1985年6月。

男性が多くの報道陣の目の前で襲われ、殺害された。殺害されたのは豊田商事という会社の会長、永野一男。この日、永野が逮捕される可能性があると報道陣が自宅前に集まっていた。

豊田商事事件と言われる、悪徳商法で主に高齢者を騙した巨額詐欺事件。豊田商事はどんな悪事を働いたのか?なぜ、人々は騙されたのか?そして、永野はなぜ殺されたのか? 

永野が殺害される4年前の1981年・大阪。 

弁護士・三木俊博に東京の知り合いから連絡が入った。「豊田商事という金を売る会社が訪問販売で高齢者に強引に販売しているらしいので、話を聞いてほしい」という内容だった。

後日、相談者から話を聞いてみると、相談者の母親がやってきたセールスマンに長時間に渡り金塊を持つことの利点を説明され、すっかり信用して金を買ってしまったのだという。

しかし、その金塊は手元にはなく会社が預かっており、賃借料として1年で10%を払うと説明され「純金ファミリー契約証券」という証券を渡されていた。相談者の母親はその後、さらに金塊を買い足し、総額は1000万円にものぼったという。

息子はすぐに解約を申し入れたが、満期になっていないため契約料の30%を違約金として支払う必要があると告げられた。1000万円の契約であれば、ただただ300万円を失うとことになるのだ。

その後も三木弁護士に、同様の相談が立て続けに来た。

相談者は高齢者ばかりで、満期になっても金もお金も返してくれないというもの。

それにしてもなぜ、高齢者ばかりが被害にあうのか?そこには豊田商事の徹底された営業方法があった。

その手口はまず、テレホンレディと言われる女性たちが老人クラブや高額所得者名簿などを見ながら電話でセールスを行う。

興味を持った人の自宅へセールスマンが訪れる。セールスマンたちは豊田商事独自のセールスマニュアルビデオで徹底的に勉強しており、手土産を持参し、世間話をしながら警戒心をとく。仏壇があったら必ず手を合わせ、優しい人間であることをアピール。

そして時が来たら「おばあちゃん、純金ってわかる?」 とセールスを持ちかけるのだ。そして、金を買うことは貯蓄を移し替えることだと説得するのだという。

セールスマンたちは家に入ったら5時間は出てくるなと教えられ、それでも契約が取れない場合は土下座をしろと教えられた。

営業成績優秀者には桁外れの報酬が払われ、月収1000万円、年収で1億円を超えるセールスマンもいた。

弁護士の三木たちはまず当時社長だった永野と直接交渉をしたが、永野は一貫して違法性を否定。三木らは豊田商事に対し個別に損害賠償請求を行い、いくつか返金されたケースもあったが、一方で被害は増加していた。ときには、寝たきりの老人を無理やり連れだし金を引き出させるなど、手口も荒々しくなっていった。

やがて三木たちには実際に豊田商事は金塊を取引しているのかという疑問が。三木は金の流通を調査している日本金地金流通協会で調べると豊田商事は国内の業者から金を買っていないことが判明した。

豊田商事は顧客が購入した金塊を、会社で預かりそれを運用して資産を増やし、満期になったら返金すると説明していたが、その金塊を購入していなければ運用なんて不可能。つまり詐欺にあたるのだ。とはいえ詐欺として告発するには、時間がかかる。そこで三木たちはマスコミに取り上げてもらうことを目的に、1983年10月6日に全国218人の弁護士連名で、豊田商事が「本当に金塊を持っているのか」という公開質問状を手渡した。 

豊田商事からは「企業秘密」だと明確な回答が得られなかったがマスコミ各社は大々的に報道し、会長、永野は一斉に注目を浴びた。

1952年。永野は岐阜県・恵那で生まれた。

永野が中学に上がった頃、両親は離婚し、母親は永野を連れ、島根県の実家へ。その後、永野は定時制の高校に通いながら愛知県内の大手自動車メーカーの下請け企業に就職するが、2年で工場も高校も辞め、21歳の時、証券会社で働き始める。

永野の営業成績は良く、莫大な金を動かす相場の世界に浸かっていった。ところがある時、永野は顧客の金を勝手に相場につぎ込み3000万円もの損害を出し解雇された。

その後、永野は個人で金の商品取引業を行う豊田商事を始めた。客が大手企業と勘違いして信用するよう、この名を付けたという。永野は最初から詐欺まがいの方法で儲けようと考えていたのだ。 

