゃあ、あの神社で起きたことは……いえ、だとしたらその勢子辻が拡大したら普通の人は……」
「賢いわね。そう、それが夜廻りが最も危惧すること。勢子辻の蔓延による人類の滅亡が我々の最大の危機なの。だから魍魎を
エアカーが乱暴な運転で海沿いの町を抜けて、防波堤近くの廃工場についた。そこは元々は水産加工屋らしく、近くの港で水揚げされた水産物をパック詰めしたり、冷凍処理などをしてそれぞれの卸売業者、もしくはさらなる食品加工工場に持ち込んでいたのだと、往音は語った。
現場近くは黒服に固められている……が、彼らの通称が黒服であり、衣類は一般的だ。ただ、往音を見るなり「お疲れ様です。霊子封鎖結界は完了しております」と敬語で言う。金髪のギャルに服従する大男——傍目には組長の娘と組員である。
黒服が朔奈と真響を見て「こちらの可愛らしいお客さんは」と問う。若干小馬鹿にしたような声音だが、朔奈は涼しい顔で受け流した。いじめの……怪我の功名というか、スルースキルは小学校六年生にしては高い方だ。
往音が「従兄弟とその彼女。見学に来た御巫と巫覡よ」と端的に言うと、開け胡麻の呪文を唱えたように、彼らは道を開けた。
「すみません、そうとは知らずに。お通りください」
彼らはどうやら御巫や巫覡の者には敬意を払うらしい。そういう仕事なのだろう。プロ意識ゆえの、大人の対応に思えた。
「彼女……」
「ごめん、往音は早とちりするから。俺からも謝るよ」
「だよね、うん。……なんでもない」
真響がどこかつまらなさそうに言った。朔奈とて鈍感ではないが、今の場面で彼氏ヅラするほどの無神経さはありはしない。
「〈
短くそう言って、往音が瑞希の手を握る。すると彼女は一振りの大鎌に化身した。朱色の基調色に、真っ赤な刃。血濡れの大鎌は往音の一六八センチの上背と同じくらいの全長で、内反りの頭身は綺麗な一筋の刃ではなく、牙のような細々としたものがぞろりと並んでいた。
「真響さん、大丈夫?」
「うん」
「じゃあ。——〈
朔奈の手に黒地に白銀の刃を持つ直刀が握られる。七十センチ半ばほどのそれは、以前虫人間を斬り潰して刺し貫いた〈廻異真響〉そのものである。
廃工場前で往音が「へえ」と呟いてから、一見なんでもない入り口をくぐった。入ってすぐにある消毒室。本来は消毒液で満たされる足元も、アルコールを噴霧する壁もうんともすんとも言わない。奥の扉を開いて一歩踏み込むと、ぐにゃり、と視界が捻じ曲がった。
にわかに朔奈と真響に頭痛が駆け抜けるが、頭を振って目を開けると……そこには異質な空間が広がっていた。
腐った魚の匂い。自慰行為に狂った男の部屋のような、あの生臭さだ。気分が悪くなる匂いだが、往音は平気そうだった。そんなことでとは思うが、格の違いを見せつけられたようで悔しい。
本来は魚介類を入れておくための風呂桶のような水槽には、人間なのか魚なのか……おそらくはその両方であろう目玉が大量に浮かんでおり、ベルトコンベアには魚やらエビに混じり人間の指などが丸められ、乗せられている。それらは別の機械に入れられてすり潰され、ミンチになって高温の油に消えていく。
異常だ。あの電車もそうだが、魍魎はとことん人間を見下し、馬鹿にしている。
往音が「自分の身は自分で守りなよ」とだけ言って、鎌をくるくる回した。
湧いて出てきたのは半魚人の魍魎だ。エラのついた魚顔にぎょろっとした目、裂けた口に、ぶよぶよした皮膚とそれ下から押し上げている筋肉。水かきのついた五本指は槍を構え、背鰭と尾鰭が波打つようにゆらめく。
「精々四等級ね。種別は〈
一体の〈肉水魚〉が地面を蹴り付けた。往音は腰を捻りつつ屈み、薙ぎ払うようにして鎌を横へふるった。牙のごとき刃が敵に咬みついて、引き裂いて血肉をぶちまけさせる。一閃で両足を切り落とした往音は鎌を振り上げて鋭い先端で頭部を貫くと、弾け飛んで耳からこんにゃくゼリーのような半透明の脳みそを垂らすそいつを無視。
死体を蹴って跳躍した往音は奥の二体、そのうちの右側にいる個体へ袈裟懸けに鎌を振り下ろして左肩から右脇腹へ、心臓を経由して両断。左で槍を押し出そうとしていた〈肉水魚〉の一撃を、上半身を反らせて回避。バック宙という曲芸めいた動きで刺突を避けて瞬時に踏み込んで、彼女は鋭い蹴りを相手の下顎へ叩き込む。
蹴り足を踏み替えて左の上段回し蹴り。側頭部を蹴り付けて、往音は間髪を容れず鎌を右手に持ったまま、左の拳の強烈なレバーからの、右膝を下腹部へ押し込むような鈍い音を伴う打撃を加えて、鎌の鋭く尖った柄頭で心臓を貫いた。
ぬるっと尾を引く血を伸ばしながら鎌を引き抜き、彼女は「ふぅ」と息を吐くと、呼応したかのように死体が霧散した。黒ずんだ霧のようなそれが鎌へ——〈咬牙瑞希姫〉に吸い込まれる。
——あれは。
〈廻異真響〉で初めて魍魎を……虫人間を殺したときにも起きた現象だ。今までの話から推測するに、恐らくは霊力の類だと思えるが。
が、敵はまだいた。
〈肉水魚〉より一回り体が大きい、二二〇センチ近い上背と、横にもがっしりとした半魚人だ。往音は小さく舌打ち。
「二等級……ってほどでもないかな。朔奈、手伝えそうなら手伝って」
「……わかった。往音も無理しないでくれよ」
「生意気だなあ。昔みたいにお姉ちゃん、って呼んだら?」
「うるさい。黒歴史をほじくり返すな」
大きな半魚人は空気を震わすような、掠れた怒号をあげて手にした槍——いや、やたらと刺々しい銛を掲げて威嚇してきた。
〈咬牙瑞希姫〉と〈廻異真響〉を握るそれぞれの御巫は、血縁もさることながら、一人の戦士としての資質を見せつけるかのようにそれぞれの巫覡を構えた。
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