第3話 御塚山の怪(2022/08/19:改稿)

 花畑。兄と二人。無骨な口で語るのは、彼が目指す警官への道。夢を叶え、いざ現場へ。過酷な事件捜査を繰り返して、犯罪を見つけて犯人を捕らえて、

 最後には金を払って釈放された犯人の逆恨みで、義姉共々殺された。

 自分は憧れの背中を失い、甥っ子は大切な両親の変わり果てた姿に放心して、やがて両親がもうこの世にはいないと知って泣きじゃくる彼を抱きしめていたあの葬儀の場で、朔往はこの世には絶対の正義も……そして断罪もないのだと悟った。

 法とは弱者を守る盾ではなく、金持ちが札束と引き換えに握る剣に過ぎないのだと悟ったのだ。

 ――くそったれ。

 夏の空の下、苛立たしいまでの炎天下。兄と一緒に遊んだ日々は、成人後、毎日の楽しみだった酒盛りは、もう二度と手に入れられないものだ。

 甥っ子と娘が仲良く遊ぶ日々も、全部。もうどこにもない。

 だから、兄の死後……朔往は現実という世界を酷く呪うようになっていた。


×


 はっとして目を覚ました。

 奇妙な夢を見ていた気がする。なんだったか。また見たくもないものを、思い出したくもないことを延々と眺めさせられていた気がする。

 ため息をついてこめかみをぐり、と中指の拳骨で刺激する。鈍い痛みに余計な睡魔が退散していくのがわかる。

 長橋明成という児童を襲った不幸な事故は粛々と処理され、それは殺人事件を主に担当する捜査一課の朔往には関わらない部署で捜査やなんかが進んでいたが、二日ほど前に参った様子の同僚から「運転手の供述が支離滅裂だ」という愚痴を聞いた。

 空はもう真っ暗で、腕時計の針は日付変更線を跨いでいることを告げている。

 外にはライトアップされた街と、蒸気の煙が濃霧のように漂う。外に出るときは予報を聞かないと、と思って、卓上ランプがほんのりと照らしているデスクに目を向けた。資料が雑に並んでおり、手に取ったエナジードリンクはもう空っぽだ。同じ空き缶は既に三本。鈍痛がする頭を振って、無精髭が散る顎を撫でた。

 携帯エレフォンの画面には、娘から二件のメール。知人の探偵から一件の着信と、二件のメール通知。それから甥っ子の朔奈から一件のメールが来ていた。

「ああ……そっか、俺の誕生日か」

 昨日、朔往は記念すべき四十九歳の誕生日を迎えた。兄と同じくらいの時期に結婚し、病気で死んでしまった兄の第一子と同じ年に娘を授かった。なぜ兄と兄嫁だけが地獄を味わわねばならない――そう思うと、やりきれない。

 現代の八洲の法は甘すぎる。金さえ払えば釈放だと? ふざけやがって。

 携帯を操作して、娘の往音と息子同然の朔奈に「ごめんな、忙しいんだ」と端的な返信を打つ。それから探偵の知人へ一通メールを送って、まぶたを何回か揉んだ。

 挙げるべきホシは腐るほどある。この街にはクズが多すぎる。

 朔往は解析機関のサブユニットと接続されているアンダーズネットの環境を確認し、末端解析機関デスクトップを再起動し、捜査ファイルを開いた。


×


 二月も下旬の二月二十六日の火曜日。長橋明成が死んで五日が経った。子供とは気持ちの切り替えが早く、それはきっと所詮は他人に過ぎないのだというある種の冷淡な部分からくる割り切りなのかもしれないが、クラスメイトは既にめいめいの日常の中で生きていた。長橋少年の悲劇はとっくに薄れており、クラスの面々がそれについて悲しむ様子を見せることはさほどない。

