済州島4・3事件についての動画

 

 

 

まれに日本人が在日の人達に、「そんなに日本が嫌なら朝鮮に帰れ」と言う事がありますが、実は在日の1世代目の1世達は、戦争が終わったら本当に朝鮮半島に帰るつもりでいました。 

ちなみに在日1世は、日韓併合時代の強制連行や、自分の意思による出稼ぎで日本に来ました。 

それなので3K労働が主な底辺労働で生活が苦しい中、全国に大小の韓国語学校を作り、朝鮮半島に帰った時に子供達(2世達)が韓国語をしゃべれるように、子供達に韓国語を教えていました。

その韓国語学校が、朝鮮学校の始まりです。 

 

 

 

じゃあなぜ、まだ在日と呼ばれる存在が日本に沢山いるのかと言うと、戦後すぐに朝鮮戦争と済州島4・3事件が起こって朝鮮半島が戦地・焦土になってしまったため、治安が安定してから帰った方が良いだろうと判断し、日本で様子を見ているうちに2世が大人になり、結婚して3世や4世が生まれ、生活が日本に根付き始め、3世・4世と世代が進むにつれて日本人化して行き、帰るに帰れなくなったからです。 

 

 

 

第二次世界大戦が終わったのが1945年です。 

終戦後、帰国船に乗り朝鮮半島に帰って行く人達も沢山居たのですが、1950年に朝鮮半島が南と北に別れて戦った朝鮮戦争が起こってしまいます。 

朝鮮戦争は1950年~1953年まで続き、朝鮮全土を焦土にしてしまいました。

朝鮮戦争 wikipedia 

帰ろうと思っていた在日1世達も、もう少し朝鮮半島の治安が安定してから帰った方が良いのではないかと判断し、とりあえず日本に留まりました。 

ちなみに日本は、この朝鮮戦争に物資を送る、いわゆる朝鮮特需で、戦後の高度成長のきっかけをつかみました。 

 

 

 

また、実は在日の人達には済州島出身者が多いのですが、戦後すぐ、済州島でも済州島4・3事件が起こり、島民が大虐殺される事件が起こります。 

戦後、済州島に帰っていた在日の人達も、虐殺を逃れるために再び日本に戻って来た人が多かったそうです。 

済州島4・3事件の島民虐殺は1948年~1954年まで続き、事件前は28万人居た島民が、事件後には3万人ほどに減ったと言われています。 

恐ろしすぎて、済州島4・3事件の記憶を封印している在日のお年よりも多かったそうです。 

済州島4・3事件 wikipedia 

 

 

 

この2つの戦争と虐殺により朝鮮半島と済州島が焦土になってしまったので、朝鮮半島と済州島の治安が回復するまでと様子を見ているうちに、日本で2世が大人になり、孫やひ孫の3世や4世まで生まれてしまい、3代も4代も経つと朝鮮本土に親戚もいなくなり、帰っても生活基盤を0から作らねばならず、また2世以降は日本で生まれ育っているため「帰る」と言われても1世ほどの郷愁はなく、現実的に日本に留まる方が生活できるという状態の人達が、今日本に残っているという状態です。 

また3世・4世ほどにもなってしまうと、日本人との結婚の方が多く、日本人化が進んでいるため、「帰る」と言われてもピンと来なかったり、また韓国語がしゃべれない在日の人達も多く、韓国に留学してみてもカルチャーショックを受ける在日も多いそうです。 

一説によると、100年後には在日という存在も居なくなる、という説もあります。 

 

 

 

ちなみに在日の人達には地理的には南の韓国や済州島出身者が多かったのですが、1959年~1984年に行われた帰国事業により、北朝鮮に「帰って」行った人達も約9万人居ました。

 (その中には朝鮮人の夫に付いていった日本人妻や子供も、約7000人いたと言われています) 

このように在日1世達は、戦争が終わったら朝鮮半島に帰ろうとしていたので、歴史に「if」はありませんが、もし朝鮮戦争や済州島の虐殺事件がなければ朝鮮半島に帰っていたのでしょう。 

そうしたら今、日本に約48万人居ると言われる在日の人達も、もしかしたら1万人も居なかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

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