その詐欺の手口はまず、顧客に金に投資するようセールスし、顧客から投資金を受け取るが実際に投資は行わない。金の市場価格が上がり顧客に儲けが出た場合は「もっと上がる」と追加で払わせ、一方、金の市場価格が下がり顧客に損が出た時には保証金が足りないという理由でさらに保証金を徴収したという。

当時は金への投資が一般に浸透し始めたころで法律の整備もできておらず、詐欺まがいの方法で永野は荒稼ぎしたのだ。

そして、1年後には大阪、福岡、岐阜、三重に支店や営業所を持つほどになった。

しかし、この頃純金の価値が1年間で4倍まで跳ね上がる異常事態に。多くの顧客は売りに出たが豊田商事にはそれを清算する金がなかった。また、その頃同じような手口で詐欺まがいの行為をしていた悪徳業者が摘発されたこともあり、豊田商事にも一斉に解約を求め客が殺到。

豊田商事はほぼ倒産状態に陥ったが、そこで考えられたのが、高齢者をターゲットにしたファミリー証券だった。そして営業マンの強引なセールスもあり、初年度に集めた金は、約92億円、2年目には約304億円、3年目には540億円と売り上げは倍増していった。 

そして、豊田商事がファミリー証券を売りだしてから3年目。弁護士たちがマスコミを集め豊田商事に対し質問状を手渡し、マスコミが一斉に豊田商事の強引な商法を報じ始める。1984年、弁護団はようやく大阪地検に刑事告訴したが、豊田商事へ容疑を固めるには入念な準備が必要なため、警察もすぐには動けなかった。 その間にも被害者は増えていき、1985年には被害総額約2000億円、被害者数は約3万人に。

その頃、豊田商事は莫大な社員への報酬や土地やゴルフ場、レジャー施設への投資などで多額の赤字を出していた。赤字を隠すため粉飾決算をしていた財務部長が、「本当は400億も赤字だって僕が公表したら、どうなりますかね?」と脅し、1億円を要求。

永野はその後、恐喝されたと警察に相談し、財務部長は逮捕された。しかしその裁判の証拠品として本当の確定申告書が提出され、豊田商事が400億円の赤字であることが大々的に報じられたのだった。これにより、豊田商事には返金を求める人が殺到。警察もようやく動きだした。永野逮捕は時間の問題だと思われていた1985年6月。

多くのマスコミが永野の自宅マンションに押し寄せた。そして、そこに2人の男が現れ永野を刺殺。犯人の2人は逮捕されのちに主犯格の男には懲役10年、もう一人には懲役8年の刑が確定した。 

弁護士たちは、すぐに破産申し立てを行い全国の営業所の資産を差し押さえたが、現金は1000万円程度、金塊はなんと200gしかなかったという。

一体、金をどこから徴収し、被害者に返済すればいいのか?まず、会社の持ち物であった机や椅子などの備品、社用の高級車、当時最新の小型飛行機などを、合計約7億円で売却。さらに、全国67か所の営業所の賃貸契約する際の保証金に目を付け、約12億円の返還を達成。

また、豊田商事グループが投資していた土地、ゴルフ場、マリーナ、ホテルなどを売り払い、約68億円を回収。極め付きは国税局へ出向き、従業員が得ていたのは本来受け取る権利のない金であり税の対象にはならないとして裁判を起こし、その結果、427人分の所得税、約12億円が返金された。 そして最終的な返金額は約122億円に。豊田商事の元役員5人は詐欺罪で逮捕され、1989年、それぞれ10年から13年の懲役刑が言い渡され、その後確定。

この豊田商事事件以降、商品を預かって運用するなどと言って実際には行わない預託商法に対応する「預託法」という法律が作られた。

しかし、金など一部の商品に限った法律だったのでそれ以外の詐欺事件が相次いだ。

そのため、今年6月から「預託商法を原則禁止」という法律が施行されている。つまり、正式な許可が下りていない預託商法は行った時点で違法にあたるというもの。

都合のいい儲け話は、鵜呑みにしないことが大切だ。