 毎日が新鮮な発見の繰り返しである子供にとって、人の死などそれこそ身近な肉親でない限りは一過性のイベントに過ぎないのだろう。フィクションにおいては子供の妙な過敏さが美化されるが、決してそんなことはない。いうほど小学生なんてのは敏感でもないし、ドラマチックに友人の死を引きずることもない。大人は子供のことを過大評価している。

 小学校の二階の窓から見えるのは濃い蒸気——つまりは廃棄された排煙蒸気と、ちょっと濃度の高い霊魂粒子。そんな中で風に踊る雪が美しさを物語っている。昔の人はそれを天花と呼んだらしい。雪の結晶の美しさを知ってか知らずか、大昔の人々の研ぎ澄まされたセンスは雪というそれを、天空から降り注ぐ花のようであるという詩的な表現をした。現代には見られない、美しいとすら言える言葉選びだ。現代人が得意なのは綺麗な造語生成ではなく、効率的に他人を傷つける罵倒の創造である。

 いじめの主犯の死。朔奈にとってはともすれば得ですらあったかもしれないそれは、しかし葬儀の後に経験した奇妙な出来事のせいでそれどころではないというのが正直なところだった。

 あのあと、夢を見ていたような世界で起こった出来事が終わった後は何事もなく列車内で目を覚ました。いつの間にか目的地の寸前で目を覚まし、朔奈と真響の二人は状況的に座席で眠っていたことを察した。あれが朔奈の虚妄ではないことは、他ならない真響の記憶にも虫人間の記憶があったことから証明されてしまった。

 奇妙だ、という何らかの違和感。夢でなくてはあり得ないという縋るような願い。そして、けれどあの時感じた戦闘時の高揚感は決して嘘偽りないリアリティの伴うものであったという実感。

 ……あれは、どう考えたって実際にあったことに違いないんだろう。

 朔奈の解釈は、そのように出来上がっていた。

 あの神社に行ってみようと思う一方で、恐ろしくもあった。あの場で愚痴混じりに話してから間も無く長橋が死んだのだから当然だ。その後の悪夢もそうだが、随分とできすぎていると言わざるを得ない。

 授業が終わって少しして、朔奈はもそもそと帰り支度を始めた。まだ四時間目が終わったばかりで、昼休みの後六時間目まであるが、それどころではなかった。確かめるべきことがある。周りはそんな朔奈を見て、しかし誰一人止めない。けれど真響は何かを察したように、彼女も手早く荷物をまとめると「ごめんね、具合が悪いんだ」と隣の席の女子に行って教室を出た。

 小学生、そして中学生はいちいち親に連絡がいく面倒なシステムだが、幸い朔奈には親なんていない。親代わりの叔父は仕事で忙しくてあらかじめ連絡していた誕生日にだって顔さえ見せなかった。朔奈もいとこの往音もひどく落胆したし、なにより失望した。

 真響に至っては実質ネグレクトに近い状態らしく、現代社会の闇と言わざるを得ない家庭環境にあった。彼女はそれについて何か言おうとしているが、踏ん切りがつかないのか黙ってしまう。朔奈は無理に聞き出そうとはせず、彼女が自ら口火を切るのを待つスタンスを取っていた。

 そして——なによりの問題なのは、そういった家庭事情は比較的ありふれていて共感してくれる人が多いというものである。苦しみを共有できていいね、ではない。こんな問題、周りから「理解に苦しむ」とされる方が絶対にいいのに。

 朔奈は学校指定のランドセルなんて大嫌いで、教師のヒステリックな声を無視して従姉妹の往音が以前買ってくれたリュックで登校していた。今ではもう、往音は朔奈のことを見ようともしないけれど。

 主犯を失ったいじめグループは存外に大人しく、普段ならなにか嫌味でもいうくせにこの五日間は牙を抜かれたかのように静かである。

 ——どうせお前らは烏合だろ。群れの中でも弱そうに見える個体にたかるブチハイエナと同じだ。

 朔奈の心の声は誰にも届かない。

 足早に昇降口から出て、外に。学区内には時折警官が見回っているが、そのルートは決まっている。朔奈はそのルートの死角をつくようにして学校から離れて、そして紫川という通称で知られる河川にかけられた橋、その手前にある自販機の前で真響と合流した。

