およそ190年の時を経て祇園祭に帰ってきた山「鷹山」。
長かった眠りの時を経て、堂々たる姿をよみがえらせました。
その日までの道のりは町衆にとってどのようなものだったのでしょう。
応仁の乱以前から巡行に参加していた由緒ある鷹山。
文政9年、1826年の巡行の際の風雨で大破し、翌年巡行を休止し、
以後休み山となりました。
人々は復活を目指し三条通室町西入の町家(ちょういえ)等で鷹匠(たかしょう)、
犬をつれた犬飼(いぬかい)、樽を背負った従者 樽負(たるおい)の三体の御神体や
残された懸装品をお飾りする居祭(いまつり)を続けてきました。
そして2014年に鷹山囃子方が復活、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立。
ついに今年、巡行への復帰が実現したのです。
番組には鷹山保存会理事長の山田純司(やまだじゅんじ)さんにお越しいただき
長かった復活までの日々をふり返っていただきます。
http://www.takayama.or.jp/


今年は3年ぶりに祇園祭山鉾巡行が実現されました。
この2年、コロナ渦によって巡行は中止となりました。
本来祇園祭は疫病退散を願い、行われるものであるだけに
忸怩たる思いもあったでしょう。
その筆頭が祇園祭山鉾連合会理事長 木村幾次郎さんではなかったでしょうか。
理事長を引きついだ2020年、そして翌年2021年と中止された巡行を
今年誰よりも待ち望んだおひとり。
今回はその木村幾次郎理事長をお招きし、改めて祇園祭の魅力を語っていただきました。
町衆の思い、本来の祭りの在り方、そして未来の祭りのかたち、受け継ぎまもるべき信仰とは。
3年ぶりとなる山鉾巡行は鷹山復活というトピックも加わり
理事長自らデザインされたお手ぬぐいも拝見しながらお話をお聞きしました。



ゲストは舞踏家、振付家、演出家として活躍する今貂子(いまてんこ)さんでした。
今さんは今貂子舞踏研究所代表で舞踏カンパニー 倚羅座主宰でもあります。
1980から94年、京都で設立された舞踏グループ白虎社(びゃっこしゃ)に参加、
1999年には舞踏ワークショップ開始し、翌2000年にワークショップを母体にした舞踏カンパニーを結成。
2014年にはカンパニーの名を、舞踏カンパニー倚羅座と改めました。
2020年には今貂子舞踏公演「金剛石-Diamond-」にて、令和2年度 第75回文化庁芸術祭優秀賞受賞。
舞踏として初入賞の快挙を果たされました。
新しい境地を拓いた今さんの舞踏の根源は日本の芸能の源流にみられる命を活性化させる力、「たまふり」だといいます。
アバンギャルドな舞踏の根底に息づく日本の魂とは。舞踏家と落語家の異色のコラボトークが展開されました。
https://imakiraza.wixsite.com/kirabutoh/about1-c1dzn


彦根城は江戸時代、外様大名ににらみを利かせる役割を担って
徳川家譜代井伊家の居城となりました。
江戸時代の偉容をそのまま伝え、天守および付櫓、多聞櫓は国宝に指定されています。
15代藩主井伊直弼は幕府の大老として活躍し「日米修好通商条約」に調印。
日本の開国近代化への道を開きました。反対勢力を強引に退けた「安政の大獄」、
その反動で命を落とした「桜田門外の変」は幕府を揺るがす大事件でした。
直弼は上に13人もの兄がいたため、自らが藩主になるとは思いもよらず
表舞台に登場するまでは学問や茶の湯、能などを熱心に学んでいたといいます。
彦根城博物館には井伊家に伝わる美術工芸品や古文書などを中心に
貴重な品々が収蔵されています。
国宝彦根城の歴史や名だたる建築物、文化財、そして図らずも藩主となり、
歴史を動かす活躍を見せた井伊直弼の人となりについてお話いただきました。


1978年10月。
京都市が「世界文化自由都市宣言」を発表しました。
平安京の昔より育んできた京都の伝統文化を礎に
世界との文化交流によって京都がさらなる文化都市へ発展することを目指す
京都市の都市理念が明確にされました。
そこで設立されたのが財団法人京都市国際交流協会です。
1989年には市民の国際交流の拠点として京都市国際交流会館が開館。
2006年度より財団法人京都市交流協会が施設の管理・運営を担い、
ここで人々が出会い、語り合い、交流を深めることを目的に
さまざまな取り組みが進められています。
京都における国際交流の意味とは。
京都が果たすことができる役割とは。
ロシアの侵攻という国際紛争の出口が模索されるなか、
互いの文化を尊重しあう国際交流の意義や大切さをお語っていただきました。
また山本さんの、海外留学経験のお話も楽しくお聞かせいただきました。


この日のゲスト『京都府の現代の名工・房撚紐師(ふさよりひもし)』坂田壽男(ひさお)さん。
坂田さんは1947年京都市生まれ。
府立山城高校卒業後家業の『飾り房』の製作を始めました。
1986年に独立し、主に各地の祭りで用いられる祭車(さいしゃ)の飾り房を製作。
僧侶が袈裟の上に垂らす儀式用装飾房『修多羅(しゅたら)』では
革新的で独創的な色合いを生み出しています。
令和元年には『京都府の現代の名工・房撚紐師』の称号を得ました。
ここまでが本業。
実はもうひとつ全く違う顔をもつ坂田さん。
坂田岳の名で東京、名古屋、京都等で講演会、ライブ活動を行うなど
セカンドライフを満喫中です。
同級生であるザ・タイガースのメンバーともいまだ交流を続け、
昨年春には「坂田岳のプライベートな虎歌」として
瞳みのる.森本太郎.岸部一徳と京都でライブも行いました。
この時の音源もちらっとお届けしました。
また大好きだという玉置浩二さんの楽曲を聞きながら
伝統工芸、バンド活動、若さを保つ秘訣などお話しいただきました。







祇園を代表するお茶屋さんの一つ祇園廣島屋芸妓 小耀(こよう)さん.
祇園と言えば「都をどり」。京都に春を呼ぶ風物詩です。
コロナ渦によって今年は3年ぶり、令和になって初めての公演となりました。
コロナに打ち勝ち平和な世への祈りを込めて
今回のタイトルは「泰平祈令和花模様(たいへいのいのりれいわはなもよう)」。
直近2年間の中止で、今回出演する舞妓25人のうち半数以上が
初舞台というフレッシュな公演となりました。
京都の宮廷文化を取り入れたという華やかで優雅な晴れ舞台。
対談は都をどりについて、さらに花街に暮らす芸妓さん、舞妓さんのこと。
米團治がたっぷりとお話をお聞きしました。
お姿も花桜のお着物もとても綺麗で華やいだスタジオ収録となりました。


今回のゲストはジャズピアニスト、作曲家、FMラジオのパーソナリティとしても
活躍されている金谷康佑(かなたにこうすけ)さん。
金谷さんは1958年西宮市に生まれました。
立命館大学在学時よりプロ活動開始。
モダンジャズを基軸に
ジャズとクラシックの融合や和楽器とのコラボなどに意欲的に取り組んでいます。
真骨頂はそのオリジナル曲。
阪神淡路大震災の被災経験から全四楽章からなるシンフォニー「震災組曲~フェニックス~」、
人生の応援ソング「勇気をだして」はじめ数多くのアルバムをリリース。
コンサート活動は関西を拠点に、北は北海道、南は沖縄まで、全国各地に及びます。
金谷さんと米團治とは同世代。
落語家と音楽家の軽妙なコラボとなりました。


今回のゲストは桂ざこば一門の筆頭弟子、桂塩鯛さん。
KBS京都でもお馴染みの塩鯛さんは1955年2月9日、京都市生まれ。
立命館大学経営学部を中退、噺家になりたい一心で
桂米朝師匠のもとへ入門を志願します。
しかし弟子が多くいたため果たせず、米朝のすすめで1977年、
桂朝丸、現ざこば師匠に入門しました。
入門のその年、茨木市唯敬寺(ゆいきょうじ)「雀の会」にて初舞台。
以降
「ABC漫才落語新人コンクール」最優秀新人賞
「文化庁芸術祭賞」最優秀賞
「大阪舞台芸術奨励賞」
「文化庁芸術祭賞」優秀賞
「京都府文化賞功労賞」など数々の賞を受賞する活躍を見せています。
2010年8月6日には4代目「桂塩鯛」を襲名。
師匠譲りの迫力のある落語は益々円熟味を増しています。
弟子は「米紫」「鯛蔵」「小鯛」。
お二人の会話は落語を聞いているようで
あっという間に時間が過ぎていきました。。


今回も早咲きの凛とした梅のよな、
清々しい空気がスタジオに立ち込めました。
ゲストにお迎えした川崎仁美さんは1980年京都生まれ。
運命の出会いは高校生の時でした。
学生服姿で飛びこんだ盆栽展で盆栽に魅せられます。
高校3年生から盆栽雑誌のナビゲーターを務め、
その後独学し、2002年より「現代盆栽」を主宰、
盆栽は園芸であると同時に時間とともに育んでいく文化でもあると
盆栽の魅力を内外に発信。
10年間のフィールドワークを経て京都工芸繊維大学大学院に入学され、
2012年に修士課程を修了し、2013年に学芸員資格を取得されました。
2014年から1年間、米国 エドワード・C・ジョンソン財団の奨学金を得て
アメリカ、イギリスに園藝留学。各国の園藝技術・思想・運営を学び帰国。
京都盆栽大使、大学非常勤講師などを経て現在は文化庁 文化創造アナリストを務めておられます。
来年には著書も出版予定。盆栽の魅力、奥深さをじっくりとお聞きしました。
大徳寺 芳春院盆栽庭園
https://oniwa.garden/daitokuji-hoshuin-bonsai/