「前に言ってた神社、だよね」

「うん。……あそこがすごく怪しい」

 二人は適当に飲み物を買って、マフラーに顎を埋めながら歩く。すぐに遠くから霧笛のような警報が聞こえて、アナウンスが流れた。

『排煙レベルがⅣに達しました。速やかにマスクをしてください。霊魂粒子濃度レベルがⅢに達しました。速やかにマスクをしてください。繰り返します——』

 二人はリュックやカバンからマスクを取り出し、鼻から下を吸入器がついたそれで覆ってゴーグルをする。警報がなるレベルの中でこれらを外せば、呼吸困難や霊障を受けることになる。

 平日の昼間なので人通りは少ないし、ここは市内でも人が少ない片隅の小さな町だ。当然、中心の区画に比べ人口密度は低く、比較的物静かである。

 真響の白い肌が冷気で赤らんでいて、朔奈はそんな彼女の横顔に落ち着かなくなった。

 ——俺はこの子を握って、戦ったんだよな。

 あの感覚はまだはっきりと右手にあった。剣という無骨なものの中に感じた確かな温もり。まるで、彼女の手を握りしめているかのような。

 朔奈は己の右手を開いたり閉じたりして、それから首を振った。

 やがて彼らの前に見えてきたのは山である。

 御塚山みづかさんというらしい、縁起の悪い墓石を埋めて土を盛った結果できたとされる山であるとされ、木々は全てがひねくれたように捻れるということから、一時期オカルト番組でよく取り上げられていたらしい。朔奈が小学校三年生くらいの頃にはもうブームは過ぎ、今ではただの変な山という認識でしかないが、たまに物好きがやってきては「なんにもないじゃないか」と勝手に憤慨して帰っていくらしい。

「こんなところに神社なんてあるの?」

「あるんだ。昔から何度か来てて……でも、周りの爺さん婆さんは知らないって。大昔になんか、神様を祀る祠はあったみたいだけど」

「衛星写真の検索だと何もないけど……」

 朔奈は「木に隠れて見えないだけじゃないかな」といって、はっきりと記憶している道を進んだ。

 ややざわめきが大きい……? 気のせいか……。朔奈は妙な胸騒ぎを覚えながらも山道を進む。

 真響はここはなにか、異様な場所だと思えていた。こと、八洲においては山にいる女神は往々にして醜女で、自分より美しい女がやってくると神隠しの目に遭わせてしまうのだとか。ゆえに多くの山は、古くは女性の入山を禁じていたらしい。

 ぎぃん、と頭に響いた重たい金切り音に、真響は思わず膝をついた。

「どう——」

 したの、と言う前に、木々が激しくざわめいた。木枯らしが吹き抜けて、落ち葉が激しく舞い上げられる。

 それから一瞬でぐにゃりと景色がねじ曲がり、気づけば二人は例の神社、その境内にいた。

「ここは……」

「ぐぅ……朔奈君、ここ……離れないと」

「どうしたんだよ真響さん、俺、なんともないのに……」

 はっとした時には、真響の後ろに例の女がいた。

 狐面のスーツスタイルの女だ。

 彼女は真響を静かに見下ろして、それからなにか納得したように呟く。

巫覡ふげきの子か。なるほど、この場は合わないだろうね」

 フゲキ……?

「君の願いは叶えた。でも、ちょっと厄介なことになっているとだけ言っておく。……妙な因果が絡み合ってしまった、と言えるかな」

「何を……真響さんに何をしたんだよ!」

「私は何も。ただ、この山の主が嫌っているんだ。私が送り届けるから、なるべくこの山には入らないようにした方がいいと思う」

 狐面の女は、それから最後にこう締めくくった。

「君は、アヤカシを信じるかい?」

 なんのことを、——そう言おうとした直後、視界がふっと黒く染まった。

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